ラブドール

倉藤

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垣間見える公爵家の奥

45 遭遇

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 眠っていた譲は眠りの邪魔をされて目を覚ました。
 これは、いつかの唸り声だと身体を起こし耳を澄ます。
 遠く屋敷の奥の方から、地を這うような声が響いてくる。
 あの時のロマンの言い分では使用人達が羽目を外している騒ぎの声ということだったが、今聞こえてくるのは仲間同士で酒を酌み交わす時の明るく弾んだ声とは違うし、罵り合いや殴り合いの騒音とも違った。

(この声は番犬達なのか?)

 だとしたらおかしい。不可思議な声は公爵邸の室内から響いていた。番犬達が守っているのは庭なのだ。寝床となる犬舎も外にあると聞いている。
 中庭にも番犬はいるが、そちらで唸り声が上がるとすれば、侵入者が入り込んだ時に外の番犬達が先に反応する。

「うーん、眠いけど気になるなぁ」

 薬の副作用が眠気を誘い、譲は瞼を掻いた。
 起きていたからといってベッドの上から動けないのだが、瞼を閉じてしまうのが惜しかった。
 騒ぎになっている様子はないので、毎日と変わらない穏やかな夜だ。
 譲は、しかしそう思えと言われている気がしてならなかった。
 不可思議な声に好奇心がそそられた。
 でも駄目だ。譲はブランケットを頭のてっぺんまで引き上げる。
 その後、例えようのない薄気味悪さを抱えたまま朝になった。
 あまり眠れずに頭が重くて、気分が優れない。

「おはようございます、譲様? その顔はどうしたのでしょう」

 朝食を運んできたロマンが譲の顔色を見て呟くように言及する。

「平気・・・。眠れないから薬多めにしてよ」
「お医者様に伺ってみますが、本当に平気ですか?」
「うん、寝不足なだけだよ」

 この日に譲は熱を出した。
 医師の診断を受けたのち、追加で風邪薬を処方され、大人しく寝込んでいた。
 譲がふと目覚めると、ベッド脇に人影はなく、一人きりだった。サイドテーブルの上には桶と水に浸かった濡れ布巾がある。ロマンが譲の世話をしている途中だったのか、絞りかけの中途半端な状態で放置されていた。
 置きっぱなしになったそれらをぼんやり見つめていると、枷の鎖が外されており、部屋のドアも開けっぱなしであることに気づいてしまった。
 余程に緊急の用事ができたらしい。譲を無用心な状態で残していくなど何かあったとしか考えられない。

「ロマン?」

 声を張ってみたが、思いのほか発熱後で身体が弱っている。
 か細く響いた声は廊下のどれ程まで届いたのだろうか。

「ロマン・・・・・・っ!」

 もう一度声を張り上げてみる。
 返事は返ってこない。ロマンも戻ってきそうにない。
 譲は手近の椅子を引き寄せ、松葉杖の代わりにして立ち上がった。
 覗くだけだからと言い聞かせてドアの隙間から顔を出してみると、廊下は静まり返っていて、足元を照らす小さな飾り電球が仄めいている。
 夜中なので暗いのは当たり前なのだが、いかんせん人間の気配がないゆえに、廊下の先に漂うおどろおどろしさにゾクッとした。
 むやみに暗闇に近づけば、心因性発作を引き起こす恐れもある。
 冷静に考えろ。譲は諦めて顔を引っ込めた。だがベッドに戻ろうと思った瞬間に呻き声が聞こえ、びくりとして固まる。

(間違いない。自分とロマン以外の人間がいる・・・・・・)

 譲は生唾を飲み込んだ。静かな廊下にごくりと嚥下する音が響いた。
 やっぱりあれは犬の声じゃない。苦しみ悶える人間の声だった。
 続けて物が叩きつけられるような音が響き、人が床に崩れ落ちるような音、そしてロマンの声が聞こえてくる。
 何を話しているのか聞き取れないが、「やめて下さい」と強く叫ばれた一言だけわかり、譲は考える前に廊下を這いながら声の方向に向かっていた。
 進んだ廊下の先から、血塗れの兵士が現れ出てきたらどうしようかと嫌な妄想に憑かれた。
 けれどもロマンの無事が気掛かりだ、歩みを止められない。ほふく前進の姿勢で突き進んで行くと、真正面から歩いてくる人間の足音が聞こえて顔を上げた。
 目を凝らすと、姿を見せたのはロマンだ。
 ロマンは固い表情で口を開く。

「譲様でしたか」
「ごめん、物騒な物音がしたからさ」
「・・・・・・お騒がせをして申し訳ありません。何でもございませんから戻りましょう。譲様の身体の具合が心配です」
「あ、うん。何でもないならいいけど」

 譲は頷いた時、抱き起こそうとするロマンの顔に血が滲んでいるのを見てしまった。

「なぁ、傷ができてる」
「大した傷ではございません。高い棚の上から食器を取ろうとして手を滑らせました」
「はぁ? どうしてそんな見え透いた嘘をつくんだよ」
「嘘ではございません」

 譲とロマンは押し問答になる。・・・と、譲のまなこが大きく見開かれた。先ほどロマンが歩いてきた方向に見知らぬ男が立っていたのだ。
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