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第一章

キス

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「ちっ、やな夢見た」

 目覚めた伊津は汗だくの額を拭った。
 外は暗かった。変な時間帯に起きてしまったらしい。じとっと汗で湿った寝巻きで眠るのは気が引けて、一度布団から這い出て着替えを済ませた。
 脱いだ方を洗濯機置き場に持って行こうかと思い、自室を出ると、本堂の八畳間は明かりが点いていた。
 伊津は気づかれないように、こっそりと手前の廊下を通る。
 だが物音がしないので、襖をわずかに開けて中を覗いた。

 ———んだよ、寝てるじゃねぇか。

 拍子抜けし、思わず警戒心が解けてしまった。
 明かりを消すという名目で近寄ってみると、谷渕が子どもみたいと表現した寝顔がすぐそばにあった。
 買ってきてやったシェーバーで髭を剃ったようで、つるりとした顎が余計に子どもっぽさを強調する。

 ———起きてる時は勇ましいのにな。

 初対面の時からその片鱗はあった。
 この男が纏っている抜け目のない鋭利な雰囲気は黒豹を彷彿とさせる。端正であり、尚且つ猛々しく雄味の強い面立ちも、伊津をゾクゾクとさせてたまらなかった。

『一丁前にカッコよくなってんなよ』

 今度こそ聞こえないように、伊津は声に出さないで呟いた。
 数時間後、伊津は寝不足気味で煙草を咥えていた。あれから布団に戻ったものの、あの後は一睡もできなかったのだ。
 縁側からの庭の景色に変化がなくて安心する。
 本堂を匿ってまだたった二日なのに、精神的な疲労が否めない。

「おはようございます」

 気配をさせずに後方に立たれ、伊津はギョッとする。
 昨夜に引き続き二度目だ。

「びっくりした、お前は忍者か」
「はっ、なんだよ忍者って。下っ端の頃は危ない仕事とかを結構やらされてたせいで、そん時の名残かな」

 危ない仕事、つまり殺しということだろう。
 となれば忍者というより、殺し屋が正しい。伊津が本堂に感じる異常なくらいの殺伐とした空気感に納得がいく。

「俺もいい?」
「あ? ああ、煙草か。好きにしていい」

 逃げる途中、スマホは駄目だったみたいだが、ポケットに入れていた煙草は無事だったらしい、箱を取り出して一本を咥える。
 その体勢でライターを探してゴソゴソとやっているので、伊津は火を点けてやった。

「ほれ」
「助かる」

 縁側に二人並んで煙を吐きながら、沈黙をくゆらせる。
 今日の長い一日をどう乗り越えるか気が重い。出来るだけ関わらないように部屋に篭ろうと算段を立てていた時、本堂も同じ内容を考えていたようだ。
 しかしこちらは一人でいたい伊津と異なり、一緒に過ごしたいという魂胆が隠せていない。

「伊津さんは、今日は一日何を?」

 予定を訊かれてどきりとした。返答に困る。

「お前には関係ない」

 素っ気なく言い返して、伊津はそっぽを向いた方向に煙を吐き出す。

「そ、・・・・・・っすか」
「おい、急に敬語を使うな」

 頼りなげな口調はズルいだろう。

「お前はこんなところでのんびりしてていいのかよ」
「ああ、谷渕さんにスマホを持ってきてもらうまでは、身を隠しておく以外に出来ることがないんで」

 困った顔。調子よく歳下を使いやがって。

「ちっ、仕方ねぇな。絶対に笑うなよ?」
「何を?」
「いいから、まずは朝メシだ」

 伊津は本堂を食卓に引っ張って行く。
 そうして握ってやったおにぎりと味噌汁の朝食を、本堂はいたく喜んだ。
 その食べっぷりにまたも頬が緩みそうになる。

「美味いか?」
「すげぇ美味い。感動する。やっぱり俺、ずっと伊津さんと暮らしたい」
「大袈裟だよ馬鹿たれ」

 そう言いつつ、ため息が軽くなっていた。
 平らげられた食器を片付け、伊津は本堂を連れて自室に入った。伊津の部屋は本棚と座敷テーブルの上にノートパソコンがあるだけで殺風景だ。
 しかしお陰で窓の景色が際立っている部屋だった。
 伊津はノートパソコンを指で差す。

「俺は暇があればあれで小説を書いてる」
「小説?」

 伊津は暗い画面に電源を点け、カーソルをクリックしてから場所を開けた。
 指で差した先を覗き込み、本堂はカーソルを動かす。上から下にスクロールさせられた画面にはネット小説の投稿ページがあり、上部には「名探偵〆櫻川秀吉の推理日記」とある。
 初回は五、六年前から、週に一度程度、話が一話ずつ投稿されていた。換算すると相当数のページになるが、年を追うごとに更新頻度は減っていた。
 一番新しいもので、ひと月前。

「読んでみてもいいか?」

 本堂は、ぽつりと呟く。

「別に好きにしろ」

 本堂は畳に腰を下ろし、小説に目を通し始めた。
 その間は伊津は寝ころがり、読みかけの本を手元に引き寄せた。

「これは、人気はあるのか?」
「ねぇよ。閲覧数のとこ見てみろ。今日だってお前で一人目だよ」
「ふぅん、俺は悪くないと思うけど」
「はあ?」

 伊津は片眉をつり上げる。

「ちゃんと読んでねぇだろ」
「読んでる」
「んなら、わかるだろ。人が死なないミステリー・・・・・・・・・・・なんて、つまねぇだろうが。書き始めた時はそのとおりの苦情めいた感想も来てたしな。それさえも今は届かなくなっちまったが」

 頭脳明晰な名探偵に殺人事件を解決させたいのに、人を殺せない犯人じゃ、ストーリーが破綻している。
 頭の中ではきちんと殺人の動機や行程が成立していても、伊津は書きたいと望んだとおりに小説が書けなかった。いつも最後は犯人が躊躇する。

「あんたは心根が優しいんだ」
「は? 気持ち悪りぃこと言ってんじゃねぇ」
「ほんとのことだ」
「・・・・・・おい」

 ぎしっと畳が軋んだ。寝転んだ伊津の上に本堂が覆い被さってくる。

「警告したぞ? 今のうちにやめろ」
「聞けません」
「ちっ、ズルいな。まったくお前は」

 伊津の好きな顔立ちも。ここぞという場面でだけ敬語を使ってくるところも。
 不埒な男に、伊津は呆気なく捕らわれる。
 顔の横に手をつかれ、囲われたように本堂の両腕に挟まれ、逃げ場はないと悟った。
 近づいてくる唇を受け入れてやれば、重なった直後に熱っぽい動きで本堂は伊津を貪り出す。絶え間なく唇を吸われ、角度を変えて何度も合わさる。ぬるりと歯列を割って入り込んできた舌に伊津はびくりと肩を震わせたが、思っていたよりも上等なテクニックに翻弄され、口腔内を弄り回されて抵抗出来ないでいた。

「・・・・・・ん、あ、いい加減に」

 着物の裾から侵入し、太腿をまさぐる手。
 ———ヤバい。流される。
 本堂は唇を離すと、そのまま首筋に伝わせ、喉仏に口付けを落とした。

「っ、お前、どうやって組長に取り入った?」

 時間稼ぎに話題を振る。
 伊津の身体を愛撫しながら、本堂は答える。

「特別なことは何も。ただ、がむしゃらに何でもやった」
「そうか。組長は・・・ガキだったお前の適性を見抜いてたんだろうな」
「俺は普通の男だ」
「んなわけあるか。ヤクザになるために生まれてきたような男だよ。俺の大っ嫌いな・・・なっ!」
「うごっ、」

 伊津は一瞬の隙をついて、本堂の腹に蹴りを入れた。

「調子に乗んな、クソガキ。キス以上は無しだ」

 はだけた襟元をかき合わせ、伊津は立ち上がる。
 腹を押さえて芋虫みたいに丸まった大の男を見下ろすと、やれやれと苦笑した。

「情けねぇな」
「だってっ、がっつり鳩尾入ってた」
「入れたからな」

 これでも元暴力団組員の伊津は喧嘩の心得がある。

「あー、なんかスカッとした。もっかい殴らせろ」
「ひでぇ」

 室内に充満していた危険な色香が消え、内心は死ぬほど安堵していた。やはり迂闊だった。二度目はきっと撥ねつけられない。
 そう思う。
 汗ばんだ肌がひやりとして、伊津は身震いした。
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