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出逢い1
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むかしむかしある所に。
よくある昔話の冒頭から始まった母の語り。
細かい部分はその都度違くて、母は存外に大雑把な人間だった。よく言えば大らかと表現するのだろうか。
いつも笑っていた母が涙するとしたら、それは相当な大事件だ。
きっとあり得ない。起こり得ない。
しかし幼い頃は想像もつかなかったことがこの世にはたくさんあった。現に、それは起こった。
実は今でも信じられない。そう思うほどに母は明朗で微笑みを絶やさない女性だったのだ。
そんな母が大好きだった。
———むかしむかしある所に、『独り』の男と、『独り』の女がいた。・・・男だったかしら? まあ、いいの。どちらでも同じね。二人は別々の山村に暮らしておりましたが、ある日偶然に出逢ったのでした。どちらの独りも馨しい匂いにつられて。美しいお花畑があるのではと探しにきたのだと言います。二人の独りはどちらも名無しであり、どちらも同じ名前を持っていました。
不思議なことにその日を境に独りは独りではなくなりました。孤独だったはずの二人の周りに人々が集い始めたのです。いいえ、もしかしたら気づいていなかっただけで、この世をきちんと映せるようになったのかもしれません。
たくさんの人々に祝福されながら祝言を挙げた二人の独りは夫婦になり、最期は同じ場所で眠りにつきました。
もっと不思議なことが起きたのはその後のことでした。
夫婦には子供が五人おり、四人は独りではありません。しかし末っ子は両親と同じく独りだったのです。
すると両親の死後、間もなくして独りはおかしなことを言うようになりました。花畑が馨ると、森へ入ってゆくではありませんか。
薄暗い獣道は慣れた猟師でも迷うことがあります。
他の子供達は果敢にも独りを探しに森に入りましたが独りを見つけることはできませんでした。
行方知らずとなってしまった独りはいつまで経っても帰ってきません。両親に続いて大切な家族を失い、悲しみにくれる子供達。ですがある日、独りが戻ってきたのです。それも独りではなく、寄り添う相手と子供まで拵えている。
大いに驚いて腰を抜かした兄姉だが、家族をあたたかく迎え入れます。
何処でどうやって生きてきたのかと問えば、しかし首を傾げるばかり。
そんなはずはないのです。たった独りでこの世を生きていけるわけがありません。
以降、村では時折同じ事件が起こり、神隠しが起きる村だと騒がれることとなったが、真相は当人らにしかわからぬまま。
けれども、様子を見に行った別の村の人間によれば、神隠しが起こる村であるにも関わらず、皆が幸せそうに笑っていたのでした。
これを奇々怪怪と取るか、神に愛されていると取るか、村を訪れた誰の目にも明らかでした。
後にこの村で暮らしたいとやって来る人々が増え、やがて大きくなった村は国となり、世界で一番の幸せな国として後世に渡り栄えましたとさ。
めでたし、めでたし。
× × ×
「報告があるの成彦さん。私ね、今度、萩原侯爵家のご子息のもとにお嫁に行くことに決まったのよ」
その言葉に胸が引き絞られる。
まるで自分自身のことを言われているようだ。
「そう。百合は美人だし、きっと可愛がられるよ。何も心配する必要ないと思うな。萩原の家は主人も奥様もお優しくて、とても良い家柄だと評判だから」
「うん。だといいのだけど」
これは何気ない二人の会話。
しかしオメガである者にとっては、これこそが運命を表す言葉になる。
こと、明治維新から数十年後の日本、帝都においては。
たとえ生まれもった第一次の性が男であっても、求められるものはひとつ。
モノクロの写真の中で着飾り、将来の結婚相手に向かって笑みをつくる。家族に利益をもたらしてくれるアルファの殿方に、最大限に気に入って頂けるように。
青年の名前は十松成彦、歳は十八の折。
彼の横にいる女性は百合という。幼馴染として交流があり、さらに同じくオメガである百合と肩を並べ、彼は哀感ともつかない微笑をこぼした。
艶やかな黒髪。長いまつげを伏せた時の、憂いを帯びた美しさ。
顎から首、肩にかけての線は細くて儚げ。外貌の造形に優れ、男女問わず華奢であるのがオメガ性の特徴であった。
十松の家は時代の流れに乗じて子爵の爵位を叙され、特権階級を示す華族に名を連ねている。
子爵といえば華族の中では下位に位置するが、商いを家業にしており、最近は海運業に進出を果たしていた。父の満善と長兄の秀彦が必死になって働いた末にようやく軌道に乗り、近くかの列強国イギリスの貿易会社と仕事を取り付ける予定があると聞く。
そして次男、三男もそれぞれ将校を育成するための軍士官学校で非常に上々な成績を収め、軍人としての将来は華々しいものになるだろうと言われている。
十松家は成彦以外の男子がアルファであり、今後の日本を担っていくには充分すぎるほどに余力に溢れていた。
優秀な兄たちに囲まれた成彦はとりわけ頭が良いわけではなく、商売の才に秀でてもいない。ましてや、雄を惑わせるフェロモンと特質を持つオメガ性は軍人にもなれない。
彼にできるのは、少しでも十松家の位を上げ、華族の中での地位を強めることに尽力するのみ。
すなわち、どんな相手を指名されようと、舞い込んできた縁談には文句を言わず、素直に受け入れることだけであった。
政略結婚の道具であればこそ、オメガは重宝される。
全くもって厄介な性に生まれてしまったと、成彦は自分を呪う。
「それでね、あら、成彦さん、顔色が悪そうよ?」
「抑制薬の副作用がきつくて」
「・・・・・・わかるわ。飲まないと大変なことになってしまうけれど、飲まなくて済むなら私も飲みたくないもの」
「同感だよ。悪いけど寝室で休ませてもらってもいいかな?」
「ええ、もちろんよ」
もっと話をしていたかったが、座った姿勢でも目眩がした。
成彦は百合を丁重に送るようメイドに申し付けた後、鉛のように重だるい腰を引きずり、身体を寝室のベッドの上に投げ出した。
よくある昔話の冒頭から始まった母の語り。
細かい部分はその都度違くて、母は存外に大雑把な人間だった。よく言えば大らかと表現するのだろうか。
いつも笑っていた母が涙するとしたら、それは相当な大事件だ。
きっとあり得ない。起こり得ない。
しかし幼い頃は想像もつかなかったことがこの世にはたくさんあった。現に、それは起こった。
実は今でも信じられない。そう思うほどに母は明朗で微笑みを絶やさない女性だったのだ。
そんな母が大好きだった。
———むかしむかしある所に、『独り』の男と、『独り』の女がいた。・・・男だったかしら? まあ、いいの。どちらでも同じね。二人は別々の山村に暮らしておりましたが、ある日偶然に出逢ったのでした。どちらの独りも馨しい匂いにつられて。美しいお花畑があるのではと探しにきたのだと言います。二人の独りはどちらも名無しであり、どちらも同じ名前を持っていました。
不思議なことにその日を境に独りは独りではなくなりました。孤独だったはずの二人の周りに人々が集い始めたのです。いいえ、もしかしたら気づいていなかっただけで、この世をきちんと映せるようになったのかもしれません。
たくさんの人々に祝福されながら祝言を挙げた二人の独りは夫婦になり、最期は同じ場所で眠りにつきました。
もっと不思議なことが起きたのはその後のことでした。
夫婦には子供が五人おり、四人は独りではありません。しかし末っ子は両親と同じく独りだったのです。
すると両親の死後、間もなくして独りはおかしなことを言うようになりました。花畑が馨ると、森へ入ってゆくではありませんか。
薄暗い獣道は慣れた猟師でも迷うことがあります。
他の子供達は果敢にも独りを探しに森に入りましたが独りを見つけることはできませんでした。
行方知らずとなってしまった独りはいつまで経っても帰ってきません。両親に続いて大切な家族を失い、悲しみにくれる子供達。ですがある日、独りが戻ってきたのです。それも独りではなく、寄り添う相手と子供まで拵えている。
大いに驚いて腰を抜かした兄姉だが、家族をあたたかく迎え入れます。
何処でどうやって生きてきたのかと問えば、しかし首を傾げるばかり。
そんなはずはないのです。たった独りでこの世を生きていけるわけがありません。
以降、村では時折同じ事件が起こり、神隠しが起きる村だと騒がれることとなったが、真相は当人らにしかわからぬまま。
けれども、様子を見に行った別の村の人間によれば、神隠しが起こる村であるにも関わらず、皆が幸せそうに笑っていたのでした。
これを奇々怪怪と取るか、神に愛されていると取るか、村を訪れた誰の目にも明らかでした。
後にこの村で暮らしたいとやって来る人々が増え、やがて大きくなった村は国となり、世界で一番の幸せな国として後世に渡り栄えましたとさ。
めでたし、めでたし。
× × ×
「報告があるの成彦さん。私ね、今度、萩原侯爵家のご子息のもとにお嫁に行くことに決まったのよ」
その言葉に胸が引き絞られる。
まるで自分自身のことを言われているようだ。
「そう。百合は美人だし、きっと可愛がられるよ。何も心配する必要ないと思うな。萩原の家は主人も奥様もお優しくて、とても良い家柄だと評判だから」
「うん。だといいのだけど」
これは何気ない二人の会話。
しかしオメガである者にとっては、これこそが運命を表す言葉になる。
こと、明治維新から数十年後の日本、帝都においては。
たとえ生まれもった第一次の性が男であっても、求められるものはひとつ。
モノクロの写真の中で着飾り、将来の結婚相手に向かって笑みをつくる。家族に利益をもたらしてくれるアルファの殿方に、最大限に気に入って頂けるように。
青年の名前は十松成彦、歳は十八の折。
彼の横にいる女性は百合という。幼馴染として交流があり、さらに同じくオメガである百合と肩を並べ、彼は哀感ともつかない微笑をこぼした。
艶やかな黒髪。長いまつげを伏せた時の、憂いを帯びた美しさ。
顎から首、肩にかけての線は細くて儚げ。外貌の造形に優れ、男女問わず華奢であるのがオメガ性の特徴であった。
十松の家は時代の流れに乗じて子爵の爵位を叙され、特権階級を示す華族に名を連ねている。
子爵といえば華族の中では下位に位置するが、商いを家業にしており、最近は海運業に進出を果たしていた。父の満善と長兄の秀彦が必死になって働いた末にようやく軌道に乗り、近くかの列強国イギリスの貿易会社と仕事を取り付ける予定があると聞く。
そして次男、三男もそれぞれ将校を育成するための軍士官学校で非常に上々な成績を収め、軍人としての将来は華々しいものになるだろうと言われている。
十松家は成彦以外の男子がアルファであり、今後の日本を担っていくには充分すぎるほどに余力に溢れていた。
優秀な兄たちに囲まれた成彦はとりわけ頭が良いわけではなく、商売の才に秀でてもいない。ましてや、雄を惑わせるフェロモンと特質を持つオメガ性は軍人にもなれない。
彼にできるのは、少しでも十松家の位を上げ、華族の中での地位を強めることに尽力するのみ。
すなわち、どんな相手を指名されようと、舞い込んできた縁談には文句を言わず、素直に受け入れることだけであった。
政略結婚の道具であればこそ、オメガは重宝される。
全くもって厄介な性に生まれてしまったと、成彦は自分を呪う。
「それでね、あら、成彦さん、顔色が悪そうよ?」
「抑制薬の副作用がきつくて」
「・・・・・・わかるわ。飲まないと大変なことになってしまうけれど、飲まなくて済むなら私も飲みたくないもの」
「同感だよ。悪いけど寝室で休ませてもらってもいいかな?」
「ええ、もちろんよ」
もっと話をしていたかったが、座った姿勢でも目眩がした。
成彦は百合を丁重に送るようメイドに申し付けた後、鉛のように重だるい腰を引きずり、身体を寝室のベッドの上に投げ出した。
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