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第3章 ダオ編・弐
42 王宮の洗礼——白い花の色②
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細い枝に咲いた花びらを触りながら、なにをするでもなく、時間が過ぎます。
すっかり足湯は冷めてしまった。
社交の場に馴染めず、浮いた自分が苦しけれど、かといって今は官女を呼びたくない。桶から濡れた脚を出し、そばに脚拭きが置かれていたので、拭くのは自分でやることにしました。
足袋と靴を履き、ふらふらと脚がおもむくままに立ち上がります。声と風が入り込む場所。そこを閉めてしまおうと思ったのです。
引き戸まで腕を伸ばし、戸枠に触れると、ほっとして歩み寄りました。重なった二枚の戸を順番に引いてみて、閉まるほうの戸をするすると動かしていきます。
じょじょに冷たい空気を感じる隙間が狭くなり、あと少しで閉まる・・・・・・、そう思ってひと息ついた瞬間。すぐ近くで、声がしたのです。
「・・・・・・やあ、やあ、これは見事」
「やだぁランライさま、お花ばかりじゃなくてこちらにきて私たちとお茶してくださいな。官女も侍女もみーんな待ってるんですよぉ」
「うむ、あとでうかがおうか。それよりも見なさい。梅の木が雪化粧をまとったようだ」
「えーー」
複数の男女の楽しそうな会話。はたと手を止め、聴き入ってしまいました。耳をすませば、先ほど発言をしていた男性の声がします。
「いやぁ、ほんとに素晴らしい。寒いなか外に出た甲斐があったというもんだ」
その素晴らしさがぼくにはわからない。やはり聴かなければよかったと後悔した。けれど、会話は女性——官女(もしくは侍女?)に引き継がれ、不満そうな声が聴こえてくる。
「だけど私たちは覆面布をしているから、実際は花なんてよく見えてないよね」
ひとりの女性の意見に、別の女性たちも「うんうん」とうなずいていた。
「そうか。ではどれだけ見事で素晴らしいのかをぜひ説明してやってくれないか、フェン殿?」
「え・・・・・・?!」
無茶振りをされたのでしょう。調子のはずれた素っ頓狂な男性の声に、思わずハラハラとさせられます。ぼくは戸を閉めるのも忘れて、男性の答えをじっと待ちました。
「豆大福の・・・・・・」
「それだとまんまそのままの色ではないか、もっと詩人になったつもりでうたってみせよ」
きっと無茶振りされた男性は考え込んでいます。彼の声が気になって、ぼくは顔が外に覗くくらいに前のめりになっていました。
「では、良いことがあった日の翌日の朝、の感じでしょうか」
「ほぉ、翌日の朝? それはまた異彩な。どうして?」
ごもっともな意見です。良いことは起こったその瞬間がいちばん気分がいいと思うのです。しかし、男性は迷わず答えます。
「今日はよく晴れています。太陽の光に白い花々が照らされている清々しい日和は、明るいときがいちばん合います。良い出来事を噛み締めて眠り、幸せな気持ちのまま目覚める。胸いっぱいに朝の空気を吸い込んで、温かい気持になった瞬間、そんな色です」
「なるほどの、どれ、よくわかったという者~?」
「んー、私は豆大福のほうがいいなぁ」
「うふふ、私もぉ」
「わっ、はっ、はっ、それはそうだのう」
最初に無茶振りを投げた男性が笑って茶化します。官女侍女たちも笑い声をあげながら、しだいに彼らの会話は遠ざかっていきました。
ぼくは・・・・・・なぜだか泣きたい気持ちになっていました。
見知らぬだれかの言葉に、ぼくはひどく胸を打たれていたのです。
「温かい気持ち」
反芻してみると、ぼくに与えられた白い梅の花を少しだけ好きになれる気がしました。
心のなかで思い描く印象を変えて、花びらのついた枝葉を鼻の近くに寄せてみる。香りを嗅いで、———あ、と思う。
想像と、香りは大分違いました。
冷たい印象はありません。吸いはじめは爽やかで、後ろから甘い香りが追い越していきます。砂糖と乳をたっぷりと使用した菓子のような、もったりと鼻腔にからむ濃厚な香り。
ふわっと唇が笑んでいました。
(もっと、嗅いでみたい。感じてみたい)
ぼくは引き戸を開けて、戸枠を跨ぎます。夢中で前方に腕を伸ばし外に出ていました。
すっかり足湯は冷めてしまった。
社交の場に馴染めず、浮いた自分が苦しけれど、かといって今は官女を呼びたくない。桶から濡れた脚を出し、そばに脚拭きが置かれていたので、拭くのは自分でやることにしました。
足袋と靴を履き、ふらふらと脚がおもむくままに立ち上がります。声と風が入り込む場所。そこを閉めてしまおうと思ったのです。
引き戸まで腕を伸ばし、戸枠に触れると、ほっとして歩み寄りました。重なった二枚の戸を順番に引いてみて、閉まるほうの戸をするすると動かしていきます。
じょじょに冷たい空気を感じる隙間が狭くなり、あと少しで閉まる・・・・・・、そう思ってひと息ついた瞬間。すぐ近くで、声がしたのです。
「・・・・・・やあ、やあ、これは見事」
「やだぁランライさま、お花ばかりじゃなくてこちらにきて私たちとお茶してくださいな。官女も侍女もみーんな待ってるんですよぉ」
「うむ、あとでうかがおうか。それよりも見なさい。梅の木が雪化粧をまとったようだ」
「えーー」
複数の男女の楽しそうな会話。はたと手を止め、聴き入ってしまいました。耳をすませば、先ほど発言をしていた男性の声がします。
「いやぁ、ほんとに素晴らしい。寒いなか外に出た甲斐があったというもんだ」
その素晴らしさがぼくにはわからない。やはり聴かなければよかったと後悔した。けれど、会話は女性——官女(もしくは侍女?)に引き継がれ、不満そうな声が聴こえてくる。
「だけど私たちは覆面布をしているから、実際は花なんてよく見えてないよね」
ひとりの女性の意見に、別の女性たちも「うんうん」とうなずいていた。
「そうか。ではどれだけ見事で素晴らしいのかをぜひ説明してやってくれないか、フェン殿?」
「え・・・・・・?!」
無茶振りをされたのでしょう。調子のはずれた素っ頓狂な男性の声に、思わずハラハラとさせられます。ぼくは戸を閉めるのも忘れて、男性の答えをじっと待ちました。
「豆大福の・・・・・・」
「それだとまんまそのままの色ではないか、もっと詩人になったつもりでうたってみせよ」
きっと無茶振りされた男性は考え込んでいます。彼の声が気になって、ぼくは顔が外に覗くくらいに前のめりになっていました。
「では、良いことがあった日の翌日の朝、の感じでしょうか」
「ほぉ、翌日の朝? それはまた異彩な。どうして?」
ごもっともな意見です。良いことは起こったその瞬間がいちばん気分がいいと思うのです。しかし、男性は迷わず答えます。
「今日はよく晴れています。太陽の光に白い花々が照らされている清々しい日和は、明るいときがいちばん合います。良い出来事を噛み締めて眠り、幸せな気持ちのまま目覚める。胸いっぱいに朝の空気を吸い込んで、温かい気持になった瞬間、そんな色です」
「なるほどの、どれ、よくわかったという者~?」
「んー、私は豆大福のほうがいいなぁ」
「うふふ、私もぉ」
「わっ、はっ、はっ、それはそうだのう」
最初に無茶振りを投げた男性が笑って茶化します。官女侍女たちも笑い声をあげながら、しだいに彼らの会話は遠ざかっていきました。
ぼくは・・・・・・なぜだか泣きたい気持ちになっていました。
見知らぬだれかの言葉に、ぼくはひどく胸を打たれていたのです。
「温かい気持ち」
反芻してみると、ぼくに与えられた白い梅の花を少しだけ好きになれる気がしました。
心のなかで思い描く印象を変えて、花びらのついた枝葉を鼻の近くに寄せてみる。香りを嗅いで、———あ、と思う。
想像と、香りは大分違いました。
冷たい印象はありません。吸いはじめは爽やかで、後ろから甘い香りが追い越していきます。砂糖と乳をたっぷりと使用した菓子のような、もったりと鼻腔にからむ濃厚な香り。
ふわっと唇が笑んでいました。
(もっと、嗅いでみたい。感じてみたい)
ぼくは引き戸を開けて、戸枠を跨ぎます。夢中で前方に腕を伸ばし外に出ていました。
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