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第二章『召喚された少年と禁忌の魔法術』

83 着実な、小さな成果

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 ———夢の話だよ、君も見たんでしょ。
 ———でも夢だし。
 ———複数の人間が同じ夢を見ることある? きっと僕ら以外にもいるんだよ。
 ———しぃ、言いふらしては駄目だって夢の中で言われただろ。

 それきり話し声は止む。
 誰も足を止めなかったが、恐らく琥太郎たちの耳にも入っていただろう。
 ジョエルはただならぬ焦りを抱き、友人たちが今ほどの会話を無視してくれるよう祈った。

「ゆめ」

 ジーンが興味を示してしまった。

「気になるの?」

 フィルが訊く。

「うん。同じことを言ってる子を知ってる」

 じりじりとナイフで断崖絶壁に追い詰められているようだ。決して表には出さないがジョエルの心中は汗びっしょりだった。悲しいかなみんな口が軽い。もっと強制力を強めた言い方にするべきだったと悔やむ。

「どんな内容だった」

 ジョエルは探りを入れるつもりで訊ねた。

「うーん」

 とジーンは首を捻る。

「忘れた!」

 あっけらかんとした声。心臓がすくみ上がりそうなジョエルは大きなため息をすんでのところで飲み込んだ。

「変なことがあるもんだね」

 と、フィルがしみじみと答えている。

「あそこ空いてるぞ」

 琥太郎が振り向いた。話に加わってこなかっただけでなく、無駄話してると司書官に追い出されるぞと呆れ顔をされ、ジョエルたちは口を慎む。いつもなら率先して不真面目な男に注意されると奇妙な気分だ。思わず琥太郎を抜かした三人で変な顔をしてしまった。

「おい、お前ら」

 琥太郎は笑いながら青筋を立てる。
 怒っているのはジョークだが、こちらも急いで詫びる。ふざけているうちに夢の話題は頭から薄れていった。
 空いている机を陣取ったジョエルたちは、さっそく教科書を積み上げた。席順は二対二で向かい合うようにジーンとフィル、ジョエルと琥太郎が並んで座った。なんでも聞いてと事前に告げ、ジョエルは黙々と自学に取り込む。
 集中してしまうと周りの音が聞こえなくなってしまうので、琥太郎に肩を叩かれるまで、顔を上げなかった。

「あ・・・ごめん」

 これには失敗したと思った。
 なんのために琥太郎がジーンとフィルを集めてくれたのか考えていなかった。
 向かいの友人たちは豆鉄砲を食らったような表情をしている。

「あの、ほんとにごめんなさい」
「違う、違う」
 琥太郎が言った。

「あれだよ」

 見てみろと琥太郎の指の指し示す方向に目をやる。
 視線の先で起こっていたのはねずみの山だ。ある一名の前にこんもりと山になったねずみたちは、彼のものであるらしいノートやら教科書やらを食い散らかしている。
 単独で大人しくしている時は可愛いらしいのに、チーチーチーチーと重なった甲高い鳴き声が神経を逆撫でし、卓上を走り回るカサカサ音には鳥肌が立った。

「何があったの・・・」

 ジョエルは驚愕を口にする。

「や、俺たちもねずみの数が増えてから気がついたから詳しいことは」

 かぶりを振る琥太郎に、ジョエルは唖然として頷いた。
 その時、ジーンが頭を閃かせる。

「思い出した。あの子、それとあの子、イチャイチャする相手を取り合ってたんだ!」
「嫌がらせだって言いたいのか?」

 琥太郎が肩をそびやかした。

「そうそう」

 ジーンは首をコクコクと縦に動かす。

「教科書を食べられてる子に結局分配が上がったから、とっちめてやるぅってこの前教室で叫んでたよ、負けた方が」

 ひとだかりはねずみの山を作っている被害者の机を避け、周囲に空間ができている。むしゃむしゃ盛り盛り食べ尽くされた教科書とノートは悲惨なありさまだ。泣き出しそうな被害者を、これまた泣き出しそうな顔で見つめているのが今回の発端主だろうか。
 ジョエルは理解すると笑みがあふれ出しそうになった。
 夢の中でジョエルが授けた知恵を頼りに、無意識にフェロモンを使用した子が出てきたのだ。
 同じオメガでも才能のようなものがあり、フェロモンの扱いには個人差がある。これからどんどん増えていくに違いない。

「ジョエル・・・・・・?」
「なんでもないよコタロー」

 平静を装ったが、ジョエルの心境はわくわくして収まらなかった。
 これは大きな前進だった。できればもっと近くで観察したいが、シスターと司書官が顔色を変えて駆けつける。

(ハワード様はいないみたい、ラッキーだ)

 あのひとが現場を目にしたら異変に勘づくかもしれない。
 しかしそうは夢にも思わないシスターと司書官は箒を使ってねずみたちを追い払い、被害者を保護して連れて行った。
 見物人の関心の外で魔法術を作動させた子が青い顔で出て行こうとしているのを見つけ、ジョエルは手洗いに行くと言って琥太郎たちから離れた。

(念を入れて口止めを、)

 しなければならない。もし、見せた夢のことまで詳しく白状するつもりなら阻止しなければならない。
 ジョエルは学園生に追いついた。途中まではその気があったのだろうか、図書棟の外に出たところの生垣の下でうずくまって嗚咽していた。

「ねぇ君、大丈夫? 急に気分が悪くなっちゃったの?」

 一部始終を知らないで、たまたま通りかかった顔をして話しかけた。

「ぅ、すみません」

 ずびっと鼻を鳴らして学園生は涙を決壊させる。いたわしく震えた背中をさすり、ジョエルはハンカチを差し出した。

「セラス寮の監督生として具合の悪そうなあなたを放っておけません。肩を貸します立てますか? 医務室に行きましょう」
「・・・・・・はい」

 恐縮した体を支えセラス寮に戻ると、学園生がもじもじとする。

「あの、僕は自分のベッドで休みます」
「そうですか? わかりました」

 ジョエルは頷き、彼を寮室まで送り届けた。監督生の責任があるからと言えば、怪しまずに室内に入れてくれる。そしてシーツの上に横たえた彼を介抱するように見せかけて微睡んだ瞼の上に手のひらを翳した・・・。
 心配ごとを片付けて教室棟に戻ったジョエルだが、学園生たちが入り口からぞろぞろと列をなして出てくる場面に出くわす。

「遅かったな」

 琥太郎は壁に背をもたれて待っていた。

「腹でも壊したか?」

 この一言で、手洗いに行くと言い残して抜け出したことを思い出す。

「ごめん。うずくまって動けなくなっている子がいたから寮の部屋まで付き添ってたんだ」

 こんな時は監督生の立場が役に立つ。正直に理由を話しても疑われない。

「ふーん」

 しかし琥太郎の返事はジョエルを不安にさせた。

「ジーンとフィルは?」

 頼むから静かにと心臓の音に祈り、ジョエルは質問した。

「別んとこで勉強するって。今はさっきのねずみ騒ぎの原因を調べるために図書棟に立ち入れなくなってる」

 琥太郎の様子にこちらを疑っているそぶりは見られないのに、目を合わせているのが辛くなり、図書棟の方を向いた。
 出て行く学園生の波に逆らうように、大人たちが吸い込まれて行くようだ。そのうちハワードもやって来るかもしれないと思うと、早く手を打たなければと焦る。

「様子を見てくる」

 監督生なら大目に見てもらえるだろうとエントランスに向かうと、琥太郎が一緒についてきた。

「俺も行く」
「えっ、でもコタローは監督生じゃないでしょ?」
「この状況で関係ねぇだろ。それとも俺が一緒だと何かあるのか」

 ジョエルは足を硬直させる。

「まさか・・・ないよ」
「だよな」

 琥太郎がにっこりと微笑んだ。

(待って待って待ってっ! コタローは僕のしていることを知ってる?)

 冷静さを欠き、ジョエルの思考は普段のように作動しない。
 最後に危険だと本能的に感じたジョエルは踵を返した。

「やめとく。よく考えれば僕が行っても仕方ないよね」
「ああ、だな」
「うん」

 引き攣る頬を押し上げて懸命に笑みを作った。ジョエルは恐々としながら、セラス寮に帰ることにした。 
 一大事である。この問題を解決しなければ勉強すら手につかなくなり、さらに心配されて悪循環になる。早急に考える時間が欲しくて、ジョエルは夕食を食べてから琥太郎と別れて人気のない場所で夜中まで佇んでいた。
 しかし結局、良い案は思いつかないまま、寮室に戻り顔面蒼白になる。

「遅かったじゃん」

 ジョエルは琥太郎との約束をすっかり忘れていたのだ。

「別にいいけど」
「ごめんね。これから話そうよ。夜通し朝までても僕は時間あるよ」

 けれど言いわけがましいジョエルにため息をつき、琥太郎は毛布にもぐると背を向けてしまったのだった。
 翌朝の琥太郎は口をきいてくれなくなるかと思ったが普通だった。それが逆にジョエルの胸にぐさぐさと杭を打った。

(コタローに打ち明けようか。・・・いやできない)

 これはジョエルの問題だからだ。この世界から帰ってしまう琥太郎とは共有できない。しちゃいけない。
 琥太郎には自分の世界に帰って幸せに暮らしてくれなければ困る。
 重荷になって残ってしまうようなことは琥太郎に聞かせられない。

 だから絶対に相談なんて、できなかった。
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