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第二章『召喚された少年と禁忌の魔法術』
61 この現象の名を教えて
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「え・・・・・・?」
落下の瞬間と、覚醒は同時に起こった。
———掛け時計の鐘が鳴っていた。
ボーン、ボーンと振り子が揺れる。
「あの時計って、とても古いものだからもう音は鳴らないって聞いてます。なのに、急に」
「ああ、神からの啓示の鐘です。気まぐれに鳴るのですよ。迷信ですけれどもね」
誰も本気で信じていませんよと、シスターのひとりが穏やかに笑う。
「そうなんですか、良かった。私、びっくりして、中断してすみません」
「構いませんよ。驚くのは当然でしょう」
女子監督生は安堵した顔で「ありがとうございます」と頭を下げた。
「続けます」
大講堂に不吉に響くような時計の鐘。ジョエル以外もまだ気にしているそぶりを見せているが、シスターの静穏を保った普段どおりの声に、おのおの意識を朝礼へと戻していく。
何の話をされていたのだったか。
ジョエルは一つひとつシスターの言葉を思い出す。
確か、新しい子が入ってくるという話だった。
「明日は皆が楽しみにしている馬術大会を控えております。監督生からも出場される方がいく数名いらっしゃるようですね。どの選手も清く正しく真摯な姿で臨んでください。出場しない監督生は浮かれた学園生たちがトラブルを起こさないよう、しっかりと見守ってくださいね。では本日の朝礼集会は以上となります」
ジョエルは思わず「え!」と声を上げ、進行役のシスターに厳しい目を向けられた。
「どうしましたアルトリアさん、先ほどから『え』が多いですよ? 振り子の音に驚いたのはわかりますが」
「そうじゃなくて」
「じゃなくて何です?」
「・・・・・・何でもありません。場を乱したことを心より懺悔いたします」
「よろしい、今後は気をつけなさい」
ジョエルが黙礼すると、朝礼集会は終了した。
「ジェイコブ!」
すかさず友人の後ろを追う。
「ん? 君から声をかけてくれるなんて珍しいな」
派手やかな赤髪の友人は溌剌と笑った。
「ご機嫌ようジェイコブ、そうだったっけ?」
「どうしたんだよジョークか?」
これまた珍しいなとおちょくられ、ジョエルは頬を赤らめる。
「ははっ、ごめんごめん。で、用件は何だった?」
そう。
楽しくお喋りに興じていてはいけない。訊ねなくても答えは確定している気もするが念のためだ。
「今日の朝礼の内容を最初から教えて欲しいんだ」
すると、ジェイコブはすんと口をつぐみ、ジョエルの顔を眺めまわす。
「ジョエル・・・さてはすごく具合が悪いんだろ。それはもう倒れそうなくらい最低の具合なんだよな?」
「僕は大真面目に聞いてる!」
「はいはい。わかったから無理しなくていいって。君の欠点はそういうとこだぞ。元気なアルトリア様がシスターの話を聞いてないはずないんだよ」
その時、ジェイコブの手が肩を撫でた。かと思えば耳に口を寄せられ、心臓が跳ねた。
「ジョエル、休んでから戻ろうか。おーい、君、ちょっといいかい?」
ジェイコブの声に、帰り際の下級生が立ち止まって振り返る。
「や、僕は大丈夫だからっ」
「シスターへの言伝は彼に頼めばいいさ」
止めようとするジョエルに微笑み、ジェイコブが下級生に頼んでしまう。もちろん頼まれた下級生は断れないし、断る理由もないのでにっこりと了承した。
「じゃ、頼んだよ、すまないね」
ジェイコブはこんなふうに強引に好意を表に出してくるタイプだっただろうか。ジョエルはこの友人にキスされそうになった時のことを思い出してソワソワする。
(鈍感だった僕が気がついてなかっただけってこともあり得るのかな・・・・・・)
記憶の中のジェイコブは人当たりが良くてよく助けてくれた。でも紳士的で、ジョエルが嫌だと主張すればすぐに身を引くタイプだった。相手を不快にさせない対人距離をちゃんと心得ているひとだった。
けれど今のジェイコブには素直にそれが感じられない。
「ジェイコブも寮に戻ってね。気を使ってくれてありがとう。僕は少し休んでから戻るけど、ひとりで平気だよ」
ジョエルはブレザーの襟を手で整えながら背筋を伸ばした。
「そうか」
ジェイコブの眉が下がる。
「・・・ごめん、親切にしてくれたのに、でも、さっきのことでやっぱり一つだけいいかな」
「うん?」
「ジェイコブの情報網に近々新入生が入ってくるっていうような噂は届いてない?」
「いいや。聞いたことないな。なんの話だ? さっきの朝礼と関係しているのか?」
「なんでもないんだ。気にしないで」
そしてジェイコブが行ってしまってから、ジョエルはその場に脱力した。
眩暈がする。何が起こっているのだろうか。どう見てもここはシーレハウス学園であり、なおかつあの日に戻っている。琥太郎の洗礼式があった日だ。さらに複雑なことにあの日に起きた出来事と相違点がある。
時が巻き戻ったのか。これは現実なのか。現実だとしたら、琥太郎と過ごした日々は何だったのだ。あれは幻覚? 夢? いやいやまさか。
ならばこれが夢?
・・・・・・。
(今考えるのはよそう)
わからないままでいくら考えても、結局わからないをループするだけ。
手や足の感覚はしっかりあり、頭もまわっている。もしもこの瞬間があの日なら出逢う前の琥太郎がいるはずだ。・・・なのに、彼はどこに。過去と変わってしまった点を調べるべきか・・・ジョエルは悩んだ。
ただの夢なら、ジタバタしても仕方ない。何もせず現実で目が覚めるのを待っていれば済む話。
途端に風が吹き、木々の葉がザワザワと揺れて不穏な音を響かせる。
自分の不安な気持ちがそう聞こえさせているのか、本当に良からぬ暗示なのか。フェロモンの作用を知らなかった頃のジョエルなら不安なだけだからだと終わらせていたかもしれない。しかし、風たちが騒いでいるのは凶兆の知らせと解釈できる。
「誰か、話のわかるひとに」
ぽつりと呟いたジョエルは頭にハワードの顔を浮かべた。
「ハワード様なら僕のヘンテコな事情を理解してくれるかも」
ザワザワ、ザワザワ。葉の音が鳴る。
止まない風が、急げと諭していた。
落下の瞬間と、覚醒は同時に起こった。
———掛け時計の鐘が鳴っていた。
ボーン、ボーンと振り子が揺れる。
「あの時計って、とても古いものだからもう音は鳴らないって聞いてます。なのに、急に」
「ああ、神からの啓示の鐘です。気まぐれに鳴るのですよ。迷信ですけれどもね」
誰も本気で信じていませんよと、シスターのひとりが穏やかに笑う。
「そうなんですか、良かった。私、びっくりして、中断してすみません」
「構いませんよ。驚くのは当然でしょう」
女子監督生は安堵した顔で「ありがとうございます」と頭を下げた。
「続けます」
大講堂に不吉に響くような時計の鐘。ジョエル以外もまだ気にしているそぶりを見せているが、シスターの静穏を保った普段どおりの声に、おのおの意識を朝礼へと戻していく。
何の話をされていたのだったか。
ジョエルは一つひとつシスターの言葉を思い出す。
確か、新しい子が入ってくるという話だった。
「明日は皆が楽しみにしている馬術大会を控えております。監督生からも出場される方がいく数名いらっしゃるようですね。どの選手も清く正しく真摯な姿で臨んでください。出場しない監督生は浮かれた学園生たちがトラブルを起こさないよう、しっかりと見守ってくださいね。では本日の朝礼集会は以上となります」
ジョエルは思わず「え!」と声を上げ、進行役のシスターに厳しい目を向けられた。
「どうしましたアルトリアさん、先ほどから『え』が多いですよ? 振り子の音に驚いたのはわかりますが」
「そうじゃなくて」
「じゃなくて何です?」
「・・・・・・何でもありません。場を乱したことを心より懺悔いたします」
「よろしい、今後は気をつけなさい」
ジョエルが黙礼すると、朝礼集会は終了した。
「ジェイコブ!」
すかさず友人の後ろを追う。
「ん? 君から声をかけてくれるなんて珍しいな」
派手やかな赤髪の友人は溌剌と笑った。
「ご機嫌ようジェイコブ、そうだったっけ?」
「どうしたんだよジョークか?」
これまた珍しいなとおちょくられ、ジョエルは頬を赤らめる。
「ははっ、ごめんごめん。で、用件は何だった?」
そう。
楽しくお喋りに興じていてはいけない。訊ねなくても答えは確定している気もするが念のためだ。
「今日の朝礼の内容を最初から教えて欲しいんだ」
すると、ジェイコブはすんと口をつぐみ、ジョエルの顔を眺めまわす。
「ジョエル・・・さてはすごく具合が悪いんだろ。それはもう倒れそうなくらい最低の具合なんだよな?」
「僕は大真面目に聞いてる!」
「はいはい。わかったから無理しなくていいって。君の欠点はそういうとこだぞ。元気なアルトリア様がシスターの話を聞いてないはずないんだよ」
その時、ジェイコブの手が肩を撫でた。かと思えば耳に口を寄せられ、心臓が跳ねた。
「ジョエル、休んでから戻ろうか。おーい、君、ちょっといいかい?」
ジェイコブの声に、帰り際の下級生が立ち止まって振り返る。
「や、僕は大丈夫だからっ」
「シスターへの言伝は彼に頼めばいいさ」
止めようとするジョエルに微笑み、ジェイコブが下級生に頼んでしまう。もちろん頼まれた下級生は断れないし、断る理由もないのでにっこりと了承した。
「じゃ、頼んだよ、すまないね」
ジェイコブはこんなふうに強引に好意を表に出してくるタイプだっただろうか。ジョエルはこの友人にキスされそうになった時のことを思い出してソワソワする。
(鈍感だった僕が気がついてなかっただけってこともあり得るのかな・・・・・・)
記憶の中のジェイコブは人当たりが良くてよく助けてくれた。でも紳士的で、ジョエルが嫌だと主張すればすぐに身を引くタイプだった。相手を不快にさせない対人距離をちゃんと心得ているひとだった。
けれど今のジェイコブには素直にそれが感じられない。
「ジェイコブも寮に戻ってね。気を使ってくれてありがとう。僕は少し休んでから戻るけど、ひとりで平気だよ」
ジョエルはブレザーの襟を手で整えながら背筋を伸ばした。
「そうか」
ジェイコブの眉が下がる。
「・・・ごめん、親切にしてくれたのに、でも、さっきのことでやっぱり一つだけいいかな」
「うん?」
「ジェイコブの情報網に近々新入生が入ってくるっていうような噂は届いてない?」
「いいや。聞いたことないな。なんの話だ? さっきの朝礼と関係しているのか?」
「なんでもないんだ。気にしないで」
そしてジェイコブが行ってしまってから、ジョエルはその場に脱力した。
眩暈がする。何が起こっているのだろうか。どう見てもここはシーレハウス学園であり、なおかつあの日に戻っている。琥太郎の洗礼式があった日だ。さらに複雑なことにあの日に起きた出来事と相違点がある。
時が巻き戻ったのか。これは現実なのか。現実だとしたら、琥太郎と過ごした日々は何だったのだ。あれは幻覚? 夢? いやいやまさか。
ならばこれが夢?
・・・・・・。
(今考えるのはよそう)
わからないままでいくら考えても、結局わからないをループするだけ。
手や足の感覚はしっかりあり、頭もまわっている。もしもこの瞬間があの日なら出逢う前の琥太郎がいるはずだ。・・・なのに、彼はどこに。過去と変わってしまった点を調べるべきか・・・ジョエルは悩んだ。
ただの夢なら、ジタバタしても仕方ない。何もせず現実で目が覚めるのを待っていれば済む話。
途端に風が吹き、木々の葉がザワザワと揺れて不穏な音を響かせる。
自分の不安な気持ちがそう聞こえさせているのか、本当に良からぬ暗示なのか。フェロモンの作用を知らなかった頃のジョエルなら不安なだけだからだと終わらせていたかもしれない。しかし、風たちが騒いでいるのは凶兆の知らせと解釈できる。
「誰か、話のわかるひとに」
ぽつりと呟いたジョエルは頭にハワードの顔を浮かべた。
「ハワード様なら僕のヘンテコな事情を理解してくれるかも」
ザワザワ、ザワザワ。葉の音が鳴る。
止まない風が、急げと諭していた。
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