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ささやかな反抗心2
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「先ほどの勢いはどこへ行ったんだ? 正直に思っていることを言いなさい」
「僕は・・・僕はただ少しでも十松家の役に立ちたい。僕に仕事をください」
言いながら拳を握った。これは当初のエリオットの意向を真っ向から否定する。無礼だと罵倒されても仕方のないことを進言しているのである。
「・・・・・・仕事か、よかろう」
成彦は目を見開いた。
頭の整理がつかないうちに、エリオットは一度脱いだ上着を羽織る。そして「ついてこい」と部屋に連れてきた時と同じ文言で成彦を連れ出した。
食堂のわきを通る際に、常田と打ち合わせをしていた通訳を手で制し、エリオットは「車を」と母国の言葉で命じる。
通訳は頷いたが、常田は目を白黒させていた。
「お待ちください、成彦坊ちゃまもご一緒に?」
「ああ、お望みどおり息子を使わせてもらうと満善氏に伝えておいてくれ」
「は、はあ・・・」
「ごめんなさい、よろしくね常田」
当の成彦だって使用人頭を安心させる一言を口にするので一杯いっぱいだ。
足の長さの問題もあるのか、スマートにずんずんと歩いていくエリオットについていくため早足になる。
戻る前の馬車がまだ居残っていたらしく、門の前には帰ってきた際のものが待機している。成彦はエリオットにエスコートされて乗り込み、手慣れた所作だなと感心した。
アルファで優秀で、文句のつけようもない外見。日本人で劣ったオメガの自分を運命だと言われても、やはり受け入れられない。
「これから何処へ・・・・・・?」
成彦は自身の身なりを見下ろし、不意に不安に駆られた。彼の仕事先に出向くのに相応しい正装とは言いがたかった。
しかしエリオットは成彦の焦りを読み取ったように笑う。
「行くのは喫茶店。せっかくだから後学のために日本の流行りに触れておこうと思ってな。君は行ったことがあるか?」
「ええ、あります」
一度、百合に連れられて珈琲を飲みに入ったことがある。一般階級にはまだまだ手が届かない場所であるが、毎晩舞踏会等が催される社交会館よりも敷居は低く、華族だけでなく著名な文化人や知識人も多く出入りしている。
「たしか、場所は上野だったな?」
「そのとおりです」
馬車で街道を走り、話をしている間に二階建ての青いペンキ塗りの洋館が視界に入った。
そこが帝都初の喫茶店だ。
馬車を降りたエリオットは成彦の手を取って、滑らかに指先へ口づける。
「私は初めての場所だ。不慣れですまないが案内してくれないか?」
「っ・・・・・・!」
成彦はキザな仕草に目を泳がせて、離された手を慌てて引っ込めた。
任された仕事をまっとうしなくてはいけないのだから、どきどきしている場合じゃない。
「承知しました。行きましょう」
先導するように前を歩くと、エリオットは大人しく後ろをついて来る。
「しかし、このような場所、エリオット様のお国にいくらでもあるのでは?」
ひとまず席につき、見よう見まねで注文を済ませた成彦は声をひそめて訊ねた。
「うん、そうだね」
エリオットはニコリと微笑んだだけで、何も言わない。
店内の客たちが成彦と一緒にいる眉目秀麗な英国人に注目している。ひそひそと噂声が鼓膜を打ち、居心地が悪くて肩身が狭い。
「私よりも、成彦の方が慣れていなさそうだ。初めてじゃないと言っていたろう? あれは虚勢だったのかい?」
「本当です!」
成彦は声を荒げたが、ちょうど珈琲が運ばれてきたために、慌てて声量を落とした。
「けれど、一度きりで。オメガの僕は人が多く集まる場に、あまり出してもらえないのです。その日も外出をしたと言ったら、父にひどく叱られてしまって」
「なるほど。それで成彦は大人しく従っていると」
運ばれてきたカップを指でなぞり、エリオットは嘲笑した。
「なっ、だって、他にどうしようもない。家長に従うのは正しい行為です」
父の恥にならないように行動することが、成彦が守れる十松家男子としての矜持。全てに恵まれている人間には、ひと握りの希望に縋ろうと思う気持ちが理解できないのかもしれない。
「普通で言う正しさになんの意味があるのだろうね。言っておくが成彦は私と出逢ったことですでに道を逸脱しているんだよ? 今後も君の言う正しい道に戻ることはない。戻してやるつもりもない。私はどんな手を使ってでも、成彦を日本の華族社会から引きずり出して連れて帰るつもりだからだ」
「僕が・・・運命の番だからですか?」
「当たり前だろう」
成彦はもやもやした感情をグッとこらえた。
今まではどんな理不尽さも受け流してこれたのに、エリオットに対しては言葉で言い表せない激情がたぎる。
彼の言動のひとつひとつに無視できない何かを感じてしまう。
「急に無口になったな」
口を引き結んだ成彦に、エリオットは愉快そうに首を傾げた。
「なんでもないです。エリオット様こそ、ここに来るの初めてじゃないでしょう?」
「ああ、実は今日戻る前に寄ったところだった。何故わかった?」
「やっぱり。給仕の顔色を見て思いました」
「ほう、よく見てるじゃないか。怒ったのか」
「いいえ」
自分は彼を怒れるほどの立場にいない。
「拗ねるな」
「拗ねてないです」
「口が尖っているぞ」
「えっ、」
成彦は口を押さえ、騙されたのだと気づく。
「先ほど訪れた時に成彦と来たいと思ったんだ。許せ」
冗談ともそうともつかない声で言われ、ハッとしてエリオットの顔を見つめた。
「また違う仕事を考えるよ」
「・・・・・・許します。また同行させてください」
何もできないという烙印を押されているのは変わらないが、頬が緩んで熱くなっていた。
成彦はエリオットとの喫茶店での時間を楽しんでいたのだと、この時になって気づいたのだった。
「僕は・・・僕はただ少しでも十松家の役に立ちたい。僕に仕事をください」
言いながら拳を握った。これは当初のエリオットの意向を真っ向から否定する。無礼だと罵倒されても仕方のないことを進言しているのである。
「・・・・・・仕事か、よかろう」
成彦は目を見開いた。
頭の整理がつかないうちに、エリオットは一度脱いだ上着を羽織る。そして「ついてこい」と部屋に連れてきた時と同じ文言で成彦を連れ出した。
食堂のわきを通る際に、常田と打ち合わせをしていた通訳を手で制し、エリオットは「車を」と母国の言葉で命じる。
通訳は頷いたが、常田は目を白黒させていた。
「お待ちください、成彦坊ちゃまもご一緒に?」
「ああ、お望みどおり息子を使わせてもらうと満善氏に伝えておいてくれ」
「は、はあ・・・」
「ごめんなさい、よろしくね常田」
当の成彦だって使用人頭を安心させる一言を口にするので一杯いっぱいだ。
足の長さの問題もあるのか、スマートにずんずんと歩いていくエリオットについていくため早足になる。
戻る前の馬車がまだ居残っていたらしく、門の前には帰ってきた際のものが待機している。成彦はエリオットにエスコートされて乗り込み、手慣れた所作だなと感心した。
アルファで優秀で、文句のつけようもない外見。日本人で劣ったオメガの自分を運命だと言われても、やはり受け入れられない。
「これから何処へ・・・・・・?」
成彦は自身の身なりを見下ろし、不意に不安に駆られた。彼の仕事先に出向くのに相応しい正装とは言いがたかった。
しかしエリオットは成彦の焦りを読み取ったように笑う。
「行くのは喫茶店。せっかくだから後学のために日本の流行りに触れておこうと思ってな。君は行ったことがあるか?」
「ええ、あります」
一度、百合に連れられて珈琲を飲みに入ったことがある。一般階級にはまだまだ手が届かない場所であるが、毎晩舞踏会等が催される社交会館よりも敷居は低く、華族だけでなく著名な文化人や知識人も多く出入りしている。
「たしか、場所は上野だったな?」
「そのとおりです」
馬車で街道を走り、話をしている間に二階建ての青いペンキ塗りの洋館が視界に入った。
そこが帝都初の喫茶店だ。
馬車を降りたエリオットは成彦の手を取って、滑らかに指先へ口づける。
「私は初めての場所だ。不慣れですまないが案内してくれないか?」
「っ・・・・・・!」
成彦はキザな仕草に目を泳がせて、離された手を慌てて引っ込めた。
任された仕事をまっとうしなくてはいけないのだから、どきどきしている場合じゃない。
「承知しました。行きましょう」
先導するように前を歩くと、エリオットは大人しく後ろをついて来る。
「しかし、このような場所、エリオット様のお国にいくらでもあるのでは?」
ひとまず席につき、見よう見まねで注文を済ませた成彦は声をひそめて訊ねた。
「うん、そうだね」
エリオットはニコリと微笑んだだけで、何も言わない。
店内の客たちが成彦と一緒にいる眉目秀麗な英国人に注目している。ひそひそと噂声が鼓膜を打ち、居心地が悪くて肩身が狭い。
「私よりも、成彦の方が慣れていなさそうだ。初めてじゃないと言っていたろう? あれは虚勢だったのかい?」
「本当です!」
成彦は声を荒げたが、ちょうど珈琲が運ばれてきたために、慌てて声量を落とした。
「けれど、一度きりで。オメガの僕は人が多く集まる場に、あまり出してもらえないのです。その日も外出をしたと言ったら、父にひどく叱られてしまって」
「なるほど。それで成彦は大人しく従っていると」
運ばれてきたカップを指でなぞり、エリオットは嘲笑した。
「なっ、だって、他にどうしようもない。家長に従うのは正しい行為です」
父の恥にならないように行動することが、成彦が守れる十松家男子としての矜持。全てに恵まれている人間には、ひと握りの希望に縋ろうと思う気持ちが理解できないのかもしれない。
「普通で言う正しさになんの意味があるのだろうね。言っておくが成彦は私と出逢ったことですでに道を逸脱しているんだよ? 今後も君の言う正しい道に戻ることはない。戻してやるつもりもない。私はどんな手を使ってでも、成彦を日本の華族社会から引きずり出して連れて帰るつもりだからだ」
「僕が・・・運命の番だからですか?」
「当たり前だろう」
成彦はもやもやした感情をグッとこらえた。
今まではどんな理不尽さも受け流してこれたのに、エリオットに対しては言葉で言い表せない激情がたぎる。
彼の言動のひとつひとつに無視できない何かを感じてしまう。
「急に無口になったな」
口を引き結んだ成彦に、エリオットは愉快そうに首を傾げた。
「なんでもないです。エリオット様こそ、ここに来るの初めてじゃないでしょう?」
「ああ、実は今日戻る前に寄ったところだった。何故わかった?」
「やっぱり。給仕の顔色を見て思いました」
「ほう、よく見てるじゃないか。怒ったのか」
「いいえ」
自分は彼を怒れるほどの立場にいない。
「拗ねるな」
「拗ねてないです」
「口が尖っているぞ」
「えっ、」
成彦は口を押さえ、騙されたのだと気づく。
「先ほど訪れた時に成彦と来たいと思ったんだ。許せ」
冗談ともそうともつかない声で言われ、ハッとしてエリオットの顔を見つめた。
「また違う仕事を考えるよ」
「・・・・・・許します。また同行させてください」
何もできないという烙印を押されているのは変わらないが、頬が緩んで熱くなっていた。
成彦はエリオットとの喫茶店での時間を楽しんでいたのだと、この時になって気づいたのだった。
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