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出逢い編

銀行強盗と変なおじさんに同時に遭うなんて、そんなことに奇跡的な確率が現れても嬉しくもなんともない

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 その日、俺は銀行内に一人で残って残業をしていた。どうしてもまとめてしまいたい融資案件の資料があったのである。

 時間は夜の十一時を回ったころだっただろうか。ふいに従業員出入り口から物音がした。俺はキーボードを打つ手を止め、溜息混じりに様子を見に行くことにした。

 職員の誰かが忘れ物でも取りに戻ったのだと思い、深くは考えずに席を立った。

 非常灯以外は消灯させていたために、通路の先は見通しが悪く、俺はスマホを取り出してライトをつけた。(電気のスイッチのところまで行くのも面倒くさかったのだ!)

 ライトのスポットを音のする方向へかざし、「忘れ物かい?」と声をかけてみるも返答はない。聞こえていないのかと思い、忘れ物ならロッカーの中が濃厚だろうと、俺は更衣室を見に行こうとして腰を抜かした。

 ホラー映画などでよく見られる演出のように、何気なく視線を向けた先に、ぬぼっと立っていたおっさんがいたのだ。

 ざんばらな髪の毛に薄汚れたキャップとつなぎの作業服。この世に未練を残し自殺した霊が出たのかと思った。

「ひいい!」

 しかし俺が悲鳴をあげると、男は身じろぎし、手をワタワタと振り乱し始める。

 それが春太郎との出逢いだった。

 当初から春太郎は幾つもアルバイトを掛け持ちしており、その一つが清掃の仕事。よくよく話を聞くと、うちの事務員が何処ぞのくそガキにやられた「外壁の落書き」を消す依頼を清掃会社に出していた。

 従業員証と身分証を見せられて、ようやくドキドキが収まる。この件は俺にも報告が来ていたが、手がけていた仕事に手一杯で忘れていただけだった。

「ふぅーん、春太郎さんですか? 三十九歳ぃ・・・・・・?」

 俺はジロジロとおっさんを値踏みする。

「は、はひ。あ、あの、あの」
「・・・・・・なんですか?」

 春太郎は手洗いに行きたかったらしい。従業員出入り口に施錠がされていなかったので、人が残っていると判断して入ってきたのだと言う。

「手洗いなら、そこ出て左ですよ」

 俺は鼻をつまみ、春太郎をあしらった。失礼だと思ったけれど臭い。このときの春太郎の身体からは路上生活者の臭いがプンプンとした。春太郎は意を介さずにぺこりとお辞儀をし、電気もつけずに暗いトイレの中に姿を消す。

「電気はシンクの横にあるので自由につけて下さいね」

 親切に教えてやったのに、反応がかえってこない。

「おーい、聞いてますか?」
「・・・・・・い、いらないです」

 ———え、なんでだよ、きもっ! 

 咄嗟に俺は心の中で口走った。悪口だ。口に出さなかっただけでも褒めて欲しい。電気をつけないで夜中のトイレに入るなんて、よほどのホラーマニアか心霊現象に無頓着な強者。もしくは幽霊とお友達の変わり者か??

 俺は関わりたくなくて、「終わったらそのまま出てってもらって構いません」とトイレの外から叫んだ。やんわりと「声をかけるな」と伝えたのち、やりかけの仕事に戻ろうとした。

 そのときだった。

 おっさんは用を足している最中・・・・・・、なのに聞こえたのだ。トイレの中じゃない場所で、かすかに扉を開け閉めする音が。

「ひいいいいい」

 俺はトイレに駆け込み、春太郎が使用している個室のドアをドンドンと叩く。

「おっさん早く出ろ! でかい方をしてるのか?」

 汚い言葉だが聞いているのはコイツしかいない。もはや体裁などどうでもよい。

「も、もうちょっとです。作業服のファスナーにパンツが挟まってしまって・・・・・・」

 ———はいいい?

「なんでそうなる! ガキでもないのにパンツをファスナーに挟むやつなんか見たことねぇぞっ、いいから早く出てこい!」
「でも、あ、直りそう」

 なかなか出てこない春太郎に痺れを切らし、俺はガンッと勢いよくドアを蹴った。

「直してやるから早くしろっ」

 すると「ひっ」と小さく悲鳴が聞こえ、ドアがそろそろと開いた。

 同時に個室の中に身体を滑り込ませ、おっさんと対峙する。狭い空間に野良犬みたいな生臭さが充満し、鼻が曲がりそうな悪臭だったが、腰を屈めて開けっぱなしになっている股間のファスナーに手を伸ばす。

「すみません、暗くてよく見えなくて」

 電気をつけないんだから当たり前だ。俺は舌打ちをして冷たく言い放つ。

「・・・・・・聞いていないことを喋らないでもらえるかな?」
「すみ・・・・・・ません」

 心なしか股間が固くもっこりとしているのは通常の状態なのだろうか。着衣の上から指が触れてしまって吐き気がする。できるならライトをつけたいが、明るいところで男のもっこりしたイチモツが眼前に晒されるのは勘弁だ。

「くそ、外れん!」

 無理やり外そうとすればするだけ、ファスナーが布地を深く噛んでしまう。そうしてファスナーとの激しい格闘のさなか、ひたひたとトイレに近づいてくる足音があった。

「誰かそこにいるなら大人しく出てこい」

 個室の外から聞こえたのは押し殺した低い声。焦ったような男の声だ。

 聞き覚えのない男の声。職員では明らかにない。こんな時間に見知らぬ侵入者。これはもしかしなくても銀行強盗????!!!!

「どどどどどど、どうするぅぅ?!」

 俺はパニックに陥った。

「むごむご」

 春太郎は口を押さえているのか解読不可能な声を出す。

「てめぇら何コソコソやってる。言うことを聞かないならぶっ殺すぞ!」

 ・・・・・・んな物騒な。

 ドアの向こうにいるやつが、ナイフや銃を所持していたら一貫のおしまい。エリート街道を突っ走り、華やかな人生を生きる俺が、最後はこんな汚くて臭い、何度でも言うぞ、汚くて臭いおっさんと一緒に殺されて死ぬのか?

 そんなの素直に受け入れてたまるものか。意地でもこの絶体絶命の状況を乗り切ってやる。

「腹の調子が悪かったんだ、今出るから待ってくれ」

 心を落ち着かせ、内側からドアを開けた。

 銀行強盗犯は一人だった。目出し帽をして手にはナイフを。恐ろしいが、しかしナイフは小さめ。いざとなれば取り押さえられないこともなさそうだ。

 それは良かったが、犯人は個室の中に目をやり、俺に目をやり、「ギャハハ」と腹を押さえて笑い転げる。

「あんたはここの銀行員だよな? 見たことあるぜ。あんたみたいなイケメンの兄ちゃんがおっさんと二人、夜中のトイレでナニしてたんだよ?」

 指摘されて、俺の頬っぺたは一気に沸騰した。

「・・・・・・誤解だ。こいつはたまたま来ていた清掃員だ」
「どうだか? まあ、いい。お前は清掃員のおっさんをこれで縛れ」

 犯人はアウトドアで見かける人差し指ほどの太さのロープを投げて寄越す。

「わかった、わかったから乱暴な真似はしないでくれよ」
「あんたが言うことを聞いてくれればな」
「言ったからな! 絶対だぞ?」
「しつけーな、さっさとやれやっ!」

 犯人ががなり声をあげたので、俺はじりじりとロープに手を伸ばし拾い上げる。個室でうずくまっている春太郎——社会の窓(これは死語か?)は全開、もっこりも健在——の背後にまわり、そっと耳打ちをする。

「大人しく従えば、俺が必ず逃してやる。だから我慢しろ」

 春太郎は頷き、腕を後ろに回した。

「悪いな」

 手首と足首にロープを縛り、俺は続けて指示通りにネクタイを使って猿轡を噛ませる。拘束し終えると、「見せろ」と犯人が個室の中に入った。だが拘束具合を確認しようとし、「くっせ」と横暴に春太郎を床に転がした。

 春太郎は弱々しくうめく。

「やめろ! 乱暴しない約束だぞ」

 たまらず叫んだ。

 ん? ちょっと待て、なんで俺がおっさんの庇い立てをしているのだ。

 這うこともできず、まるでこの世の底辺をのったうっているような惨めなおっさんの姿が可哀想で、思わず情けをかけてしまったではないか。

「うるせぇよ、忘れてねぇか? お前も人質なんだぞ?」
「ぐっ」

 犯人はこちらを睨みつけ、ロープを何重にも噛ませ、俺の口にも猿轡をした。手足を拘束されなかったのは、俺にはまだまだ役目があったからだ。

「スマホを出せ、おっさんのもだ」

 俺はスーツのポケットに入れていた自分のスマホを犯人に手渡し、春太郎の傍らにしゃがむ。作業服を弄っていると、春太郎はもぞもぞと丸くなった。

「ダンゴムシみてぇだな。おっさん、スマホどこに入れてんの? 早いとこ出してよ」

 犯人からの問いかけに、春太郎が首を横に振る。

「どうゆうこと? 出さないなら、痛い目みるよ?」

 犯人の声がしだいにイライラしてくる。まずい方向に傾いていると察し、俺は服の中にまで手を入れ、身体中を調べてみた。そのあいだ春太郎は「むぐ、んん」とくぐもった声を出し、フルフルと首を振り続ける。

 しばらくしてようやく俺はある事に気が付き、ジャケットに差して持ち歩いているメモ紙とペンを用い、ある事を記して犯人に見せる。

「持ってない? このご時世に、あり得ないだろ」

 犯人は半信半疑の反応を示すが、春太郎は振り子のように大きく頷いた。

「まじで? ふぅん、でもこっちの兄ちゃんがあれだけ探してたんだしな。そんで見当たらないならガチで持ってないのか。んじゃ、いいや。次はこれに金をありったけ入れろ」

 次の指示を口に出し、長旅用の大型のキャリーケースを前に放られる。

「変な真似したら、おっさんの命はないからな」

 俺は静かに肯首し、金庫に向かった。

 なんて状況なんだろう。ついさっき初めて会ったおっさんを人質に取られ、銀行の大切な金を金庫から取り出している俺。

 はっきり言おう、あのおっさんが殺されようが殺されまいがどうでもいいことだ。今なら、俺一人なら、犯人の隙をついて逃げ出し通報できる。

 であるはずなのに、俺は金を取り出す手を止められなかった。

 あれだ。強いて言うなら、どんなに迷惑で醜い害獣でも、処分される瞬間には心を痛める。誰だって、そうだろう? 

 だからこれは普通の・・・・・・普通の感覚に違いないのだ。
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