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第2章 ユリン編・壱

31 陛下と殿下①

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 ユリンは一日を厩舎で過ごす。馬の世話をしてやり、ランライの許しを得た日には従者をともなって草原地に行き、馬を走らせてやっていた。

「疲れたか?」

 馬の脚がふいに止まり、鼻先が空に向く。
(普段の半分も走っていない。調子が悪いのか?)
 ユリンは不安に思い鼻先を撫でる。馬の目が真っ直ぐに空を見つめているのに気づき、自分も空を見上げてみた。
 雲の合間を遠くに飛んでいく翼のある黒っぽい点。
 なんてことはなかった。あれは、鳩だ。

「気になるのか? 軍の使う伝書鳩だぞ」

 二度三度、目をすがめるうちに、あっという間に鳩は見えなくなった。入れ替わりで、後方から声がかかる。

「フェンさま、ランライさまがすぐに戻るようにと」
「わかりました。仕事ですね」

 甲の殿に戻ればランライは来客者と対談しながら待っていた。彼の部屋の卓上には古い書を記した木簡と、紙の書物が山積みにされている。
(まことに生真面目で尊敬する・・・・・・)
 ちらりと覗いただけでも、その内容は一目瞭然だった。

「ランライ殿、ただいま戻りました」
「おお、待っておったぞ。座りたまえ」

 促されてランライの隣に腰掛けると、向かい合わせになった来客者がぴしりと姿勢を正す。
 ユリンは安心させてやるために、他所行きの声で話しかけた。

「怖がらなくて大丈夫ですよ。こんな見た目ですけれど、ふつうの男です」

 そう言って効果があった試しはないが、言わないよりはいい。

「はい・・・・・・」

 やはり返ってきた声は小さい。

「どれどれ、さっそく用件をお聞かせ願いたい」

 ランライが話をつなぎ、来客の『青年』は話をはじめた。
 青年の実家は茶葉をとり扱う商家。商売はいたって順調で、富裕層にも贔屓され、王宮、宮廷内へ商品をおろす機会もある。丞相であるランライと顔見知りになったのは、頼まれていた茶葉を運んできた際だった。

「王族がお抱えの導術師さま以外に、新しい導術師さまが王都にいらっしゃったと、平民のあいだでも話題になっております。ですが普段、導術師さまが平民のもとまで来てくださることはありません」

 青年が目を伏せ、ランライが「うむ」と腕を組む。

「貴重な力であるから、それは仕方がない」
「もちろんですとも。国民はみな承知しております。しかし丞相さまのお人柄は良く知っていましたので、もしやと思いまして、声をかけさせていただきました。恐れながらも、外の現状を知ってほしかったのです」

 青年がここを訪れことになった経緯を聞き、なるほどなと思う。外とは、王宮、宮廷の外、王都の外。
(教えられなくとも知っているさ、俺は長らく外で暮らしていたのだから)
 頼まれるのなら助けてやりたい。ユリンはランライの反応をうかがった。

「よい。なんでも話してみよ。そのために呼んだのだ」

 最初から答えは決まっていたのだろう。ランライはあっさりと気難しい表情を変化させた。

「宜しいのでしょうか?!」
「聞いたからといって、すべてに対処できるとは限らんが、そのあたりはこちらで考える」
「ありがとうございますっっ」

 青年は涙を流しながら、日々の苦労を語った。ユリンにとっては真新しい話ではない。ひと知らず物の怪となり、救われずに呪われ、姿を消した者たちを何千と知っている。
 夕刻。急須の茶を五杯適度飲み干した段階で、ようやく話は一段落し、青年は深々と頭を下げて帰っていった。

「平民に導術師の力を分け与えるなんて異例のことですよ」

 青年の背中が見えなくなってから、ユリンは「大丈夫なんですか」とランライに視線を向けた。

「導術師殿が申していたのではないか。国が呪いに呑み込まれたら困るからの」
「まさか、本気で案じてらっしゃったのですか」
「当たり前じゃ」

 ランライは眉をひそめて髭をなでる。珍しく、似合わない髭が権威の光を放っている。

「それにの、国民に目を向けると、我らの陣営に得がある」
「おっしゃられている意味が、わかりません」
「すぐに、わかるぞ。その前に身支度を整えねば」

 乗馬を至急終わらせ慌てて戻ってきたせいで、ユリンの身なりはいたく乱れて汚れていた。ランライはユリンの頭巾に手を伸ばし、手で何かを掴んで目の前に晒す。

「葉っぱまでついておるぞ。ついてこい。今夜はお待ちかねのリュウホン殿下とのお目通りが叶う」
「・・・・・・はい、かたじけない」

 無邪気な年ごろの子どもならまだしも。図体のでかい男が頭に葉をつけたまま客をむかえていたのかと思うと、包帯の下の頬がカッと熱くなる。
(もしや、あの青年は怖がっていたのではなくて笑いをこらえていた?)
 ユリンは苦々しく談話中の青年の態度を思い出した。
(だめだ、気持ちを切り替えろ)
 ダオを連れ去ったリュウホンとついに対峙できる。こんなことで動揺している場合ではないのだ。
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