首輪をつけたら俺たちは

倉藤

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II (鬼崎)

story.16 ベルの音とこぼれた唾液

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 今すぐにスマホをひったくりたい気持ちに駆られ、俺は蓮太郎に手を伸ばした。だが鉛のような足がそれを阻止し、がんじがらめの網に捕えられて、激しく燃え上がった焦燥だけがのたうった。
 アルコールで喉が焼けるのと同じように、何も飲んでいないはずの胃がキリキリと痛みを訴える。
 こうしてまた、繰り返される。正常に判断しようとする頭とは別のところで条件反射が働いて、俺は蓮太郎の首輪を乱暴に引っ掴み、ソファまで引きずってのしかかった。

「ひっ、鬼崎さ・・・・・・ッ」

 怯えた顔。「やめて」と乞う、。暴力と快感。悦び。
 繋がってはいけない回路が繋がってしまった俺の身体。普段は抑えている捻じ曲げられた悪癖が爆発する。
 頼むから誰か止めてくれとねがった。蹴ってでもいい殴ってでもいい、誰にも言えずにいる情けなくて下劣な俺を罵倒して正しい方向に連れ戻してほしい。

「鬼崎さ・・・・・・、いいよ、えっちしたくなっちゃった?」
「うるさい」

 自身の感情とは裏腹に、低い声を発した俺は蓮太郎の口を手のひらで塞いだ。

「・・・・・・ッ」

 蓮太郎の顔が苦しそうに歪む。

「鳴いて」

 口から離した手で顎をつよく鷲掴みにする。

「・・・・・・うぐ、っ、ふ、うあ」
「ちがう、鳴けよ、ほらっ」
「んいっ、ごめっなさ、わ、わん」

 蓮太郎の顔は鼻水と涙でぐちゃぐちゃだ。こんなひどい仕打ちをする俺が生きていてごめんなさい。俺は嘆きながら、寝巻きのズボンに手をかけた。



 行為の後、シャワーの音が聞こえるうちに家を出て、出勤後の空に重たい息を吐きだした。
 手荒にしたくないと散々言った結果がこれ。普段はやすいプレイに甘んじているが、俺の自制心はごみクズ程度だ。自己嫌悪と寝不足のコンディションで、コーヒーに大量にいれた砂糖の味もわからない。
 痛みを与えるようなやり方をしたのに、蓮太郎は怒らなかった。最初の一度きりを除いて怒らなくなった。
 あのときは徹底的に突き放されておしまいだと思ったし、それで正解だと思っていた。それでも俺のもとに戻ってきた蓮太郎。好きだと言ってゆるしてくれる蓮太郎におんぶに抱っこの己れを最低だと思う自分。安堵する自分。歓喜する自分。三者三様の俺が心にいる。
 体裁的には逆に見えていても・・・・・・現実はそうなのだ。俺はずるくて自分に甘い。自分の隠しごとを差し置いて、目の前の嫉妬心に手を伸ばしてしまった。蓮太郎は俺の所有物ではないのに、俺以外に夢中になる視線に苛立った。
 認めたくなくても俺は母親と同じ種類の人間で、・・・・・・また蓮太郎になにも打ち明けることができなかった。
 そしてそんなときには、たいがいスマホが鳴る。こんな気分で母親の声は聞きたくないとうんざりして見ると、ディスプレイの表示は蓮太郎だ。

「———もしもし、何かあった? もしかしてさっきので怪我を」
「あはは、ちがうちがう。大袈裟だよ鬼崎さん。俺は男だし、あれくらい平気。なんだかんだ鬼崎さんがブレーキかけてくれてるのわかってるから。その話じゃなくてね、今日の夕方・・・・・・駅で待ち合わせしよ? たまには外でご飯でも食べようよ。いいよね? じゃ!」
「まて、蓮太郎!」

 断りを入れる前にぶつりと通話が切れてしまった。蓮太郎が出した駅の名前はオフィスの最寄り。さらに今日は実質休日。自分が勝手に仕事をしにきているだけで、タイミングよく予定が空いている。
 そろそろ蓮太郎としっかり向き合えということだろうか。
 先ほど乱暴に抱いてしまった手前、仕事でと嘘をつくのは気が引けた。
 俺は一日中、落ち着かない時間を過ごした。
 しかし待ち合わせの場所に着いて第一声、溜め息をつきたくなった。俺の姿に目を輝かせてくれた蓮太郎に笑顔を送りつつ、その横をのぞき見る。
 蓮太郎は、一人ではなかったのだ。

「蓮太郎、これはどういうことかな?」
「えっと・・・・・・」

 口ごもる蓮太郎のわきから、小柄で目の大きい青年が口を挟んだ。

「ダブルデートですけど、したことない?」

 初対面なのに堂々とした子だ。負けじと、大人げなくならない程度にやんわりと牽制する。

「あるとかないとかの問題ではないんだよ」
「ふぅん、じゃあなにが問題?」

 青年が肩をすくめると、その隣りの紳士が彼の肩を抱いた。

「こらサビくん、そういう物言いは失礼にあたるよ。はじめまして、わたしは柚元圭一ゆずもと けいいちといいます。彼はサビくん。わたしの恋人です」
「サビ・・・・・・ですか」
「ええ、愛称のようなものです。そう呼んでやってください」
「はぁ、わかりました」

 話が通じやすそうなひとがいてくれてよかった。少々粗野な見た目だが、身なりはいい。指摘しながらもまなじりを下げてしまうあたり、急でこしらえたカップルなのではなく、青年と紳士はリアルな恋人どうしなのだろう。

「ごめんなさい鬼崎さん、俺とふたりっきりじゃないほうがいいかと思って」
「・・・・・・いや」

 どうしてそう思ったのか。訊かなくてもわかる。俺がいいかげんな対応をしてきたせいだ。蓮太郎は痺れを切らして、俺を強制的に連れだす方法をとった。

「気をつかってくれたのかい?」
「うん、俺、どうしてもデートがしたくて」

 可愛いお願いをする蓮太郎に頬がゆるむ。それと同時に、些細な願いも叶えてやれなかった自分が腹立たしくなる。

「あ、でも、本当に無理そうだったら今のうちに言ってください」

 ギュッと裾を握り、蓮太郎はうつむく。その頭に手をやった。ここまで思い悩んでいたとは、重ねて申しわけさがつのる。

「行こうか、蓮太郎。せっかくだから楽しもう。デートコースは決めてきてくれたんだろう?」
「うん!」

 大勢がいる公共の場所でも、知らん顔で手をつなぐメンタル強めカップルはすでに駅から歩き出していた。俺たちのことはもはや目に見えていないようだ。
 彼らが雑踏のなかに消えてしまう前に蓮太郎と共にあとを追う。
 デートコースはいたって健全というか、ありがちなラインナップだった。はやりの映画を観て、同施設内のゲームセンターに寄り、取れもしないクレーンゲームに一喜一憂し、若者むけの雑貨屋でふざけてサングラスをつけたり、クリスマス向けのコスプレグッズを被せあいっこしたり、最初は乗り気じゃなかった俺もいつのまにかデートに馴染んでいた。大人になってからはこういった爽やかなデートはしていない。新鮮な気持ちでいたのだが。

「楽しそうでよかったねぇ」

 サビくんが蓮太郎の肩を抱く。じゃれ合う二人に、もやっとした。いけない、と目を逸らす。
 そしてその俺の表情の変化に気がついたひとがいた。

「このあとはどうしましょうか。解散にして別行動でも構いませんよ」

 柚元さんに耳打ちされ、ひやりとする。心臓がぎゅっと握りつぶされたような心地になる。

「・・・・・・いえ、四人で行きましょう。ぼくの知っている店が近くにあります。よろしければ」

 この余計な意地が良くなかった。
 俺は平気な顔をして経営者仲間の知り合いがやっているバルに三人を連れていった。簡単にいえば洋風の居酒屋だが、スペイン料理を中心に、豊富な種類の酒を楽しめる。賑やかな雰囲気なので気兼ねなく会話もでき、価格帯が安価で学生のお財布事情にも優しいからか、若い客が目立っていた。
 蓮太郎だけならば着替えさせてドレスコードのある店にとも思ったけれど、連れの二人に配慮をした。
 適当にメニューを頼み、俺は酒が届くまえに席を立った。

「鬼崎さんどこ行くの?」
「ん、ちょっとね。すみません、仕事の電話をしてきます。遅ければ先に始めてしまってください」
「ええ、我々にはおかまいなく」
「ごゆっくりーー」

 しゅんとする蓮太郎の頭をぽんと撫でてやり、いったん店の外へ出た。店内は客の声が響きすぎる。邪魔にならないように出入り口のわきにずれ、雪乃の番号にタップすると、二秒で応答があった。さすがだ。

「そろそろかかってくるかと思いました。今日一日、ちゃんと休みましたか?」
「もうすっかり元気だ。君には敵わないな。今日の様子はどうだっただろうか」
「問題ありませんよ。従業員たちも慣れたものです。中日なかびでしたし、イベント自体が落ち着いていました。売上もまあまあです。詳しいことは明日でよろしいかと」

 ではと早々に切られそうになり、「待ちなさい」と制止する。

「雪乃」
「なんでしょう?」

 切れ味のよさそうな声だ。これでは、どちらが上司かわかったもんじゃない。

「・・・はあ、いや、いつもありがとう。頼んだよ」
「ええ、お任せください」

 ありがたい気持ちと心労、二つが折り混ざると複雑な心境だ。ため息と共に電話を終わらせ、俺は店内に戻った。

「おかえりなさい、鬼崎さん」

 蓮太郎が、ふにゃと笑った顔をする。ほんのりと頬が赤く、手にはワイングラスをもっていた。
 俺自身も酒を飲むと寝る傾向があるため人のことは言えないのだが、蓮太郎は俺以上に酒に弱いらしい。

「すみません、まだグラスの半分ほどなんですけれど」

 柚元さんに謝られ、たった半分でこれなのかと目を丸くした。俺は水のグラスと取り替えてやろうと、蓮太郎の手からワイングラスを取り上げる。

「やだぁーー、だめぇーー! 鬼崎さんの意地悪!!」
「にゃはははは、よっわっ。蓮太郎ちゃん、ほれほれ、これもお飲み。おいしいよ~」
「駄目だよ、サビくん! サビくんも飲みすぎ禁止」
「えぇぇ~っ、圭一も意地悪だあ!」

 楽しそうにいるのだから、余計に口を挟むのは野暮だろうか。俺は蓮太郎の横に座り、酔っぱらった顔で笑っている様子を見守ることにした。
 一杯目のグラスを開けたときには、完全に酔いが回っていた。自分の体重も支えられずに、俺にもたれてくる姿がいとけなくて危なっかしい。
 おもむろに立ちあがろうとするので、一緒に立ちあがって腰を支えた。

「どうした?」
「トイレ・・・」
「じゃあ、俺と行こう」

 当たり前に着いていこうとすると、蓮太郎は目をぱちくりさせて笑う。

「へへへ、何言ってるの。恥ずかしいからいいよぉ。子どもじゃないんだから」

 酒の入った蓮太郎はハッキリ言って幼児みたいなものだが、答えに悩んでいるうちにふらふらと行ってしまった。はたして手洗いのマークが見つけられるのか。店の奥で立ち往生している姿が目に浮かんだ。
 追いかけていくと、やはり蓮太郎は迷っていた。しかも最悪なことに、若い男性店員の制服の裾をつかみ、顔を寄せている。正確に言えば、だったけれど、至近距離で密着している事実に変わりはなかった。
 頭にカッと血が昇るのが、生々しいほどスローモーションに感じられる。
 困り顔の店員の振る舞いから、蓮太郎が手洗いの場所を聞くために話しかけただけだと推測できる。酔っぱらっているせいで、うまく聞き取れなくて何度も訊ねた結果なのだ。
 ———これだから、嫌だった。俺の異常な独占欲が露見してしまうのがわかっていたから。一緒に出かけるのを避けていたのに。
 やめろと自分に言い聞かせても無駄だった。
 足と口は勝手に動き、店員から蓮太郎を引き剥がしていた。

「何やってるの・・・? 蓮太郎」

 俺は痛みを覚えるだろう強さで蓮太郎の手首を掴んだ。抑揚を取り払った言葉は、自分で聞いても冷ややかだった。

「・・・・・・ぃ、っ」
「お客さま?! こちらのかたは、お手洗いの場所を」
「知っている。君こそ蓮太郎に気安く触れないでくれないかな? 俺がどれだけ大切に見守ってきたと思っている?」

 蓮太郎を庇おうと伸ばしている店員の手を一瞥する。むしろ睨んでいたかもしれなかった。店員は即座に手を下ろし、そそくさと仕事に戻っていった。
 自分にしか理解できない感情を他人にぶつけ、申しわけないことをしてしまったと、冷静な頭で自分に言う俺。
 しかし俺に手首を掴まれたまま、涙目で目を白黒させている蓮太郎を見たら、理性なんてものは簡単に砕け散る。
 何度も何度も自分自身に裏切られてきて、俺の身体にはその感覚が染みついている。

「ストップ、ストップ、そこまでね。鬼崎さんも飲みすぎですよ」
「・・・・・・は? 俺は飲んでな」

 間に入ってきた柚元さんに返事をした瞬間に、頭が正常に動きだした気がした。いい歳した大人が人前で何をやらかそうとしていたんだろう。恥ずかしいを通りこして自分を殴り殺してやりたい。

「食事は済みましたし、会計して出ましょうか」
「はい・・・・・・」

 俺はうなずく。

「蓮太郎くんは、今日はうちで預かりますね?」
「はい、・・・そう、ですね、お願いします」

 本当はうなずきたくない。でも今日のところは彼に任せるべきだ。蓮太郎を連れて帰ったら、自分を抑えられる自信がなかった。

「わたしと二人きりではないですから安心なさってください。サビくんもいます。あなたはひとりで頭を冷ましたほうがいいでしょうね。それとも、私でよければ話を聞きましょうか?」

 一瞬考え、首を横に振る。

「いえ、ひとりで帰ります」
「わかりました、帰りは気をつけてください」

 俺は彼らに蓮太郎を託し、店の外で別れた。蓮太郎だけが状況を消化できていない顔で、「嫌だ」と泣きべそをかいていた。・・・ように見えたのは俺がそう思いたかったからだろう。
 嫌だ、行かないで。
 俺は独りで家路に着き、その言葉を言いたかったのは俺自身だったのだと、幼い頃の記憶を思い起こしていた。
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