ご主人様(♂)とルームシェア

倉藤

文字の大きさ
上 下
29 / 30

第二十九話 はじめてのお出掛け『身も心も』②

しおりを挟む
 目を瞑ったまま数秒経った。
 何もされない、何も起きない。
 ふと鬼崎がどこかに行ってしまったのではないかと焦りが込み上げた。それ程までに男は静かだった。
 けれど、左頬に小さな震えを感じ取り、はっとして目を開けた。
 鬼崎は俯いて黙り込んでいた。その顔を見て、自分がいかに無神経なことを言ってしまったのかを理解する。
 林田は男の震える手を握った。

「ごめんなさい」

 男の口が開く様子は無い。手を振り払われないのが唯一の救いだった。

「ごめんなさい」

 男の大きな手のひらに頬を擦り寄せる。

「聞いて、鬼崎さん」

 林田は返事を返さない男へ喋りかけた。

「俺ね、すっごく鬼崎さんのこと好きみたい。自分で思ってたよりもずっとずっと。だからね・・・だから・・・ひぐっ」

 言葉に嗚咽が混じり、鼻をすする。

「だから、怖い」

 しゃっくりを上げながら、その一言を絞り出した。
 そこではじめて鬼崎はピクリと反応する。

「怖い?」

 林田は「うん」と頷いただけで、あとは嗚咽をあげ続けていた。やがて鬼崎はゆっくりとため息をつく。
 それが呆れられたように思えて、無性に悲しくなった。自分はちゃんと言葉に出して伝えたのに、ナイガシろにされた気がして悲しい。
 やっぱりこの男にとっては自分はその程度の人間なんだろうと・・・
 だが「こっちを見て」と言われ見上げた先で、鬼崎は泣きそうな顔をしていて、林田はあっと息を呑んだ。

「また君を傷付けてしまったのかと思った」

 林田と目が合った瞬間に、男はそう言った。

「そんなわけないじゃん!」

 言葉に出るのと同時に、林田は男の首に抱きついていた。
 同じなんだと思った。この男の眉間に刻まれた苦悶の深さを自分は知らないわけじゃない。自分もこの人も同じものを抱えている。
 林田は「蓮太郎」と鬼崎の開きかけた口に唇を押し当てて塞いだ。

「もう『すまない』なんて言わないで、もう謝らなくていい」

 笑ってあげようと思ったけれど、上手く笑えない。本当にそうじゃないんだと、林田は顔を曇らせて下を向いた。

「俺が怖いって言ったのは鬼崎さんのことじゃないよ。・・・それに、知ってるでしょ?俺にとっては、鬼崎さんから与えられるものは何だって嬉しいんだよ。痛いのも、苦しいのも、恥ずかしいのも何だって」

 今度は声が震えた。自分の中にある言いようのない不安と、この男への途方も無い愛情。でもそれを何て言い表したらいいのかカケラも思い付かない。
 鬼崎の大きな手のひらが林田の後頭部を包み、そっとキスを返される。柔らかく慈しむようなそれを林田は目を閉じて受け止めた。

「ん・・ふっ・・鬼崎さんも気持ちいい?」

「当たり前だろ」

 温かい、気持ちいい、身体に流れ込んでくる直接的な感覚。頭でごちゃごちゃ考えている事とは関係なく、身体は正直にこの男を求めて反応する。
 そんなもの無くてもと思うのに、感じてしまう自分が憎らしい。

「蓮太郎?」

 鬼崎が林田の頬を拭う。その手に自分の手を重ねた。

「いっぱいにして、もっと。何も考える余裕が無いくらい」

 不安なんて入る余地が無いくらい、俺の全てを支配して、縛って、それ以上の快楽を注いでほしい・・。


 注文を終え、ウェイターが会釈をして立ち去る。その姿を作り笑いで見送った。

「俺が適当に頼んでしまったけれど、良かったかな?」

 正面の男は穏やかに微笑む。

「うん・・いいよ、よく分からないから」

 真っ白に統一されたテーブルクロスと皿、それを囲うように並ぶ銀のカトラリー。曇りひとつ無く磨かれたワイングラス。

「ランチタイムだから、そんなにかしこまらなくても大丈夫だよ」

 そうは言われてもだ。
 こんな高級そうな店には初めて入った。パノラマサイズの大きな窓から程よく陽が差して、窓際は優雅に食事を楽しむ客で満席だ。
 その一番奥のテーブルに自分たちはついている。端っこにしてくれたのはこの男の配慮なのかもしれないが、自分の今の状態が場違い過ぎて頭がくらくらする。
 
「緊張しているのかい?」

 林田は黙って頷いた。着慣れないジャケットのボタンを落ち着きなさげに触る。かろうじて、この場に合うとしたら服装くらいだ。
 林田の服はまた一式、取り替えられていた。新しくオープンしたフレンチレストランに連れて行きたいからと、雰囲気に沿うように鬼崎が選んでくれたものだ。
 店内に聞こえるのはフォークとナイフが擦れ合う音と、上品な笑い声だけ。少しでも変な音が鳴れば、店中に響き渡ってしまうだろう。
 
 きっとあえてこの店を選んだのだ、

 テーブルに前菜が運ばれてきた。林田は不自然に思われないように姿勢を正す。ウェイターがすぐ脇まで近寄り、皿をセッティングしてくれる。
 今にも心臓が飛び出そうだ。

「ひっ・・」

「どうされましたか?」

 目の前に座る男は悠然とグラスを手にしている。

「すみません、何でもないです」
 
 ウェイターが去った後に、静かに眠ったようなそれを腹の上から撫でた。
 林田は緊張感と焦りの中にあるスリルに似た痺れをぞくりと感じ取る。最初に注文を受けに来たウェイターにも、振動音が聞こえていたんじゃないかと気が気ではない。

「とてもいい顔だ」

 鬼崎の目が怪しげに細められた。

「最後まで楽しんでくれ蓮太郎、俺の店のデセールは格別だよ」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

ルームシェアは犬猿の仲で

凪玖海くみ
BL
几帳面なエリート会社員・望月涼介は同僚の結婚を機に家を失う。 新たな同居人として紹介されたのは、自由奔放なフリーター・桜庭陽太。 しかし、性格が正反対な二人の共同生活は予想通りトラブル続き⁉ 掃除、食事、ルール決め——ぶつかり合いながらも、少しずつ変化していく日常。 犬猿の仲なルームメイトが織りなす、ちょっと騒がしくて心地いい物語。

後輩に嫌われたと思った先輩と その先輩から突然ブロックされた後輩との、その後の話し…

まゆゆ
BL
澄 真広 (スミ マヒロ) は、高校三年の卒業式の日から。 5年に渡って拗らせた恋を抱えていた。 相手は、後輩の久元 朱 (クモト シュウ) 5年前の卒業式の日、想いを告げるか迷いながら待って居たが、シュウは現れず。振られたと思い込む。 一方で、シュウは、澄が急に自分をブロックしてきた事にショックを受ける。 唯一自分を、励ましてくれた先輩からのブロックを時折思い出しては、辛くなっていた。 それは、澄も同じであの日、来てくれたら今とは違っていたはずで仮に振られたとしても、ここまで拗らせることもなかったと考えていた。 そんな5年後の今、シュウは住み込み先で失敗して追い出された途方に暮れていた。 そこへ社会人となっていた澄と再会する。 果たして5年越しの恋は、動き出すのか? 表紙のイラストは、Daysさんで作らせていただきました。

日本一のイケメン俳優に惚れられてしまったんですが

五右衛門
BL
 月井晴彦は過去のトラウマから自信を失い、人と距離を置きながら高校生活を送っていた。ある日、帰り道で少女が複数の男子からナンパされている場面に遭遇する。普段は関わりを避ける晴彦だが、僅かばかりの勇気を出して、手が震えながらも必死に少女を助けた。  しかし、その少女は実は美男子俳優の白銀玲央だった。彼は日本一有名な高校生俳優で、高い演技力と美しすぎる美貌も相まって多くの賞を受賞している天才である。玲央は何かお礼がしたいと言うも、晴彦は動揺してしまい逃げるように立ち去る。しかし数日後、体育館に集まった全校生徒の前で現れたのは、あの時の青年だった──

学院のモブ役だったはずの青年溺愛物語

紅林
BL
『桜田門学院高等学校』 日本中の超金持ちの子息子女が通うこの学校は東京都内に位置する野球ドーム五個分の土地が学院としてなる巨大学園だ しかし生徒数は300人程の少人数の学院だ そんな学院でモブとして役割を果たすはずだった青年の物語である

うちの前に落ちてたかわいい男の子を拾ってみました。 【完結】

まつも☆きらら
BL
ある日、弟の海斗とマンションの前にダンボールに入れられ放置されていた傷だらけの美少年『瑞希』を拾った優斗。『1ヵ月だけ置いて』と言われ一緒に暮らし始めるが、どこか危うい雰囲気を漂わせた瑞希に翻弄される海斗と優斗。自分のことは何も聞かないでと言われるが、瑞希のことが気になって仕方ない2人は休みの日に瑞希の後を尾けることに。そこで見たのは、中年の男から金を受け取る瑞希の姿だった・・・・。

離したくない、離して欲しくない

mahiro
BL
自宅と家の往復を繰り返していた所に飲み会の誘いが入った。 久しぶりに友達や学生の頃の先輩方とも会いたかったが、その日も仕事が夜中まで入っていたため断った。 そんなある日、社内で女性社員が芸能人が来ると話しているのを耳にした。 テレビなんて観ていないからどうせ名前を聞いたところで誰か分からないだろ、と思いあまり気にしなかった。 翌日の夜、外での仕事を終えて社内に戻って来るといつものように誰もいなかった。 そんな所に『すみません』と言う声が聞こえた。

アルファな俺が最推しを救う話〜どうして俺が受けなんだ?!〜

車不
BL
5歳の誕生日に階段から落ちて頭を打った主人公は、自身がオメガバースの世界を舞台にしたBLゲームに転生したことに気づく。「よりにもよってレオンハルトに転生なんて…悪役じゃねぇか!!待てよ、もしかしたらゲームで死んだ最推しの異母兄を助けられるかもしれない…」これは第2の性により人々の人生や生活が左右される世界に疑問を持った主人公が、最推しの死を阻止するために奮闘する物語である。

鬼上司と秘密の同居

なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳 幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ… そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた… いったい?…どうして?…こうなった? 「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」 スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか… 性描写には※を付けております。

処理中です...