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第3章 ダオ編・弐
40 王宮の洗礼③
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馬車を降りるとすぐに階段。手と腰を支えられながらゆっくりのぼり、上がりきったところでリュウホンさまが立ち止まりました。
ご苦労と話しかけ、言葉を交わしているのは衛兵だとわかります。
軋んで開いたのは門扉でしょう。同じやり取りをして三つの門をくぐり、馬車を降りた場所からずいぶんと歩いてきたように感じました。
「リュウホン殿下! こちらにいらっしゃったか」
落ち着きを取り戻していた心臓が強く跳ねました。リュウホンさまが返事をし、ぼくの腰に触れていた手が離れていく。
ぼくは慌ててひやりとしましたが、声を上げられません。
なんの前触れもなく、あまりにも唐突に放り出されてしまいました。
ぼくの知らないところで、ぼくの知らない会話が続いています。ひとりぽつんと取り残され、途方もなく立ち尽くしました。大きな段差や壁、この通路の先に何があるのか。確認するには手や脚で探るしかありません。ぼくにとっては命綱にも等しい動作ですが、リュウホンさまや他の王宮の人々には、きっと必要のない動きです。
(今それをすれば、リュウホンさまが変に思われるかもしれない)
そう思うと、前にも後ろにも横にも踏み出せなかった。
「リュウホンさま・・・・・・」
結局、ぼくは小さな声でリュウホンさまを呼びました。
何でもないように見せるために、自然体を装って、手を伸ばします。
「これは失敬、お連れがいらっしゃったな。つい話に花が咲いてしまった。やれ、花見だけになっ! なっはっは」
「はっ、はっ、はっ、お上手で」
なにも上手じゃないです・・・・・・よね? どちらもぼくの声に気がついたのに、聴こえてくるのは笑い声と拍手ばかりで、いっこうに助けてもらえません。
弾んだ声のお相手は、上機嫌に笑い続けます。笑い声が聴こえなくなったかと思えば、「そういえばですな!」と会話が再開してしまいました。
「どうしよう」
自分がどこに立っているのかも、わからずじまい。待ちぼうけたまま時間が過ぎ、脚が痛くなってきたころ、靴音がコツコツとぼくの前までやってきました。
「待たせたね、花見会場はこっちだ」
ぽかんとしてしまった。こんなに待たせておいてそれだけですかと、喉から這い出てきそうな言葉をぐっと飲み込む。ふるふると首を左右に振って応えれば、リュウホンさまは当然にぼくの腰へ手を回します。
そこからは引き留めに会わなかったので、小部屋まで容易に辿り着けましたが、入る手前でまた別の賓客に捕まりました。ひやっとしたものの、リュウホンさまはぼくを先に小部屋に通してくれます。そこには官女が控えており、ぼくに声をかけ存在を示してくれました。
こちらへどうぞと促され、椅子で休もうとしたときでした。リュウホンさまと賓客の話し声が鼓膜を揺らします。その方は連れがいるようで、ところどころで女性の声が入りました。
滑らかな受け答え、上品な笑い声、談笑の最後に「ご機嫌よう」と淑やかに述べるのを聴き、鞭打たれたように衝撃が走りました。
ぼくは知ってしまいました。雑な扱いを受けて腹立たしく思ってしまったけれど、リュウホンさまの振る舞いは正しかった。ぼくの愛想が悪かったのです。「ご機嫌よう」の一言を、ぼくも言わなければいけなかったのです。
なにもせずただ付いていけばよいだけと、自分の役割を赤子も同然に考えていた自分が恥ずかしくて、屋敷に帰りたくなりました。
せっかくの晴れやかな機会ですが、小部屋から一歩も出たくありません。
「もう疲れてしまったか? ん? 雪月花の君」
美しい呼び名だって、ぼくには不釣り合い。「ごめんなさい」と伝えて黙っていると、リュウホンさまは「構わん」とさらりと口にします。
「俺は席を外すが、・・・・・・おい、彼に足湯を」
「かしこまりました」
官女が衣擦れを立てて出て行くと、リュウホンさまの声が続きました。
「俺が戻るまでここで待っているように。官女らに申しつけておくが、勝手に出ないほうがお前のためだ」
不自由なぼくを気づかってではない。どんな蔑んだ目をしてぼくを見ているのか、知る由もない。しかし雪花見用の衣装を着ているぼくの感情も覆面布に隠されています。
「はい、そのようにいたします」
ぼくは唇を噛んだ。屋敷の侍女たちが嬉しそうに塗ってくれた紅色の味。お綺麗ですよと褒められたそれは、泥水みたいに不味いものでした。
ご苦労と話しかけ、言葉を交わしているのは衛兵だとわかります。
軋んで開いたのは門扉でしょう。同じやり取りをして三つの門をくぐり、馬車を降りた場所からずいぶんと歩いてきたように感じました。
「リュウホン殿下! こちらにいらっしゃったか」
落ち着きを取り戻していた心臓が強く跳ねました。リュウホンさまが返事をし、ぼくの腰に触れていた手が離れていく。
ぼくは慌ててひやりとしましたが、声を上げられません。
なんの前触れもなく、あまりにも唐突に放り出されてしまいました。
ぼくの知らないところで、ぼくの知らない会話が続いています。ひとりぽつんと取り残され、途方もなく立ち尽くしました。大きな段差や壁、この通路の先に何があるのか。確認するには手や脚で探るしかありません。ぼくにとっては命綱にも等しい動作ですが、リュウホンさまや他の王宮の人々には、きっと必要のない動きです。
(今それをすれば、リュウホンさまが変に思われるかもしれない)
そう思うと、前にも後ろにも横にも踏み出せなかった。
「リュウホンさま・・・・・・」
結局、ぼくは小さな声でリュウホンさまを呼びました。
何でもないように見せるために、自然体を装って、手を伸ばします。
「これは失敬、お連れがいらっしゃったな。つい話に花が咲いてしまった。やれ、花見だけになっ! なっはっは」
「はっ、はっ、はっ、お上手で」
なにも上手じゃないです・・・・・・よね? どちらもぼくの声に気がついたのに、聴こえてくるのは笑い声と拍手ばかりで、いっこうに助けてもらえません。
弾んだ声のお相手は、上機嫌に笑い続けます。笑い声が聴こえなくなったかと思えば、「そういえばですな!」と会話が再開してしまいました。
「どうしよう」
自分がどこに立っているのかも、わからずじまい。待ちぼうけたまま時間が過ぎ、脚が痛くなってきたころ、靴音がコツコツとぼくの前までやってきました。
「待たせたね、花見会場はこっちだ」
ぽかんとしてしまった。こんなに待たせておいてそれだけですかと、喉から這い出てきそうな言葉をぐっと飲み込む。ふるふると首を左右に振って応えれば、リュウホンさまは当然にぼくの腰へ手を回します。
そこからは引き留めに会わなかったので、小部屋まで容易に辿り着けましたが、入る手前でまた別の賓客に捕まりました。ひやっとしたものの、リュウホンさまはぼくを先に小部屋に通してくれます。そこには官女が控えており、ぼくに声をかけ存在を示してくれました。
こちらへどうぞと促され、椅子で休もうとしたときでした。リュウホンさまと賓客の話し声が鼓膜を揺らします。その方は連れがいるようで、ところどころで女性の声が入りました。
滑らかな受け答え、上品な笑い声、談笑の最後に「ご機嫌よう」と淑やかに述べるのを聴き、鞭打たれたように衝撃が走りました。
ぼくは知ってしまいました。雑な扱いを受けて腹立たしく思ってしまったけれど、リュウホンさまの振る舞いは正しかった。ぼくの愛想が悪かったのです。「ご機嫌よう」の一言を、ぼくも言わなければいけなかったのです。
なにもせずただ付いていけばよいだけと、自分の役割を赤子も同然に考えていた自分が恥ずかしくて、屋敷に帰りたくなりました。
せっかくの晴れやかな機会ですが、小部屋から一歩も出たくありません。
「もう疲れてしまったか? ん? 雪月花の君」
美しい呼び名だって、ぼくには不釣り合い。「ごめんなさい」と伝えて黙っていると、リュウホンさまは「構わん」とさらりと口にします。
「俺は席を外すが、・・・・・・おい、彼に足湯を」
「かしこまりました」
官女が衣擦れを立てて出て行くと、リュウホンさまの声が続きました。
「俺が戻るまでここで待っているように。官女らに申しつけておくが、勝手に出ないほうがお前のためだ」
不自由なぼくを気づかってではない。どんな蔑んだ目をしてぼくを見ているのか、知る由もない。しかし雪花見用の衣装を着ているぼくの感情も覆面布に隠されています。
「はい、そのようにいたします」
ぼくは唇を噛んだ。屋敷の侍女たちが嬉しそうに塗ってくれた紅色の味。お綺麗ですよと褒められたそれは、泥水みたいに不味いものでした。
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