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私の名前
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冷たくて暗い地下室。主様はそこから出てこない。
自分が嫌いで、人が嫌い。世界一かどうかはともかく、この国では間違いなく一番美しい彼は自らのことを醜いと言う。
鏡はどこに何回置いても粉々になるため、一月も経たない内に置くこと自体をやめた。
雇われる時、彼に『僕のことを人だなんて思わないでほしい。人形とか、置物として見てくれてかまわない。』と言われた。
わざと引き攣れたような笑みを浮かべる彼の目は酷く悲しげで、憂いに満ちていた。
朝食を持って地下室に降りる。今は春も半ばで、貴族はそろそろ王都に集まる頃なのだが、ここはひんやりしていて、夏はともかく冬は凍えそうだ。
重たい扉を開けると、そこはふわふわの絨毯が敷かれた間接照明しかない部屋。もちろん必要最低限の家具はある。
でも、それだけ。ノックをしなかったのは、しても返事がこないから。最初は慣れなかったが一月もすれば慣れた。人とは、慣れる生き物なのだ。
テーブルに朝食を並べていると、奥からゆっくりと背の高い男が歩いてくる。そして、いつもの如く引き攣れたような笑みを浮かべる。
「おはよう、今日も僕は醜いかな?」
「おはようございます、エリック様。はい、本日も見るに耐えない醜さでございます。」
毎日繰り返されるこの問答。ここに住んでいると、これが主様との毎日の挨拶みたいになってくる。
本当は、彼は醜くなんかない。漆黒の艶のある髪に、長い前髪で隠れがちだが、ルビーのように煌めく切れ長の目。形のいい薄い唇、そこから紡がれる声までもが柔らかく美しい。陶器のような肌は陽に当たらなさすぎて青白いが、それでもそこらの令嬢よりよほど綺麗だ。
許されるのなら、声を大にして彼を称賛したい。でも、醜くなんてない、美しいと言えば彼はパニックを起こすと知っているから言えない。
いつも通りの私の答えに彼は嬉しそうに目を細めた。椅子に座ると、
「今日は君も一緒に食べないかい?人は嫌いなんだけど、君は人じゃないみたいだから。」
と声をかけられた。本来ならば、使用人、それも奴隷の位にある私が主様と一緒のテーブルにつくなどあり得ないのだが、主様からの誘いを断れるはずもない。
「かしこまりました。」
私は頭を下げて部屋を出た。
主様は私のことを人じゃないみたいと言うけど、私はれっきとした人間だ。
ただ、表情筋が滅多に動かず、声に抑揚がないだけで。きちんと血の通った人間である。
私のみてくれは、美しい人の多い貴族の中でも美しいもののようで、異国の風情を感じることも、興味を惹かれる要因らしい。
黄色人種らしく少し黄みがかった白い肌に、黒く長い髪に同じ色の瞳。彫りが深くないのっぺりしたような顔立ちのため、この国の人には実年齢よりも幼くみられやすい。
「…………そういえば、君の名前を考えなければいけないね。」
私が向かいに座り、主様よりも少し質素な朝食を摂っていると、主様が言った。
「…なくても不便はありませんし、エリック様を煩わせるくらいなら、ないままで構いません。」
「いいや、ちゃんと考えるよ。その首輪も、見栄えが悪いから外してしまおうか。」
主様は首を振り、軽く手を振ることで私の首にあった奴隷の証である首輪を取ってしまった。
あまりに呆気なく外れたものだから、私の方がびっくりしてしまった。
主様は、とても優秀な魔法使いだと聞いていたが、『奴隷の首輪』までもあっさり解除してしまうとは思わなかった。
「……外してよろしいのですか?」
「君は逃げたりしないだろう?」
「それは勿論ですがー」
言い募ろうとした私に、主様は言葉を被せる。
「それに、どうせつけさせるのなら、あんな無粋なものじゃなくて、もっとセンスのいいものを与えるよ。…例えば、こんなものをね。」
主様がパチンと指を鳴らすと、私の左手の薬指に薔薇の花を象った指輪が現れた。
この国でもというか、この世界でも、左手の薬指に指輪をするというのは、結婚の証になる。主様はそのことに気付いているのだろうか。
「……エリック様、とても嬉しいのですが、他の指にすることは出来ないのでしょうか?」
「…………その指に指輪があることに、何か不都合があるのかな?」
「私には何も不都合はございません。ですが、この指に指輪をはめるということは伴侶がいるという証明になります。……学のない奴隷でも知っていることです。贈り主がエリック様と分かれば、あらぬ誤解を招きましょう。」
主様は人が嫌いで、自分が嫌いだ。でも、主様の周りは、主様を放っておいてはくれない。社交シーズンになれば嫌でも夜会に出なければならないし、そこで婚約者をあてがわれそうになったりもするだろう。
「……左手の薬指には、心臓まで一番太い血管が繋がっているという。その指に主からの指輪をはめるというのは、心臓を捧げる意思があるともとれるだろう?だから、気にしなくていい。僕が同じものをつければ騒ぎになるだろうから、チェーンにでも引っ掛けて、見えないように首から下げておくよ。それなら問題ないだろう?」
「…………承知いたしました。ご配慮感謝いたします。」
これ以上粘るのもと思い引き下がりはしたが、飼い主と奴隷が同じものを身につけるなんてどうなのだろうとは思う。
「……ああ、それから、レイバンはどうかな?」
「……………?」
「君の名前だよ。異国の言葉で漆黒という意味なんだけど。…安直極まりないけど、君の髪や瞳はとても綺麗な黒だから。」
「……ありがとうございます。とても、嬉しいです。」
自分が嫌いで、人が嫌い。世界一かどうかはともかく、この国では間違いなく一番美しい彼は自らのことを醜いと言う。
鏡はどこに何回置いても粉々になるため、一月も経たない内に置くこと自体をやめた。
雇われる時、彼に『僕のことを人だなんて思わないでほしい。人形とか、置物として見てくれてかまわない。』と言われた。
わざと引き攣れたような笑みを浮かべる彼の目は酷く悲しげで、憂いに満ちていた。
朝食を持って地下室に降りる。今は春も半ばで、貴族はそろそろ王都に集まる頃なのだが、ここはひんやりしていて、夏はともかく冬は凍えそうだ。
重たい扉を開けると、そこはふわふわの絨毯が敷かれた間接照明しかない部屋。もちろん必要最低限の家具はある。
でも、それだけ。ノックをしなかったのは、しても返事がこないから。最初は慣れなかったが一月もすれば慣れた。人とは、慣れる生き物なのだ。
テーブルに朝食を並べていると、奥からゆっくりと背の高い男が歩いてくる。そして、いつもの如く引き攣れたような笑みを浮かべる。
「おはよう、今日も僕は醜いかな?」
「おはようございます、エリック様。はい、本日も見るに耐えない醜さでございます。」
毎日繰り返されるこの問答。ここに住んでいると、これが主様との毎日の挨拶みたいになってくる。
本当は、彼は醜くなんかない。漆黒の艶のある髪に、長い前髪で隠れがちだが、ルビーのように煌めく切れ長の目。形のいい薄い唇、そこから紡がれる声までもが柔らかく美しい。陶器のような肌は陽に当たらなさすぎて青白いが、それでもそこらの令嬢よりよほど綺麗だ。
許されるのなら、声を大にして彼を称賛したい。でも、醜くなんてない、美しいと言えば彼はパニックを起こすと知っているから言えない。
いつも通りの私の答えに彼は嬉しそうに目を細めた。椅子に座ると、
「今日は君も一緒に食べないかい?人は嫌いなんだけど、君は人じゃないみたいだから。」
と声をかけられた。本来ならば、使用人、それも奴隷の位にある私が主様と一緒のテーブルにつくなどあり得ないのだが、主様からの誘いを断れるはずもない。
「かしこまりました。」
私は頭を下げて部屋を出た。
主様は私のことを人じゃないみたいと言うけど、私はれっきとした人間だ。
ただ、表情筋が滅多に動かず、声に抑揚がないだけで。きちんと血の通った人間である。
私のみてくれは、美しい人の多い貴族の中でも美しいもののようで、異国の風情を感じることも、興味を惹かれる要因らしい。
黄色人種らしく少し黄みがかった白い肌に、黒く長い髪に同じ色の瞳。彫りが深くないのっぺりしたような顔立ちのため、この国の人には実年齢よりも幼くみられやすい。
「…………そういえば、君の名前を考えなければいけないね。」
私が向かいに座り、主様よりも少し質素な朝食を摂っていると、主様が言った。
「…なくても不便はありませんし、エリック様を煩わせるくらいなら、ないままで構いません。」
「いいや、ちゃんと考えるよ。その首輪も、見栄えが悪いから外してしまおうか。」
主様は首を振り、軽く手を振ることで私の首にあった奴隷の証である首輪を取ってしまった。
あまりに呆気なく外れたものだから、私の方がびっくりしてしまった。
主様は、とても優秀な魔法使いだと聞いていたが、『奴隷の首輪』までもあっさり解除してしまうとは思わなかった。
「……外してよろしいのですか?」
「君は逃げたりしないだろう?」
「それは勿論ですがー」
言い募ろうとした私に、主様は言葉を被せる。
「それに、どうせつけさせるのなら、あんな無粋なものじゃなくて、もっとセンスのいいものを与えるよ。…例えば、こんなものをね。」
主様がパチンと指を鳴らすと、私の左手の薬指に薔薇の花を象った指輪が現れた。
この国でもというか、この世界でも、左手の薬指に指輪をするというのは、結婚の証になる。主様はそのことに気付いているのだろうか。
「……エリック様、とても嬉しいのですが、他の指にすることは出来ないのでしょうか?」
「…………その指に指輪があることに、何か不都合があるのかな?」
「私には何も不都合はございません。ですが、この指に指輪をはめるということは伴侶がいるという証明になります。……学のない奴隷でも知っていることです。贈り主がエリック様と分かれば、あらぬ誤解を招きましょう。」
主様は人が嫌いで、自分が嫌いだ。でも、主様の周りは、主様を放っておいてはくれない。社交シーズンになれば嫌でも夜会に出なければならないし、そこで婚約者をあてがわれそうになったりもするだろう。
「……左手の薬指には、心臓まで一番太い血管が繋がっているという。その指に主からの指輪をはめるというのは、心臓を捧げる意思があるともとれるだろう?だから、気にしなくていい。僕が同じものをつければ騒ぎになるだろうから、チェーンにでも引っ掛けて、見えないように首から下げておくよ。それなら問題ないだろう?」
「…………承知いたしました。ご配慮感謝いたします。」
これ以上粘るのもと思い引き下がりはしたが、飼い主と奴隷が同じものを身につけるなんてどうなのだろうとは思う。
「……ああ、それから、レイバンはどうかな?」
「……………?」
「君の名前だよ。異国の言葉で漆黒という意味なんだけど。…安直極まりないけど、君の髪や瞳はとても綺麗な黒だから。」
「……ありがとうございます。とても、嬉しいです。」
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