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逃亡
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膝を抱えていた成彦は背中が壁とくっつくまで下がり全身で警戒する。
「逃げても無駄無駄。乱暴されたくなかったら大人しくすること。いいね?」
じりじりと近づいてくる男になすすべなく、ギュッと目を閉じた。抵抗しても敵わないのは言われずとも察せられる。
だが男の手が肩をさすった時、一度は閉められたはずのドアが開いた。
「俺にやらせてくれないか」
予想外の声の主に驚きを隠せない。
「お前はこいつの兄貴? さては趣味だな。下卑たやつだ」
「兄さん・・・・・・」
秀彦は成彦の方を見ず、「どうなんだ」と男に畳み掛けた。
「お前はアルファだな? 盛んないように気をつけな」
それならいいと思うぜと、男は肩を叩いて出て行く。
ひとまず危機は脱した。助かった。
「他人の僕なんかのために、ありがとうございます」
「成彦は他人じゃないだろ。母は一緒だ。同じ母親の腹から生まれたんだ。俺は成彦たちが生まれた時にそばにいたんだから知ってる」
秀彦が戸惑っているのが伝わる。
「なんで戻ってきた・・・、あの英国人とさっさと国を出てしまえば良かったのに」
「自分だけ逃げることはできなかったんです」
勇敢な選択だが誤りだったのだと言ってしまってから思う。
その証拠に秀彦が頭を抱えて溜息を吐いた。
「はぁ、余計なことをしてくれた。成彦を、もとは景彦をだが、オメガを法外のやり方で売買しようとしているあれは香港のマフィアグループだ。父は彼等とパイプを作りたいと考えている」
成彦は顔を曇らせ、兄に指摘される。
「言っとくけど十松家のためになるならなんてことは考えないでくれ。金でオメガを買おうとする人間に人道的な優しさが期待できると思うか?」
唇を噛む。しかし、成彦はしっかりと違うよと口に出した。
「思ってないよ。もう、そう思わないことにしたから」
「ならいいんだ。変わったな成彦。エリオット殿のおかげか?」
「うん、僕は自分の運命を諦めたくない」
「はぁ、・・・・・・わかった」
「わかった?」
成彦はきょとんとする
「言葉では上手く言えないんだけどさ、俺は成彦とエリオット殿のことを助けなきゃいけないと思うんだよ」
「母さんの教えを覚えているんですね」
「ああ、でもそれだけじゃない気がする」
「兄さん・・・ありがとうございます」
母の昔話。ドミニクの言い伝えの話。
伝わってきたかたちは異なれど、人間の魂はやはり時代を超えて、何度も巡り巡っているのだ。
生まれ変わる過程でふたつに別れてしまったひとつの魂。
それがアルファとオメガ。
運命の番は、自分自身の半身であり、鏡写しの己れの姿。だとするなら正反対のものが現れるのも頷ける。
優と劣、子種と子宮。雄蕊と雌蕊。生けるものとしてのオトコとオンナの役割。
混ざり合いたい、共にありたい。匂いを頼りに出逢うことができたなら、お互いなしに生きるのはきっと難しい。心が壊れてしまう。
運命の番としてはそうで、成彦はエリオットと気持ちの繋がりも得た。もう離れられない。
「戻りたいです・・・エリオット様のところに帰りたい」
「俺に考えがある。任せてくれないか」
秀彦が涙を滲ませる成彦の肩を支えた。
「どうするのですか」
「そこの荷物を避けて外に出るぞ。使われてない勝手口がある。鍵を持ってきたから、立てるか?」
「立ちます」
成彦は秀彦と力を合わせて荷物を退かす。
鍵を開けて外へ出て現在地を思い浮かべるが、十松家には商売用の倉庫となっている物置が多くて、どの場所に出てしまったのかわからない。裏手には似たような木々が植えてあるため敷地内のどのあたりにいるのかイメージしづらいのだ。
「ここは正門まで距離がある。塀を登ろう。裏に待機している馬車に乗ってきたんだろう? そこまで送り届ける」
「はいっ」
運動神経と体力に自信はないものの、内々に外へ出るにはよじ登って乗り超えるしかない。
「頑張ります」
成彦は塀に手をかけたが、同時に提灯に照らされた。
眩しさに目を細めながら振り返れば、影彦が香港マフィアの男達と連んでほくそ笑んでいる。
「こんばんは、兄さんがた。何をしていらっしゃるかと思えば子爵の息子とは思えない愚鈍で姑息な手を使いますね」
「影彦」
成彦の横で兄の悔しげな呟き声がする。
「秀彦兄さんも酷いね。仮にも跡継ぎなのにそんなんでいいのかな。そいつを差し出せば見なかったことにしてあげるけど?」
「舐めるなよ。お前こそやり過ぎなんじゃないのか」
秀彦が唸るように言う。
「ちっ、うるさいな。連れてって常田」
「え、なに?!」
「ごめんなさい、坊っちゃま」
舌打ちの音が聴こえたと思った瞬間、成彦はツンと鼻を刺す薬品を嗅がされ、すとんと意識が落ちた。
そして目覚めた時は馬車の中だった。
小窓を覗いたが、知らない街道を直走っているようだ。隣には景彦がおり、成彦の挙動を観察している。
「逃げても無駄無駄。乱暴されたくなかったら大人しくすること。いいね?」
じりじりと近づいてくる男になすすべなく、ギュッと目を閉じた。抵抗しても敵わないのは言われずとも察せられる。
だが男の手が肩をさすった時、一度は閉められたはずのドアが開いた。
「俺にやらせてくれないか」
予想外の声の主に驚きを隠せない。
「お前はこいつの兄貴? さては趣味だな。下卑たやつだ」
「兄さん・・・・・・」
秀彦は成彦の方を見ず、「どうなんだ」と男に畳み掛けた。
「お前はアルファだな? 盛んないように気をつけな」
それならいいと思うぜと、男は肩を叩いて出て行く。
ひとまず危機は脱した。助かった。
「他人の僕なんかのために、ありがとうございます」
「成彦は他人じゃないだろ。母は一緒だ。同じ母親の腹から生まれたんだ。俺は成彦たちが生まれた時にそばにいたんだから知ってる」
秀彦が戸惑っているのが伝わる。
「なんで戻ってきた・・・、あの英国人とさっさと国を出てしまえば良かったのに」
「自分だけ逃げることはできなかったんです」
勇敢な選択だが誤りだったのだと言ってしまってから思う。
その証拠に秀彦が頭を抱えて溜息を吐いた。
「はぁ、余計なことをしてくれた。成彦を、もとは景彦をだが、オメガを法外のやり方で売買しようとしているあれは香港のマフィアグループだ。父は彼等とパイプを作りたいと考えている」
成彦は顔を曇らせ、兄に指摘される。
「言っとくけど十松家のためになるならなんてことは考えないでくれ。金でオメガを買おうとする人間に人道的な優しさが期待できると思うか?」
唇を噛む。しかし、成彦はしっかりと違うよと口に出した。
「思ってないよ。もう、そう思わないことにしたから」
「ならいいんだ。変わったな成彦。エリオット殿のおかげか?」
「うん、僕は自分の運命を諦めたくない」
「はぁ、・・・・・・わかった」
「わかった?」
成彦はきょとんとする
「言葉では上手く言えないんだけどさ、俺は成彦とエリオット殿のことを助けなきゃいけないと思うんだよ」
「母さんの教えを覚えているんですね」
「ああ、でもそれだけじゃない気がする」
「兄さん・・・ありがとうございます」
母の昔話。ドミニクの言い伝えの話。
伝わってきたかたちは異なれど、人間の魂はやはり時代を超えて、何度も巡り巡っているのだ。
生まれ変わる過程でふたつに別れてしまったひとつの魂。
それがアルファとオメガ。
運命の番は、自分自身の半身であり、鏡写しの己れの姿。だとするなら正反対のものが現れるのも頷ける。
優と劣、子種と子宮。雄蕊と雌蕊。生けるものとしてのオトコとオンナの役割。
混ざり合いたい、共にありたい。匂いを頼りに出逢うことができたなら、お互いなしに生きるのはきっと難しい。心が壊れてしまう。
運命の番としてはそうで、成彦はエリオットと気持ちの繋がりも得た。もう離れられない。
「戻りたいです・・・エリオット様のところに帰りたい」
「俺に考えがある。任せてくれないか」
秀彦が涙を滲ませる成彦の肩を支えた。
「どうするのですか」
「そこの荷物を避けて外に出るぞ。使われてない勝手口がある。鍵を持ってきたから、立てるか?」
「立ちます」
成彦は秀彦と力を合わせて荷物を退かす。
鍵を開けて外へ出て現在地を思い浮かべるが、十松家には商売用の倉庫となっている物置が多くて、どの場所に出てしまったのかわからない。裏手には似たような木々が植えてあるため敷地内のどのあたりにいるのかイメージしづらいのだ。
「ここは正門まで距離がある。塀を登ろう。裏に待機している馬車に乗ってきたんだろう? そこまで送り届ける」
「はいっ」
運動神経と体力に自信はないものの、内々に外へ出るにはよじ登って乗り超えるしかない。
「頑張ります」
成彦は塀に手をかけたが、同時に提灯に照らされた。
眩しさに目を細めながら振り返れば、影彦が香港マフィアの男達と連んでほくそ笑んでいる。
「こんばんは、兄さんがた。何をしていらっしゃるかと思えば子爵の息子とは思えない愚鈍で姑息な手を使いますね」
「影彦」
成彦の横で兄の悔しげな呟き声がする。
「秀彦兄さんも酷いね。仮にも跡継ぎなのにそんなんでいいのかな。そいつを差し出せば見なかったことにしてあげるけど?」
「舐めるなよ。お前こそやり過ぎなんじゃないのか」
秀彦が唸るように言う。
「ちっ、うるさいな。連れてって常田」
「え、なに?!」
「ごめんなさい、坊っちゃま」
舌打ちの音が聴こえたと思った瞬間、成彦はツンと鼻を刺す薬品を嗅がされ、すとんと意識が落ちた。
そして目覚めた時は馬車の中だった。
小窓を覗いたが、知らない街道を直走っているようだ。隣には景彦がおり、成彦の挙動を観察している。
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