小童、宮本武蔵

雨川 海(旧 つくね)

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○その2

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 弁助は囲炉裏端に上がり込み、食事を所望する。当時は一日二食が普通だったが、小童は食べられる機会を逃さない。
 串刺しにされた山女は、丁度よく焼けていた。弁助は、美しい川魚に容赦なくかぶりつく。甘みと香りが口一杯に広がった。山女の印象が朱美や杉を連想させて、弁助は妙に興奮した。食欲と性欲は、何処か繋がる所がある。もっとも、この時の弁助は童貞だった。さればこそだろう。
 さて、弁助が山女を骨と頭だけにすると、杉が気を利かせてご飯を椀こに大盛りでよそる。山女の尾頭身なしがそこに足され、出汁がかけられる。これが堪らなく美味い。特に塩で固めた山女の尾鰭は、ご飯が何杯でもいける。骨もバリバリ噛み砕く。

 こうして食事を堪能していると、又八が現れた。寝惚け眼で前髪を赤い紐で纏めていた。着ている襦袢も赤で、女のような格好だった。杉曰く、男児を女児として育てると、健やかに育つと言う習慣があるそうで、それを実践しての事らしいが、何時まで続けているのか? と言う段階だった。本人が気に入り、杉も容認している結果だろうか? 
 又八はヨロヨロと歩くと、弁助の隣に当然の様に座り、枝垂れかかって体を支える。又八の細い顎が弁助の肩に乗る。その感じが客に甘える遊女の様で、弁助は困ってしまう。杉は笑って何も言わない。
「又やん、しゃんとせんか! おいは又やんに聞きたい事があるんじゃ」
 又八は、弁助の言葉に目を開けた。何だか猫の子のようである。
「お二人さん、戯れるのもほどほどにね。あたしゃ客の膳を運ぶんでね」
 杉が仕事をするべくその場を去った。弁助は、後ろ姿を憮然として見送るが、色気のある腰つきには魅了されていた。

「弁助ちゃん、話とはなんじゃ?」
 又八から耳元で囁かれ、弁助は慌てた。
「おう、そうじゃ。又やん、おんし、有馬喜兵衛の高札に落書きしたんか?今朝、奴が押しかけて来たんじゃ」
 又八は、今度こそ目を見開いた。弁助から離れ、茶色い瞳が揺れている。半開きの唇が震えた。
「弁助ちゃんごめんよ。堪忍しとくれ。弁助ちゃんの悔しい気持ちを代弁したくて、おいは大変な事をしちまった」
「謝るのはええ、高札に何て書いたんじゃ? 喜兵衛は、五日後に金倉橋で午の上刻においを同じ目に合わせるそうじゃ。己の最期がどんなもんか、気になるじゃろ?」
 弁助はさばさばと言うが、又八は真っ青になり、わなわなと震えた。
「弁助ちゃん、おいは、おいは、何て事を……。嗚呼ぁ」
 又八が大声で叫びそうだったので、弁助は慌てて親友の口を塞いだ。眼力で落ち着かせ、正気に戻す。
「又やん、ええか。明け烏みたいにぎゃーぎゃー鳴くな。泣きたいのはこっちなんじゃ」
 弁助の言葉で、又八は冷静になった。大きな目を見開いたまま、大きく頷く。弁助は、又八の口を塞ぐ手を降ろした。
「で、高札には何と書いたんじゃ?」
「『頭カチ割って小便かけてやる』そう書いた」
「随分と豪気な台詞を書いたんじゃのう」
 弁助は豪快に笑うが、又八は申し訳なさそうにしている。
「弁助ちゃん、おいが喜兵衛に土下座して謝る。それで事は収まるじゃろ?」
 又八の申し出に、弁助は懐疑的だった。
「いや、そうも行くまい。もう武士同士の意地の問題じゃ。おいも侍じゃからのう」
 弁助は覚悟を決めていた。だが、又八の不安を和らげる優しさも見せる。
「心配すなや、又やん。おいが喜兵衛に敵わないと判断すれば、代わりに親父が仕合してくれる。大丈夫じゃ」
 弁助の言葉に、又八の顔が綻んだ。
「じゃぁ、すぐに代わって貰ったらええ。弁助ちゃんそうしい」
 又八の説得する様な言葉を、弁助が否定する。
「いやいや、そうも行かんよ。まずは自分で見極めてからじゃ」
「で、どうするんじゃ?」
「決まっとるじゃろ、善右衛門の家に逗留しとる喜兵衛を見に行くんじゃ。お通の伝手で何とかなるじゃろ」

 弁助と又八は、大庄屋の善右衛門を訪ねる事にした。
 善右衛門の屋敷に行くと、都合よく朱美が用水路で野菜を洗っていた。

「朱美、お通は居るか」
 弁助の問いに、朱美は顔を上げる。
「喜兵衛を見に来たな」
 朱美がにんまり笑う。今朝の騒動を朱美は知らない筈だが、もう噂が入っているのだろう。
「おう、そうじゃ。仕合相手を見に来た」
「喜兵衛は中庭で門弟たちと稽古しとるよ。お通さんを呼ぼうか?」
「おう、頼むわ」
 朱美は、洗った野菜を籠に入れ、屋敷に入って行く。弁助と又八は、屋敷の裏手でお通を待っていた。
 暫くして、お通が裏門から顔を出し、おかっぱ頭の可愛い顔で毒を吐く。
「来たな小童どもめ。こそこそと家の客人を覗きに来たか」
 お通の無遠慮な物言いに、弁助の語気も荒くなる。
未通女おぼこがうるせぇぞ」
「お前の方が煩いぞ、童貞」
 和やかな挨拶が済むと、お通は童貞二人を招き入れた。
「蔵の窓から中庭が見えるぞ。付いて来い」
 お通は使用人と遭遇しない道順で蔵に到着した。

 蔵の中は窓からの日差しが入るが、薄暗かった。仕舞ってあるのは、普段は使わない調度品で、手前には皿や茶器が並ぶが、奥へ行くと武具がある。刀や槍、甲冑などだ。その中には鉄砲もあり、弁助の目を引いた。
 鉄砲は、南蛮から種子島に伝来して、日本の戦を変えた兵器だった。何より怖いのは、この新兵器には甲冑が役に立たない。
「善右衛門の武器道楽もいい加減にせんと、刀狩りに会うぞ」
 弁助の苦言を、お通は却下する。
「そしたら村の者を集めて立て篭りじゃ」
「おお、太閤相手に戦か? お通は豪気じゃな」
 弁助がからかうと、お通は更に調子に乗る。
「屋敷を枕に討ち死にじゃ。新免親子も鉄砲持って駆けつけるじゃろ?」
 弁助は、意外な事を聞いて戸惑った。
「親父は鉄砲を持っとるんか?」
「おう、父様が一緒に鉄砲を買ったと言っとったぞ。玉に玉薬も山ほどな」
 弁助がお通から聞いた話は、寝耳に水だった。思わず無言でいると、お通が追い打ちをかける。
「知らんかったか?」
 弁助はお通の問いには答えずに、蔵の二階層へ向かう。明かり取りの窓から中庭を見下ろした。

 有馬喜兵衛は、今朝と同じ格好をしていた。つまり、かなり目立っていた。門弟に囲まれた感じは、村祭りの櫓みたいで面白い。ちょうど今は、地稽古の最中だった。地稽古とは、今で言えば乱取りのような物で、複数の門弟に打ち掛からせている。複数の木刀が舞い、喜兵衛がひらりと避ける。弁助としては、敵の身体捌きを見るのに最適だった。
「木の葉が舞うようじゃ。見事じゃのう」
 弁助は感心していた。喜兵衛は、大きな体の割に柔軟性がある。これは、身体能力が高いと言う事で、戦う上で強みになる。
 弁助が熱心に喜兵衛を観察していると、横からお通が茶々を入れる。
「喜兵衛は強いのう。これでは、弁助の顔も見納めかのう?」
 お通の言葉に反応したのは、言われた本人ではなく又八だった。
「縁起でもねぇ事を言うな。弁助ちゃんが死ぬ訳ねぇ」
 又八は真っ赤になって怒っていた。
「死ぬなんて言ってねぇ。『夜逃げでもせぇ』と勧めただけじゃ。柔餅め」
 お通の可愛らしい口から憎まれ口が飛び出す。柔餅と揶揄された又八は、更に興奮した。
「お通、おなごでも許っさんぞ。柔じゃねぇっとこ見せっぞ」
 興奮しすぎた又八は、どもりながら宣言した。お通は、まだ膨らんでもいない胸を張り、又八に迫る。もち肌に桃色の小袖が映えた。
 一方、又八は、もち肌に草色の小袖だが、見えている赤い襦袢が艶かしい。
 弁助は、餅同士で膨れている二人に飽きれていた。それに、あまり騒いでいては喜兵衛に気付かれてしまう。
「うるせぇぞ! あんころ餅に辛味餅が」
 弁助が吠えると二人は静かになる。しかし暫くすると、今度はどっちがあんこでどっちが辛味かと言い合いになる。
 弁助も流石に言葉を失い、無視する事にした。

 蔵での騒ぎを他所に、喜兵衛の稽古は次の段階に入っていた。玉砂利を敷いた中庭に、孟宗竹が運ばれる。竹は台の上で直立した状態だった。有馬喜兵衛は、羽織を脱ぎ、弟子に渡す。
 弁助は、これから起きる事に期待した。喜兵衛の全力の太刀筋が見られる気がしていた。

 喜兵衛は竹に近づくと、肩幅に足を開き、腰をおとした。門弟の手前、斬撃の失敗は許されないだろう。刀の柄に手を掛け、呼吸を整える。その場の全員が固唾を飲む緊張感。咳すらも憚《はばか》られた。それは、蔵の窓から見下ろす見学者も同様だった。
「きぃえぇぇぇぃ!」
 大業物が鞘から躍り出る。一呼吸の間に抜刀、構え、斬撃を繰り出し、竹を袈裟斬りに切断した。一同、あまりの速さに驚愕する。その中でも、弁助には特に衝撃だった。これから実際に対戦する相手だから、他者より切迫する物がある。自然と顔色が悪くなった。それが、彼の心の内を反映している。
「速っ」
 一言だけ呟いた。
 弁助が動揺していると、お通が更に追い打ちをかける。
「弁助しっとるか? 有馬喜兵衛は朱美と出来ておるぞ」
「なんだと!」
 弁助の表情が余りにも険しかったのだろう。お通は珍しく怯えた。次の言葉が出ない。
「どう言う事じゃ、なぜ喜兵衛と朱美がどうにかなるんじゃ?」
 弁助が問い質すと、お通は恐る恐る答えた。
「詳しい事はしらんが噂じゃ。喜兵衛は朱美と度々でかけるからのう。それに旅の武芸者じゃ、朱美も惹かれたんじゃろ」
 弁助は、お通から二人への疑惑を聞いて、暗い考えに取り憑かれた。

 弁助は、元服した後に名を武蔵と改め、六十余度の決闘をする事になるが、多くの相手を葬り去っている。最初の決闘となる今回も、相手に強い殺意を抱いた。元々、偏執的な性格なので、頑なに喜兵衛を悪者に考えてしまうのだろう。普段通りに過ごす朱美を、誰にも相談できずに健気に耐えていると思い込んでいた。

 弁助は、又八と共に庄屋の屋敷を出て、今度は仕合場所へ向かう。又八は、終始無言の相棒を恐れ、何も喋らなかった。

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