主様と私

月居 結深

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この世界の奴隷

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 レイバン。愛称はレイといったところか。

 その響きは、とても懐かしく感じる。

 水上みなかみれい。それが、この世界に来る前の私の名前だ。


 元々、私は二十八歳の色々と崖っぷちな日本のOLだった。その頃からずっと、私の表情筋は仕事をしなかったのだが、ひとまずそのことは置いておこう。

 仕事帰り、気がつくと、遠くに街が見える街道のど真ん中に、簡素な白いワンピース姿で放り出されていた。

 突然の環境の変化には勿論驚いた。でも、それ以上に驚いたのは、身体が若返っていることだった。髪の長さや胸の大きさからして、十五歳の頃だろうとは分かったものの、だからって何になる訳でもない。

 神様的な存在には出会わなかったが、この世界の常識や魔法についての知識は詰め込まれていた。
 もしかしたら会っていたのかもしれないが、記憶がない。

 ワンピースのポケットには金貨が一枚。日本円にして一万円程の価値だ。……神様からの餞別だろうか。

 金額に文句はない。素性のしれない小娘が大金を持っていても、怪しまれるだけだし、トラブルの元だ。

 魔法の使い方も何となくで分かり、私は走って街に行った。でも、身分証もない小娘が入れてもらえるはずがない。私は少し考えて、金貨を渡す代わりに奴隷商を呼んでもらった。国から認められた奴隷商を。

 私はそこで奴隷商に自分を売り渡した。商品としてならば、中に入れるだろうと思ったのだ。門にいた兵士達も私がそんな行動をするとは思っていなかったらしく、度肝を抜かれていた。奴隷商を呼んでくれた兵士に金貨を渡し、仲間と飲みにでも行ってと言った。


 それから半年余り、奴隷商のお世話になった。国に認められているだけあって、殆どの奴隷の扱いは丁寧だった。
 というか、建物内であれば行動は自由であった。逃げ出そうとすれば罰を受けるが、逃げ出した者を追いはしなかった。奴隷は『奴隷の首輪』をつけられているから目立つのだ。逃げ出した奴隷を相手する物好きはいない。大抵が野垂れ死ぬか、戻って来るかだ。

 私は、奴隷商にいる間、色々とお節介をした。
 まず、奴隷商と奴隷の服装や見た目を整えた。貴族相手の商売もあるだろう。奴隷を扱うと言っても、『商売』なのだ。取引先に侮られるようなことがあってはならない。
 次に、罰を受けていない奴隷達に読み書きと常識、マナーを教えた。器量がよく、貴族に買われそうな者には計算や貴族にも通じるような振る舞いを叩き込んだ。魔法に適性のある者には魔法を教えたりもした。
 最後に、私が教えたことを新しく入って来た子にきちんと教えることを約束させた。もし覚えていられないのなら、紙に書き残しておくように言った。

 奴隷達は皆素直であった。それぞれ色々事情はあるだろうに、卑屈になることなく生きていた。彼らがいい雇い主に出会うことを祈っている。
 私が主様に買われるまでに、何人かの奴隷が買われていった。

 その中に、遊郭に買われた少女がいた。私より三つ歳上の十八歳で、整った顔立ちと美しい金色の髪をしていた。瞳は碧で、きちんと手入れをしたら一国の姫と言われても納得するほどの美貌になった。
 そんな彼女は貴族に引き取られるのはつまらない、私は遊女になりたいなんて言う少し変わった少女だった。少女の希望に添い、私はその手の知識を少女に与えた。そして、少女は奴隷商の遊郭への営業について行き、自ら望み通りの道を勝ち取った。チョーカーのようなデザインの『首輪』をした少女は、煌びやかに着飾って遊郭へ届けられた。風の噂では、売れっ子のようだ。


 奴隷商も奴隷の彼らも、私が普通でないことには気づいていた。それでも、何も聞かなかった。


「……レイバン?どうかしたかい?」


 主様の声で、思考の海から意識が浮上した。主様も私も、すでに食事は終わっていた。無意識に食べていたのだろう。


「……いいえ、ただ、懐かしいことを思い出しておりました。」
「それはどんなこと?」
「……エリック様にお話しするような内容ではありません。」


 私はゆっくりと首を振った。奴隷になってからの私のことしか話せないし、それらは面白みのない話だ。


「……レイバンは、全然自分のことを話さないからね。君の口から業務以外の話が飛び出すとは思わなかった。」
「……エリック様は人がお嫌いですが、私も一応人ですよ。」


 いくら人らしくなくとも、私は人だ。触れれば、肉の下に暖かな血液が流れていることが分かるだろう。


「……それは分かっているのだけどね。君の言動とその容姿が、噛み合っていないように感じるからかな、なんだか人らしくないんだ。」


 どきりとした。そりゃあ、身体は約半分位の若さになってしまったし、言動がこの歳の少女らしくないのは百も承知だ。
 しかしながら、私が実際に見た目通りの年齢だとしても、同世代の少女とは違っていただろう。


「…エリック様のような方から見れば、奴隷は変わり者に思えるでしょう。」
「……君の時間を奪うのはいけないね。もう下がっていいよ。」
「失礼致します。」


 私が誤魔化したからか、主様はそれ以上追求しなかった。まぁ、奴隷なんて多かれ少なかれ秘密を抱えているものだし、暴かない方がいいこともある。


 手早く二人分の食器を片付け、部屋を後にした。屋敷には状態保存の魔法がかかっているから、掃除は必要ない。私の主な仕事は、庭の管理と洗濯、料理と買い出し、あとは馬達の世話くらいのものだ。全てを一人でと思うと大変に思うかもしれないが、この世界には魔法がある。

 庭の草むしりなんかは人力だが、水やりは朝方の内に魔法で局地的な雨を降らせることで代用している。
 そうでなくとも、庭の花達にも魔法がかかっていて、多少のことでは枯れないし、傷つかない。

 洗濯もある程度は魔法で出来る。酷そうなところは手洗いすればいいし、洗濯機には及ばないが、そこまでの手間ではない。乾燥は魔法で一瞬だし、シャツなんかのシワも乾かす時に気を使えばなくなるので、アイロンいらずだ。

 料理は私と主様二人分なので、全然苦でないし、買い出しは奴隷だと分かっていても、法外な金額を吹っかけたりしないいい方ばかりだからむしろ楽しい。他の街がどうかは分からないが、この街は買われている奴隷には優しい。反対に、逃げ出した奴隷には優しくない。冷たくはないけど、自ら手を差し出すような人はいない。

 ……まぁ、当たり前だ。この世界の奴隷は、犯罪奴隷でなければ納得した上で奴隷になっている。親のためとか家族のためなんて話も多いが、家族から逃れるためなんて話もある。暴力を振るわれていたりしたら、逃げたくもなるだろう。
 真偽の程は定かでないが、虐げられていた貴族の令嬢が逃げるようにして奴隷になったという話も聞いた。

 奴隷との契約には双方の合意が必要なため、逃げてきた奴隷が戻ることはない。……よく考えられたシステムだと思う。私の個人的な見解だが、少なくともこの国の奴隷商は、日本で言うところの保護施設的なものではないかと思っている。

 勿論、みんながみんな、私がお世話になった奴隷商のような人物とは思わないが、私が思う奴隷よりもこの国の奴隷は健全であり、民衆に広く受け入れられているように感じる。

 因みに、馬達の世話は慣れない内は大変だったが、馬達と仲良くなった今では癒しの時間でしかない。
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