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絡まる
story.27 それぞれの落としどころ(蓮太郎、鬼崎)
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年末に差し迫った時期といえど、病院を訪れる人の往来は忙しない。ロビーの全面ガラスから送迎バスの行き来を眺めて待っていると、鬼崎さんは気難しい面持ちをして戻ってくる。
「ははは、ひどいツラ」
あーあ。人情ドラマでもあるまいし、そう簡単に和気藹々といかないとは思っていた。
とはいえ、子どもが泣き出してしまいそうな顔は良くないな。俺は鬼崎さんの頬を両手でむにっと持ち上げた。
「帰ろ?」
「会いに来た結果を訊かないのか」
「教えたくなったら、教えてよ。それでいいよ」
鬼崎さんは目を丸くして、「わかった」と視線を伏せた。
病院に向かった時間が三時ごろで、家に着くと八時を回っていた。途中、帰り道にスーパーに寄り、チキンや惣菜を買い、家の中はすっかり真っ暗だった。
クリスマスディナーの準備を放り出してしまったので、キッチンの作り掛けのボールの中身が中途半端で放置されたまま。
キッチンを適当に片付け、値引きシールが貼られたパックをテーブルに並べていると、後ろから腕を肩に回されハグをされた。
鬼崎さんが俺に体重を預けてくるなんて珍しいこともあるもんだ。
「どうしたの、疲れちゃった?」
「蓮太郎、ケーキの準備出来なくてごめんな」
「ん? いいよ、今日は大変だったんだしさ、ね」
そう返したが、鬼崎さんは黙り込み、俺から離れない。
「鬼崎さん、他に言いたいことがある?」
声をかけると、俺を抱き締める腕に力がこもった。
「何を言っているのか理解できないと思うけれど、聞いて欲しい」
「うん」
俺は食事の準備をする手を止め、鬼崎さんの手に触れた。
「・・・・・・しんどいんだ」
「うん」
「昔について考えることも。家族について考えることも。本当はここで暮らしていることも。俺は家族だった人たちと離れないと、昔を引きずって変われないままだ。俺は普通でありたいだけなのに」
「・・・うん」
俺は「うん」しか言えないインコかロボットか。
ぼんやりと見えてきた、鬼崎さんを取り巻いている暗い背景。彼の抱えているものは深すぎて、俺には苦しみ自体を消してあげることはできない。
それが悔しい。・・・でも俺は鬼崎さんの望む「普通」を足蹴にしてやれる度胸、この場合で言うなら「愛情」は持ち合わせてる。鬼崎さんがどんな人になろうが、俺の気持ちは左右されないんだってことをちゃんと伝えなきゃいけない。
俺は振り向いて笑った。そうするべきだと思ったからだ。
「普通ってなんだろうね。これまでどおりでいいんじゃない? 今のところはさ」
「それじゃ・・・、これまで以上に蓮太郎に酷くあたってしまうかもしれない。今は抑えられていても、いつかは」
鬼崎さんはまるで怒ったように眉間に皺を寄せる。
「いいよ。苦しくなったら、いっぱいいっぱい拒絶していい。でも、その相手は俺にして? もう自分自身を責めないで。俺は鬼崎さんのためだったら、いくらでも怒りや鬱憤の捌け口になれるから」
真っ直ぐに見つめてそう言うと、鬼崎さんの瞳が揺れた。
口をつぐみ、反論の言葉を探しているのだろう。納得してない顔。そんなんでいいわけがないと、顔一面に書いてある感じ。
俺は言葉にしたら、すとんと腑に落ちた。
「それにね、普通普通って言ってるけど、俺だってすでに普通じゃないんだよ? エッチで酷くされてるとき、いつも俺が興奮してるの知ってるでしょ。鬼崎さんが普通になっちゃったら、俺はどうすればいいんだ」
ふざけたふうに装って睨むと、苦悶の表情から剣が取れて、みるみる困った表情になる。
「ね、しよっか。たまには優しく抱いてもいーよ?」
「・・・普通は逆だろ」
「普通じゃないからいい」
「クリスマスは?」
「後にしよ」
「わかった」
鬼崎さんの手がいつになくしおらしく俺の頬を包んだ。合わさった唇はかさついて震えていた。
辛いと告白してくれたのに、苦しいことを強要しちゃう俺も大概最低なんだろう。
ごめんね。鬼崎さん。鬼崎さんが悩む必要なんて無いってこと、いつかわかってくれるだろうか。
安心してね。大丈夫だよ。ずっとそばにいるよ。これが俺の幸せだから。こんなふうに、鬼崎さんにも俺がいないと生きていけないようになって欲しいと思うんだよ。
◇◇◇
・・・・・・昼間。
「———すみません、寺堂花枝の病室はどこでしょうか」
午後のナースステーション。カウンター近くで作業をしていた年配の看護師が、俺の声に気がついて顔を上げた。
「あら、息子さんかしら?」
「そうです、鬼崎といいます」
にっこり笑って頷き返すと、別の看護師たちも集まり騒ぎ立てる。
「寺堂さんは素敵な息子さんが二人もいらっしゃって羨ましいわ。病室は【四三三】一番奥の合い部屋ですよ」
「どうも」
病室を教えられ、そこへ行くと、四人部屋は貸し切りだった。目隠しの囲いカーテンが引かれ、丸椅子に腰掛けた一人の人影がなんとなく目に映る。
近くに寄ると、人影はゆらっと動き、カーテンに手をかけた俺の手を「待って」と止めた。
「来てくれてありがとう義兄さん、最後に声が聞けて嬉しいよ」
カーテン越しに男の声。
「・・・・・・宏紀か?」
「うん、あのときは声変わりもまだだったから、誰だかわかんないでしょ」
「ああ、大きくなったな」
「ふははっ、何それ、親戚のおじさんみたい」
「は、そうだな。母さんは大丈夫なのか」
「薬で寝かせてもらってるよ」
「そうか、迷惑かけて悪いな」
沈黙。会話がひと段落し、一時的に無言のときが訪れる。
カーテン越しに立ちすくんだまま、俺は口を開いた。
「宏紀、訊いてもいいか? あの日、俺に会いに来た日。お前は本当は何を言いたかったんだろうか」
質問した後に、見えない義弟の表情に目を凝らす。それから聞こえてきた「そうだなぁ」という声に息を凝らした。
「んー、謝罪とか? ほら、あのときに持ってたぬいぐるみ、あれを家から抱っこして行きたいってわがまま言ったの俺なんだ。そのことを無性に覚えててさ。だったら犬が暴走したのって俺が原因だったんじゃないかって考えたんだと思う」
「責任を感じてくれていたのか・・・・・・?」
「幼いなりにね。けど、たぶん純粋にそれだけではなかったよ。母さんが家を出て行くってわかって、俺も人恋しさから誰かに縋りたかったのかもね」
小さくて頼りなかった義弟を思い出す。
俺は間違えたのだと気がついた。あの時に宏紀と向き合って、優しくしてやれていたら。良い付き合い方を築けていたら、血が繋がらない義理だけれど、俺たちは良い兄弟になれたかもしれなかったということを。
ここだった。これだった。
俺の過去の中でたった一つ、変えられるべきだったこと。
だが俺は間違えた。欲しかった家族の形は、もう手に入らない。
「本当に悪かった・・・、あのときは酷いことをした」
「今さらもういいよ。あの頃の俺は嫌じゃなかったんだよ。俺は逃げなかったでしょ」
「なら来なくなったのはどうして?」
「父さんに痣とか怪我がバレたからだよ。義兄さんに矛先が向いたらやばいでしょ」
「それは・・・べつによかったのに」
むしろ叔父叔母に露見してしまえば良かったのかもしれない。俺がおかしいってことは、もっと早くに大勢に曝されるべきだったのだ。
そして俺は正しく罰せられるべきだった。
何もかもを清算してから、蓮太郎に出逢いたかった。
「宏紀・・・やっぱり顔見て謝らなきゃいけない気がする」
俺はカーテンに手を伸ばす。
「義兄さん、もういいよ、このままカーテンを開けないで帰ってよ」
頬の筋肉と手が引き攣った。
「おいっ」
「義兄さんと蓮太郎くんの二人のとこには、この人をもう二度と近寄らせないようにするから。今後はこの人の面倒は俺が見る。短い期間だったけどさ、俺にとってはこの人もちゃんと母親だったから、俺には大事だよ。義兄さんはこれで自由でしょ? だから、このままカーテンは開けないで帰って」
「勝手に決めるな、んなこと出来るか・・・・・・っ」
鼻息荒くカーテンを開け放つと、義弟は瞠目しながら振り向いた。
「しーっ、静かに」
「・・・・・・悪い」
「はぁ、馬鹿だね君たちは二人とも。会いたくなかったんじゃないの?」
「会いたくないよ」
俺はそう吐き出して、ベッドに寝かされた少女じみた母親の顔を一瞥する。
「けど、でも・・・・・・」
力を込めて拳を握る。
その先の言葉は紡げなかった。
どうしたら良いのか答えられない。
母が死んでも、義弟が死んでも、自分が死んでも、死んだ後も、きっと永遠に決断できないのかもしれない。
呆れた義弟に「また来る」と別れを告げ、病室を出ると、病棟内は患者の夕飯の時間帯だった。ガラガラと音を立てている配膳車。給食を思い出すような、トレー上にある全ての料理の風味が混ざった独特の匂い。
俺はそれらをすり抜け、ナースステーションに軽く会釈をしてロビーに戻った。
一面張りのガラス窓から通りを眺めている蓮太郎は、バスや雑踏を目を追っていて楽しそうだ。口角がふわっと持ち上がっている。
俺は立ち止まる。少しだけ佇んで、蓮太郎の様子を遠くから眺めた。
「お待たせ」
と言わずとも、
「待ってたよ」
と脳裏に浮かぶ蓮太郎の瞳が語る。尻尾を振る。
深呼吸をした。
胸の空気を入れ替える。
重たいのか軽いのかわからない足。
蓮太郎に向かう足を回れ右させて、俺が姿を消したらどうなるだろう。
蓮太郎は俺を探すだろうか。
生きた心地がしない。上も下もない深海でもがく。俺を絡め取っている糸は、俺を救い上げて助けてはくれない。
唯一、ぴんと強く太く張った一本以外は。
首輪に繋いだ、子ども頃の俺を引っ張ってくれたお散歩リードみたいに。
それから俺は考えるのを止め、惚けた顔で待っている蓮太郎の方へ歩いて行った。
◇◇◇
end
「ははは、ひどいツラ」
あーあ。人情ドラマでもあるまいし、そう簡単に和気藹々といかないとは思っていた。
とはいえ、子どもが泣き出してしまいそうな顔は良くないな。俺は鬼崎さんの頬を両手でむにっと持ち上げた。
「帰ろ?」
「会いに来た結果を訊かないのか」
「教えたくなったら、教えてよ。それでいいよ」
鬼崎さんは目を丸くして、「わかった」と視線を伏せた。
病院に向かった時間が三時ごろで、家に着くと八時を回っていた。途中、帰り道にスーパーに寄り、チキンや惣菜を買い、家の中はすっかり真っ暗だった。
クリスマスディナーの準備を放り出してしまったので、キッチンの作り掛けのボールの中身が中途半端で放置されたまま。
キッチンを適当に片付け、値引きシールが貼られたパックをテーブルに並べていると、後ろから腕を肩に回されハグをされた。
鬼崎さんが俺に体重を預けてくるなんて珍しいこともあるもんだ。
「どうしたの、疲れちゃった?」
「蓮太郎、ケーキの準備出来なくてごめんな」
「ん? いいよ、今日は大変だったんだしさ、ね」
そう返したが、鬼崎さんは黙り込み、俺から離れない。
「鬼崎さん、他に言いたいことがある?」
声をかけると、俺を抱き締める腕に力がこもった。
「何を言っているのか理解できないと思うけれど、聞いて欲しい」
「うん」
俺は食事の準備をする手を止め、鬼崎さんの手に触れた。
「・・・・・・しんどいんだ」
「うん」
「昔について考えることも。家族について考えることも。本当はここで暮らしていることも。俺は家族だった人たちと離れないと、昔を引きずって変われないままだ。俺は普通でありたいだけなのに」
「・・・うん」
俺は「うん」しか言えないインコかロボットか。
ぼんやりと見えてきた、鬼崎さんを取り巻いている暗い背景。彼の抱えているものは深すぎて、俺には苦しみ自体を消してあげることはできない。
それが悔しい。・・・でも俺は鬼崎さんの望む「普通」を足蹴にしてやれる度胸、この場合で言うなら「愛情」は持ち合わせてる。鬼崎さんがどんな人になろうが、俺の気持ちは左右されないんだってことをちゃんと伝えなきゃいけない。
俺は振り向いて笑った。そうするべきだと思ったからだ。
「普通ってなんだろうね。これまでどおりでいいんじゃない? 今のところはさ」
「それじゃ・・・、これまで以上に蓮太郎に酷くあたってしまうかもしれない。今は抑えられていても、いつかは」
鬼崎さんはまるで怒ったように眉間に皺を寄せる。
「いいよ。苦しくなったら、いっぱいいっぱい拒絶していい。でも、その相手は俺にして? もう自分自身を責めないで。俺は鬼崎さんのためだったら、いくらでも怒りや鬱憤の捌け口になれるから」
真っ直ぐに見つめてそう言うと、鬼崎さんの瞳が揺れた。
口をつぐみ、反論の言葉を探しているのだろう。納得してない顔。そんなんでいいわけがないと、顔一面に書いてある感じ。
俺は言葉にしたら、すとんと腑に落ちた。
「それにね、普通普通って言ってるけど、俺だってすでに普通じゃないんだよ? エッチで酷くされてるとき、いつも俺が興奮してるの知ってるでしょ。鬼崎さんが普通になっちゃったら、俺はどうすればいいんだ」
ふざけたふうに装って睨むと、苦悶の表情から剣が取れて、みるみる困った表情になる。
「ね、しよっか。たまには優しく抱いてもいーよ?」
「・・・普通は逆だろ」
「普通じゃないからいい」
「クリスマスは?」
「後にしよ」
「わかった」
鬼崎さんの手がいつになくしおらしく俺の頬を包んだ。合わさった唇はかさついて震えていた。
辛いと告白してくれたのに、苦しいことを強要しちゃう俺も大概最低なんだろう。
ごめんね。鬼崎さん。鬼崎さんが悩む必要なんて無いってこと、いつかわかってくれるだろうか。
安心してね。大丈夫だよ。ずっとそばにいるよ。これが俺の幸せだから。こんなふうに、鬼崎さんにも俺がいないと生きていけないようになって欲しいと思うんだよ。
◇◇◇
・・・・・・昼間。
「———すみません、寺堂花枝の病室はどこでしょうか」
午後のナースステーション。カウンター近くで作業をしていた年配の看護師が、俺の声に気がついて顔を上げた。
「あら、息子さんかしら?」
「そうです、鬼崎といいます」
にっこり笑って頷き返すと、別の看護師たちも集まり騒ぎ立てる。
「寺堂さんは素敵な息子さんが二人もいらっしゃって羨ましいわ。病室は【四三三】一番奥の合い部屋ですよ」
「どうも」
病室を教えられ、そこへ行くと、四人部屋は貸し切りだった。目隠しの囲いカーテンが引かれ、丸椅子に腰掛けた一人の人影がなんとなく目に映る。
近くに寄ると、人影はゆらっと動き、カーテンに手をかけた俺の手を「待って」と止めた。
「来てくれてありがとう義兄さん、最後に声が聞けて嬉しいよ」
カーテン越しに男の声。
「・・・・・・宏紀か?」
「うん、あのときは声変わりもまだだったから、誰だかわかんないでしょ」
「ああ、大きくなったな」
「ふははっ、何それ、親戚のおじさんみたい」
「は、そうだな。母さんは大丈夫なのか」
「薬で寝かせてもらってるよ」
「そうか、迷惑かけて悪いな」
沈黙。会話がひと段落し、一時的に無言のときが訪れる。
カーテン越しに立ちすくんだまま、俺は口を開いた。
「宏紀、訊いてもいいか? あの日、俺に会いに来た日。お前は本当は何を言いたかったんだろうか」
質問した後に、見えない義弟の表情に目を凝らす。それから聞こえてきた「そうだなぁ」という声に息を凝らした。
「んー、謝罪とか? ほら、あのときに持ってたぬいぐるみ、あれを家から抱っこして行きたいってわがまま言ったの俺なんだ。そのことを無性に覚えててさ。だったら犬が暴走したのって俺が原因だったんじゃないかって考えたんだと思う」
「責任を感じてくれていたのか・・・・・・?」
「幼いなりにね。けど、たぶん純粋にそれだけではなかったよ。母さんが家を出て行くってわかって、俺も人恋しさから誰かに縋りたかったのかもね」
小さくて頼りなかった義弟を思い出す。
俺は間違えたのだと気がついた。あの時に宏紀と向き合って、優しくしてやれていたら。良い付き合い方を築けていたら、血が繋がらない義理だけれど、俺たちは良い兄弟になれたかもしれなかったということを。
ここだった。これだった。
俺の過去の中でたった一つ、変えられるべきだったこと。
だが俺は間違えた。欲しかった家族の形は、もう手に入らない。
「本当に悪かった・・・、あのときは酷いことをした」
「今さらもういいよ。あの頃の俺は嫌じゃなかったんだよ。俺は逃げなかったでしょ」
「なら来なくなったのはどうして?」
「父さんに痣とか怪我がバレたからだよ。義兄さんに矛先が向いたらやばいでしょ」
「それは・・・べつによかったのに」
むしろ叔父叔母に露見してしまえば良かったのかもしれない。俺がおかしいってことは、もっと早くに大勢に曝されるべきだったのだ。
そして俺は正しく罰せられるべきだった。
何もかもを清算してから、蓮太郎に出逢いたかった。
「宏紀・・・やっぱり顔見て謝らなきゃいけない気がする」
俺はカーテンに手を伸ばす。
「義兄さん、もういいよ、このままカーテンを開けないで帰ってよ」
頬の筋肉と手が引き攣った。
「おいっ」
「義兄さんと蓮太郎くんの二人のとこには、この人をもう二度と近寄らせないようにするから。今後はこの人の面倒は俺が見る。短い期間だったけどさ、俺にとってはこの人もちゃんと母親だったから、俺には大事だよ。義兄さんはこれで自由でしょ? だから、このままカーテンは開けないで帰って」
「勝手に決めるな、んなこと出来るか・・・・・・っ」
鼻息荒くカーテンを開け放つと、義弟は瞠目しながら振り向いた。
「しーっ、静かに」
「・・・・・・悪い」
「はぁ、馬鹿だね君たちは二人とも。会いたくなかったんじゃないの?」
「会いたくないよ」
俺はそう吐き出して、ベッドに寝かされた少女じみた母親の顔を一瞥する。
「けど、でも・・・・・・」
力を込めて拳を握る。
その先の言葉は紡げなかった。
どうしたら良いのか答えられない。
母が死んでも、義弟が死んでも、自分が死んでも、死んだ後も、きっと永遠に決断できないのかもしれない。
呆れた義弟に「また来る」と別れを告げ、病室を出ると、病棟内は患者の夕飯の時間帯だった。ガラガラと音を立てている配膳車。給食を思い出すような、トレー上にある全ての料理の風味が混ざった独特の匂い。
俺はそれらをすり抜け、ナースステーションに軽く会釈をしてロビーに戻った。
一面張りのガラス窓から通りを眺めている蓮太郎は、バスや雑踏を目を追っていて楽しそうだ。口角がふわっと持ち上がっている。
俺は立ち止まる。少しだけ佇んで、蓮太郎の様子を遠くから眺めた。
「お待たせ」
と言わずとも、
「待ってたよ」
と脳裏に浮かぶ蓮太郎の瞳が語る。尻尾を振る。
深呼吸をした。
胸の空気を入れ替える。
重たいのか軽いのかわからない足。
蓮太郎に向かう足を回れ右させて、俺が姿を消したらどうなるだろう。
蓮太郎は俺を探すだろうか。
生きた心地がしない。上も下もない深海でもがく。俺を絡め取っている糸は、俺を救い上げて助けてはくれない。
唯一、ぴんと強く太く張った一本以外は。
首輪に繋いだ、子ども頃の俺を引っ張ってくれたお散歩リードみたいに。
それから俺は考えるのを止め、惚けた顔で待っている蓮太郎の方へ歩いて行った。
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