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第八話 桜の木と首輪③
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それは一ヶ月ぶりの飲み会だった。
もともと酒も人が集まる場も嫌いじゃない。溜め込まれていたストレスに比例して、アルコールの量がどんどん増えた。久しぶりの楽しい雰囲気は、ハメを外してしまうには充分な理由だった。
いつのまにか楠木はお気に入りの女とよろしくやっている。
林田は「良かったな」とまた酒を煽った。俺の役目は終わった、特別何もしていないが心地よい達成感で気持ちが良くなる。
記憶が途切れ途切れになったのはそのあたりから。
ふわふわと身体が浮いたような感覚の中、誰かに促されて席を立った。それは楠木で、飲み会が終わった合図なのだと思った。会費は事前に回収されていたから、そのまま店を出た。
自分以外の誰の声もしないことをおかしいと気付けなかったのが運の尽き、千鳥足の林田が連れてこられたのはラブホテルだった。押し倒されて初めて相手の顔を見て、それが知らない男でも、思考の定まらない頭では「抵抗」が思い浮かばない。
キスをされて酒臭い息にむせ返る。咄嗟に背けた自分の頬に鈍い衝撃が走った。ぶたれたんだと分かるまでに数秒掛かった。流石に驚いて、少しだけ意識がはっきりとする。
改めて見た男はやっぱり全く知らない人で、怖い顔で見下ろされる恐怖に身体がすくんだ。
俺はこの男となんでこんなところに居るんだろう、楠木は?他の皆んなは?
どの記憶の引き出しをひっくり返しても、この状況に繋がる糸口が見つからない。呆然と横たわる林田の腕が強引に頭の上にまとめられた。「ガシャン」と聞き慣れない音が耳に届く。
「何だよこれ・・!」
手首に感じる感触に嫌な予感がして、確かめたくてもこの体勢から動けない。
林田は恐る恐る、男を見上げた。
「あれ?こうゆうの好きなんじゃないの?」
している事とは真逆のさらりと呑気な口調で男は言う。
「こうゆうのって・・・」
「だって、きみドMなんでしょ?居酒屋できみの席の後ろ通った時にさ、スマホで『男』とか『首輪』とか『ペット』とか検索してたの見えたよ」
林田は言葉に詰まる。
「・・・でも俺がそっちだとは限らないだろ!」
「うん、だから確認したよ?」
酔っている間に自分が何を言って、何をしてしまったのかはもう思い出せない。
一つ確実なのは、スマートフォンで昼間に中途半端に検索したページが消えてなかった事。うっかり開いたタイミングでこの男に見られたのだ。
「申し訳ないけど、本当に誤解で」
「今更それは無いよ、いいじゃん、優しくするから楽しもうよ」
男の体重が再びのし掛かる。林田は力任せに腕を引っ張った。何度目かでオモチャの手錠は安っぽい音を立てて壊れ、手首が抜ける。その瞬間に思い切り男を突き飛ばし、鞄を掴んで外へ飛び出した。
何処へ向かって走っているのかは分からない。ただただ怖くて、散々だ、何でこんな目に合わなきゃいけないんだと惨めな思いで逃げた。
林田はふと立ち止まる。土手沿いの道だった。ひっそりとそびえ立つ桜の木までもが自分を見下しているかのように感じた。
「見るなよ!」
思わず拳を振り上げる。
「・・・阿呆らしい」
こんな八つ当たり、自分の惨めさを助長するだけだ。拳を開いた手のひらをそっと幹に当てた。ざらざらした肌触りが直接伝わる。
「ごめんな」
桜の木を見上げて呟いた。
林田は「あっ」と声を漏らす。枝の先端に丸く小さな塊がぽつんぽつんと付いているのを見つけた。まだ蕾になる前の桜の花の芽、こんなに寒い冬の中でもこの木はしっかりと生命を育んでいる。
いつもなら、気にも留めなかったかもしれない。だが今は無性に胸を打たれた。
皆が綺麗だと思う桜の花は、厳しい寒さを乗り越えた暁にようやく在る姿なのだと、荒んでいた心に少しだけ柔らかい風が吹く。
「あれ?」
まだ何かある、冬にはまだ存在しないはずの深い葉の色。枝の先に目を凝らす、あれは、林田は震える手を伸ばした。大人が背伸びをすれば届く高さの枝に、遠慮がちに引っ掛けられていた首輪。誰かが拾ってくれたのだろうか、それとも遊んでいた犬?カラス?
だがそんな事はどうでもいい、まさか自分の元にこうして戻ってくるとは思わなかった。
「ごめんな」
首輪にもそう呟き、汚れを袖で拭う。近くで見ると少しだけ褪せてしまった緑色、でもその色を見て安心してしまう自分が居た。
あの家はどうなったかな・・・
林田は桜の木に背をもたれ思いを馳せた。
「なあ、お前はどう思う?」
問いかけは空を彷徨った、答える口を持たない桜の木は黙って林田の背に寄り添っている。
やがて林田は勢い良く立ち上がった。
悩んでいても何も始まらない。どうして大学に残る道を選んだのかを思い出せ、蓮太郎。夢を叶えるために最善の選択をする、今出来るのはそれだけだ。
そのまま家に帰らずに男の家に向かった。金具の跡がつくほどに首輪を強く握りしめる、決心は付いたけれど、この先の未知の世界に恐れるなと言う方が無理な話だ。
そもそも約束の期限はさっき二十四時を回ったとこで二日も過ぎている。なんで来たんだと思われるのではと不安がよぎった。徒歩で来たのに、自転車で来た時よりも時間が早く感じる。あっとゆうまに到着して、明かりの消えた窓をじっと眺めた。
林田は玄関の前で朝まで待った。ドアに寄り掛かって座っているうちに、次第に眠気が襲ってくる。寒空の下、寝たら死んでしまうと頑張ってみても、瞼は落ちる・・・。
ぽんぽんと肩が叩かれた。最初は夢かと思って無視をした、もう一度叩かれて、何だろうと目を開ける。
「おはよう、風邪ひくよ?」
覗き込む男の顔に林田は悲鳴をあげそうになった。自分でここに来たくせに、起きた瞬間はそれを忘れていた。
「やけにドアが重いから、なんだろうと思ったら君だったとはね」
また会えて嬉しいよと男は言った。
待っていてくれた・・・
林田はなんだか照れ臭くて、男から目を逸らして俯いた。
もともと酒も人が集まる場も嫌いじゃない。溜め込まれていたストレスに比例して、アルコールの量がどんどん増えた。久しぶりの楽しい雰囲気は、ハメを外してしまうには充分な理由だった。
いつのまにか楠木はお気に入りの女とよろしくやっている。
林田は「良かったな」とまた酒を煽った。俺の役目は終わった、特別何もしていないが心地よい達成感で気持ちが良くなる。
記憶が途切れ途切れになったのはそのあたりから。
ふわふわと身体が浮いたような感覚の中、誰かに促されて席を立った。それは楠木で、飲み会が終わった合図なのだと思った。会費は事前に回収されていたから、そのまま店を出た。
自分以外の誰の声もしないことをおかしいと気付けなかったのが運の尽き、千鳥足の林田が連れてこられたのはラブホテルだった。押し倒されて初めて相手の顔を見て、それが知らない男でも、思考の定まらない頭では「抵抗」が思い浮かばない。
キスをされて酒臭い息にむせ返る。咄嗟に背けた自分の頬に鈍い衝撃が走った。ぶたれたんだと分かるまでに数秒掛かった。流石に驚いて、少しだけ意識がはっきりとする。
改めて見た男はやっぱり全く知らない人で、怖い顔で見下ろされる恐怖に身体がすくんだ。
俺はこの男となんでこんなところに居るんだろう、楠木は?他の皆んなは?
どの記憶の引き出しをひっくり返しても、この状況に繋がる糸口が見つからない。呆然と横たわる林田の腕が強引に頭の上にまとめられた。「ガシャン」と聞き慣れない音が耳に届く。
「何だよこれ・・!」
手首に感じる感触に嫌な予感がして、確かめたくてもこの体勢から動けない。
林田は恐る恐る、男を見上げた。
「あれ?こうゆうの好きなんじゃないの?」
している事とは真逆のさらりと呑気な口調で男は言う。
「こうゆうのって・・・」
「だって、きみドMなんでしょ?居酒屋できみの席の後ろ通った時にさ、スマホで『男』とか『首輪』とか『ペット』とか検索してたの見えたよ」
林田は言葉に詰まる。
「・・・でも俺がそっちだとは限らないだろ!」
「うん、だから確認したよ?」
酔っている間に自分が何を言って、何をしてしまったのかはもう思い出せない。
一つ確実なのは、スマートフォンで昼間に中途半端に検索したページが消えてなかった事。うっかり開いたタイミングでこの男に見られたのだ。
「申し訳ないけど、本当に誤解で」
「今更それは無いよ、いいじゃん、優しくするから楽しもうよ」
男の体重が再びのし掛かる。林田は力任せに腕を引っ張った。何度目かでオモチャの手錠は安っぽい音を立てて壊れ、手首が抜ける。その瞬間に思い切り男を突き飛ばし、鞄を掴んで外へ飛び出した。
何処へ向かって走っているのかは分からない。ただただ怖くて、散々だ、何でこんな目に合わなきゃいけないんだと惨めな思いで逃げた。
林田はふと立ち止まる。土手沿いの道だった。ひっそりとそびえ立つ桜の木までもが自分を見下しているかのように感じた。
「見るなよ!」
思わず拳を振り上げる。
「・・・阿呆らしい」
こんな八つ当たり、自分の惨めさを助長するだけだ。拳を開いた手のひらをそっと幹に当てた。ざらざらした肌触りが直接伝わる。
「ごめんな」
桜の木を見上げて呟いた。
林田は「あっ」と声を漏らす。枝の先端に丸く小さな塊がぽつんぽつんと付いているのを見つけた。まだ蕾になる前の桜の花の芽、こんなに寒い冬の中でもこの木はしっかりと生命を育んでいる。
いつもなら、気にも留めなかったかもしれない。だが今は無性に胸を打たれた。
皆が綺麗だと思う桜の花は、厳しい寒さを乗り越えた暁にようやく在る姿なのだと、荒んでいた心に少しだけ柔らかい風が吹く。
「あれ?」
まだ何かある、冬にはまだ存在しないはずの深い葉の色。枝の先に目を凝らす、あれは、林田は震える手を伸ばした。大人が背伸びをすれば届く高さの枝に、遠慮がちに引っ掛けられていた首輪。誰かが拾ってくれたのだろうか、それとも遊んでいた犬?カラス?
だがそんな事はどうでもいい、まさか自分の元にこうして戻ってくるとは思わなかった。
「ごめんな」
首輪にもそう呟き、汚れを袖で拭う。近くで見ると少しだけ褪せてしまった緑色、でもその色を見て安心してしまう自分が居た。
あの家はどうなったかな・・・
林田は桜の木に背をもたれ思いを馳せた。
「なあ、お前はどう思う?」
問いかけは空を彷徨った、答える口を持たない桜の木は黙って林田の背に寄り添っている。
やがて林田は勢い良く立ち上がった。
悩んでいても何も始まらない。どうして大学に残る道を選んだのかを思い出せ、蓮太郎。夢を叶えるために最善の選択をする、今出来るのはそれだけだ。
そのまま家に帰らずに男の家に向かった。金具の跡がつくほどに首輪を強く握りしめる、決心は付いたけれど、この先の未知の世界に恐れるなと言う方が無理な話だ。
そもそも約束の期限はさっき二十四時を回ったとこで二日も過ぎている。なんで来たんだと思われるのではと不安がよぎった。徒歩で来たのに、自転車で来た時よりも時間が早く感じる。あっとゆうまに到着して、明かりの消えた窓をじっと眺めた。
林田は玄関の前で朝まで待った。ドアに寄り掛かって座っているうちに、次第に眠気が襲ってくる。寒空の下、寝たら死んでしまうと頑張ってみても、瞼は落ちる・・・。
ぽんぽんと肩が叩かれた。最初は夢かと思って無視をした、もう一度叩かれて、何だろうと目を開ける。
「おはよう、風邪ひくよ?」
覗き込む男の顔に林田は悲鳴をあげそうになった。自分でここに来たくせに、起きた瞬間はそれを忘れていた。
「やけにドアが重いから、なんだろうと思ったら君だったとはね」
また会えて嬉しいよと男は言った。
待っていてくれた・・・
林田はなんだか照れ臭くて、男から目を逸らして俯いた。
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