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龍の願い
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新緑の香りが心地いい、とある晴れた日の事です。紅は、桃源郷にある見晴らしのいい丘の上を訪れていました。その手の中には、シロツメクサで編まれた不格好な冠が握られています。
「こういう細けぇ作業は苦手なんだよなぁ」
彼の目の前には、膝丈程の大きさの、丸みを帯びた石が立っています。誰に見られているわけでもないのに言い訳がましく呟いてから、紅は花冠を石に被せました。そよりと、風が小さな花弁を撫でる様子を眺め、それから石と向かい合う形で腰を下ろします。
「ま、知ってたさ。分かり切ってた。こうなる事は。今までずっとそうだった。今更だ」
それはまるで、自分自身に言い聞かせるかのような口ぶりでした。
龍は他の動物達とは比べ物にならないくらいの長寿です。紅はこの桃源郷が出来る前からずっと、命が生まれては死に、繫栄しては衰退し、時代が移ろいゆく様を眺めていました。ユキの一生だって、紅にとっては瞬きしている間に終わってしまうくらい儚いもの。その理を変えることは、誰にも出来ません。
果たして十年も経たぬうちに、ユキは天寿を全うしました。
悲しくはありません。また一つ、小さき命が巡っただけの話です。何度も何度も見てきました。そんな事に一々心を痛めていては、龍として生きていけません。
ただ少し、胸がすうすうするだけです。それだけです。
「小動物の一生なんざ、一瞬かと思ってたが……」
目を閉じると、様々な光景が思い起こされます。
祝言の日に、にこにこしながらシロツメクサの花冠を渡してきたユキの顔。ユキと仲の良い動物達と一緒にお花見をしたり、スイカを割ったり、色んなイベントに連れ出してくれた事。繁殖期のウサギの絶倫具合には、龍の自分ですら手を焼いたのも、今となっては笑い話です。
そしてまさか自分がどこにも遊びに行かず、徐々に衰弱していくユキの傍にずっと付いて、その最期を看取るなんて。
「……中々どうして、思い出も出来るもんだな」
自嘲しているような、寂しそうな、それでいて幸せそうな、小さな笑いが零れました。
最初はただの気まぐれでした。
悠久とも呼べる長い年月を生きる龍にとって、ウサギの一生分ぽっちの時間など、番ごっこのお付き合いに充てた所で痛くも痒くもなかったからです。
だけどユキと過ごす時間は思いのほか楽しくて、独占欲や嫉妬心を向けられるわずらわしさこそあれ、それすら段々と愛おしく思えてきました。チョコマカと動く小動物の、表情豊かな一挙手一投足が可愛らしくて、面白くて、それを隣で眺めている日常は穏やかで、心満たされていました。そして有限の時を生きる生命だからこその懸命さや、命を繋ぎたいと願う欲求は、紅にとっては馬鹿馬鹿しくも尊いものでした。もう少しだけこの時間が続いて欲しい。もう少しだけ共に生きたいと願うようになった頃に、ユキは虹の橋を渡っていきました。
十年前……紅にとってはついこの間の事。紅さんに好きになって貰えるように頑張りますと、息まいていた表情が思い起こされます。悔しいですが、まんまとしてやられました。ユキの思い通りにさせられてしまったわけです。
瞳を開きます。相も変わらず晴れた空の下、花冠をかぶった物言わぬ石が鎮座しています。手を伸ばすと、太陽のおかげでほんのりと熱を持ち、さらりと乾いた質感が指先に触れました。
『紅さんと同じ種族に生まれたかった』
息を引き取る少し前、ユキが掠れた声で呟いた一言が追想されます。
だけど紅は身をもって知っています。不老長寿など、そんなによいものでもありません。この世の事はこれ全て、終わりが見えるからこそ輝いているのです。だから自分よりうんと短命で、ユキより少しだけ長寿な種族がいい。そんな種族に、二人で生まれられたなら。
「……ユキ、またいつか会おうな」
手のひらを、ひたりと石に押し当てます。
「今度は俺も、お前も、お前と仲の良かった動物達もだ。全員で同じ時を生きよう。下らない事で悩もう。馬鹿みたいにはしゃごう。沢山泣いて、死ぬ程笑って、今度こそ共に、有限の時を生きよう」
何かをつかみ取るように、指が畳まれていき、墓石に沿えたまま握りしめられます。気のせいでしょうか。紅の声は、少しだけ震えているように聞こえました。
「数えきれないくらいに命が巡って、時代が変わって、その時はきっと俺もお前も他の誰も、互いの事なんか覚えちゃいない。だけど、それでも俺は……っ」
そこまで言った所で、紅が言葉に詰まりました。口角をぎゅっと結び、下を向きます。長い髪がカーテンのように表情を覆い隠し、彼が今どんな顔をしているのか、傍目から知る事は出来ません。
ややあって、懐から煙管が取り出されました。紅が先端に鋭く息を吹きかけると、パチパチと炎が宿ります。吸い口を口の端に咥えて大きく肺を膨らませ、それから細く、長く、空気を吐き出す音が響きます。紫煙がゆるやかに風に溶けていきます。
一連の動作を済ませた後、顔を上げると、そこにはいつも通りの笑みを浮かべる紅の表情がありました。
「なぁに」
墓石を見据え、彼は自信たっぷりに歯を覗かせました。
「その時は俺が見つけるさ。全部纏めてな」
俺に出来ない事なんてない。そうだろ? 大胆不敵な発言に、返事を返すように、花冠が風に揺れました。
遠き未来か、遠き過去か、はたまた別の次元なのか、龍はウサギを見つけられたのでしょうか。
願いの結末は、この物語とはまた別のお話です。
「こういう細けぇ作業は苦手なんだよなぁ」
彼の目の前には、膝丈程の大きさの、丸みを帯びた石が立っています。誰に見られているわけでもないのに言い訳がましく呟いてから、紅は花冠を石に被せました。そよりと、風が小さな花弁を撫でる様子を眺め、それから石と向かい合う形で腰を下ろします。
「ま、知ってたさ。分かり切ってた。こうなる事は。今までずっとそうだった。今更だ」
それはまるで、自分自身に言い聞かせるかのような口ぶりでした。
龍は他の動物達とは比べ物にならないくらいの長寿です。紅はこの桃源郷が出来る前からずっと、命が生まれては死に、繫栄しては衰退し、時代が移ろいゆく様を眺めていました。ユキの一生だって、紅にとっては瞬きしている間に終わってしまうくらい儚いもの。その理を変えることは、誰にも出来ません。
果たして十年も経たぬうちに、ユキは天寿を全うしました。
悲しくはありません。また一つ、小さき命が巡っただけの話です。何度も何度も見てきました。そんな事に一々心を痛めていては、龍として生きていけません。
ただ少し、胸がすうすうするだけです。それだけです。
「小動物の一生なんざ、一瞬かと思ってたが……」
目を閉じると、様々な光景が思い起こされます。
祝言の日に、にこにこしながらシロツメクサの花冠を渡してきたユキの顔。ユキと仲の良い動物達と一緒にお花見をしたり、スイカを割ったり、色んなイベントに連れ出してくれた事。繁殖期のウサギの絶倫具合には、龍の自分ですら手を焼いたのも、今となっては笑い話です。
そしてまさか自分がどこにも遊びに行かず、徐々に衰弱していくユキの傍にずっと付いて、その最期を看取るなんて。
「……中々どうして、思い出も出来るもんだな」
自嘲しているような、寂しそうな、それでいて幸せそうな、小さな笑いが零れました。
最初はただの気まぐれでした。
悠久とも呼べる長い年月を生きる龍にとって、ウサギの一生分ぽっちの時間など、番ごっこのお付き合いに充てた所で痛くも痒くもなかったからです。
だけどユキと過ごす時間は思いのほか楽しくて、独占欲や嫉妬心を向けられるわずらわしさこそあれ、それすら段々と愛おしく思えてきました。チョコマカと動く小動物の、表情豊かな一挙手一投足が可愛らしくて、面白くて、それを隣で眺めている日常は穏やかで、心満たされていました。そして有限の時を生きる生命だからこその懸命さや、命を繋ぎたいと願う欲求は、紅にとっては馬鹿馬鹿しくも尊いものでした。もう少しだけこの時間が続いて欲しい。もう少しだけ共に生きたいと願うようになった頃に、ユキは虹の橋を渡っていきました。
十年前……紅にとってはついこの間の事。紅さんに好きになって貰えるように頑張りますと、息まいていた表情が思い起こされます。悔しいですが、まんまとしてやられました。ユキの思い通りにさせられてしまったわけです。
瞳を開きます。相も変わらず晴れた空の下、花冠をかぶった物言わぬ石が鎮座しています。手を伸ばすと、太陽のおかげでほんのりと熱を持ち、さらりと乾いた質感が指先に触れました。
『紅さんと同じ種族に生まれたかった』
息を引き取る少し前、ユキが掠れた声で呟いた一言が追想されます。
だけど紅は身をもって知っています。不老長寿など、そんなによいものでもありません。この世の事はこれ全て、終わりが見えるからこそ輝いているのです。だから自分よりうんと短命で、ユキより少しだけ長寿な種族がいい。そんな種族に、二人で生まれられたなら。
「……ユキ、またいつか会おうな」
手のひらを、ひたりと石に押し当てます。
「今度は俺も、お前も、お前と仲の良かった動物達もだ。全員で同じ時を生きよう。下らない事で悩もう。馬鹿みたいにはしゃごう。沢山泣いて、死ぬ程笑って、今度こそ共に、有限の時を生きよう」
何かをつかみ取るように、指が畳まれていき、墓石に沿えたまま握りしめられます。気のせいでしょうか。紅の声は、少しだけ震えているように聞こえました。
「数えきれないくらいに命が巡って、時代が変わって、その時はきっと俺もお前も他の誰も、互いの事なんか覚えちゃいない。だけど、それでも俺は……っ」
そこまで言った所で、紅が言葉に詰まりました。口角をぎゅっと結び、下を向きます。長い髪がカーテンのように表情を覆い隠し、彼が今どんな顔をしているのか、傍目から知る事は出来ません。
ややあって、懐から煙管が取り出されました。紅が先端に鋭く息を吹きかけると、パチパチと炎が宿ります。吸い口を口の端に咥えて大きく肺を膨らませ、それから細く、長く、空気を吐き出す音が響きます。紫煙がゆるやかに風に溶けていきます。
一連の動作を済ませた後、顔を上げると、そこにはいつも通りの笑みを浮かべる紅の表情がありました。
「なぁに」
墓石を見据え、彼は自信たっぷりに歯を覗かせました。
「その時は俺が見つけるさ。全部纏めてな」
俺に出来ない事なんてない。そうだろ? 大胆不敵な発言に、返事を返すように、花冠が風に揺れました。
遠き未来か、遠き過去か、はたまた別の次元なのか、龍はウサギを見つけられたのでしょうか。
願いの結末は、この物語とはまた別のお話です。
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