ラブドール

倉藤

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ロイシア国の公爵《プリンス》のこと

57 イザークの教え(2)

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「アゴール公爵家一族は呪われている。ただの揶揄だ。だが、民衆に知られていない裏側で、そう言われても仕方がない悪業を積み重ねてきた。特に先代は最低最悪の極悪人だ。その結果、生み出されたのが彼ら兄弟だ」

 ———イザークの話の中で時は子ども時代まで遡る。
 イザークがアゴール公爵家の面々と顔を合わせたのは、まだ十二歳かそこらの幼い頃だった。
 この当時のイザークは父親の商売の仕事を手伝い始めていた年齢だったが、一箇所のみ、どうしてもお前は連れて行けないと突っぱねられた取引先があった。
 それがアゴール公爵邸だ。
 しかしイザークは駄目と言われると気になって仕方がなくなる性分で、父親の後ろを尾行したのである。
 忍び込んだ屋敷はとんでもない豪邸だった。
 子どものイザークに屋敷の持ち主が誰であるかの認識はなかった。危機感は皆無。好奇心で固められた子どもの心には、探検しないで帰るという選択肢は存在しなかったのである。
 平民身分でありながらも商家として成功を収めていたエルマー家の屋敷もそれなりの立派さだったが、建物に染み込んだ年月の長さが桁違いだった。
 壁に手を触れてみれば、この豪邸が生きてきたロイシアという国の歴史がどんなものであったのか、手のひら越しに伝わってくるような気がしていた。
 イザークはついうっかり夢中になり、時間と場所を忘れた。
 自分が内緒で他人の敷地内に侵入しているということにも。
 自分を置いて仕事に行った父の後をつけてきたということにも。
 おかげで知らない大豪邸の間取りがすっかり頭に入った。
 使用人の目につかないよう行動するのは昔からの得意だ。
 迷路のような通路のどちらに行けば中庭に出れるのかとか、部屋の数がどれくらいなのかとか、地下に続く階段がどれくらいの数あるのかとか。いい匂いをさせる厨房はどの場所にあるのかとか。イザークは非常に詳しくなっていた。
 その後、探検がスムーズに終えられた理由を知る。
 広い講堂に多くの人が偏って集まっていたらしい。
 講堂の真ん中を空けてドーナツ型に円になっている見物人達は大人で、身なりから判断して貴族であった。
 彼らの中心にいるのは子ども。イザークの目から見て、自分と同年代程度の子ども達だった。
 見物人の前に子ども達は二人ずつ呼び出されて、それぞれ剣を与えられると向かい合わされた。間もなく決闘開始の合図がなされる。
 繰り広げられたのは、反吐が出るような有り様だ。見物しながら優雅に酒を愉しむ貴族達は、まるで闘犬同士にさせるような殺し合いを子ども達にやらせていたのだ。
 商人である父の仕事は闘わされる子ども達を運搬することだった。
 イザークは衝撃で開いた口が塞がらなくなった。
 何処かの異国で闘いを生業とする剣闘士と呼ばれる奴隷がいたと耳にしたことがあったが、それとは比べられない。
 ある日突然連れてこられ、殺すか死ぬかの選択肢を突きつけられた子どもはどうなるか。ただ無茶苦茶に怯えながら剣を振り回すことしかできない。貴族らは這いずる子どもの姿を「穢らわしい、愚かだ」と笑う。
 そんな子ども達の中で異彩を放っていたのがアルセーニーとヴィクトルの兄弟だった。
 まさかこの時は主催者であるアゴール公爵家の実子だとまでは思いつきもしなかったが、品位のある顔立ちと立ち居振る舞いから一目で貴族の子だとわかる。
 幼い兄弟は実の親の手によって殺し合いに参加させられていたのだ。

「ここまで説明すればわかるよな? 兄弟がどんな環境で育ったのか」

 イザークが過去の追想をやめ、顔を上げる。

「母親は止めなかったんですか」
「残念だが、ロイシアのお嬢様に庶民の考える母親像は当て嵌まらない場合が多いな。息子の安否よりも、生家の体裁と将来の安泰を気にするものさ。この決闘まがいの余興は、母親の違う息子二人を競い合わせるための催しでもあった。どちらがより優秀かってな」

 なんだそりゃ、頭がごちゃごちゃになりそうだ。
 譲の顔にそう描いてあったようで、イザークは頷いて同意を示した。

「意味わからんよな。俺もだったよ。しかしその中でも弟のヴィクトルは飛び抜けて異質だった」

 イザークが当時の状況を回顧する。

「揶揄じゃなく氷みたいだったよ。アルセーニーの方がまだ感情があったな。あの子どもの目に人の心はなかった。それだけヴィクトルの母親が権力に強欲だったってことだ。夫であり当主のお眼鏡にかなうよう育てたんだろうさ」
「なんてことを・・・自分の子に酷い」

 ヴィクトルの普通じゃない言動を考えると、信じられない話が現実味を帯びて聴こえてしまうのが心苦しい。

「だがそんなふうだったのに、譲のことになると、ちょっと揺さぶりをかけただけで怒りを露わにしてくる。俺は面白くってしょうがないんだよ」
「えっ、だから嫌がらせをしに来てたんですか?」
「あ、今ちょっと嬉しいなとか思ってんだろ」
「・・・はい、思ってますよ」

 譲は対抗心を持ってイザークを見据える。
 内でも外でも、ヴィクトルの喜怒哀楽は譲限定なのだ。
 嬉しいと思うに決まっていた・・・。
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