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第十九話 男の秘密
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鬼崎は息苦しさを感じた。耳元で聞こえる誰かの胸の音。酔っ払っていたせいで、ベッドに入る前のことが思い出せない。顔を上げてみると、共に寝ていたのは蓮太郎だと分かり、ブワッと身体の熱が中心に集まる。
驚きよりも先に込み上げる衝動。忌々しい欲望が硬く起立し、浅ましく己を主張する。近くで息づく、この愛おしい存在を今すぐに腕の中に閉じ込めて、自分のためだけに鳴かせたい。
このような劣情を持つようになったのはいつからだっただろうか。でも今思えば、自分が気付くよりも前から、その片鱗は少しずつ姿を覗かせていたのかもしれない。
幼い頃、庭に仔犬が迷い込んで来た。俺はその犬に「サンディ」と名を付けて可愛がった。
それは当時ハマっていた戦隊アニメのキャラクターから取った名前で、自分とその犬をヒーローとその相棒に見立て、よく遊んだものだ。飼っていると言うよりは友達のような関係、朝昼晩、学校に行っている間以外は常に一緒にいたように思う。
野良犬上がりのサンディは首輪を酷く嫌がった。むず痒そうに首をしきりに引っ掻き続け、見ていて可哀想な気持ちになったのを覚えている。両親は首輪とリードをちゃんと付けてやるのが飼い主としての責任だと言ったけれど、恨めしげに見つめるサンディの目が何とも言えず憐れで、両親の見ていないところではこっそりと外してやっていた。
いつも一緒なのだから、首輪なんかなくても平気だと思ったし、実際に自分たちには必要ないものだった。でも、そのせいでサンディは居なくなった。
首輪を付けるのを忘れて学校に行ってしまった日があった。家に帰ると庭にいつもの姿は無く、自分の過ちに気が付いた。両親に手伝ってもらい懸命に捜索するも、サンディは発見出来なかった。
その後も街中にサンディのチラシを貼り、ひたすら待ち続けた。そしてちょうど三か月が経とうとしていた頃。日光が照り、蒸し暑く、子供の自分でも帽子を被らないと倒れてしまいそうな日だった。日曜日で自分も両親も家に居た。一本の電話がかかって来た直後、興奮した両親に「サンディが見つかった」と伝えられた。
それを聞いた瞬間、幼い自分は飛び跳ねて喜んだ。こんなに長い間、苦しい思いをしていたんじゃないだろうか・・こんなに暑い日に喉が乾いて動けなくなっているんじゃないだろうか・・、これから再会するサンディのことで頭はいっぱいになる。小さな手に水筒を握りしめながら、電話をくれた人の元へ向かった。
うきうきと心を弾ませて、父親の運転する車に揺られる。もう絶対に居なくなることのないよう、サンディ用の首輪とリードを膝の上に乗せていた。
その人の家は隣街にあった。車で三十分くらいの距離、思ったよりも近くにいたことに胸が痛くなる。そして、さらに幼い心を締め付ける現実がそこに広がっていた。
一軒家の庭で大人しくリードに繋がれたサンディ、その首には真新しく光る首輪がしっかりと嵌められていた。それは自分の知っている相棒の姿ではまるで無かった。他人の家に馴染み、素知らぬ顔に成り果てた様子に突っ立ったまま動けなくなった。
一方で、サンディは目が合うとすぐに立ち上がり、嬉しそうに尻尾を振った。自分を見つめる瞳の輝きは何も変わっていない、それなのに・・
「こんな犬知りません、僕の犬じゃないです」
そう言ってしまった。くだらない意地を張ったのだ。結局サンディはその家で飼われることになり、帰り際の悲しげな鳴き声と、車の中にぽつんと残された首輪が頭の中にいつまでも焼きついた。
それからしばらくして、サンディが死んだと連絡が来た。寿命で死ぬような年じゃない、病気でも事故でもない、でも突然死んだ。両親に促されてお別れをしに行き、博物館に飾られる剥製みたいに冷たくなった姿を見た。輝きを失ったサンディの目がとても怖くて、気付けば俺は目の前の死体に向かって、「さよなら」では無く「ごめんなさい」と繰り返していた。
だが所詮、遠い思い出。次第に薄れ、つい最近までは忘れていた。誰かに対して首輪を付けろなどと言ったことはないし、強い支配欲求を感じたこともなかった。
それが昨年、両親が事故で亡くなり財産を相続したのを機に、またこの家で暮らし始め、庭の廃れた犬小屋が当時のままになっていたのが目についた。鮮明に蘇るサンディと過ごした楽しい日々、そして苦い別れ。
両親を突然失くして感傷的になっていたのもあったのだろう、余計に後悔と悲しみが押し寄せた。
変わり始めたのはその時からだ。
自分の恋愛対象は至ってノーマルで、女性経験も人並みにしてきた。この頃、特定の恋人はいなかったが、たまに誘われてそのような関係になることもあった。いつものようにホテルに雪崩れ込み、ベッドに押し倒した女性に自身のアレが反応しない。一度目は疲れているせいだと思った、けれど二度三度と同じ事が続き、疑惑は確信に変わる。
自分は不能になったのだと、そう思った。それからは女性との付き合いを一切やめた。男としての醜態を晒すよりは、一人で生きて行った方がずっとマシだった。
毎日何気なく生活していても、漠然とした恐怖心がよぎる瞬間がある。この先もずっと自分は独りきり、きっとこれは、悲しげに吠えるサンディを置いてきた罰なのだと、誰もいない寂しい部屋の中で思わずにはいられなかった。そんな時に、蓮太郎を初めて見かけた。
蓮太郎、俺は君に一つだけ嘘をついた。
俺は不動産屋で君に出会う前から、君のことを知っていたんだよ。
夢に溢れ、希望に溢れ、楽しげに自転車で駆けていく君の姿を毎日見ていた。変な意味では無いけれど、朝も夜も分からない沈んだ日々の中を、慌ただしく横切って行った君は一種の衝撃だった。
そんな君の瞳の輝きが、ある時を境に突然陰ってしまった。死んだサンディみたいな生気のない目に俺は思わずゾクリとした。
あの日、偶然を装って君を追いかけて正解だった。みるみるうちに明るくなっていく蓮太郎を見ていると、俺も救われたような気持ちになる。
最初は純粋にそれだけでも満たされていたはずだったんだ・・・
驚きよりも先に込み上げる衝動。忌々しい欲望が硬く起立し、浅ましく己を主張する。近くで息づく、この愛おしい存在を今すぐに腕の中に閉じ込めて、自分のためだけに鳴かせたい。
このような劣情を持つようになったのはいつからだっただろうか。でも今思えば、自分が気付くよりも前から、その片鱗は少しずつ姿を覗かせていたのかもしれない。
幼い頃、庭に仔犬が迷い込んで来た。俺はその犬に「サンディ」と名を付けて可愛がった。
それは当時ハマっていた戦隊アニメのキャラクターから取った名前で、自分とその犬をヒーローとその相棒に見立て、よく遊んだものだ。飼っていると言うよりは友達のような関係、朝昼晩、学校に行っている間以外は常に一緒にいたように思う。
野良犬上がりのサンディは首輪を酷く嫌がった。むず痒そうに首をしきりに引っ掻き続け、見ていて可哀想な気持ちになったのを覚えている。両親は首輪とリードをちゃんと付けてやるのが飼い主としての責任だと言ったけれど、恨めしげに見つめるサンディの目が何とも言えず憐れで、両親の見ていないところではこっそりと外してやっていた。
いつも一緒なのだから、首輪なんかなくても平気だと思ったし、実際に自分たちには必要ないものだった。でも、そのせいでサンディは居なくなった。
首輪を付けるのを忘れて学校に行ってしまった日があった。家に帰ると庭にいつもの姿は無く、自分の過ちに気が付いた。両親に手伝ってもらい懸命に捜索するも、サンディは発見出来なかった。
その後も街中にサンディのチラシを貼り、ひたすら待ち続けた。そしてちょうど三か月が経とうとしていた頃。日光が照り、蒸し暑く、子供の自分でも帽子を被らないと倒れてしまいそうな日だった。日曜日で自分も両親も家に居た。一本の電話がかかって来た直後、興奮した両親に「サンディが見つかった」と伝えられた。
それを聞いた瞬間、幼い自分は飛び跳ねて喜んだ。こんなに長い間、苦しい思いをしていたんじゃないだろうか・・こんなに暑い日に喉が乾いて動けなくなっているんじゃないだろうか・・、これから再会するサンディのことで頭はいっぱいになる。小さな手に水筒を握りしめながら、電話をくれた人の元へ向かった。
うきうきと心を弾ませて、父親の運転する車に揺られる。もう絶対に居なくなることのないよう、サンディ用の首輪とリードを膝の上に乗せていた。
その人の家は隣街にあった。車で三十分くらいの距離、思ったよりも近くにいたことに胸が痛くなる。そして、さらに幼い心を締め付ける現実がそこに広がっていた。
一軒家の庭で大人しくリードに繋がれたサンディ、その首には真新しく光る首輪がしっかりと嵌められていた。それは自分の知っている相棒の姿ではまるで無かった。他人の家に馴染み、素知らぬ顔に成り果てた様子に突っ立ったまま動けなくなった。
一方で、サンディは目が合うとすぐに立ち上がり、嬉しそうに尻尾を振った。自分を見つめる瞳の輝きは何も変わっていない、それなのに・・
「こんな犬知りません、僕の犬じゃないです」
そう言ってしまった。くだらない意地を張ったのだ。結局サンディはその家で飼われることになり、帰り際の悲しげな鳴き声と、車の中にぽつんと残された首輪が頭の中にいつまでも焼きついた。
それからしばらくして、サンディが死んだと連絡が来た。寿命で死ぬような年じゃない、病気でも事故でもない、でも突然死んだ。両親に促されてお別れをしに行き、博物館に飾られる剥製みたいに冷たくなった姿を見た。輝きを失ったサンディの目がとても怖くて、気付けば俺は目の前の死体に向かって、「さよなら」では無く「ごめんなさい」と繰り返していた。
だが所詮、遠い思い出。次第に薄れ、つい最近までは忘れていた。誰かに対して首輪を付けろなどと言ったことはないし、強い支配欲求を感じたこともなかった。
それが昨年、両親が事故で亡くなり財産を相続したのを機に、またこの家で暮らし始め、庭の廃れた犬小屋が当時のままになっていたのが目についた。鮮明に蘇るサンディと過ごした楽しい日々、そして苦い別れ。
両親を突然失くして感傷的になっていたのもあったのだろう、余計に後悔と悲しみが押し寄せた。
変わり始めたのはその時からだ。
自分の恋愛対象は至ってノーマルで、女性経験も人並みにしてきた。この頃、特定の恋人はいなかったが、たまに誘われてそのような関係になることもあった。いつものようにホテルに雪崩れ込み、ベッドに押し倒した女性に自身のアレが反応しない。一度目は疲れているせいだと思った、けれど二度三度と同じ事が続き、疑惑は確信に変わる。
自分は不能になったのだと、そう思った。それからは女性との付き合いを一切やめた。男としての醜態を晒すよりは、一人で生きて行った方がずっとマシだった。
毎日何気なく生活していても、漠然とした恐怖心がよぎる瞬間がある。この先もずっと自分は独りきり、きっとこれは、悲しげに吠えるサンディを置いてきた罰なのだと、誰もいない寂しい部屋の中で思わずにはいられなかった。そんな時に、蓮太郎を初めて見かけた。
蓮太郎、俺は君に一つだけ嘘をついた。
俺は不動産屋で君に出会う前から、君のことを知っていたんだよ。
夢に溢れ、希望に溢れ、楽しげに自転車で駆けていく君の姿を毎日見ていた。変な意味では無いけれど、朝も夜も分からない沈んだ日々の中を、慌ただしく横切って行った君は一種の衝撃だった。
そんな君の瞳の輝きが、ある時を境に突然陰ってしまった。死んだサンディみたいな生気のない目に俺は思わずゾクリとした。
あの日、偶然を装って君を追いかけて正解だった。みるみるうちに明るくなっていく蓮太郎を見ていると、俺も救われたような気持ちになる。
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