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一年間の休息
旅立ち
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翌朝、朝食を終えて暫くしてから執務室に向かった。
お父様に朝食の時に話を通していたためか、執務室に入ると既に話をするための準備が整っていた。
「レティ、話があると言っていたけれど、どうかしたのかい?」
「実はわたくし、これから少し旅に出ようかと思いまして。許可を頂きに参りましたの。」
「一応、理由を聞いておこうか。」
「国を出て、各国を渡り歩くことで見聞を広めたく思いますわ。」
お父様は私の目を数秒間見つめた後に、深くため息を吐いた。
「レティ、お前はいずれこの家を継がなければならない。親としても当主としてもあまり危ないことはしてほしくない。けれど、一人の親としてしたいことはさせてやりたいと思うし、私も若い頃は身分を伏せて旅したこともあるから、お前にそれをするなとも言わない。…ただ、ロザリーは連れて行きなさい。」
お父様の言うことはもっともで、私の命には普通の貴族令嬢以上の価値がある。
帝国の運営には、八つの公爵家が欠かせない。その跡継ぎの私は、万が一にも死ぬ訳にはいかない。せめて子供を産むまでは生きなければならない。
「ありがとうございます。ロザリーは連れていきますし、身の安全にも十分気を配ることを約束致しますわ。」
「……ああ、そうして欲しい。ルイーズには私から伝えておくから、適当に行きなさい。」
「申し訳ありませんが、お願い致しますわ。」
お父様は一つ頷いて、執務机に戻って行った。
礼をして部屋を出ようとしたところで、声をかけられた。
「……ああ、それから、私はレティとロザリーが旅に出るということしか知らないし、私が許可を出したのはレティの旅行についてのみだ。……殿下方はこの屋敷で一年を過ごされる。」
お父様は言外に、私の旅に殿下やシリル様がついてくることは認知外だと言っている。
冷たくも聞こえるかもしれないが、これは自らの保身であり私達の保護でもある。
今後、皇家から殿下とシリル様がどこにいるのか聞かれたとしても、屋敷で過ごしていると伝えてくれるのだから。
「ありがとうございます、お父様。」
振り向きざまにそう言えば、お父様は少年のような悪戯っぽい笑みを浮かべて右手の人差し指を唇にあてた。
十数年一緒にいて、初めて見た仕草と表情だった。
殿下達には、お父様の判断をすぐにお伝えしたいからと温室で待ってもらっている。
私はドレスの裾を翻して温室へ足を向けた。
季節を問わず花の咲き乱れる我が家自慢の美しい温室は、花が好きだった夫人のために初代が誂えたとされている。
初代はここの花を、手ずから世話して夫人に贈っていたらしい。
元々、バーティン家の人間は愛情深いタチで、家紋に描かれている白い頭と尾を持つ鷲も、生涯番いを変えないから家紋に選ばれたという逸話もある。
そんな愛情深い一族の血は私にも流れていて、だからこそ、あそこまでエヴァリスト様に尽くせたのだと思う。
そうだとすると、少しだけこの血を恨めしく思う。私が私でなければ、こうもボロボロになることもなかったのかもしれないのだから。
献身的な愛と言えば聞こえはいいが、自己を損なうような愛し方は心身の健康によろしくない。
次に人を愛す時は、与えるばかりではなく、返してもらえるような、そんな関係がいい。
その相手が殿下かはまだ分からないけど、なんだか少しだけスッキリした気がする。
お父様があんな顔をするなんて知らなかったし、お父様の書斎の花をお母様が摘んで飾っているのを知ったのも数日前のことだ。
私は全てを知った気でいたけど、愛して欲しがっていた両親のことでさえ碌に知らなかった。
恋は盲目で、愛は判断を狂わす。
執着していたのはエヴァリスト様だけでなく、私もだった。だから、あんなに必死になって努力していた。
あの頃を無駄とは思わない。
でも、それを持って旅立つのは、あまりに身が重い。
全部、全部、置いていこう。
一年後、帰ってきたら、案外なんでもなくなっているかもしれない。人は忘れる生き物だから。
気持ちも新たに、温室の扉を開けた。
お父様に朝食の時に話を通していたためか、執務室に入ると既に話をするための準備が整っていた。
「レティ、話があると言っていたけれど、どうかしたのかい?」
「実はわたくし、これから少し旅に出ようかと思いまして。許可を頂きに参りましたの。」
「一応、理由を聞いておこうか。」
「国を出て、各国を渡り歩くことで見聞を広めたく思いますわ。」
お父様は私の目を数秒間見つめた後に、深くため息を吐いた。
「レティ、お前はいずれこの家を継がなければならない。親としても当主としてもあまり危ないことはしてほしくない。けれど、一人の親としてしたいことはさせてやりたいと思うし、私も若い頃は身分を伏せて旅したこともあるから、お前にそれをするなとも言わない。…ただ、ロザリーは連れて行きなさい。」
お父様の言うことはもっともで、私の命には普通の貴族令嬢以上の価値がある。
帝国の運営には、八つの公爵家が欠かせない。その跡継ぎの私は、万が一にも死ぬ訳にはいかない。せめて子供を産むまでは生きなければならない。
「ありがとうございます。ロザリーは連れていきますし、身の安全にも十分気を配ることを約束致しますわ。」
「……ああ、そうして欲しい。ルイーズには私から伝えておくから、適当に行きなさい。」
「申し訳ありませんが、お願い致しますわ。」
お父様は一つ頷いて、執務机に戻って行った。
礼をして部屋を出ようとしたところで、声をかけられた。
「……ああ、それから、私はレティとロザリーが旅に出るということしか知らないし、私が許可を出したのはレティの旅行についてのみだ。……殿下方はこの屋敷で一年を過ごされる。」
お父様は言外に、私の旅に殿下やシリル様がついてくることは認知外だと言っている。
冷たくも聞こえるかもしれないが、これは自らの保身であり私達の保護でもある。
今後、皇家から殿下とシリル様がどこにいるのか聞かれたとしても、屋敷で過ごしていると伝えてくれるのだから。
「ありがとうございます、お父様。」
振り向きざまにそう言えば、お父様は少年のような悪戯っぽい笑みを浮かべて右手の人差し指を唇にあてた。
十数年一緒にいて、初めて見た仕草と表情だった。
殿下達には、お父様の判断をすぐにお伝えしたいからと温室で待ってもらっている。
私はドレスの裾を翻して温室へ足を向けた。
季節を問わず花の咲き乱れる我が家自慢の美しい温室は、花が好きだった夫人のために初代が誂えたとされている。
初代はここの花を、手ずから世話して夫人に贈っていたらしい。
元々、バーティン家の人間は愛情深いタチで、家紋に描かれている白い頭と尾を持つ鷲も、生涯番いを変えないから家紋に選ばれたという逸話もある。
そんな愛情深い一族の血は私にも流れていて、だからこそ、あそこまでエヴァリスト様に尽くせたのだと思う。
そうだとすると、少しだけこの血を恨めしく思う。私が私でなければ、こうもボロボロになることもなかったのかもしれないのだから。
献身的な愛と言えば聞こえはいいが、自己を損なうような愛し方は心身の健康によろしくない。
次に人を愛す時は、与えるばかりではなく、返してもらえるような、そんな関係がいい。
その相手が殿下かはまだ分からないけど、なんだか少しだけスッキリした気がする。
お父様があんな顔をするなんて知らなかったし、お父様の書斎の花をお母様が摘んで飾っているのを知ったのも数日前のことだ。
私は全てを知った気でいたけど、愛して欲しがっていた両親のことでさえ碌に知らなかった。
恋は盲目で、愛は判断を狂わす。
執着していたのはエヴァリスト様だけでなく、私もだった。だから、あんなに必死になって努力していた。
あの頃を無駄とは思わない。
でも、それを持って旅立つのは、あまりに身が重い。
全部、全部、置いていこう。
一年後、帰ってきたら、案外なんでもなくなっているかもしれない。人は忘れる生き物だから。
気持ちも新たに、温室の扉を開けた。
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