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第二章『召喚された少年と禁忌の魔法術』

65 セスの腕

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 胡乱な気持ちになったが、頭を悩ませている暇はなかった。早々にセスが迎えに来た。ジョエルは自分のものだとわかるリュックサックだけを掴み、セスの誘導に応じる。
 華宮内はいつもよりずっと静かだった。洋がいなくなって賑やかに取り繕う必要もなくなったのかもしれない。しかし本当に閑散としてうすら寂しい。装飾だけは華々しい広間。広間を見下ろせる各階の回廊。洋と言い合いをしたバルコニー。

(また、頭痛がする)

 喧嘩の内容を思い出そうとすると、ジョエルのこめかみがズキズキと痛み出す。
 けれど何か譲れないことがあったから、言い返して喧嘩までしたのだろう。
 自分は何を、洋に訴えたかったんだろうか。
 ジョエルは足を止めて廊下の手すりに手を置いた。するりと指で撫でたのは、施された彫刻装飾。翼を広げている金の鳥。

「つぅ、うっ」
「ジョエル様」
「ありがとうございます。ごめんなさい」

 よろめいたジョエルを支えてくれたセスの手に広範囲に包帯が巻かれている。今日のセスは籠手をつけていなかった。痛むのではないかと心配になり、目にしてしまったジョエルは訊ねる。

「セスさん怪我を? もしかして僕を牢屋から出したから」
「あなたのせいではありませんよ」

 セスはジョエルをしっかり立たせると、主人のもとへ先を急がせた。
 外はすでに暗い。研究室に向かう時は籠で通っていた屋根つきの渡り廊下を歩んで行けば、四阿ガゼボの近くに馬車が待機していた。
 ハワードは四阿の屋根の下で待っている。
 ジョエルが純白の立ち姿を捉えた時、「止まってください」と先導するセスが言った。
 視界に入っているとはいえ、まだだいぶん手前だ。
 セスはジョエルを立ち止まらせると、腕で行く手を遮った。

「あなたたち何をしているのです」

 距離は離れているが、ぎりぎり声が通る。ハワードの問いかけにセスは驚くべきことに腰の剣を抜いた。

「えっ、え、セス・・・さん?」

 ジョエルは目を白黒させる。

「セス、あなたは主人に刃を向けるんですか」
「白々しくもよく言えたものだ。貴様、我が主人を冒涜したな?」

 セスは剣先を移動させ、腕の包帯を切る。はらりと落ちた包帯の下には焼けただれた皮膚があり、ジョエルは絶句した。

「貴様はハワード殿下ではない」
「何を言っている。誰かに誑かされたのかい?」
「私は誰の言葉にも左右されない。私が従うのは主人のみ」
「わかっているよ。さすが王弟に仕えるアルファ騎士だ」
「やめろ。口を切り刻むぞ」

 感じた経験のない気迫だ。ジョエルは背筋が冷たくなる。

「包帯の下を見ても何も思わないのだから言い逃れはできまい。貴様は偽物だ」
「ひどいな、セス。私の心も傷つく」

 セスは牙を剥かん勢いでジョエルにはハワードにしか見えない男を睨みつけた。

「黙れ、殿下の声を汚すな。貴様が偽物である決定的な証拠がこのただれた腕だ。私と殿下は魔法術式の主従契約を結んでいる。ゆえに殿下を裏切り、命令に反した場合に私の身が焼けて塵になるという縛りがある。そのかわりアルファ性の暴走を極限まで抑え込める効果が付与してある」

 ジョエルはセスが後宮に平気でいられたことがようやく腑に落ちた。あれはそういう意味だったのだ。
 偽物呼ばわりされたハワードは黙って立ち、セスは話を続ける。

「私は命じられたことを遂行したにも関わらず、貴様が後宮に現れてから肌の焼ける痛みが止まらない。今この時にも私の腕はぢりぢりと焼けただれ、まもなく背中に到達しようとしている。説明しろ、貴様の命令でジョエル様を連れてきただけだぞ?」

 いったいなんの冗談なのかと思ってしまう。ジョエルはうまく回らなくなった頭でハワードの反応をうかがった。彼は下を向いたかと思うと、小刻みに肩を震わせる。

「へぇ、どの世界にも忠犬はいるんだな」

 笑っていた。笑いながら、声だけは品のあるハワードの音質でセスを煽っていた。

「わんころのくせして主人の顔を斬れるのかな」
「騎士をなめるなっ」

 セスは柄を握り直して突進する。だが偽のハワードはニタリと口角を上げると姿を霧散させた。

「いいよ負けで。今回は本物が来ちゃったから諦めるよ・・・・・・」
「くそっ」

 セスが霧散したもやを斬り裂く。
 と、偽物が吐き残した逃げ台詞どおり、本物のハワードがシスターの白い聖職服のまま現れた。セスは剣を鞘に収めてハワードの前にひざまづいた。

「一歩及ばずでした。申しわけありません」
「仕方ありません。あれを斬っても解決しない。よくあれの正体に気づき、アルトリアさんを守ってくれました」

 ありがとうと謝辞をたまわり、セスは感無量というふうに頷く。

「アルトリアさんも、今日までよく耐えてくれました。巻き込んでしまったことを深くお詫びします」
「そうでしょうかハワード様」

 ジョエルはぎゅっと唇を噛んだ。

「僕は耐えることができていたのでしょうか。だとしたら何に耐えていたんでしょう。この国に来てから好きなことを学んでいただけのような気がするのです。深く考えすぎると頭がどうにも痛くなって」

 ジョエルの心と頭に大きな空白がある。ぽっかりと空いてしまっているのにずっしりと重たい。空白に見えて空白じゃないのが気持ち悪い。覗こうとすると眩暈がする。拒絶反応で吐き気がする。
 頭痛の原因を訊ねると、ハワードは微笑し目を細めた。

「アルトリアさんは忘れてしまっただけ。間に合って本当に良かったですよ、まだ失くしていないんですから」

 怖くないから思い出してごらんと、ジョエルの瞼に手のひらを重ねる。
 まつ毛の方向に手はゆっくりスライドしていき、再び視界は明るくなる。伏せた視線を上げれば、そこには琥太郎の姿があった。

「コタロー・・・?」

 ジョエルは喉の奥で堰き止められていた愛おしい名前を久しぶりに呼んだ。

「えへへ、コタローだ、泣きそうな顔してどうしたの?」
「お前もな」
「うん。・・・ぅぐぅ」
「あっ、ずるいぞ、先に泣くなよなぁっ、鼻水もやめろって」

 抗議してくる琥太郎も、ずびっと鼻をすすっている。

「言っとくけど俺の方がしんどかったんだからな」
「うん、ごめんなさい・・・コタローはずっと僕のそばにいたの? それなのに僕はまるで無視するような・・・・・・」

 見えてなかったからというのはジョエルの都合だ。琥太郎を忘れてしまっていた間の自分の行動が思い出され、ジョエルは土下座すら厭わない気持ちになった。額を地に擦りつけても許してもらえないかもしれない。
 うつむいたジョエルの肩を琥太郎が掴む。

「ジョエルはそういう魔法術にかけられてたんだ」
「ええ、非常に高度な術です」

 ハワードの声は柄になく深刻だった。

「とりあえずはアルトリアさんの身に何が起こっていたのかを聞きに行きましょうか。我々よりはるかに多くを知っているであろう国王側近魔術師のもとに」
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