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サンドイッチとミルクティー
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カーテンの隙間から漏れる朝の光が、妃の睫毛を震わせた。少し冷たい室温と、体温で温まった布団のコントラスト。そしてさらりとしたシーツの肌触りが気持ちいい。
徐々に意識が浮上していく、と同時に、いつもと寝心地の違うベッドと、見慣れない寝室の風景の意味を理解する。
(あ……私、空君の家に泊まって……)
昨夜の記憶が蘇る。あの後ベッドにもつれ込んで、ずっと子供の頃のイメージで止まっていた空の体が、ちゃんと大人の男になっている事を知って、自分がどんな事をして何を口走ったとか、初めて内側を押し広げる大好きな人の熱とか、行為中の息遣いとか。そんな生々しい事まで脳みそは次々に思い出して、恥ずかしさが混ざった甘酸っぱい気持ちが胸に充満した。
(……最後まで出来た……嬉しい……)
火照る頬をシーツの冷たさで覚ましながら、余韻を噛み締める。
練習を提案した時は、キス以上の事をするつもりはなかったし、空の気持ちを最優先にするつもりだった。だけどそんな心配が必要ないくらいに空の方から求めてきてくれて、その熱量が嬉しかったし、クラクラした。お互いの気持ちを伝えあって、弱い部分を見せあって、肉体的にも繋がって、二人の関係は一段成熟したように思う。
そしておこがましいかもしれないが、自分の存在が空の記憶を塗り替える助けになった気がして、それが一番嬉しかった。惚れた相手には幸せになって欲しいし、心に重りが乗っているのならそっと取り除いてあげたい。言葉にすると偽善っぽいけど、でも空が嬉しいと自分も嬉しいのは妃にとっての真実だ。
しばしそのまま充足感に浸っていると、寝室の扉の向こうで物音がした。空が一足早く起床しているのだろう。それに気付いて妃も身を起こす。サイズのあっていない服の中で体が泳いでいる。昨晩入浴した後に借りた空の部屋着だ。ぶかぶかのTシャツとスエットパンツから、自分の家とは違う柔軟剤の匂いが香ってくる。何もかもが新鮮で、胸がくすぐったい。
サイドテーブルには、ミネラルウォーターと、ブランケットが畳んで置かれていた。自分が眠る前には無かったものだ。空が気を利かせてくれたのだろうと思うとまた嬉しくなる。少しカサカサする喉を潤して、ブランケットをはおり、裾を引きずりそうになりながらベッドを降りた。
寝室から出ると、パンを焼くいい匂いが鼻腔を擽って、キッチンで忙しそうにする空の後ろ姿が見えた。扉の音と足音で妃の起床を感じたらしい。振り返った空と目が合うとそこに昨夜の面影はなく、すっかりいつも通りの丸くてきらきらした瞳に戻っていた。
「あっ……! 妃ちゃんおはよう! 体大丈夫!? どこも痛くない!? しんどくない!?」
妃の姿を見止めた途端、畳みかけるように心配の声が飛んでくる。単なる気遣いだけでなく、一夜明けて初めて顔を合わせる恋人への、照れくささのような物も含まれているのだろう。ほんのり赤らんだ耳たぶに気づき、妃がくすりと笑いを零した。
「大丈夫だよ。別に具合が悪くなる事したわけじゃないんだよ?」
「でも、俺初めてだったし、上手く出来なくて妃ちゃんの負担になってないか心配で、あっつ!!」
と、言いながら気もそぞろに取り出したトーストが思いのほか熱かったらしく、空は大袈裟に腕を振って熱を逃がした。せわしない様子を見て、妃はまた笑ってしまう。
いまいち恰好がつかない彼の元に歩み寄り、手元を覗き込む妃。今しがたのトーストに加えて、野菜、ハム、調味料等が、調理台の上に並べられている。
「えっと……朝ごはん、妃ちゃんがいつ起きても食べられるように、サンドイッチでも作っておこうかと思って……でもちょうど良かった。お腹すいてる? もう食べる?」
「うん。ありがとう。でもその前にあったかいお茶が飲みたいかも」
「あ、俺も飲みたくてお湯沸かしてた所! 淹れるね! 緑茶と、紅茶と、昨日のジャスミン茶もあるけど、どれがいい?」
「じゃあ……紅茶にしようかな」
「分かった!」
二人で過ごす時間はいつも甲斐甲斐しく動いてくれる空だが、今朝はいつにも増してのお姫様扱いだった。妃もその空気は感じていて、いつもはあまり言わないわがままを、少しだけ言いたくなった。
「ねぇねぇ、お砂糖と、あったかいミルクも添えてほしいな」
空の左肩に、自分の右肩をとんと当てながら、甘えた声で上目遣い。うっかりキュートアグレッションが湧きそうになった空が、ぎゅっと唇を噛み締める。
「あのさぁ……妃ちゃんってたまに自分が可愛いって分かってる事するよね」
「そういう私は嫌い?」
「……大好きです」
嬉し悔しそうに負けを認める空。牛乳を取りに行くために一旦冷蔵庫に向かい、小さな容器に注いでレンジにかけた。手間が増えた所で嫌な顔一つしない空の行動を、妃は寝起きと幸福感でほわほわと緩む頭で眺めていた。
「ねぇ空君」
カップとティーバックを取り出していた空が、目線でなあにと問いかける。
「私、これからはもっとちゃんと空君を信頼して色んな事伝えるね。今回みたいに、可愛くない爆発する前に」
はにかみながら素直な気持ちを伝えてくれる妃に、目元を緩める空。作業の手を止めて彼女の方へと向き直る。
「俺も、これからは妃ちゃんに誤解されないように努力する。……あとさ、ご存じの通り、うちとんでもなく面倒で鬱陶しい身内が居るからさ。兄貴に比べたら妃ちゃんが何言ってもやってもほんっとマジで可愛いモンだから。俺その辺の許容範囲だけは無駄に鍛えられてるから、ほんとに遠慮しないでね」
決して悪い人ではないのだが、気が強くて我が強くて気分屋で、何でもかんでも言いたい放題やりたい放題の大魔王。そんな人物の顔を思い浮かべると、確かに自分が少し面倒事を言うくらい可愛いものかもしれないと思えてしまった。ついクスクスと肩を揺らしながら「分かった」と頷く妃を、空も嬉しそうに眺めている。
「じゃあ妃ちゃんは座ってて。出来たら運ぶから」
「いいの?」
「今日くらいは恰好つけさせてよ」
「……じゃあお言葉に甘えちゃおっかな」
ダイニングの椅子に座り、朝食を用意する空の後ろ姿を眺める。寝ぐせのついた髪がふわふわと揺れている。
恰好をつけようとしてもどこか抜けてしまうし、それ以前に恰好をつける事自体が苦手。メンバーやスタッフには何かといじられ、ファンからは可愛い可愛いと愛でられている。アイドルらしいキラキラの王子様キャラでもなければ、人目を引き付けてやまない完全無欠のスーパースターでもない。
だけど優しくて努力家で、実は強くて格好良くて、いざという時には誰よりも胆力を見せてくれるのは空だ。そして妃にとっては一番優しい王子様で、頼れるナイトなのは間違いない。
その事を皆にもっと知って欲しい気もするけど、でも大勢にバレてしまうのもそれはそれで悔しい気がして、自分だけが知っていたい気持ちが顔を覗かせるのも事実だった。
「はい、お待ち遠さま~」
ほどなくして、温かい紅茶と、ハムとチーズとレタスのサンドイッチ、はちみつがかかったヨーグルトが運ばれてきた。立ち上る湯気とこんがり焼き目のついたパンが、穏やかに食欲を刺激する。
「美味しそう。ありがとう」
二人で向かい合って座り、いただきますと手を合わせる。大きな窓から差し込む朝日。鼻から抜ける紅茶の匂い。香ばしいパンをかじる音。空の家でこんな風に朝を迎えられる事が、今は何よりも嬉しかった。
「空君」
ほこほことした気分で紅茶を口に含み、顔の下半分がカップで隠れたままの妃が名前を呼ぶ。口の端にパンくずを付けている空が目を瞬かせて首を傾けた。
「……またしようね」
照れくさそうな表情で、何を、とは言わずとも伝わったらしい。ぴたりと咀嚼を止めた空の顔がみるみる赤くなっていく。彼はゆっくりとサンドイッチを皿に下し、顔面を覆い隠した。
「……ぜひ、よろしくお願いします……」
「もう、そんな事されたらどっちが女の子だか分かんないよ」
昨晩の男っぽさはどこへやら。すっかり元通りに戻ってしまった空を前に、まるで自分ががっついているような気分になってしまって、妃は羞恥を誤魔化すように唇をとがらせた。
アイドルという職業をしている時点で、空は妃の中だけとはいわず、他の誰かの中でもトップオブトップの王子様になってしまっているだろう。そしてそれは活動を共にするメンバーとしては喜ぶべき事で、隠しておくことも出来ないものだ。
だけど昨日見せてくれたものだけは、きっと妃しか知らない特別な表情と声と温度で、それを独占したい、他の誰にも渡したくないと思う事くらいは、許されてもいいだろう。
(あんな顔見せられたら、皆が空君の事好きになっちゃう。知ってるのは私だけでいいの)
惚気と、かわいらしい独占欲と、彼に対する好きの気持ちを、穏やかな時間の中で噛み締めた。
徐々に意識が浮上していく、と同時に、いつもと寝心地の違うベッドと、見慣れない寝室の風景の意味を理解する。
(あ……私、空君の家に泊まって……)
昨夜の記憶が蘇る。あの後ベッドにもつれ込んで、ずっと子供の頃のイメージで止まっていた空の体が、ちゃんと大人の男になっている事を知って、自分がどんな事をして何を口走ったとか、初めて内側を押し広げる大好きな人の熱とか、行為中の息遣いとか。そんな生々しい事まで脳みそは次々に思い出して、恥ずかしさが混ざった甘酸っぱい気持ちが胸に充満した。
(……最後まで出来た……嬉しい……)
火照る頬をシーツの冷たさで覚ましながら、余韻を噛み締める。
練習を提案した時は、キス以上の事をするつもりはなかったし、空の気持ちを最優先にするつもりだった。だけどそんな心配が必要ないくらいに空の方から求めてきてくれて、その熱量が嬉しかったし、クラクラした。お互いの気持ちを伝えあって、弱い部分を見せあって、肉体的にも繋がって、二人の関係は一段成熟したように思う。
そしておこがましいかもしれないが、自分の存在が空の記憶を塗り替える助けになった気がして、それが一番嬉しかった。惚れた相手には幸せになって欲しいし、心に重りが乗っているのならそっと取り除いてあげたい。言葉にすると偽善っぽいけど、でも空が嬉しいと自分も嬉しいのは妃にとっての真実だ。
しばしそのまま充足感に浸っていると、寝室の扉の向こうで物音がした。空が一足早く起床しているのだろう。それに気付いて妃も身を起こす。サイズのあっていない服の中で体が泳いでいる。昨晩入浴した後に借りた空の部屋着だ。ぶかぶかのTシャツとスエットパンツから、自分の家とは違う柔軟剤の匂いが香ってくる。何もかもが新鮮で、胸がくすぐったい。
サイドテーブルには、ミネラルウォーターと、ブランケットが畳んで置かれていた。自分が眠る前には無かったものだ。空が気を利かせてくれたのだろうと思うとまた嬉しくなる。少しカサカサする喉を潤して、ブランケットをはおり、裾を引きずりそうになりながらベッドを降りた。
寝室から出ると、パンを焼くいい匂いが鼻腔を擽って、キッチンで忙しそうにする空の後ろ姿が見えた。扉の音と足音で妃の起床を感じたらしい。振り返った空と目が合うとそこに昨夜の面影はなく、すっかりいつも通りの丸くてきらきらした瞳に戻っていた。
「あっ……! 妃ちゃんおはよう! 体大丈夫!? どこも痛くない!? しんどくない!?」
妃の姿を見止めた途端、畳みかけるように心配の声が飛んでくる。単なる気遣いだけでなく、一夜明けて初めて顔を合わせる恋人への、照れくささのような物も含まれているのだろう。ほんのり赤らんだ耳たぶに気づき、妃がくすりと笑いを零した。
「大丈夫だよ。別に具合が悪くなる事したわけじゃないんだよ?」
「でも、俺初めてだったし、上手く出来なくて妃ちゃんの負担になってないか心配で、あっつ!!」
と、言いながら気もそぞろに取り出したトーストが思いのほか熱かったらしく、空は大袈裟に腕を振って熱を逃がした。せわしない様子を見て、妃はまた笑ってしまう。
いまいち恰好がつかない彼の元に歩み寄り、手元を覗き込む妃。今しがたのトーストに加えて、野菜、ハム、調味料等が、調理台の上に並べられている。
「えっと……朝ごはん、妃ちゃんがいつ起きても食べられるように、サンドイッチでも作っておこうかと思って……でもちょうど良かった。お腹すいてる? もう食べる?」
「うん。ありがとう。でもその前にあったかいお茶が飲みたいかも」
「あ、俺も飲みたくてお湯沸かしてた所! 淹れるね! 緑茶と、紅茶と、昨日のジャスミン茶もあるけど、どれがいい?」
「じゃあ……紅茶にしようかな」
「分かった!」
二人で過ごす時間はいつも甲斐甲斐しく動いてくれる空だが、今朝はいつにも増してのお姫様扱いだった。妃もその空気は感じていて、いつもはあまり言わないわがままを、少しだけ言いたくなった。
「ねぇねぇ、お砂糖と、あったかいミルクも添えてほしいな」
空の左肩に、自分の右肩をとんと当てながら、甘えた声で上目遣い。うっかりキュートアグレッションが湧きそうになった空が、ぎゅっと唇を噛み締める。
「あのさぁ……妃ちゃんってたまに自分が可愛いって分かってる事するよね」
「そういう私は嫌い?」
「……大好きです」
嬉し悔しそうに負けを認める空。牛乳を取りに行くために一旦冷蔵庫に向かい、小さな容器に注いでレンジにかけた。手間が増えた所で嫌な顔一つしない空の行動を、妃は寝起きと幸福感でほわほわと緩む頭で眺めていた。
「ねぇ空君」
カップとティーバックを取り出していた空が、目線でなあにと問いかける。
「私、これからはもっとちゃんと空君を信頼して色んな事伝えるね。今回みたいに、可愛くない爆発する前に」
はにかみながら素直な気持ちを伝えてくれる妃に、目元を緩める空。作業の手を止めて彼女の方へと向き直る。
「俺も、これからは妃ちゃんに誤解されないように努力する。……あとさ、ご存じの通り、うちとんでもなく面倒で鬱陶しい身内が居るからさ。兄貴に比べたら妃ちゃんが何言ってもやってもほんっとマジで可愛いモンだから。俺その辺の許容範囲だけは無駄に鍛えられてるから、ほんとに遠慮しないでね」
決して悪い人ではないのだが、気が強くて我が強くて気分屋で、何でもかんでも言いたい放題やりたい放題の大魔王。そんな人物の顔を思い浮かべると、確かに自分が少し面倒事を言うくらい可愛いものかもしれないと思えてしまった。ついクスクスと肩を揺らしながら「分かった」と頷く妃を、空も嬉しそうに眺めている。
「じゃあ妃ちゃんは座ってて。出来たら運ぶから」
「いいの?」
「今日くらいは恰好つけさせてよ」
「……じゃあお言葉に甘えちゃおっかな」
ダイニングの椅子に座り、朝食を用意する空の後ろ姿を眺める。寝ぐせのついた髪がふわふわと揺れている。
恰好をつけようとしてもどこか抜けてしまうし、それ以前に恰好をつける事自体が苦手。メンバーやスタッフには何かといじられ、ファンからは可愛い可愛いと愛でられている。アイドルらしいキラキラの王子様キャラでもなければ、人目を引き付けてやまない完全無欠のスーパースターでもない。
だけど優しくて努力家で、実は強くて格好良くて、いざという時には誰よりも胆力を見せてくれるのは空だ。そして妃にとっては一番優しい王子様で、頼れるナイトなのは間違いない。
その事を皆にもっと知って欲しい気もするけど、でも大勢にバレてしまうのもそれはそれで悔しい気がして、自分だけが知っていたい気持ちが顔を覗かせるのも事実だった。
「はい、お待ち遠さま~」
ほどなくして、温かい紅茶と、ハムとチーズとレタスのサンドイッチ、はちみつがかかったヨーグルトが運ばれてきた。立ち上る湯気とこんがり焼き目のついたパンが、穏やかに食欲を刺激する。
「美味しそう。ありがとう」
二人で向かい合って座り、いただきますと手を合わせる。大きな窓から差し込む朝日。鼻から抜ける紅茶の匂い。香ばしいパンをかじる音。空の家でこんな風に朝を迎えられる事が、今は何よりも嬉しかった。
「空君」
ほこほことした気分で紅茶を口に含み、顔の下半分がカップで隠れたままの妃が名前を呼ぶ。口の端にパンくずを付けている空が目を瞬かせて首を傾けた。
「……またしようね」
照れくさそうな表情で、何を、とは言わずとも伝わったらしい。ぴたりと咀嚼を止めた空の顔がみるみる赤くなっていく。彼はゆっくりとサンドイッチを皿に下し、顔面を覆い隠した。
「……ぜひ、よろしくお願いします……」
「もう、そんな事されたらどっちが女の子だか分かんないよ」
昨晩の男っぽさはどこへやら。すっかり元通りに戻ってしまった空を前に、まるで自分ががっついているような気分になってしまって、妃は羞恥を誤魔化すように唇をとがらせた。
アイドルという職業をしている時点で、空は妃の中だけとはいわず、他の誰かの中でもトップオブトップの王子様になってしまっているだろう。そしてそれは活動を共にするメンバーとしては喜ぶべき事で、隠しておくことも出来ないものだ。
だけど昨日見せてくれたものだけは、きっと妃しか知らない特別な表情と声と温度で、それを独占したい、他の誰にも渡したくないと思う事くらいは、許されてもいいだろう。
(あんな顔見せられたら、皆が空君の事好きになっちゃう。知ってるのは私だけでいいの)
惚気と、かわいらしい独占欲と、彼に対する好きの気持ちを、穏やかな時間の中で噛み締めた。
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