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第一章『放り込まれてきた堕天使』

3 啓示の音を聴く

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 アルトリア家は国の三大貴族家に属している。
 王室に発言権をもつマンチェスティオ公爵家、政治の絶対権力者であるジエルダ侯爵家、そしてアルトリア家は軍事のトップに君臨するフローレス侯爵家として王に従い国を治めている。
 しかしそんなこともジョエルの関心を惹かない。ジョエルの人生の全ては、この小さな小さな世界の中でこと足りる。これから先、息絶えるまで。

(お父様もお義母様・・・・も、僕がそうしていた方が嬉しいに決まっている。僕の顔なんて見たくないと思っているのだ)

 オメガがいるだけで名門貴族家の血筋を穢している。ただでさえジョエルは父が外で作った子どもだった。そういった意味でも、幾度もお前は一族の面汚しだと罵倒されてきた。
 思いつく限りの嫌がらせはひと通り受けただろうか。
 朝昼晩のどれかの食事抜きは当たり前だった。こき使いたいがためだけに使用していない空部屋の掃除をさせ、与えられていた寝床は屋根裏だ。笑ってしまうような虐めの数々。義理の母はジョエルをいたく憎んでおり、使用人以下のボロ雑巾のごとく虐げて憂さ晴らしをしていた。
 それから・・・あの事件が起きた。

「———ではアルトリアさんは最下級生を教会に引率していただけますか?」
「・・・・・・」
「アルトリアさん? 大丈夫ですか?」

 問いかけられる声の後ろで、掛け時計の振り子がボーンと巨大な音を響かせた。
 ジョエルは弾かれたように返事をする。

「あっ・・・申しわけありません。承知しました」

 何をやっているんだろう、全寮のシスターと監督生が集まる朝礼の場でぼんやりしてしまうなんて気が抜けていた。
 朝食前の朝礼は教室棟の大講堂で行われており、ボーン、ボーン・・・と振り子の音に心臓の鼓動が重なる。
 その時、ジョエルの横にいた女子監督生がおそるおそる声を出した。

「あの時計って、とても古いものだからもう音は鳴らないって聞いてます。なのに、急に」
「ああ、神からの啓示の鐘です。気まぐれに鳴るのですよ。迷信ですけれどもね」

 誰も本気で信じていませんよと、シスターのひとりが穏やかに笑う。

「そうなんですか、良かった。私、びっくりして、中断してすみません」
「構いませんよ。驚くのは当然でしょう」

 女子監督生は安堵した顔で「ありがとうございます」と頭を下げた。

「続けます」

 大講堂に不吉に響くような時計の鐘。ジョエル以外もまだ気にしているそぶりを見せているが、シスターの静穏を保った普段どおりの声に、おのおの意識を朝礼へと戻していく。
 何の話をされていたのだったか。
 ジョエルは一つひとつシスターの言葉を思い出す。
 確か、新しい子が入ってくるという話だった。

「話の途中で中断してしまったので、初めから言いましょう。本日より新しくシーレハウスに入学する子がいます。どの寮に入るのかはまだ決まっておりません。身元不明の孤児のようなので、ここ大講堂にて洗礼儀式を受けることになります」

 皆がシスターの説明に頷いた。ジョエルはセラス寮の学園生を洗礼儀式に参加させるため、最下級生の引率を頼まれていたのだ。

「よって朝食時間を十五分短縮し、各寮生を大講堂に集合させるように。伝達を忘れぬようお願いします」
「かしこまりました」

 朝礼を終えると、大講堂を出たジョエルを追いかけてくる足があった。ジョエルは他のセラス寮の監督生に先に戻っていてくれるよう断りを入れて振り返る。 

「ご機嫌ようジェイコブ、どうしたの?」
「どうしたのじゃないぞ。お前こそどうしたんだ。ぼうっとして」
「何でもないんだ。でも気にしてくれたんだね、ありがとう」
「別に・・・そんなんじゃないけど」

 肩で大きく息をついた彼はジェイコブ・グルーバー。ジョエルと同学年で、伯爵家の三男だ。ヘリオス寮の監督生をしている。現寮長よりも人望があり、家柄も良いので、ヘリオス寮は実質的に彼が仕切っているように思える。
 よく話をする関係だが、ジョエルとジェイコブは成績を競い合っているライバルだった。
 金髪碧眼で中性的な柔らかい外見をもつジョエルと対照的にジェイコブは見た目の主張が激しく華やかだ。赤い長髪が遠目にも目立ち、背も高く勇ましい。貴族騎士の父親ゆずりで剣が似合いそうだが、れっきとした男オメガなのである。
 彼自身も幼い頃は騎士を目指していたそうだ。その夢はオメガとして生まれた時点で絶たれている。しかしまったく悲観していない明るさが好ましい。もちろん表に見せない悩みがあるだろうけれど、跳ね返してしまう強い心の持ち主なのだ。ある意味で能天気とも言えるだろうか?
 ともかくジョエルはジェイコブの人柄を尊敬している。
 寮長の席は寮の数だけ用意されているのでそちらは心配ないとして、学年成績首席の座は一席だ。負けていられない。

「新入りってどんなやつだと思う? 中途半端な時期に飛び入りで入学してくるなんて初めてだよな? 男オメガらしいぞ」

 ジェイコブが声をひそめる。

「もう情報を仕入れてるんだ。さすがだね」
「まぁな、けど孤児ならセラス寮に入ることはまずないだろう」
「うん。もしもジェイコブのとこに決まった時は優しくしてあげなね」
「言われなくてもするさ」
「ふふ、そうだね」

 ジョエルが所属するセラス寮は貴族家だけを受け入れている。さらに貴族家の中でも高位貴族から中位貴族までを限定していた。
 ジェイコブのヘリオス寮は中位貴族から下位貴族、平民の中でも裕福な家庭、まれに人数合わせでそこに当てはまらない平民出身が入ることもある。
 男オメガ寮で最後のウラノス寮は平民身分の学園生で占められていた。親のいない子はウラノス寮に入る場合が多かった。
 そのため、新しく入ってくるというオメガのことは、ジョエルには関係ない話といえばそうなのだが。

(何だろう。胸騒ぎがする)

 時計の鐘の響きを聞いた瞬間から、ジョエルの心臓が胸を打つ音が止まないのだ。
 ざわざわと神経を逆撫でするような不快な感じ。木の葉が風で揺れてサワサワと立てる音なら好きなのに、今感じている落ち着かない気持ちはジョエルの嫌いなものだった。
  
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