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第5章 ユリン編・参
75 過去——片想いのなれの果て①
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次にユリンが目を覚ましたのはユ家の自室。天蓋の柱に彫られた懐かしい悪戯跡。まちがいなく自身の寝台の上だった。
やけに、頭がぼうっとしている。なぜ自分が今まで寝ていたのかと思い起こしてみると、ぎゅっと心臓を摘まれたような急な動悸に冷や汗が止まらなくなった。
ユリンは寝台を囲っている天蓋の布をそっとめくり、壁際の窓を覗く。晴れた日だった。東に位置するユリンの部屋に著しく陽が入るのは朝。
眩しいくらいの部屋に目をすがめたとき、もう反対側の自分の手を誰かが握ってくれていたことに気がついた。
わきに椅子を並べて座り、寝台の上で顔を伏せるようにして眠っているひと。差し込んだ光を受けて菫色に色づいた銀髪。
「ダオ・・・・・・?」
ユリンが声をかけると、ダオは少しだけフニャフニャと唸り、上半身を起こした。
顔を上げても、ダオは瞼を開けなかった。端正な曲線を描いた目元はまだ眠っているようだが、むずむずと眉が動き、小さな唇がわなわなと震えている。
ユリンが「ダオ?」と二度目の名前を呼ぶと、びくりと肩を跳ねさせ、ダオはそろそろと手を伸ばしてきた。ユリンは彼の手を取り、愛おしい気持ちが堪えられなくなって、たまらず自身の頬にすり寄せた。
「顔に傷が残らなくてよかった」
それを施した張本人であるゆえに、北の森の湖に出かける前と、ダオが同じ身体の状態で帰って来られなかったことはわかっている。
だとしても、言わずにはいられなかった。
「生きていてよかった、ダオ」
そしてユリンは窓の外を見て、「俺はどれくらい寝ていたんだろう」と訊ねた。あのころと同じ花の匂いがしたのだ。するとダオは黙りこんで鼻をすすった。
「・・・・・・一年だよ」
「え?」
ユリンは訊き返す。
「ユリンが眠っているあいだに、丸一年が経ったんだよ」
ダオはこの一言で端を発したようにわぁわぁと大泣きし、一年間の経緯を話してくれた。
あの日に、朝早く消えたダオとユリンを心配して、大人たちが国中を探しまわってくれたこと。
ついに北の森の入り口で見つけたときには、麗鬼を相手にするには頼りない護符で周囲を護り、ユリンがダオを抱きしめたまま倒れていたこと。
二人は満身創痍で血を流しており、身体の状態を確認して愕然としたこと。
眼球を失ったダオよりも、ユリンのほうが重症だったこと。
ダオは適切な手当てを受け、義眼を嵌めた生活になった。厳しい処罰を覚悟していたが、自由に外へ出られなくなったダオに同情してか、最低限の説教で済んだといった。
しかしユリンはというと、あのとき、森の中で絶体絶命に晒されたユリンは指先に集めた魔導力で呪いの根を断ちながらダオの眼球を摘出し、自身の体内に取り込んだ。
ユリンは呪いを受けたそれを捨て去ることができなかった。
放置すれば、確実に麗鬼に喰われてしまう。安全に父のもとへ持ち帰れる確率は火を見るより明らかに低い、その場で浄化する術をもたなかったユリンにはその方法しか残されていなかった。
呪いを取り込めば自分の身体がどうなるのかは予想がついていたが、どうしても我慢ならなかった。麗鬼にダオの目を渡すくらいなら、地獄を見てもよいと思ったのだ。
ユリンに後悔はなかった。
人間を死に至らしめる呪い。通常の人間だったならば、数刻ともたなかったはずだが、導術師の一族は身体に魔導力が流れている限り死ねない。
肉体が崩壊を起こし、皮膚が引き裂かれ、ひび割れ、血が噴き出しても、幻覚を見るほどの高熱にうなされても、ユリンの身体はしぶとく呪いを浄化しつづけた。
先に魔導力が枯渇して死ぬか、無事に浄化を終えるか。
二つにひとつの運命に、ユリンは一年ものあいだ立たされていたのだった。
ダオはユリンの目覚めを心から嬉しそうにして立ち上がり、部屋を出てユリンの父を呼んできた。
その後、ユリンは父と二人きりにしてもらい、険しい表情でため息をついた父に頭を下げた。
「申しわけありませんでした」
「目が覚めてなによりだった。だが、わかっているな? 頭の家だろうが導術師の家だろうが例外じゃないぞ」
「はい、承知のうえで行いました」
ダオの先ほどの反応を見るに、このことを、彼は知らないのかもしれない。
ユリンが無茶をしてまで、ダオと呪いを共有した最も強い理由。
「ですがその前に、麗鬼について教えてください。あの鬼はダオを自分の倅だと言いました。事実なのですか?」
「ああ」
父は頷いた。次いでなされた説明に、ユリンはやるせない想いを抱く。
麗鬼はこの国の人間だった。眉目秀麗な男子で、頭家に嫁ぐ前のダオの母親と関係を持っていたとの噂があった。嫁いできて半年も経たずにダオが生まれたために物議を醸し、最終的に頭家の子であると発表されたが、人間だったころの麗鬼は子どもの存在を知り、子どもに会いたいと頭家を訪ねた。
彼は、ダオの母親を未だに愛していたのだ。
だが一度は頭家の子息だと宣言したものを、じつは他所の男の種でできたものでしたとは言えない。
彼の子である可能性は幾度も否定されたが、彼は諦めず証拠があるんだと大口を叩いて長を脅した。
頭家は辛酸を嘗めて決断を下し、彼の家に火を放ち、火事に見せかけて暗殺した。
証拠なんてものは、はじめから無かった。
顔の片側が燃え落ち、痛みと苦しみのなかで彼はこの国を呪い、物の怪に姿を変えて麗鬼となった。
麗鬼は着実に力を増していた。いずれは国を巻き込む厄災となろう物の怪への対応を、大人たちは協議している最中だった。
「麗鬼は顔を焼かれたことを恨み、特に見目の美しい瞳に執着していた。そして当初は愛情であったはずの実の子に対する想いさえ憎しみに変えてしまった。これからも、あの子は狙われるだろう。くれぐれも気をつけなさい」
最後にそうして締め括られ、ユリンは握りしめた拳で膝を打った。
父はそんな息子の手と顔の傷に触れる。
日に日に青年に近づいてゆく息子に、赤子のころのように父親が触れるなど考えられないことだった。
「ユリン、辛い人生になる。強くありなさい」
「はい・・・・・・」
分厚く大きな父の手のひらで撫でられ、ユリンはひっそりと涙した。
やけに、頭がぼうっとしている。なぜ自分が今まで寝ていたのかと思い起こしてみると、ぎゅっと心臓を摘まれたような急な動悸に冷や汗が止まらなくなった。
ユリンは寝台を囲っている天蓋の布をそっとめくり、壁際の窓を覗く。晴れた日だった。東に位置するユリンの部屋に著しく陽が入るのは朝。
眩しいくらいの部屋に目をすがめたとき、もう反対側の自分の手を誰かが握ってくれていたことに気がついた。
わきに椅子を並べて座り、寝台の上で顔を伏せるようにして眠っているひと。差し込んだ光を受けて菫色に色づいた銀髪。
「ダオ・・・・・・?」
ユリンが声をかけると、ダオは少しだけフニャフニャと唸り、上半身を起こした。
顔を上げても、ダオは瞼を開けなかった。端正な曲線を描いた目元はまだ眠っているようだが、むずむずと眉が動き、小さな唇がわなわなと震えている。
ユリンが「ダオ?」と二度目の名前を呼ぶと、びくりと肩を跳ねさせ、ダオはそろそろと手を伸ばしてきた。ユリンは彼の手を取り、愛おしい気持ちが堪えられなくなって、たまらず自身の頬にすり寄せた。
「顔に傷が残らなくてよかった」
それを施した張本人であるゆえに、北の森の湖に出かける前と、ダオが同じ身体の状態で帰って来られなかったことはわかっている。
だとしても、言わずにはいられなかった。
「生きていてよかった、ダオ」
そしてユリンは窓の外を見て、「俺はどれくらい寝ていたんだろう」と訊ねた。あのころと同じ花の匂いがしたのだ。するとダオは黙りこんで鼻をすすった。
「・・・・・・一年だよ」
「え?」
ユリンは訊き返す。
「ユリンが眠っているあいだに、丸一年が経ったんだよ」
ダオはこの一言で端を発したようにわぁわぁと大泣きし、一年間の経緯を話してくれた。
あの日に、朝早く消えたダオとユリンを心配して、大人たちが国中を探しまわってくれたこと。
ついに北の森の入り口で見つけたときには、麗鬼を相手にするには頼りない護符で周囲を護り、ユリンがダオを抱きしめたまま倒れていたこと。
二人は満身創痍で血を流しており、身体の状態を確認して愕然としたこと。
眼球を失ったダオよりも、ユリンのほうが重症だったこと。
ダオは適切な手当てを受け、義眼を嵌めた生活になった。厳しい処罰を覚悟していたが、自由に外へ出られなくなったダオに同情してか、最低限の説教で済んだといった。
しかしユリンはというと、あのとき、森の中で絶体絶命に晒されたユリンは指先に集めた魔導力で呪いの根を断ちながらダオの眼球を摘出し、自身の体内に取り込んだ。
ユリンは呪いを受けたそれを捨て去ることができなかった。
放置すれば、確実に麗鬼に喰われてしまう。安全に父のもとへ持ち帰れる確率は火を見るより明らかに低い、その場で浄化する術をもたなかったユリンにはその方法しか残されていなかった。
呪いを取り込めば自分の身体がどうなるのかは予想がついていたが、どうしても我慢ならなかった。麗鬼にダオの目を渡すくらいなら、地獄を見てもよいと思ったのだ。
ユリンに後悔はなかった。
人間を死に至らしめる呪い。通常の人間だったならば、数刻ともたなかったはずだが、導術師の一族は身体に魔導力が流れている限り死ねない。
肉体が崩壊を起こし、皮膚が引き裂かれ、ひび割れ、血が噴き出しても、幻覚を見るほどの高熱にうなされても、ユリンの身体はしぶとく呪いを浄化しつづけた。
先に魔導力が枯渇して死ぬか、無事に浄化を終えるか。
二つにひとつの運命に、ユリンは一年ものあいだ立たされていたのだった。
ダオはユリンの目覚めを心から嬉しそうにして立ち上がり、部屋を出てユリンの父を呼んできた。
その後、ユリンは父と二人きりにしてもらい、険しい表情でため息をついた父に頭を下げた。
「申しわけありませんでした」
「目が覚めてなによりだった。だが、わかっているな? 頭の家だろうが導術師の家だろうが例外じゃないぞ」
「はい、承知のうえで行いました」
ダオの先ほどの反応を見るに、このことを、彼は知らないのかもしれない。
ユリンが無茶をしてまで、ダオと呪いを共有した最も強い理由。
「ですがその前に、麗鬼について教えてください。あの鬼はダオを自分の倅だと言いました。事実なのですか?」
「ああ」
父は頷いた。次いでなされた説明に、ユリンはやるせない想いを抱く。
麗鬼はこの国の人間だった。眉目秀麗な男子で、頭家に嫁ぐ前のダオの母親と関係を持っていたとの噂があった。嫁いできて半年も経たずにダオが生まれたために物議を醸し、最終的に頭家の子であると発表されたが、人間だったころの麗鬼は子どもの存在を知り、子どもに会いたいと頭家を訪ねた。
彼は、ダオの母親を未だに愛していたのだ。
だが一度は頭家の子息だと宣言したものを、じつは他所の男の種でできたものでしたとは言えない。
彼の子である可能性は幾度も否定されたが、彼は諦めず証拠があるんだと大口を叩いて長を脅した。
頭家は辛酸を嘗めて決断を下し、彼の家に火を放ち、火事に見せかけて暗殺した。
証拠なんてものは、はじめから無かった。
顔の片側が燃え落ち、痛みと苦しみのなかで彼はこの国を呪い、物の怪に姿を変えて麗鬼となった。
麗鬼は着実に力を増していた。いずれは国を巻き込む厄災となろう物の怪への対応を、大人たちは協議している最中だった。
「麗鬼は顔を焼かれたことを恨み、特に見目の美しい瞳に執着していた。そして当初は愛情であったはずの実の子に対する想いさえ憎しみに変えてしまった。これからも、あの子は狙われるだろう。くれぐれも気をつけなさい」
最後にそうして締め括られ、ユリンは握りしめた拳で膝を打った。
父はそんな息子の手と顔の傷に触れる。
日に日に青年に近づいてゆく息子に、赤子のころのように父親が触れるなど考えられないことだった。
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