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第二十八話 はじめてのお出掛け『身も心も』①
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「いらないです!」
「いいから」
林田は鬼崎から差し出された紙袋を突き返す。
「うーん、困ったな、それなら蓮太郎の好きなやつを買いに行こう」
妥協案を示したつもりなのだろうが、検討外れもいいとこだ。
林田は大袈裟に首を横に振った。
「そうじゃなくて、こんな高いもの貰えない」
鬼崎は汗と体液で汚れた林田のために、着替えの服を見繕ってくれた。それ自体は有難い、このままだと流石に外に出られないし。
けれど、店から戻って来た男の手許を見て思わずたじろいた。高級ブランド店が立ち並ぶ中心街の近くに車を停めた時点で、何となくそんな予感はしていたが。
「でももう買って来てしまったし、俺の我儘だと思って貰ってくれないかな?」
珍しく男はしょぼくれた顔をした。
林田はうっと口籠る。そんな顔をされては、受け取らないわけにはいかない。
「今回だけなら・・・ありがとうございます」
紙袋の横面に品よく印字された某有名ブランド名。手提げ紐一つとっても、きっとその辺のものとは全く違うんだろう・・手に持つだけでも恐縮する。
林田は紙袋を大切に抱え、助手席のドアを開けた。
「蓮太郎、待って」
ドアノブにかけた手に鬼崎の大きな手が重なる。いつもの男の体臭の中に、知らない香水の匂いがふわりと香った。耳元に男の息づかいを感じる。
「アレはまだ取っちゃ駄目だよ」
後ろから耳打ちをされて、ゾワっと毛が逆立つ。
耳を押さえて振り返ると、間近に鬼崎の顔があった。
「わっ!」
林田は叫び声を上げた。
恥ずかしい事なら数えきれないほどしてきたのに、今この瞬間の方が心臓が大きく跳ねたような気がする。
首輪を付けていないから・・だろうか。それとも、外だから?普段とは違う何かを意識してしまっているのだろうか。
「聞いてた?蓮太郎」
顎を上げられて唇をチュッと吸われる。男の精悍な顔立ちが優しく、それでいて怪しく、林田に微笑んだ。
急に胸騒ぎがして、顔が熱くなる。
「蓮太郎はすぐに顔が赤くなるんだね」
慌てて顔を隠しても、覆いきれていない耳と首が真っ赤な林檎のように染まっていく。
この状況も、顔が赤くなったことも、それを指摘されたことも、全てに居た堪れない思いがして、鬼崎の顔を直視できない。
いつもこの男に見られて感じる恥ずかしさじゃない。胸が擦り切れるような切なさと心が温かく包まれるような嬉しさが混ざった、複雑な感情。一つ言えるのは、どうしようもなく泣きたくてたまらなくなるってことだ。
そう考えるとこれまでの自分の大胆な行動に目を丸くする。穴があったら入りたいってよく言うけれど、本当に思うことがあるなんて。
「着替えておいで」
手の甲に柔らかなキスを落とされて、林田は身体中を沸騰させたまま車から降りた。
男に言われた店でトイレを借り、男が選んだ服を着た。紙袋の中に入っていたのは、シンプルな五部袖のカットソーとゆったりしたシルエットの柄物パンツ。あとは下着。
一式身につけると、見違えるように洒落た自分に目を見張る。質感といい、デザインといい、自分とは縁遠いと思っていたものばかり。
着こなせているかは別として、これを自分のために選んでくれたのかと思うと、それが嬉しい。
今、鏡に映る自分なら鬼崎の横に立って並んでも変じゃないだろうか。
「髪がボサボサだ・・」
林田は乱れた髪の毛を撫で付け、男の待つ車へ急いで戻った。運転席の鬼崎はスマートフォンを触っている。条件反射的に身体がすくむ。鬼崎が画面を消したのを確認して、林田は車に乗り込んだ。
「その様子だとちゃんと言いつけは守ったみたいだね」
「・・だって」
男が首を傾げる。
『俺はもう、身も心もあなたのもの』
そう言おうとして言い淀んだ。
代わりに、とびきりの笑顔を作ってみせる。
「なんでもない、この服ありがとう」
鬼崎は「とっても似合ってるよ」と額にキスをくれた。
また胸がぎゅっとなる。切ない気持ちと嬉しい気持ちが胸に溜まる。
ああ、分かった、俺は不安なんだ。
男の性癖から始まった関係、お互いの性癖ありきの関係、恋人同士というには脆い繋がり・・・じゃあ、その『性癖』が無くなってしまったとしたら?
この男の自分への優しい眼差しは簡単に消え失せる。きっと炎天下の日差しの下で雪が溶けるのよりもずっと早く、呆気なく。
俺の身体はもう、この男から与えられる飴と鞭から離れられない。
でもこの男はどうだろう。突然変異みたいな性癖の変化は、またちょっとしたきっかけで戻ってしまうのではないのだろうか。
「あれ・・・おかしいな」
「蓮太郎?」
鬼崎の指先が林田の涙を拭う。
あんなに知りたいと思っていた事なのに、この男の他の顔を知れば知るだけ距離を感じる。
「蓮太郎は顔も赤くなるけど、すぐに涙も出ちゃうんだね」
「それが好き?」
林田は自身の口許に手をやる。黒ずんだ感情に押されて、露骨に嫌な言い方をしてしまった。
鬼崎の顔は明らかに強張り、眉間の皺が険しくなった。
「俺のことをそんな風に思っているのかい?」
殺伐とした車内で、恐ろしいほど静かに言い放たれる。
「ちがっ・・ごめんなさい」
頬に添えられていた男の手に力が籠るのを感じ、林田は咄嗟にぐっと目を瞑った。
「いいから」
林田は鬼崎から差し出された紙袋を突き返す。
「うーん、困ったな、それなら蓮太郎の好きなやつを買いに行こう」
妥協案を示したつもりなのだろうが、検討外れもいいとこだ。
林田は大袈裟に首を横に振った。
「そうじゃなくて、こんな高いもの貰えない」
鬼崎は汗と体液で汚れた林田のために、着替えの服を見繕ってくれた。それ自体は有難い、このままだと流石に外に出られないし。
けれど、店から戻って来た男の手許を見て思わずたじろいた。高級ブランド店が立ち並ぶ中心街の近くに車を停めた時点で、何となくそんな予感はしていたが。
「でももう買って来てしまったし、俺の我儘だと思って貰ってくれないかな?」
珍しく男はしょぼくれた顔をした。
林田はうっと口籠る。そんな顔をされては、受け取らないわけにはいかない。
「今回だけなら・・・ありがとうございます」
紙袋の横面に品よく印字された某有名ブランド名。手提げ紐一つとっても、きっとその辺のものとは全く違うんだろう・・手に持つだけでも恐縮する。
林田は紙袋を大切に抱え、助手席のドアを開けた。
「蓮太郎、待って」
ドアノブにかけた手に鬼崎の大きな手が重なる。いつもの男の体臭の中に、知らない香水の匂いがふわりと香った。耳元に男の息づかいを感じる。
「アレはまだ取っちゃ駄目だよ」
後ろから耳打ちをされて、ゾワっと毛が逆立つ。
耳を押さえて振り返ると、間近に鬼崎の顔があった。
「わっ!」
林田は叫び声を上げた。
恥ずかしい事なら数えきれないほどしてきたのに、今この瞬間の方が心臓が大きく跳ねたような気がする。
首輪を付けていないから・・だろうか。それとも、外だから?普段とは違う何かを意識してしまっているのだろうか。
「聞いてた?蓮太郎」
顎を上げられて唇をチュッと吸われる。男の精悍な顔立ちが優しく、それでいて怪しく、林田に微笑んだ。
急に胸騒ぎがして、顔が熱くなる。
「蓮太郎はすぐに顔が赤くなるんだね」
慌てて顔を隠しても、覆いきれていない耳と首が真っ赤な林檎のように染まっていく。
この状況も、顔が赤くなったことも、それを指摘されたことも、全てに居た堪れない思いがして、鬼崎の顔を直視できない。
いつもこの男に見られて感じる恥ずかしさじゃない。胸が擦り切れるような切なさと心が温かく包まれるような嬉しさが混ざった、複雑な感情。一つ言えるのは、どうしようもなく泣きたくてたまらなくなるってことだ。
そう考えるとこれまでの自分の大胆な行動に目を丸くする。穴があったら入りたいってよく言うけれど、本当に思うことがあるなんて。
「着替えておいで」
手の甲に柔らかなキスを落とされて、林田は身体中を沸騰させたまま車から降りた。
男に言われた店でトイレを借り、男が選んだ服を着た。紙袋の中に入っていたのは、シンプルな五部袖のカットソーとゆったりしたシルエットの柄物パンツ。あとは下着。
一式身につけると、見違えるように洒落た自分に目を見張る。質感といい、デザインといい、自分とは縁遠いと思っていたものばかり。
着こなせているかは別として、これを自分のために選んでくれたのかと思うと、それが嬉しい。
今、鏡に映る自分なら鬼崎の横に立って並んでも変じゃないだろうか。
「髪がボサボサだ・・」
林田は乱れた髪の毛を撫で付け、男の待つ車へ急いで戻った。運転席の鬼崎はスマートフォンを触っている。条件反射的に身体がすくむ。鬼崎が画面を消したのを確認して、林田は車に乗り込んだ。
「その様子だとちゃんと言いつけは守ったみたいだね」
「・・だって」
男が首を傾げる。
『俺はもう、身も心もあなたのもの』
そう言おうとして言い淀んだ。
代わりに、とびきりの笑顔を作ってみせる。
「なんでもない、この服ありがとう」
鬼崎は「とっても似合ってるよ」と額にキスをくれた。
また胸がぎゅっとなる。切ない気持ちと嬉しい気持ちが胸に溜まる。
ああ、分かった、俺は不安なんだ。
男の性癖から始まった関係、お互いの性癖ありきの関係、恋人同士というには脆い繋がり・・・じゃあ、その『性癖』が無くなってしまったとしたら?
この男の自分への優しい眼差しは簡単に消え失せる。きっと炎天下の日差しの下で雪が溶けるのよりもずっと早く、呆気なく。
俺の身体はもう、この男から与えられる飴と鞭から離れられない。
でもこの男はどうだろう。突然変異みたいな性癖の変化は、またちょっとしたきっかけで戻ってしまうのではないのだろうか。
「あれ・・・おかしいな」
「蓮太郎?」
鬼崎の指先が林田の涙を拭う。
あんなに知りたいと思っていた事なのに、この男の他の顔を知れば知るだけ距離を感じる。
「蓮太郎は顔も赤くなるけど、すぐに涙も出ちゃうんだね」
「それが好き?」
林田は自身の口許に手をやる。黒ずんだ感情に押されて、露骨に嫌な言い方をしてしまった。
鬼崎の顔は明らかに強張り、眉間の皺が険しくなった。
「俺のことをそんな風に思っているのかい?」
殺伐とした車内で、恐ろしいほど静かに言い放たれる。
「ちがっ・・ごめんなさい」
頬に添えられていた男の手に力が籠るのを感じ、林田は咄嗟にぐっと目を瞑った。
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