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第4章 ユリン編・弐

56 師弟の作戦——ねずみの穴①

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 近ごろは、リュウホンが軍の練兵以外でほとんど姿を見せなくなったと調べがついていた。麒麟の宮の本邸にも帰っていない。となれば、銀餡亭の屋敷にいるのが濃厚説である。
 暗闇を待ち、ユリンはねずみを一匹、襟の内側にしのばせて銀餡亭につうずる反り橋を渡った。あいだに流れている小川を越えて、宿の出入りをするには外せない道だ。
 馬車に乗っていた際には気がつかなかったが、周囲は霧が濃かった。視界が悪いぶん、身を隠すには都合がよいが。
 第一関門、侵入者はここで弾かれる。

『旦那ぁ、あっちだよ』

 耳元でねずみがキィキィと喋る。

「助かる」

 ユリンはねずみを撫でて脚をすすめた。ユリンの目にはいつまで経っても霧が止まず、永遠に橋が続いているように見えていた。
 そのとき、ねずみがある場所でユリンを制止した。

「ここか、なるほど」

 雪花見の会の日、シャオルが最後に化けたのは馬車の手綱をにぎる御者だった。御者は籠の先頭に腰かけているだけで、躾けられた馬が勝手に宿に向かってくれたそうだ。
 馬車に揺られている最中、霧だらけの空間に歪んだ部分を見つけ、シャオルはこっそりと目印を残してくれた。
 歪んだ部分は、目くらまし術の亀裂だろう。
 何者かがこの部分を切り裂き、強引に繋ぎ合わせたのだ。
(だれが・・・・・・、緊急用の脱出経路か?)
 ともかく、この亀裂は活用できる。ユリンは指先に魔導力を溜め、繋ぎ目を慎重に剥がした。ユリンは昔から魔導力の扱いが得意だった。まだ幼く、まじない術の修行を教えられる前から、こういったことが造作もなくできた。
 ユリンひとりでは、膨大な目くらまし術自体は解けない。
 しかし思ったとおり、蓋を開ければこちら側とは異なる地面が見え、人間が通過できる道ができていた。
 これで、第一関門は突破した。

「あとは案内を頼む」
『御意!』

 ひらかれた道を辿っていってもどこに繋がっているのかわからないが、宿の敷地内に入り込めたのは確実なのだから、あとはねずみの目を借りればスムーズに解決する。

「なんらかの形で感知されているかもしれない。急いだほうがいいな。異様な匂いを感じたら教えてくれ」

 見つからずにリュウホンの屋敷までたどり着くのが第二関門。不幸除けがどれほど効いてくれるかしだいだ。

『うん! 走って旦那、こっち、こっち』

 ぴょこんとねずみが肩から飛び降りる。

「よし、行こう」

 ユリンはねずみの姿を見失わないように、懸命に小さな背中を追った。
 道から一歩踏み出したとたんに、あたりは霧の景色に逆戻りする。
(馬車の小窓からなら、まともに見えてたんだが・・・・・・しかし、あれも今となっては見せられていた景色の可能性もある)
 霧が濃くなり、ユリンは不安に思う。いったん出直そうかと算段をつけはじめたころ、ねずみが止まった。

「着いたのか?」
『はい』
「こわいのか?」
『ちゅ・・・・・・』

 案内を終えたねずみはユリンの服をよじのぼり、襟の内側に入り込むとぷるぷると震える。
 ユリンは周囲と変わらない霧の景色に目をすがめた。
 第三関門、リュウホンの屋敷に侵入する。
 試しに腕を伸ばして屋敷だという場所に触れてみたが、掴めるのは霧だけ。
(それでもリュウホンの屋敷はここにある)
 どれくらい念じていただろうか。
 ざわっと全身に違和感を覚えた。霧が晴れていき、観音開きの門構えのむこうに静謐せいひつな雰囲気をたたえた屋敷が現れでてくる。
 ねずみの震えが伝染したらしい。ユリンは武者震いをして、ごくりと唾を飲み込んだ。
 こんなにまざまざと、の術を見せつけられたのは初めての経験だったのだ。
 時間の感覚までおかしくなっていたらしく、甲の殿を出たときは夜中の時刻だったのが、今やすでに明るい空だった。
(人を呼ぶには・・・・・・これを叩けばよいのか?)
 ユリンが丸い輪っか状の門扉金具に手を伸ばすと、はかったように鍵を外す音がして扉が開かれた。
 こちらの行動は筒抜け。待ち伏せられていた。だろうなと思っていたが、腕を組んで仁王立ちしたリュウホン本人の姿に目を見張った。
 王宮で目にする際と比べて軽装のリュウホン。深衣しんいをまとい、いたってゆるやかな佇まいをしている。

「これは、殿下じきじきにお出迎えいただけるとは思っておりませんでした」
「どうやって・・・・・・は、同族である貴様に問うのは愚問だな。して、大王派の人間がなにをしにきた? 大王殿に引っ立てられるほど、悪いことをしでかした記憶はないぞ」

 完全に格下に見られている。肩をすくめるリュウホンの顔からは敵意すら出ていなかった。
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