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Ⅲ (蓮太郎)
story.21 おとうと
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その八千さんから「家に来ない?」と誘われたのは一週間後。彼の仕事が休みだという土曜に、俺は遊びに行く約束をした。
鬼崎さんとは相変わらず変な空気が続いていて、外へ逃げられる理由に飛びついてしまったのだ。
「蓮太郎くん、こっちこっち!」
最寄りだと教えられた駅に着くと、八千さんは白のセーターにジーンズといった出立ちで迎えてくれた。冬であったが晴れて気温が高かったため、暑くて脱いだのだろうコートは腕に抱えている。
「週末なのにごめんね、彼氏怒ってなかった?」
そう訊かれて、俺は首を横に振った。
「そっか」
「はい・・・」
他愛のない会話をしながら歩く道のりは何分ほどだったか、「ここだよ」と指でさされたマンションは築浅でスタイリッシュな印象だった。
「若い単身者にわりと人気なんだよねぇ、空きが出るまで粘ってやっと引っ越せたんだ」
楽しそうに話す横顔に、気分が明るくなる。
———今日は来てよかった。つられて嬉しくなったが、パタンと閉められたドアの音がした瞬間、八千さんの笑顔がふっと消えた。
「駄目だよ蓮太郎くん、ゲイの男の家に上がるときはもっと警戒しなくちゃ」
「八千・・・さん?」
ハッとさせられる。玄関で立ち止まった彼は、細身だけれど俺よりも背が高かった。柔らかなイメージで外見までも誤って見えていたらしい。俺の目はとんでもなく節穴だった。
男が男を襲う。
一年前は考える必要もなかったことが、現在は日常になりつつある。
「最初からそのつもりだったんですか?」
「どうかな。でも残念。俺ネコだから襲っても楽しくないや。蓮太郎くんもだろ?」
最悪の事態は免れたようだ。俺が頷くと、八千さんはにっこりと笑った。
「だよね。けど、男の家に行ってきたなんてぜったいに彼氏には言っちゃ駄目だよ。どうせ内緒で来たんでしょ、俺だったら行かせないもん」
「おっしゃるとおりです」
「悪い子だな~」
すっかり元通りの八千さんだった。ぺしんと軽くデコを弾かれて、「どうぞ上がって」と中に案内される。
「お邪魔します」
「うん、適当に座ってよ」
彼の部屋は家具家電メーカーのパンフレットに載っていそうな雰囲気だった。腰掛けたソファも、他の物たちも同じ色合いでまとめられている。
そこに、あまりにも不釣り合いなものがある。シンプルで統一されたインテリアに混じって、さりげなく置かれていた。
「気づいちゃった? これはね、俺の趣味」
八千さんは洋書風の置物の横にあった玩具を手に取った。
「それってディルドですよね・・・・・・」
「そうそう、未使用だから綺麗だよ。はい」
いやいや渡されても・・・と思ったけれど、目の前に差し出された濃桃色のディルドを受け取る。太く立派な男根を模したそれの底には強力そうな吸盤がついていた。
「アダルトグッズが好きなんですか?」
どうしたもんかと困惑し、視線を彷徨わせながら訊ねれば、八千さんは親指でリビングの隣を示した。
「もっといっぱいあるから見てみる? 俺のコレクション」
呆気に取られてしまい返事に詰まった。
半透明のパーテーションで仕切られる仕組みになっている部屋。八千さんはその向こうに姿を消し、大きな収納ボックスを抱えて戻ってくる。
「その中身が全部?」
「ご名答」
蓋を開けられ、次々と玩具が並べられていく。使用済みのものを触るのには躊躇われたが、うちの一つが目について拾い上げてしまった。
「お、蓮太郎くんは首輪がお好みかぁ」
「別にそういうわけじゃないんですけど」
「照れなくてもいーよ。首輪って興奮するよね、俺も好き」
ところどころ革が剥げている曇り空みたいな色の首輪。手に持ったまま答えられないでいると、八千さんは一人で話を続けた。
「それね、もとは鮮やかな青だったんだ」
「・・・・・・かなり古いものなんですね」
「うん。でもずっと捨てられないのはそれだけかな」
俺は首輪を戻して、並んだ玩具を観察してみた。じっと見ていると、ほかに気がつくことがあった。
鞭、様々な形状の手錠、縄、凶器的にも思えるグロテスクな張り型。
人の身体を痛めつけるために生まれたような道具ばっかりだった。
「趣味」
ぽつりと溢してしまった呟きに、八千さんは振り向いた。
「俺に痛みと屈辱の快感を教えてくれた人がいたんだよ」
つまりは、生まれつきの性癖ではないということだ。
「とても酷い性格の相手だったんですね」
「うーん、どうだろうね。気づいてなかっただけで、俺にもそういった癖があったのかもしれない。散々な初体験だったのに、そのときから俺のあそこは乱暴されないと勃たないし」
冗談めかして言われた言葉が余計に胸に刺さる。
「俺の見立てでは蓮太郎くんも、こっち側じゃないかなぁって思ってるんだけどな? ほら、首輪が似合う」
八千さんは選んだ服をあてるみたいにして曇り空色の首輪を俺の首元にあてた。
胸が激しく鳴った。
彼に首輪の件は教えていない。知っているはずもないのに、見透かされている気がしてならなかった。
「なぁんてね、もしかしたらって思っただけだよ」
「ああ・・・ですよね、びっくりした」
興味を失くされて箱の中にしまわれる首輪。俺は消えていくそれを目で追っていた。
中身は三分の二が出されて箱の底が見えている。ちらりと覗いたものに咄嗟に目をすがめた。
玩具の下敷きになっていたのは写真だ。
自慰を行うときに誰かの写真を使用しているのか———? 角が折れて色褪せた写真は首輪に劣らず、年季が入っている。
「これ」
何故だか気になって、俺が手を伸ばして拾おうとすると、八千さんがヒョイっと指でつまみ上げた。
「あ、これね、例の初体験の人だよ。せっかくだから教えてあげる、俺に乱暴したこの人、実は俺のにいさんなんだ。ふふ、捨てたと思っていたら、入れっぱなしにしてたみたいだ。にいさんは、今はどこにいるのかなぁ?」
俺は一瞬、時が止まったのかと思った。
それくらいの衝撃だった。
写真に写っていたのは鬼崎さんだ。けれど、ずいぶんと若いころの。写真の中の鬼崎さんは裸に学生服を羽織って、横を向いていた。高くて綺麗な鼻筋は今のままだけど、ひどく顔を顰めて煙草をふかしている。
背景にあるのは見慣れた景色を映している窓。壁には水着を着た女がポーズを取っている古いグラビアのポスター。シングルサイズのベッド。昔の鬼崎さんの部屋?
なんだよこれ・・・との想いが駆け巡った。だって、いろんなことが一致しない。
「蓮太郎くん、どした?」
落ち着き払った声に苛立ちを感じ、俺は自分の気持ちにゾッとした。
「俺、帰ります」
「えぇ? 来たばかりじゃん」
「すみません・・・・・・、用事を思い出しました」
頭が混乱して、どこかで聞いたことのあるような言いわけしか出てこなかった。
八千さんはふぅんと鼻を鳴らして立ち上がった。
「そう、じゃあ、また時間のあるときにね」
「はい」
俺は八千さんの顔を見られずに彼の部屋を出て、後ろでドアが閉まったと同時に走りだしていた。
どうあっても情報が整理できないから、激しく胸を打つ心臓の音で、ぐちゃぐちゃに曇らせておきたかった。
息苦しさを覚えるまで走って走って、暴れまわる心臓の音だけが自分の耳に響くように。
鬼崎さんとは相変わらず変な空気が続いていて、外へ逃げられる理由に飛びついてしまったのだ。
「蓮太郎くん、こっちこっち!」
最寄りだと教えられた駅に着くと、八千さんは白のセーターにジーンズといった出立ちで迎えてくれた。冬であったが晴れて気温が高かったため、暑くて脱いだのだろうコートは腕に抱えている。
「週末なのにごめんね、彼氏怒ってなかった?」
そう訊かれて、俺は首を横に振った。
「そっか」
「はい・・・」
他愛のない会話をしながら歩く道のりは何分ほどだったか、「ここだよ」と指でさされたマンションは築浅でスタイリッシュな印象だった。
「若い単身者にわりと人気なんだよねぇ、空きが出るまで粘ってやっと引っ越せたんだ」
楽しそうに話す横顔に、気分が明るくなる。
———今日は来てよかった。つられて嬉しくなったが、パタンと閉められたドアの音がした瞬間、八千さんの笑顔がふっと消えた。
「駄目だよ蓮太郎くん、ゲイの男の家に上がるときはもっと警戒しなくちゃ」
「八千・・・さん?」
ハッとさせられる。玄関で立ち止まった彼は、細身だけれど俺よりも背が高かった。柔らかなイメージで外見までも誤って見えていたらしい。俺の目はとんでもなく節穴だった。
男が男を襲う。
一年前は考える必要もなかったことが、現在は日常になりつつある。
「最初からそのつもりだったんですか?」
「どうかな。でも残念。俺ネコだから襲っても楽しくないや。蓮太郎くんもだろ?」
最悪の事態は免れたようだ。俺が頷くと、八千さんはにっこりと笑った。
「だよね。けど、男の家に行ってきたなんてぜったいに彼氏には言っちゃ駄目だよ。どうせ内緒で来たんでしょ、俺だったら行かせないもん」
「おっしゃるとおりです」
「悪い子だな~」
すっかり元通りの八千さんだった。ぺしんと軽くデコを弾かれて、「どうぞ上がって」と中に案内される。
「お邪魔します」
「うん、適当に座ってよ」
彼の部屋は家具家電メーカーのパンフレットに載っていそうな雰囲気だった。腰掛けたソファも、他の物たちも同じ色合いでまとめられている。
そこに、あまりにも不釣り合いなものがある。シンプルで統一されたインテリアに混じって、さりげなく置かれていた。
「気づいちゃった? これはね、俺の趣味」
八千さんは洋書風の置物の横にあった玩具を手に取った。
「それってディルドですよね・・・・・・」
「そうそう、未使用だから綺麗だよ。はい」
いやいや渡されても・・・と思ったけれど、目の前に差し出された濃桃色のディルドを受け取る。太く立派な男根を模したそれの底には強力そうな吸盤がついていた。
「アダルトグッズが好きなんですか?」
どうしたもんかと困惑し、視線を彷徨わせながら訊ねれば、八千さんは親指でリビングの隣を示した。
「もっといっぱいあるから見てみる? 俺のコレクション」
呆気に取られてしまい返事に詰まった。
半透明のパーテーションで仕切られる仕組みになっている部屋。八千さんはその向こうに姿を消し、大きな収納ボックスを抱えて戻ってくる。
「その中身が全部?」
「ご名答」
蓋を開けられ、次々と玩具が並べられていく。使用済みのものを触るのには躊躇われたが、うちの一つが目について拾い上げてしまった。
「お、蓮太郎くんは首輪がお好みかぁ」
「別にそういうわけじゃないんですけど」
「照れなくてもいーよ。首輪って興奮するよね、俺も好き」
ところどころ革が剥げている曇り空みたいな色の首輪。手に持ったまま答えられないでいると、八千さんは一人で話を続けた。
「それね、もとは鮮やかな青だったんだ」
「・・・・・・かなり古いものなんですね」
「うん。でもずっと捨てられないのはそれだけかな」
俺は首輪を戻して、並んだ玩具を観察してみた。じっと見ていると、ほかに気がつくことがあった。
鞭、様々な形状の手錠、縄、凶器的にも思えるグロテスクな張り型。
人の身体を痛めつけるために生まれたような道具ばっかりだった。
「趣味」
ぽつりと溢してしまった呟きに、八千さんは振り向いた。
「俺に痛みと屈辱の快感を教えてくれた人がいたんだよ」
つまりは、生まれつきの性癖ではないということだ。
「とても酷い性格の相手だったんですね」
「うーん、どうだろうね。気づいてなかっただけで、俺にもそういった癖があったのかもしれない。散々な初体験だったのに、そのときから俺のあそこは乱暴されないと勃たないし」
冗談めかして言われた言葉が余計に胸に刺さる。
「俺の見立てでは蓮太郎くんも、こっち側じゃないかなぁって思ってるんだけどな? ほら、首輪が似合う」
八千さんは選んだ服をあてるみたいにして曇り空色の首輪を俺の首元にあてた。
胸が激しく鳴った。
彼に首輪の件は教えていない。知っているはずもないのに、見透かされている気がしてならなかった。
「なぁんてね、もしかしたらって思っただけだよ」
「ああ・・・ですよね、びっくりした」
興味を失くされて箱の中にしまわれる首輪。俺は消えていくそれを目で追っていた。
中身は三分の二が出されて箱の底が見えている。ちらりと覗いたものに咄嗟に目をすがめた。
玩具の下敷きになっていたのは写真だ。
自慰を行うときに誰かの写真を使用しているのか———? 角が折れて色褪せた写真は首輪に劣らず、年季が入っている。
「これ」
何故だか気になって、俺が手を伸ばして拾おうとすると、八千さんがヒョイっと指でつまみ上げた。
「あ、これね、例の初体験の人だよ。せっかくだから教えてあげる、俺に乱暴したこの人、実は俺のにいさんなんだ。ふふ、捨てたと思っていたら、入れっぱなしにしてたみたいだ。にいさんは、今はどこにいるのかなぁ?」
俺は一瞬、時が止まったのかと思った。
それくらいの衝撃だった。
写真に写っていたのは鬼崎さんだ。けれど、ずいぶんと若いころの。写真の中の鬼崎さんは裸に学生服を羽織って、横を向いていた。高くて綺麗な鼻筋は今のままだけど、ひどく顔を顰めて煙草をふかしている。
背景にあるのは見慣れた景色を映している窓。壁には水着を着た女がポーズを取っている古いグラビアのポスター。シングルサイズのベッド。昔の鬼崎さんの部屋?
なんだよこれ・・・との想いが駆け巡った。だって、いろんなことが一致しない。
「蓮太郎くん、どした?」
落ち着き払った声に苛立ちを感じ、俺は自分の気持ちにゾッとした。
「俺、帰ります」
「えぇ? 来たばかりじゃん」
「すみません・・・・・・、用事を思い出しました」
頭が混乱して、どこかで聞いたことのあるような言いわけしか出てこなかった。
八千さんはふぅんと鼻を鳴らして立ち上がった。
「そう、じゃあ、また時間のあるときにね」
「はい」
俺は八千さんの顔を見られずに彼の部屋を出て、後ろでドアが閉まったと同時に走りだしていた。
どうあっても情報が整理できないから、激しく胸を打つ心臓の音で、ぐちゃぐちゃに曇らせておきたかった。
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