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第一章『放り込まれてきた堕天使』

26 琥太郎がこそこそと

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 起床ベルの音が鳴っている時間だが、ジョエルはベッドを出なかった。琥太郎も寝息を立てているし、監督生じゃない朝は存外ゆっくりでいい。そう思うようにする、気が楽だ。
 けれども癖で一度目が覚めると二度寝とまではいかない。枕に頭を乗せたまま時間を潰していると、横で寝返りを打つ音がした。

「ん、おはよジョエル」

 くあっと欠伸をして琥太郎が起きる。

「どうする? 今日は行くか?」

 ジョエルは頷いた。何もせずにひとりで寮にいると、うじうじ嫌な方向へ物事を考えてしまう。
 この日からジョエルは色つきのベストを着なかった。
 鏡の前に立ち、リボン結びをするタイプのタイを手に取る。

「クロスタイじゃなくていいのか?」
「うん、コタローとお揃い」
「俺だけじゃないだろ、ほれ」

 琥太郎が意味深な言い方をするので振り返ると、彼は親指でドアの外を差していた。そちらに目を向ければジーンとフィルがドアのふちから並んで中を覗いている。

「ふふ、君たちっていつも一緒だね。心配してくれたんだ?」

 雪だるまのように縦に連なった友人たちの思案顔に、思わずジョエルの口がほころんだ。

「そりゃあ、友だちだろ?」
「そうさ。なぁ、コタロー、そうだよな。俺たちいつもジョエルを心配してるよな?」
「なんで俺に言うんだよ」

 琥太郎は苦笑いで肩をすくめたが、良かったなとジョエルの頭をぽんぽんと撫でた。

「うん。ありがとう、みんな」
「ほれほれ、これ以上優しくするとこいつはびーびーすぐに泣くからその辺にしとけ」
「あ、ちょっとっ、いらないこと言わないでコタロー! いい気分だったのに台無しだ!」

 しかしジョエルはお返しに琥太郎の胸を叩きながらも独りじゃないと教えられ、この日一日を過ごしてみる勇気をもらった。

(屋敷にいた頃とは違う、やっぱりずっとここにいたい)

 と、想いが強くなる。
 カフェテリアに行くと、ジョエルはセラス寮生の注目を集めた。まだ話題はホットだ、ひそひそ話は尽きない。

「気にするなよ、ジョエル」
「うん」

 痩せ我慢はしていなかった。琥太郎たちが気にかけてくれるので自然と平気だった。
 こうなる前から大貴族家の息子で監督生という肩書きを持っていたジョエルは、教室棟に移動してもどこを歩いても学園生たちに見られていたのでその点は変わらない。
 変わってしまったのはジョエルの側だと気づいてからは、胸を張り堂々と歩いた。そうしているうちに不快な噂話はしだいに消えていった。
 独りじゃないというのは本当に心強い。
 自分は大丈夫なのだろうと仄かな希望が見え始めた夕方、別の形で気がかりが発生した。
 暇な時間を持て余していたジョエルはセラス寮に戻りがてら寄り道をしようと模索していたのだが、教室内に琥太郎の姿が見当たらない。
 つい数秒前まで隣の席で授業を受けていたのになんて足の速さだろう。
 ジーンやフィルに訊ねてみると、「お腹壊したんじゃない?」とどちらも首を傾げる。他に思い当たる節がないジョエルは「そうかもね」と納得するしかなかった。
 念のため医務室に行ってみたがいない。手洗い場にもおらず、モーリッツの研究室にもいなかった。
 帰ってきたのは夕飯前の時間で、「ごめん、魔術史学のセンセのとこ行ってた」と言う・・・嘘ばっかりだ。
 怪しさ満点の琥太郎にずけずけと問うのは憚られ、当たり障りない会話で流した。その日以降もたびたび姿を消すようになった琥太郎。ジョエルは彼の行動に疑いを募らせるが、朝昼夜の食事は必ず一緒に取り、気まずい雰囲気というわけじゃない。教室棟に行く時も一緒だった。

「最近あいつおかしいね?」
「こそこそしてるけど、なんか知ってるかジョエル」

 三日目にしてジーンとフィルが怪しいとこぼす。

「うーん、僕もさっぱり。多分隠してるみたいだから訊けなくて」

 そんな時、ジョエルに会いにきたのはジェイコブだった。

「よっ、ご機嫌よう」

 品があるんだかないんだか、ちぐはぐな挨拶と共に手を振る美丈夫はジョエルに微笑む。ゴールドの色つきベストを身に纏った外見はいつ見ても凛々しくてまぶしい。

「あ・・・ジェイコブ」

 ジョエルは慣れた仕草で手を振ろうとし、ハッとして目を逸らした。ジェイコブとは監督生を外されてからめっきり顔を合わせる回数が減っていた。
 朝礼の後に互いをねぎらったりしてお喋りをするのが習慣になっていたのに、テストの結果発表以来、言葉を交わすのは初なのだ。
 セラス寮生から噂が伝わり多くの学園生がこの話をしていた。
 ジョエルの身に起きたことの顛末がヘリオス寮に届いていないはずはない。ジェイコブの耳にも入っているはず。
 入学してから何かと張り合い切磋琢磨してきた彼と、立っている舞台が天と地ほどに違ってしまった。
 もう同じ目線で、

「・・・・意見を言えないし会話するのもおこがましいかもしれない。とか思ってる? 何年も二人で頑張ってきてまさか冗談だろ。ちょっとショックだな」

 心の中を見透かされてジョエルは目をひん剥いて、さらにまん丸くする。

「ごめんなさい」
「ほんとさ。ちょっといい?」
「えっ」

 大切な話があるというジェイコブに連れ出され、ジョエルは教室棟に取り囲まれた中庭へ散歩に出た。
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