首輪をつけたら俺たちは

倉藤

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Ⅲ (蓮太郎)

story.17 揺らぎ、後悔

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「蓮太郎、鬼崎さん行っちゃったよ」
「・・・・・・そだね」
「いつから覚めてた?」
「手首を掴まれたところで、ヒュンってなった」
「平気だよってフォローしてあげなくてよかったの?」
「よくない。でも今日は言えなかった・・・・・・」
「そ」

 サビと俺の会話を柚元さんが黙って聞いていた。普段から俺たちのくだらないじゃれあいには入ってこないスタンスだけれど、サビは思うことがあったらしい。

「圭一ぃ、なんか言いたそうだね」
「ん、うん、ひとりで帰して彼大丈夫かな?」

 どきりとした。鬼崎さんの心の底が見えない。在りかもわからない。俺なんかよりもずっとずっとしっかりした大人で、自分の足で立っているはずなのに、鬼崎さんは時折ものすごく心許ない。

「俺、やっぱ、鬼崎さんと帰るっ」

 勢いよく飛び出したものの、頭から酒が抜けても身体は本調子に戻っていなかった。千鳥足で転んでしまい、柚元さんに引き起こされる。

「ごめんね。きみを責めているんじゃないから、無理していかなくていいんだよ」
「無理してません、俺・・・・・・あ、電話」

 ポケットからスマホを取り出すと、サビが眉を顰めた。

「もー、こんなときに誰?」
「田米さんだ」
「空気読めない副社長だなぁ」

 俺も今はやめて欲しかったと思ったが、出ないと失礼だ。いろいろとしてもらったのだから。

『どうだったよ』

 開口一番に好奇心に満ちた声が響いた。

「それが、微妙な感じでお開きになっちゃって」
『微妙って・・・・・・?』

 躊躇のない質問だった。キュッと唇を結んだとき、手のなかからスマホがするっと抜けた。

「ちょっとごめんね、林田くん」
「え」

 声のした方を向くと、スマホの通話終了ボタンがタップされている。

「柚元さん?!」
「俺の見解ではね、この彼の言っていることは勘違いなんじゃないかな?」

 唖然とする俺に、画面の暗くなったスマホが返される。受け取った瞬間、ふたたび画面は明るくなり、田米さんから着信が入った。
 ———ごめんなさい。
 時刻は夜の二十二時。俺は「今は出られません」と謝罪のメッセージを送り、スマホの電源を切った。


          * * *


 遡ること、ひと月ほど前。
 カフェ『coco  touron』にて、偶然にも出会った田米葉助さん。鬼崎さんの友人であり、親しい仕事仲間。俺は鬼崎さんの歳の離れた弟を装い、兄に内緒で家出をしてきたふりをして近づいた。しかしすぐに嘘を見抜かれ、彼とルームシェアをはじめたことと、彼に想いを寄せていることを白状した。首輪やペットのワードはやんわりと伏せ、恋人に近い関係にあるけれど、不安があるとかなんとか洗いざらい。
 もちろん、鬼崎さんについて嗅ぎ回っていることは内緒で・・・・・・とお願いをして。
 田米さんの反応は、そりゃあ驚いた顔をしていた。
 でもそれは、俺が思ってた理由とはちょっと違った。

『———あいつって、そっちゲイだったかな』

 青ざめる俺の顔を見て、田米さんは「俺が知らなかっただけかも」と慌てて言い直していた。
 その反応が明らかに怪しくって、問い詰めたら、ある事実と疑惑が浮かび上がった。

『過去の鬼崎の彼女を何人か知ってるけど、男もイケるとは初耳だった。最近になって早く帰るようになったから、てっきりいい仲の女ができたんだと思ってた』

 田米さんは思いきり目を泳がせた。話を聞きながら、俺は心臓がバクバクして、気を抜くと泣きそうになっていた。
 早く帰ってきてくれるのは俺のためで、何もやましいことがないにも関わらず、ひとつが綻びだすと、全てがほどけてしまうのだと知ってしまった。
 田米さんの話はそれだけじゃなくて、鬼崎さんは一時期しんどい時期があり、それ以来はプライベートでの人付き合いをほとんど断ち、恋人も作っていなかった。
 鬼崎さんは周囲に悩みの真相を打ち明けていない。だから久しぶりに彼に親しい人ができて安堵していたんだと。俺への警戒心を解いてくれたのも、そのためで。
 俺は揺らいでいた。話を聞く数時間前よりもはるかに詳しくなったはずなのに、俺のなかの鬼崎さんが余計に迷子になった。
 不安にさせたお詫びにと、田米さんはそれから定期的に相談という名の愚痴を聞いてくれたり、こっそりと鬼崎さんの仕事の都合を教えてくれる。


         *  *  *


「林田くんの考えすぎってことはない? 他所に女のいる男が、ああやって君や君に触ろうとしていた男に怒るかな? 店員に向かっていった鬼崎さんに余裕があるようには見えなかった。余裕がない人間に自分を取り繕えると思うかい? 俺はきみに見せた姿が本音だと思うけどな」

 店の前から動けずにいる俺に、柚元さんは真剣な顔で対峙してくれた。柚元さんの言葉はまさにそのとおり。俺が勝手に哀しくなって、俺が勝手に暴走した。

「圭一、それくらいで」
「いいよ、サビ。続けてください、柚元さん」
「・・・・・・うん、彼の仕事場も見に行って、周囲を探っても何もなかったんだよね。だとしたらこれ以上、試すようなことをするのは気の毒だと思うよ」

 俺の手首を掴んだ鬼崎さんは本気で怖くて、別れ際の鬼崎さんは本気で傷ついていた。あれが俺の知りたかった鬼崎さんだったのだろうか。
 あの本音はあんな形で引き出しちゃいけないものだった。俺は最低なことをしたのだ。

「ごめんなさい」

 うつむくと、髪の毛をくしゃくしゃとされる。

「それは鬼崎さん本人に言ってあげないと。とは言っても今日は二人とも別々に頭を冷やしなさい」
「はい・・・・・・、明日謝ります」
「よしよし、きみは物分かりがいいね。誰かさんと違って」

 柚元さんが振り返る。語尾を強調され、ぽつんと突っ立っていたサビが「え」と声を上げた。

「圭一ぃ、ひどくない?」

 恨めしそうに眉を吊り上げる顔を見て、張りつめていた気持ちが笑いと共に弾けた。吹き出した俺を、サビが「蓮太郎までっ!」とど突く。
 俺たちのじゃれあいを柚元さんは笑って見ている。
 でも鬼崎さんはきっと、俺が出て行ったあの日のように、ひとりきりのベッドで丸まっているかもしれない。
 今朝使ったマグカップは洗ってあっただろうかと、気を取り直した俺はしんみりと考えてしまう。
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