ラブドール

倉藤

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垣間見える公爵家の奥

43 会話

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 ◇◆


 柔らかいシーツの上で寝返りをうつ。
 譲は半分微睡みの中で目覚めた。公爵邸に戻ってきたのだ。

「公爵・・・・・・」

 彷徨った手をヴィクトルが握ってくれる。

「医者に鎮静剤を使わせた。楽になったかい?」
「はい、もう幻覚は消えました」

 公爵の声のお陰でと伝えたかったのだが、面映い気持ちになる。幻覚の中では現実の物音や声は遮断されているのだろうと思う。けれどそれなのに、ヴィクトルの声はとても透き通ったように譲の耳に届いた。
 あれがなければ、譲は永遠に過去の幻覚に閉じ込められていた気がして震えてしまうのだ。実際には起こり得ないことだったとしても。

「あの、公爵」

 譲は身体を起こそうとし、ヴィクトルに肩をやんわりと掴まれた。

「まだ寝てなきゃいけないよ。無理をすると私が医者に怒られてしまう」

 笑いながらそう言われてしまったので、譲はわかりましたと頷いて枕に頭を乗せる。

「公爵、聞いてもいいですか?」
「いいよ。どうぞ」
「今回のこと、怒ってますよね」

 ヴィクトルが中々言い出さないため業を煮やしていた。
 譲にとって辛い決断だが、母と末弟との再会は無かったことにできない。ニコライとマフィアは譲を探して周囲を嗅ぎ回るだろう。早々に弟へ手をつけるかもしれない。
 譲が答えを急かすように見つめると、ヴィクトルは譲の手の甲を撫でながら話し始めた。

「まあ、そうだね。嘘はつかないでおこう。けれど外に出て危険を確認したいなら好きにすれば良いと言ってしまったことがあるからね。今回は水に流そうと思う。それよりも譲が無事でいてくれたことに感謝したい」

 そういえばこのベッドの上でそんな会話もした。
 譲は硬い表情を緩める。
 ヴィクトルが拗ねた顔をした。眉間の皺の寄り方がやや険しい。

「ふぅ、私を妬かせすぎないで欲しいな。ロマンが心配なのだろう ロマンには減給と別で只働きを命じた。心配しなくてもロマンは私にとっても重要な位置付けにある男だ、非情な処分は下していない」
「そうですか、ぁあ、良かった」
「やはりロマンを気にかけていたのだね」

 譲はしまったと口をつぐみ、項垂れる。
 そのせいではないけれども、次の質問をするのに勇気がいった。

「ごめんなさい。まだ気になって仕方ないことがあります」
「わかっているよ。借金は全額返済し、父親のご友人ニコライ氏は始末した。マフィアの連中には釘を刺したから、譲が憂う心配はなくなった。譲はこの国で誰よりも安全だ」
「俺のことはいいんです。母と弟は」

 譲がかぶりを振ると、ヴィクトルは不可解な顔をする。

「そちらも安全な形で住居を移動させた。が、あの修道院は私の対策が甘かった」
「生きていると知っていたんですか・・・・・・」
「ニコライ氏の動きはチェックしていたからね。国内の修道院や孤児院を嗅ぎ回っていたようだから、先回りして見つけたんだ。それがどうしたかな?」
「いや、どうしたって」

 譲の顔色が変わり、ヴィクトルが不可解な表情を強めた。
 困惑の理由が伝わっていない。
 譲はギュッと奥歯を噛み、反発心を胸にしまった。
 腑に落ちたところもあったのだ。ロマンが何処から居場所を仕入れてきたのか、ヴィクトルが調べていたのならごく自然に耳に入ってくる。二人の取った行動は対極的だった。ロマンは譲に教えるという選択をし、ヴィクトルは知らぬ顔を通した。
 譲がもし彼らの立場であったなら、ロマンと同じ選択をしている。
 だが教えてくれなかったとはいえ、譲を外部と接触させないために色々思考を凝らしているヴィクトルが、たとえ家族を見つけたとしても譲と再会させるはずない。それは理解できる。
 ヴィクトルの働きによって、生き残った二人の家族は守られていたことになり、そうじゃなければ、もっと早い段階でニコライに見つかっていた。

(本当に・・・素直に憎ませてくれない人だ)

 しかし何となくだが理解できた気がした。

(この人は、もしかしたら、・・・できないのかもしれない)

 ヴィクトルは合理的に目的を達成するために必要なことをふるいにかけ行動している。
 今回のことも「譲」を中心に取捨選択された結果だ。
 ニコライは譲を騙し危険に陥れた報復を受けて処分された。母と弟はニコライの手に落ちると不都合なので保護されていた。生きているという情報は、ヴィクトルの所有物になった譲にとっては不必要であり、伝えられなかった。
 怒っているんだと態度で示せば、形だけは謝ってくるのかもしれないが、譲が胸の内でどう思っているのかは見えていない。
 ヴィクトルには感情を理解する機能が欠落しているのだ。番犬を番号で呼んでいたあのように、人間のことも認識している。
 譲を人形だなんだと言っているけれど、この人の方がずっと人形らしいじゃないか。

「公爵、もう一個だけ質問していいですか?」
「もちろんだよ。答えられる質問なら何個でも」

 ヴィクトルは譲の手を離さないで嬉しそうに微笑んだ。
 ずっと握られていたのだと、この時になって気づく。

「俺が飲まさられている薬についてです」
「薬? 副作用が苦しいかい?」
「・・・・・・やっぱり」

 やはり、隠しているつもりはなかったと見える。
 話す必要はないと判断されたのだ。
 詳しく訊くと薬についてのヴィクトルの話は譲が予想した内容と一致した。
 地下牢で幻覚症状を利用されたことは許せないが、あの時はあれが一番効果的で最適解だった。
 今度、譲を痛めつける目的で悪戯に悪用されるとは思えない。ヴィクトルの頭の中にそのような目的は存在しない。
 ならばひとまずは、今伝えるべきは感謝だろうか。

「公爵」
「今度は何かな?」
「質問じゃありません。あの、ありがとうございます・・・」

 譲はそう言い、腹に力を入れて身体を起こすと、ヴィクトルに唇を寄せた。
 捉えかたによってはだ。ヴィクトルを動かしているのは譲であり、それ程までに想われていると思うと初めて心の臓が熱くなった。

(俺は公爵のものだが、公爵も俺のものだ。俺の頭も本格的におかしくなったな)

 ヴィクトルを知りたい。
 この男に重要な位置付けだと言わしめたロマンに嫉妬心が燃える。
 そして公爵邸の全容がその後ろに見え隠れする。
 譲の関心は自ずと外よりも内側へ向いた。

 そうしたある時、譲に呼応したためではあるまいが、ヴィクトルの内情が垣間見える事件が起きたのだ。
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