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第三章
踏ん張りどき
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本堂に手を引かれた伊津は青白い顔をして廊下を抜けた。組長を出迎えるため玄関から荒っぽい男たちの声が聞こえてくる。
きつく握られている手の指先が痺れる。数秒おきに伊津の様子を伺おうとしてくる本堂と目が合い、伊津は不機嫌な顔を取り繕う。勇気を分けてもらっているようで照れ臭かった。
「ちゃんと前を向いとけ!」
「わかってる。でももうちょっとだけ、目に焼きつけておきたくて」
「あ?」
伊津が問い直した時には本堂はこちらを向いていなかった。
繋いだ手に力が込められ、そして離される。
伊津を背中で護り庇うよう立つ、その広い肩幅から足元に伊津が視線を落とすと、本堂の足の間に白足袋が覗いた。
かつて愛し裏切られた男を前にして、植え付けられている恐怖心が本能的に肌をざわつかせる。
「本堂じゃないか、どうだ休暇は楽しかったか? 随分、のんびりしくさっていたようだな」
「ご心配をおかけして申し訳ありませんでした」
「ふん、調子のいいこった。いいから早く退け」
しかし本堂は動かない。
「何をしてる。退け」
「退きません。組長、御法度に手を出すのはもうやめにしてもらえませんか」
「藪から棒に何を言うかと思えば。ラリってんのか」
「あなたこそ」
本堂が目つきを変える。
「誰に向かって口を聞いてるのかわかってるんだろうな」
「もちろんです。マンションの、隠し金庫の場所を特定しました。金庫の中身も知っています」
「手前の分際で俺を脅すのか。笑えるじゃねぇか」
マンション? 伊津は本堂の背中の後ろで頭をグルグルとさせた。
てっきり一番に自分を引き合いに出されると身構えていたのに、よくわからない方向に話が進んでいる。
「隠し場所に気づいたんなら、そいつが噛んでるってぇのも知ってんだろ?」
「伊津さんは関係ない!」
伊津は本堂の声に肩を震わせた。やっと自分の名前が登場したらしい。
「ちょっと待ってくれよ、組がゴタついてんのって跡目争いのせいじゃないのか?」
伊津が恐る恐る問いかけると、本堂が振り返った。その肩越しに竜善組長と目が合ってしまう。
目を逸らしたが、そこにも覚えのある顔がいて吐きそうになった。
引き連れている側近の顔ぶれは変わっておらず、右に秘書役も務める用心棒、左に組長と兄弟盃を交わした舎弟頭が並び、後に控えている顧問弁護士まで勢ぞろいだ。
「会いたかったぞ、向葵。よく来てくれた」
気持ち悪い。罵ることしかしなかったくせに、歯が浮くような台詞を言ってくれる。
「どうして今になって俺に会いたくなるんですか、説明をしてください」
伊津は勇気を振り絞って言い返した。
「うーん? 必要ないだろう。お前は黙って俺に従っていればいいんだから。なあ? 溜まってるなら、また遊んでやるぞ。ほら来い」
竜善組長は手のひらを差し出し、くいくいっと指を曲げて手招きをする。
その仕草からは、まるでお手をしろと命じられている気分にさせられる。
「伊津さん」
本堂は般若のような面で歯を噛み締めていた。
顎がわなわなと震えている。あまりにも強く噛み締めているので歯が折れそうで、こんな状況なのに伊津はそっちのけで心配になった。
独りじゃないなと思えた途端に、胸がスカッと軽くなる。
踏み躙られていても、ボロボロのぐちゃぐちゃにされていても、自分を好きになってくれた男がここにいる。今でも好きでいてくれる男がいる。
「大丈夫だ。舐めんなガキンチョ」
伊津はふわりと緊張が解け、笑ってやった。
本堂がハッとして顎の力をゆるめる。
「任せてください。守ります」
「へぇへぇ、ここで敬語かよ。信じるぞ」
本堂は頷くと、前に向き直り、伊津だけに話しかけるように口を開いた。
「伊津さん、組長はあなたに買い与えたマンションの二部屋に違法薬物を隠している。その総額量は一億を超える。それらを何も知らない伊津さんと、谷渕さんを利用して裏社会から遠ざけていた」
「なっ、綾都が・・・・・・?」
「現在マンションの所有者は、谷渕さんと末端の枝組織に一般人のふりをして作らせた真っ当な管理会社の働きにより伊津さん名義ではなくなっている」
谷渕の名前を呟きながら、伊津は呆然とする。
しかし思い当たらない節がないわけではない。
竜善組長の手口は伊津には管理契約を変わりなく続けているように見せかけ、裏では悪どい手段を使い、所有者を闇で売られていた身分証の名前に書き換えていた。売買を何度か繰り返した上、現在は『永木善文』という別人物の名義に変わっている。
賃貸契約を結んだ入居者も架空だった。人が暮らしている形跡はなし。その方法で上手く隠していたが、昨今になり雲行きが怪しくなった。
「裏工作に使用した人間はいくら探しても見つからないが、万が一、伊津さんに捜査の手が及ばないとも限らない。だから伊津さんを連れて、宝の山と共にとんずらしようと考えているわけですよね? 組長?」
本堂は前方にいる男を睨んだ。
「ついでに俺の耳に入れておき、共犯にしてしまおうって魂胆でいる」
「いいじゃねぇか。実子でもないのに組長にしてやるんだから見返りは充分だろ」
明け透けに暴かれているというのに、竜善組長は全く動じない。
「良くありませんよ。組長は捜査網を逃れる対策として管理会社を新しく作り替えるたびに、必要なくなった会社を一つの組ごと潰し、カモフラージュのために関係がない枝組織をいくつも解体した」
「それがなんだ。ヤクザ者なんてのは悪いことをしてこそ格がつくってもんじゃないのかねぇ」
ふざけた口ぶりに、本堂の拳が握り込まれる。伊津から顔は確認できないが、恐ろしい形相をしているのだろう。
「あぁ、そうか。おこぼれが欲しいって拗ねてんだな? 仕様がねぇやつだな。ならそこのオモチャと寝たくなったら俺んとこ来い。一晩くらいなら使わせてやるよ」
伊津にも感じ取れるほど、控えている組員全員が不穏な空気に包まれた。
続く本堂の出方しだいでは怪我人どころか死人が出る。
組員らが見守る中、本堂が腕を振り上げたかのように見えたが、胸の高さで止まる。本堂は視線を下げた。
「組長の安い挑発には乗りません。・・・そろそろです」
きつく握られている手の指先が痺れる。数秒おきに伊津の様子を伺おうとしてくる本堂と目が合い、伊津は不機嫌な顔を取り繕う。勇気を分けてもらっているようで照れ臭かった。
「ちゃんと前を向いとけ!」
「わかってる。でももうちょっとだけ、目に焼きつけておきたくて」
「あ?」
伊津が問い直した時には本堂はこちらを向いていなかった。
繋いだ手に力が込められ、そして離される。
伊津を背中で護り庇うよう立つ、その広い肩幅から足元に伊津が視線を落とすと、本堂の足の間に白足袋が覗いた。
かつて愛し裏切られた男を前にして、植え付けられている恐怖心が本能的に肌をざわつかせる。
「本堂じゃないか、どうだ休暇は楽しかったか? 随分、のんびりしくさっていたようだな」
「ご心配をおかけして申し訳ありませんでした」
「ふん、調子のいいこった。いいから早く退け」
しかし本堂は動かない。
「何をしてる。退け」
「退きません。組長、御法度に手を出すのはもうやめにしてもらえませんか」
「藪から棒に何を言うかと思えば。ラリってんのか」
「あなたこそ」
本堂が目つきを変える。
「誰に向かって口を聞いてるのかわかってるんだろうな」
「もちろんです。マンションの、隠し金庫の場所を特定しました。金庫の中身も知っています」
「手前の分際で俺を脅すのか。笑えるじゃねぇか」
マンション? 伊津は本堂の背中の後ろで頭をグルグルとさせた。
てっきり一番に自分を引き合いに出されると身構えていたのに、よくわからない方向に話が進んでいる。
「隠し場所に気づいたんなら、そいつが噛んでるってぇのも知ってんだろ?」
「伊津さんは関係ない!」
伊津は本堂の声に肩を震わせた。やっと自分の名前が登場したらしい。
「ちょっと待ってくれよ、組がゴタついてんのって跡目争いのせいじゃないのか?」
伊津が恐る恐る問いかけると、本堂が振り返った。その肩越しに竜善組長と目が合ってしまう。
目を逸らしたが、そこにも覚えのある顔がいて吐きそうになった。
引き連れている側近の顔ぶれは変わっておらず、右に秘書役も務める用心棒、左に組長と兄弟盃を交わした舎弟頭が並び、後に控えている顧問弁護士まで勢ぞろいだ。
「会いたかったぞ、向葵。よく来てくれた」
気持ち悪い。罵ることしかしなかったくせに、歯が浮くような台詞を言ってくれる。
「どうして今になって俺に会いたくなるんですか、説明をしてください」
伊津は勇気を振り絞って言い返した。
「うーん? 必要ないだろう。お前は黙って俺に従っていればいいんだから。なあ? 溜まってるなら、また遊んでやるぞ。ほら来い」
竜善組長は手のひらを差し出し、くいくいっと指を曲げて手招きをする。
その仕草からは、まるでお手をしろと命じられている気分にさせられる。
「伊津さん」
本堂は般若のような面で歯を噛み締めていた。
顎がわなわなと震えている。あまりにも強く噛み締めているので歯が折れそうで、こんな状況なのに伊津はそっちのけで心配になった。
独りじゃないなと思えた途端に、胸がスカッと軽くなる。
踏み躙られていても、ボロボロのぐちゃぐちゃにされていても、自分を好きになってくれた男がここにいる。今でも好きでいてくれる男がいる。
「大丈夫だ。舐めんなガキンチョ」
伊津はふわりと緊張が解け、笑ってやった。
本堂がハッとして顎の力をゆるめる。
「任せてください。守ります」
「へぇへぇ、ここで敬語かよ。信じるぞ」
本堂は頷くと、前に向き直り、伊津だけに話しかけるように口を開いた。
「伊津さん、組長はあなたに買い与えたマンションの二部屋に違法薬物を隠している。その総額量は一億を超える。それらを何も知らない伊津さんと、谷渕さんを利用して裏社会から遠ざけていた」
「なっ、綾都が・・・・・・?」
「現在マンションの所有者は、谷渕さんと末端の枝組織に一般人のふりをして作らせた真っ当な管理会社の働きにより伊津さん名義ではなくなっている」
谷渕の名前を呟きながら、伊津は呆然とする。
しかし思い当たらない節がないわけではない。
竜善組長の手口は伊津には管理契約を変わりなく続けているように見せかけ、裏では悪どい手段を使い、所有者を闇で売られていた身分証の名前に書き換えていた。売買を何度か繰り返した上、現在は『永木善文』という別人物の名義に変わっている。
賃貸契約を結んだ入居者も架空だった。人が暮らしている形跡はなし。その方法で上手く隠していたが、昨今になり雲行きが怪しくなった。
「裏工作に使用した人間はいくら探しても見つからないが、万が一、伊津さんに捜査の手が及ばないとも限らない。だから伊津さんを連れて、宝の山と共にとんずらしようと考えているわけですよね? 組長?」
本堂は前方にいる男を睨んだ。
「ついでに俺の耳に入れておき、共犯にしてしまおうって魂胆でいる」
「いいじゃねぇか。実子でもないのに組長にしてやるんだから見返りは充分だろ」
明け透けに暴かれているというのに、竜善組長は全く動じない。
「良くありませんよ。組長は捜査網を逃れる対策として管理会社を新しく作り替えるたびに、必要なくなった会社を一つの組ごと潰し、カモフラージュのために関係がない枝組織をいくつも解体した」
「それがなんだ。ヤクザ者なんてのは悪いことをしてこそ格がつくってもんじゃないのかねぇ」
ふざけた口ぶりに、本堂の拳が握り込まれる。伊津から顔は確認できないが、恐ろしい形相をしているのだろう。
「あぁ、そうか。おこぼれが欲しいって拗ねてんだな? 仕様がねぇやつだな。ならそこのオモチャと寝たくなったら俺んとこ来い。一晩くらいなら使わせてやるよ」
伊津にも感じ取れるほど、控えている組員全員が不穏な空気に包まれた。
続く本堂の出方しだいでは怪我人どころか死人が出る。
組員らが見守る中、本堂が腕を振り上げたかのように見えたが、胸の高さで止まる。本堂は視線を下げた。
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