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第三章『悪魔と天使のはざま』
90 育てられた反抗心
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でもたまらなく気まずい。ジョエルは言えない秘密をたくさん抱えてしまったからだ。だから一緒にいる空気が重たいのだ。
後悔はないが自業自得。最後まで仲良く過ごしたかったけれど、もう無理なことなのかもしれない。
「コタローは・・・」
「うん?」
「元の世界でちゃんと幸せになってね」
唐突だったせいか、えっと短く戸惑った声が聞こえた。
「ジョエルは俺にそうして欲しいの?」
「コタローがそう約束してくれたら僕は思い残すことなく自分の道を進める」
琥太郎は何故だかとても痛そうな顔をする。頬っぺたの裏側でも噛んでしまったのだろうか。
「お前は本当にジョエルなのかよ」
琥太郎の言っている意味がわからなかった。
「コタロー、ごめん、怒らせてばっかりだね」
「ああ、本気で怒ってるよ。お前なぁ・・・!」
だが声を張り上げかけて肩をがくんと落とした。項垂れた横顔が苦悶に歪み、覗き込むと発汗している。額に流れる汗の玉と紅潮した頬。ヒートだ。ロンダール王国へ旅した時から期間があいているため二度目が来てもおかしくない時期だった。
手を貸すつもりで肩を抱こうとした途端、ジョエルは手を弾かれる。
「平気だから触んなっ!」
「ごめ、でも一人で医務室に行けるの?」
「俺のことはほっとけ」
強く拒絶され、手を引っ込めた。まるで見えない壁を築かれてしまったみたいに、体を引きずるようにして出ていく琥太郎に何も言えなかった。
× × ×
夜、当番を終えたジョエルは琥太郎のいない部屋に帰りたくなかった。
庭に咲いていた蕾を手折り、満開に咲かせてから医務室に行く。
同部屋で監督生のジョエルなら寛容に通してくれるかもしれない。いざとなればフェロモンで惑わせ・・・、いくらでもやりようがある。
とにかく昼間の失敗を取り戻したくて頭がいっぱいで、彼に笑顔になってもらえるなら何をしても良かった。
「ヒート中のお見舞いに行くのかな? やめた方がいいと思うけど」
とっくに消灯時間は過ぎている。寮内を出歩いているのはジョエルのような当番終わりの監督生かシスターだけだ。
「・・・・・・モーリッツ先生」
いてはいけない人物に瞠目する。
「ベータじゃなかったんですね」
最初に放った一言が意外に思われたようだ。モーリッツは「ほっほ」と愉快そうな声を出す。
シーレハウス学園の外で厳しい監視下にあったひとだが、しかし魔法術に長けた人間なら侵入経路の質問は無意味。議論するまでもない。
「さよう。フェロモンコントロールはオメガだけの技じゃないからね。顔はベータに紛れるために特殊な化粧を施していた。見事だろう? 白粉の水分量を調整してマスクを固めているんだよ。こんな魔法術が得意な魔術師もいるんだよ」
躊躇なく剥がされていくどぅるんとした擬似皮膚。無害な老人の顔の下に整った顔があった。団子鼻はすっきりとシャープだ。実物も擬態設定と同じくらいに歳を重ねているのだろう、目尻の皺がくっきり、笑った顔のまま固定されたかのように刻まれていた。けれど口は笑っていないのだから、背筋が凍る。
「アルファなら、モーリッツ先生は誰と主従契約を結んだのですか」
「おやおやそこまで察しがいいとは嬉しいね」
「簡単なことです。オメガのフェロモンに充てられないためにはセスさんのようにするしかありません」
ジョエルは思考を巡らせ、思い当たる人物に行き当たった。
「ロンダールの国王陛下ですか。実は面識があった?」
「違うね。もっと君の身近なひとだよ」
「身近というなら、父ですか? 僕のまわりで悪事を考えるようなひとは父しか思い当たりません」
「残念。同感だが不正解だ。主従契約を結べるのはオメガとアルファ間だけなんだよ。それに私はあの男が好きで警告をしてやったのではない」
「警告?」
聞き流せず眉根を寄せてしまった。
モーリッツは可哀想にと、かぶりを振る。
「アルトリアさんは仲間はずれだ。ハワードシスター長はひどいことをする」
意地の悪い言い方につい反抗したくなった。
「僕が自分の目的のために離れているんです。ハワード様はそのような心の狭いひとじゃありません」
「そうかい? 大事な友人を使ってコソコソ嗅ぎまわられて私なら疑問を持ちますね」
「疑われているのは僕に理由があるからです。ハワード様は様々な問題を抱えていらっしゃって、その解決のために必要なことなら仕方ありません」
「ずいぶんと献身的な考えだ。素晴らしい姿勢だが、コタローさんがアルトリアさんを拒絶しているのはハワードシスター長の入れ知恵のせいだと思わないかね」
ジョエルは大袈裟に笑った。考え方が逸脱しすぎていて馬鹿馬鹿しい。
「話の無駄です。急いでますので」
「コタローさんは医務室にはいないですよ」
ジョエルの胸がざわついた。モーリッツの弧を描いた口元が移ってしまったかのように、失笑後の顔が歪にひくついた。
「コタローは何処に」
「訊くまでもないでしょう?」
直後にジョエルは走り出していた。
「いってらっしゃい」
背後で声がする。満開にさせたお見舞いの花は落としてしまった。手折った花を跨いだ向こうで、モーリッツは擬態用の優しげな顔に戻り、何食わぬ様子で立ち去った。
後悔はないが自業自得。最後まで仲良く過ごしたかったけれど、もう無理なことなのかもしれない。
「コタローは・・・」
「うん?」
「元の世界でちゃんと幸せになってね」
唐突だったせいか、えっと短く戸惑った声が聞こえた。
「ジョエルは俺にそうして欲しいの?」
「コタローがそう約束してくれたら僕は思い残すことなく自分の道を進める」
琥太郎は何故だかとても痛そうな顔をする。頬っぺたの裏側でも噛んでしまったのだろうか。
「お前は本当にジョエルなのかよ」
琥太郎の言っている意味がわからなかった。
「コタロー、ごめん、怒らせてばっかりだね」
「ああ、本気で怒ってるよ。お前なぁ・・・!」
だが声を張り上げかけて肩をがくんと落とした。項垂れた横顔が苦悶に歪み、覗き込むと発汗している。額に流れる汗の玉と紅潮した頬。ヒートだ。ロンダール王国へ旅した時から期間があいているため二度目が来てもおかしくない時期だった。
手を貸すつもりで肩を抱こうとした途端、ジョエルは手を弾かれる。
「平気だから触んなっ!」
「ごめ、でも一人で医務室に行けるの?」
「俺のことはほっとけ」
強く拒絶され、手を引っ込めた。まるで見えない壁を築かれてしまったみたいに、体を引きずるようにして出ていく琥太郎に何も言えなかった。
× × ×
夜、当番を終えたジョエルは琥太郎のいない部屋に帰りたくなかった。
庭に咲いていた蕾を手折り、満開に咲かせてから医務室に行く。
同部屋で監督生のジョエルなら寛容に通してくれるかもしれない。いざとなればフェロモンで惑わせ・・・、いくらでもやりようがある。
とにかく昼間の失敗を取り戻したくて頭がいっぱいで、彼に笑顔になってもらえるなら何をしても良かった。
「ヒート中のお見舞いに行くのかな? やめた方がいいと思うけど」
とっくに消灯時間は過ぎている。寮内を出歩いているのはジョエルのような当番終わりの監督生かシスターだけだ。
「・・・・・・モーリッツ先生」
いてはいけない人物に瞠目する。
「ベータじゃなかったんですね」
最初に放った一言が意外に思われたようだ。モーリッツは「ほっほ」と愉快そうな声を出す。
シーレハウス学園の外で厳しい監視下にあったひとだが、しかし魔法術に長けた人間なら侵入経路の質問は無意味。議論するまでもない。
「さよう。フェロモンコントロールはオメガだけの技じゃないからね。顔はベータに紛れるために特殊な化粧を施していた。見事だろう? 白粉の水分量を調整してマスクを固めているんだよ。こんな魔法術が得意な魔術師もいるんだよ」
躊躇なく剥がされていくどぅるんとした擬似皮膚。無害な老人の顔の下に整った顔があった。団子鼻はすっきりとシャープだ。実物も擬態設定と同じくらいに歳を重ねているのだろう、目尻の皺がくっきり、笑った顔のまま固定されたかのように刻まれていた。けれど口は笑っていないのだから、背筋が凍る。
「アルファなら、モーリッツ先生は誰と主従契約を結んだのですか」
「おやおやそこまで察しがいいとは嬉しいね」
「簡単なことです。オメガのフェロモンに充てられないためにはセスさんのようにするしかありません」
ジョエルは思考を巡らせ、思い当たる人物に行き当たった。
「ロンダールの国王陛下ですか。実は面識があった?」
「違うね。もっと君の身近なひとだよ」
「身近というなら、父ですか? 僕のまわりで悪事を考えるようなひとは父しか思い当たりません」
「残念。同感だが不正解だ。主従契約を結べるのはオメガとアルファ間だけなんだよ。それに私はあの男が好きで警告をしてやったのではない」
「警告?」
聞き流せず眉根を寄せてしまった。
モーリッツは可哀想にと、かぶりを振る。
「アルトリアさんは仲間はずれだ。ハワードシスター長はひどいことをする」
意地の悪い言い方につい反抗したくなった。
「僕が自分の目的のために離れているんです。ハワード様はそのような心の狭いひとじゃありません」
「そうかい? 大事な友人を使ってコソコソ嗅ぎまわられて私なら疑問を持ちますね」
「疑われているのは僕に理由があるからです。ハワード様は様々な問題を抱えていらっしゃって、その解決のために必要なことなら仕方ありません」
「ずいぶんと献身的な考えだ。素晴らしい姿勢だが、コタローさんがアルトリアさんを拒絶しているのはハワードシスター長の入れ知恵のせいだと思わないかね」
ジョエルは大袈裟に笑った。考え方が逸脱しすぎていて馬鹿馬鹿しい。
「話の無駄です。急いでますので」
「コタローさんは医務室にはいないですよ」
ジョエルの胸がざわついた。モーリッツの弧を描いた口元が移ってしまったかのように、失笑後の顔が歪にひくついた。
「コタローは何処に」
「訊くまでもないでしょう?」
直後にジョエルは走り出していた。
「いってらっしゃい」
背後で声がする。満開にさせたお見舞いの花は落としてしまった。手折った花を跨いだ向こうで、モーリッツは擬態用の優しげな顔に戻り、何食わぬ様子で立ち去った。
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