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第二章『召喚された少年と禁忌の魔法術』

76 ただいま、学園

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「おかえりなさいアルトリア様! コタローさん!」

 ジョエルは大きな目を点にした。
 懐かしいエントラスをくぐると、セラス寮のみんなに笑顔で迎えられ、なかには涙している子もいる。

「ハワード様、これって」
「お父上は抜かりなかったのですよ」
「父が・・・納得いたしました」

 自らの足と意志で学園を抜け出した不届者が息子とあっては名門貴族の家名に傷がつく。ハワードが手をまわしてくれる前にジョエルの脱走を聞きつけ、大切な息子が友を救おうとして共に誘拐されたのだと各所に触れてまわったらしい、ちゃっかり美談になっている。
 そんなわけで怪我もなく生還したジョエルと琥太郎はシーレハウスの学園生に戻ったのである。

「ジョエル、コタロー、無事で安心した」

 ジーンがそばに寄ってくる。フィルがいないので辺りを見渡すと離れた場所に立っていた。目が合ったものの、瞬時に逸らされてしまった。

「フィルのやつ変なんだよなぁ。きっと寂しかったんだ」

 ジョエルと琥太郎は何も言えなくなる。

「ん? 二人とも見つめ合っちゃって、なになに、二人で苦難を乗り越えて仲が深まったのかしら、お熱いですな」
「あはは、とにかく大変だったよ」

 ニヤニヤするジーンに、ジョエルは苦笑いする。
 正しい事情を知っているフィルはさぞ複雑な心境なのだろう。しかし親友にも打ち明けず黙っていてくれているということは、ジョエルと琥太郎の味方でもいてくれると受け取ってもいいだろうか。

(ありがとうって、言わなくちゃな。それと)

 琥太郎が同じことを声に出す。

「ごめんって言いにいこうぜ。近いうちに」

 ジョエルの耳元で喋るので、くすぐったさと恥ずかしさでやんわり頬が熱くなった。
 それからしばらくは外で経験した怒涛の日々を忘れてしまうくらいに淡々と穏やかに過ぎ、ジョエルと琥太郎は学園生活に溶け込んでいった。
 モーリッツの魔術史学は休講になり、研究室にも近づかないよう釘を刺されたことは残念だが、もちろんハワードからの指示であるため厳守した。
 二人部屋の隣り合ったベッドで眠り、朝がくる。起床ベルが鳴る前にジョエルは身支度を済ませ、気持ちよさそうに眠っている琥太郎を揺さぶり起こした。

「あー・・・・・・」
「寝ぼけてると遅刻するよ」
「いやぁ、なんかこんなだったなぁって思って」
「?」

 しみじみ言う琥太郎にぽかんとするが、こんな彼でもずっとピリピリしていたのだ。ジョエルは、ふふと脱力して笑った。昨日、ハワードがセスを同伴して寮を訪れ、洋の様子を話して聞かせてくれた。
 様子と言っても眠ったままの洋。否、眠らせたままの洋はシーレハウス学園の安全な場所で守られている。洋を守るのはセスで、命令を下したハワードに忠実、命をかけて遂行する男なので、ジョエルと琥太郎は信じることにしたのだ。
 セスは学園関係者としてベータを装っていたけれど、ジョエルは思い出し笑いを噛み殺す。
 あれはいけない。学園生はざわざわしていた。しかもハワードとのツーショット。余計にいけない。絶対に何処かで噂になっている。
 琥太郎を起こしてから先に寮室を出た。監督生の朝礼集会に向かうためだが、大講堂のひと足手前で呼び止められた。
 声高に噂しているだろう人物をジョエルは知っている。

「ああジェイコブ、そうだったね君は・・・」

 振りかえりざまに額を押さえた。

「ジョエル! ジョエル! 俺も昨日見たんだぜ、ハワード様と一緒に歩いてた男性、あれアルファ騎士だろ。ジョエルに用があって来たんだよな? 詳しく聞かせてくれよ」

 憧れの眼差しを向けられたら良心が痛む。しかし違うよと言わねばならない。ジェイコブが憧れている騎士じゃないよと嘘をつかなければ。

「あのひとは学園の事務員だよ。僕の父に連絡を取りたかったみたい」
「ジョエル・・・見え透いた嘘をつかないでくれ。あんなに勇ましい事務員がいてたまるか。本当にそうなら勿体ない。ぜひグルーバー家に引き抜きたいくらいだ。素晴らしい人材が埋もれていると父さんに教えて差し上げなければ」
「う、いや、だからね」
「もしかしたら彼自身も自らの性別を正しく認識できていないんじゃないのかな?」

 子どもの時に受けた検査の結果が誤りだったという可能性もあると、ジェイコブは力説する。

「でも仮にアルファだったら学園で働いていて平気なのは変じゃない?」
「・・・それは・・・そうだな」

 目を右往左往させたジェイコブが、やがてしょもんと項垂れた。

「フェロモンの影響に個人差があるとは言ってもさすがにオメガだらけの学園内で平静を保っていられるはずがないか。けどジャケットの下に短剣を隠し持っていたのは見間違いじゃないと思うんだよ。あとハワード様を見守っている時の目線とか」

 ぶつぶつと続く呟き。ジェイコブは諦めていない。セスが何者であるのか、ジェイコブの見立ては百点満点だ。

(うーん、ですよね。わかるよ、とてもよくわかる)

 ジョエルは心では同意しながらも、そういえばと話題を変える。

「僕が攫われてたあいだの授業ノートありがとう、あとで返すね。どんな理由があっても成績は落とせないから助かったよ。ジェイコブのまとめ方すごく見やすかった」

 そう言ってから、木枯らしで冷たくなった手にふぅと息を吹きかけた。
 もうすぐレヴェネザ王国に短い冬が訪れる。
 冬は一年の終わり。
 その前には、一年間を締めくくる学年末テストがやって来るのだ。
 夜、消灯時間前に監督生の当番を終えて寮室に戻ったジョエルは、寝転がってボードゲームに夢中になっている背中にそのことを教えてあげた。

「なんだって?」

 とっくに知っているはずだが、まるで初耳というようなリアクションだ。

「怒るよ」
「聞こえなかった」
「じゃあ耳元で言ってあげる。テ、ス、ト!!!」
「ひぃぃ~~」

 琥太郎は毛布を被って悲鳴をあげた。

「え? え? なんで? この前テストやったばかりじゃない? 時の流れってコワっ」

 と毛布ごと自分の体を抱き、ベッドの上でごろごろと転げまわる。

「んでもさ、俺は学園に放り込まれてから一年も経ってないわけだし」

 泣きべそをかく琥太郎の背中をさすった。

「うん。コタローにはシスターから別でテストに関してお話があるんじゃないかな」

 予想したように翌日に琥太郎はランチタイムにシスターから呼び出された。
 ジョエルはカフェテリアで待っていたが、戻ってきた彼を二度見してしまった。唇を捻じ曲げて変な顔をしている。

「コタロー?」

 学年末テストのことだったんでしょうと問えば、琥太郎は首を傾げた。

「どっちでもいいって言われた。自分で決めなさいって」
「んん?」

 ジョエルは首を傾げた琥太郎と同じ方向に首を傾ける。

「受けてもいいし。受けなくてもいいし」
「一か八か受けて進級するか、次年度からは最下学年から勉強し直すか選んでってことかな」
「・・・・・・じゃないっぽい。呼ばれて行ったらシスター室にいたのハワード様だったんだよ。あのひと、俺と洋を東京に帰す方法を模索してるって。魔術師のおっさんが手伝ってるって」

 うっかりしていた。
 琥太郎はこの世界の住人ではないのだ。
 帰れる方法があるならば、琥太郎だって。そのために動いてきたんじゃないか。

「お願い。テスト期間は僕の勉強に付き合って。思い出作りさせてよ」

 ジョエルは重たく感じる口角を持ち上げた。

「あー、それは、いいよ。もちろん」
「なんか嫌そう。やっぱ勉強したくない?」
「そうじゃなくてさ。俺はさ~」

 ぽりぽりとうなじを掻く琥太郎は歯切れが悪い。

「ゴホンッ、あのなジョエル、俺は」

 慇懃に何か言いかけた琥太郎だが、邪魔が入った。ジーンが二人の席にやって来て「一緒に食べよーぜ」と洒落た箱に詰められたケーキをテーブルに置いた。後ろに立つフィルはまだそっぽを向いている。

「美味しそうだね。どうしたの?」

 ジョエルは箱の中身を覗き、ジーンを見上げる。

「許婚のアルファが贈ってくるんだよ」
「イイナズケ・・・・・・」

 琥太郎がカタコトにおうむ返しした。
 ジョエルは吹き出しそうになり、俯いているフィルを見やった。

「今まではいなかったよね」

 フィルに視線を向けたまま聞くと、ジーンは特に気にした様子もなくヘラヘラっと笑う。

「突然決まったんだよ。俺に知らされる前から学園と親とで話ついてたみたいだけど」
「そっか」
「ま、結婚相手が決まるのってそんなもんじゃない? 最近になって嫁ぎ先が固まったのは俺だけじゃないよな」

 ジーンに問いかけられて、フィルが頬を強張らせたように見えた。ジョエルの目には・・・だが。

「そういう時期ではあるね」

 フィルは答える。その時にはちゃんと笑っていた。いつものジーンに向ける笑顔だ。フィルの憂鬱の原因はここにもあったわけだ。
 来年度、最高学年に上がると、卒業までの残り一年は婚約準備で忙しくなる。

「時の流れって怖いね。コタローの言ってた気持ちわかった」

 ジョエルはぽつりと呟いた。
 離ればなれを惜しむ者のために時は待ってくれない。
 願わくば永遠に。叶わないのならせめてこの時を大切にしたい。
 ジョエルの願いはフィルの願い。
 ジョエルの願いは、オメガの願いだった。
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