首輪をつけたら俺たちは

倉藤

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Ⅲ (蓮太郎)

story.18 知らなくていいこと

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 しかし一晩しっかり寝て、出してもらった朝ごはんを食べて、頭が冷えた。
 俺が不安に思ってたのは、なんだったのか。ようやく身に染みてきた感じだ。俺が気にしないといけないのは外側じゃなくて、内側。よそ行きの鬼崎さんじゃなくて、誰にも見せられない内に秘めた姿。
 昼ごろまで動物病院のお手伝いをさせてもらい、もうすこし居てよ~とごねるサビと柚元さんに礼を伝え、家に帰った。部屋がどこも荒れていなくて、心からホッとした。
 やけ酒をした形跡もなく、脱いだ服は洗濯物入れに大人しく収まっている。
 ———よかった。俺が思っていたような、落ち込みかたはしていなかったみたいだ。
 ソファに腰を沈め、スマホが切りっぱなしであったことを思い出した。電源を入れ直すと、鬼崎さんからのメッセージはない。肩を落とすが、こちらも送っていないのだからお互い様。
 何通もきているのは、田米さんだ。
 了解と昨晩の返信があり、・・・あとはつい数分前に連続してきていた。それも、メッセージではなく着信。
 何かあったのかと不安がよぎり、かけ直そうとした同じタイミングでバイブが鳴り、ビクンっと肩が震えてしまった。

「は、はいっ」

 慌てて出る。田米さんの息をつく音が、最初に聞こえてきた。

「あー、繋がってよかった」
「あの・・・・・・すみません、電源を切ってて」

 すると俺の言いわけに被せるように「鬼崎が」と言われ、今度は心臓が跳ねた。

「鬼崎さんがどうしたんですか・・・・・・?」
「ああ、鬼崎が疲労で倒れた」

 瞬間、頭が真っ白になる。

「え?」
「朝からめちゃくちゃ寝不足そうだったんだよな。仕事中にいきなり倒れて、しばらく意識なかったんだけど、でも幸いなんともなかったから大丈夫だ。今は目を覚ましてる。いちおう心配だから、タクシーで帰すから。面倒みてやって」

 早口にそう説明され電話を切られたが、ちゃんと返事をしたかさえ曖昧だった。寝不足は俺のせいだ。鬼崎さんを倒れるほど追い込んでしまった。
 カタカタと身体が震え、彼を失っていたかもしれない仮定の現実がぶわっと襲ってきて恐ろしくなった。こうなってしまうのなら、もう何があっても二度と離れたくないと思った。
 ほんとに俺は馬鹿だった。
 心底、離れたくないと感じているくせに、後戻りできないくらいの都合の悪いことが目の前に出てきたらどうするつもりだったんだろう。
 その人を愛しているかどうかは相手がどうこうじゃなくて、俺自身が決めることなのだ。
 もしも鬼崎さんが別の誰かに心の何割かをあげていたとしても、俺が百パーセント鬼崎さんを好きで、一緒にいたいと思うのなら、俺は自分の好きを貫けばいい。鬼崎さんが明かしたくないことを無理やり暴くのはもうやめにする。
 それから、ぼうっとしていた。玄関の鍵を開ける音で、鬼崎さんの帰宅に気がついた。
 玄関まで走り、詰まった喉をこじ開けるようにして声を出す。

「おかえりなさい!」

 鬼崎さんは俺を見て、やつれた顔で「ただいま」と言った。
 何も訊かない。受け入れる。笑う。
 意識していれば簡単だ。俺は鬼崎さんを抱きしめた。

「おつかれさま、早かったね。今日の仕事はおしまい?」
「蓮太郎、もう芝居はしなくていい」
「なに言ってるの?」
「田米と知り合いだったんだろう? 蓮太郎に電話をしたと言ってきたから、どうして連絡先を知っているんだと突っ込んだら口を割った」

 俺は笑顔のまま凍りついた。

「怒って・・・・・・る?」

 いやいや、何を訊いてるんだ。怒ってるに決まっている。勝手に周囲をうろつかれて、信用していないも同然の行いをされて、怒らなかったら逆に心配になる。
 鬼崎さんは靴を脱ぐ気力も残っていないのか、玄関の壁に背中をつけ、ずるずると座り込んだ。
 苦しいことを抱えているなら、教えてほしい。
 できることがあるなら、教えてほしい。
 しかしグッとすべての感情を呑み込んで、鬼崎さんのビジネスシューズの靴紐を解いた。何も言わず。

「蓮太郎、もういいから」

 何がもういいのと思うけれど、靴紐を解き終わり、無視して靴を脱がす。

「ハードスケジュールだったから疲れてるんでしょ。それなのに、昨日はごめんね。はやくシャワーして寝ないと」

 だからこの話はこれでお終い。俺は「ほら立って」と言うみたいに、ぐずぐずしている鬼崎さんを引っ張りあげ、洗面所に連行した。強引に背中を押してドアを閉め、着替えを取りに階段を駆けあがる。途中で我慢が出来なくなって、すとんと腰からしゃがみ込み、ぱちんと頬を叩いた。

「しっかりしろっ。普段どおりに、普段どおりに」

 同じことを繰り返さない。二度と俺からこの関係を壊さない。
 そう唱えてから俺は立ち上がった。たまに洗濯を手伝っているので、鬼崎さんのクローゼットの中身は把握している。手早く部屋着を選び、シャワーを浴び終える前にそっと届けておいた。
 シャワーから出てきた鬼崎さんはすっきりとした表情だった。熱い湯で身体がさっぱりすると、心もさっぱりするという効果は伊達だてじゃない。

「なんか食べる?」
「気を使わなくていい」
「使ってないよ」

 そう言い、カップラーメンの三段タワーをテーブルにドンと置いて見せつけた。
 お湯を注いで待つだけだ。この程度で気を使っていると思われたくない。

「どれにする? 疲れてるなら鶏白湯がおすすめ」
「じゃあそれを」
「おっけー」

 湯を注いで五分の、ちょっとお高いカップ麺。出来上がった麺を啜っている姿を見て、この人が無事に帰ってきてくれて良かったと心から思う。俺はぼんやりと湯気の立った箸先を眺めた。 

「蓮太郎、蓮太郎!」

 夢の中で響いているような鬼崎さんの声が突然はっきりと大きくなり、目を見開いた。

「あ、なに?」

 うっかり、うたた寝でもしてたのかも。背筋を伸ばすと、鬼崎さんはスープしか入っていない器を箸でつつきながら、言いにくそうに話しはじめる。

「フードフェス初日の日のことなんだが」

 いきなりの気まずい話題だ。何も聞かれていないうちに、べらべらと口が動いた。

「え、うん、フードフェス・・・・・・フードフェスね! 鬼崎さんの働いてるとこ、かっこよかったです」
「それだけか?」
「え・・・・・・はい、それだけ、え?」

 もっと感想を言ったほうがよかったのかなと、俺は焦って言葉を探す。だが今、俺の頭は思考能力を放棄していた。他には、何も思いつかない。

「ごめんなさい。それだけです」
「なら、いい」

 納得しているのか疑わしい口調。じいっと鬼崎さんの顔を観察していると、目を逸らされてしまった。
 言葉を途切れさせると、鬼崎さんは「ごちそうさま」と席を立った。引き止めるのはやめにしたほうが良さそうな疲れた背中だ。
 リビングを出ていく鬼崎さんに、俺は「おやすみなさい」とだけ声をかけた。
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