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29.訪問
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一度帰宅することを決めたミリアムは、パンのところへ行き「帰る」というような趣旨のことを一言告げておく。そして、その足で帰路についた。唯一幸運だったのは、誰にも会わぬまま帰ることができたことだろう。
天気は悪くなかった。
けれど、晴れやかな空を目にしていても、心の中のもやが晴れることはない。
こんな時は明るいものを見れば見るほど辛くなる。それは天気にも言えることだ。見上げた空が晴れやかであればあるほど、苦しさと虚しさに襲われてしまうものである。
晴れた空が、穏やかに降り注ぐ日差しが、元気づけてくれる。
そんなのはただの幻想でしかないのかもしれない。
夜になるまではまだ時間がある。
それでも寄り道をする気にはなれず、ミリアムは真っ直ぐ家に向かう。
扉を開けて敷地内に入ると、ミリアムはすぐに扉を閉め鍵をかけた。
そのまま地面に座り込む。
靴を脱ぐことすら今は面倒臭い。何をする気にもなれない。今の状態では、戸締りをするのが限界だ。
「……はぁ」
溜め息なんてつくものじゃないと思いはするのに、小さな溜め息をこぼさずにはいられなかった。
重しを乗せられたみたい——ミリアムは漠然と思う。
結局男性に謝れなかった。ハプニングの中でのこととはいえ手を出してしまったのだから、謝罪するべきだったのに。後悔は時が経つにつれ大きくなっていってしまう。
それから数分が経過して、ミリアムはようやく立ち上がる力を得る。
靴を脱ぎ、リビングへ向かった。
◆
チャイムが鳴ったのは、陽が沈んだ後のことだった。
通信販売を頼んだ覚えもないのにいきなりチャイムが鳴ったものだから、ミリアムは一瞬飲んでいた紅茶を吹き出しそうになる。
「……何かしら」
カップを適当なところに置き、ソファから立ち上がる。怪訝な顔をしたまま、玄関へと向かった。
扉の前に到着。
しかしすぐには開けない。
一人暮らしをするにあたって親に言われていた注意事項の中に、「チャイムが鳴ってもすぐには出ないこと」というものがあった。
それを忘れているミリアムではない。
玄関の明かりを落とし、足音が響かないよう注意しながら、まだ閉まっている扉に接近。それから、扉の半分より上の辺りに空いた小さな穴へと顔を近づける。扉の向こう側を確認するために。
「っ……!」
覗き穴から外を確認して、ミリアムは思わず息をこぼしてしまう。
サラダとロゼットが並んで立っているのが見えたからだ。
ロゼットは一度ミリアムの家へ来ている。それゆえ、彼がその場所を知っているのは何もおかしな話ではない。
だが、ミリアムにとっては、それは驚くようなことだった。
ロゼットがサラダまで連れてこの家へやって来るなんて、想像していなかったことだ。
ミリアムは暗い玄関で葛藤する。戸を開けるべきか否かを。
これまでミリアムはこの家のことを黙っていた。誰も招き入れなかったし、来たそうにされても極力断ってきた。
親に忠告されていたからというのもあるが、ミリアム自身もそれに納得していたのだ。一人になれる場所は少しでも多い方が良いから。
と、昔話はそこまでにするとして。
ただ、ミリアムは今、開けるか否かの大きな岐路に立たされている。
これまで守ってきたものをまたしてもなかったこととする。それが正しいことなのか、すぐには判断できなくて。扉の前でミリアムは悩む。
その時、もう一度チャイムが鳴った。
出なければこのまま鳴り続けるだろうか? 二人は私が出ていくまでそこにいるだろうか? それか、放っておいたらそのうち帰るのか?
ミリアムの脳内を巡るのはそんなものばかり。
「……仕方、ないわね」
ミリアムは誰にも聞こえぬように呟いて、初めて声を発する。
「はい! どなたかしら!」
戸一枚越しだ、声は届いたであろう。
「あ、あのぅ。サラダ、なんですけど」
「ミリアムさんはいらっしゃいますか」
先にサラダが、それからロゼットが、それぞれ言葉を放ってきた。
もはや逃げられない。留守のふりもできない。
「えっ、そうなの? ちょっと待って。今から開けるわ」
ミリアムは、訪問者の正体を知らなかったかのように振る舞いつつ、解錠。それからもう一度外の様子を確認し、ゆっくりと扉を開けていく。扉の向こう側に立っているサラダたちに当たらないよう注意しながら。
「こんばんは! ミリアムさんっ」
黒髪の少女サラダは満面の笑みで挨拶してきた。
「サラダ……どうしてここに……」
「ロゼットさんに教えてもらいました!」
やはり一人でも招き入れるべきではなかったか、と、ミリアムは僅かに後悔する。
サラダが悪人でないことは知っているので、厳密には、彼女にこの家を知られるのは問題ない。が、同じように少しずつ広がって多くの人たちにここを知られるとなると、ミリアムとしては嬉しくない。多くの非能力者にこの家を知られること、それはなるべく避けたいことだ。
「実はですね、先日、ロゼットさんがミリアムさんと一緒に帰っているところを見たんです! それで、駄目元で尋ねてみたら、教えていただけました!」
ロゼットを家に招いたことをパンに知られていたのはそのせいか、と、ミリアムは静かに思う。
「教えたのね、ロゼット……」
「すみません。ただ、偶然僕も訪ねようと思っていたところでして」
「それはどういうことかしら」
「ミリアムさんが落ち込んでられるようでしたので……気になって」
最初はロゼットに「ちょっと、何てことしてくれるの?」などと思ってしまっている部分もあった。しかし、彼が自身を心配してくれていたことが判明すると、その思いは少々変化して。ロゼットを責める気にはならなくなった。
「そ、そうだったのね……。まぁ、取り敢えず入って?」
「ありがとうございます」
このまま追い返すのも忍びないので、ミリアムは二人を家の中に入れることにした。
「わたしは……」
「サラダも入って構わないわよ」
「は、はい!」
何も、やましいことがあるわけではない。
入れること自体に大きな問題はないだろう。
天気は悪くなかった。
けれど、晴れやかな空を目にしていても、心の中のもやが晴れることはない。
こんな時は明るいものを見れば見るほど辛くなる。それは天気にも言えることだ。見上げた空が晴れやかであればあるほど、苦しさと虚しさに襲われてしまうものである。
晴れた空が、穏やかに降り注ぐ日差しが、元気づけてくれる。
そんなのはただの幻想でしかないのかもしれない。
夜になるまではまだ時間がある。
それでも寄り道をする気にはなれず、ミリアムは真っ直ぐ家に向かう。
扉を開けて敷地内に入ると、ミリアムはすぐに扉を閉め鍵をかけた。
そのまま地面に座り込む。
靴を脱ぐことすら今は面倒臭い。何をする気にもなれない。今の状態では、戸締りをするのが限界だ。
「……はぁ」
溜め息なんてつくものじゃないと思いはするのに、小さな溜め息をこぼさずにはいられなかった。
重しを乗せられたみたい——ミリアムは漠然と思う。
結局男性に謝れなかった。ハプニングの中でのこととはいえ手を出してしまったのだから、謝罪するべきだったのに。後悔は時が経つにつれ大きくなっていってしまう。
それから数分が経過して、ミリアムはようやく立ち上がる力を得る。
靴を脱ぎ、リビングへ向かった。
◆
チャイムが鳴ったのは、陽が沈んだ後のことだった。
通信販売を頼んだ覚えもないのにいきなりチャイムが鳴ったものだから、ミリアムは一瞬飲んでいた紅茶を吹き出しそうになる。
「……何かしら」
カップを適当なところに置き、ソファから立ち上がる。怪訝な顔をしたまま、玄関へと向かった。
扉の前に到着。
しかしすぐには開けない。
一人暮らしをするにあたって親に言われていた注意事項の中に、「チャイムが鳴ってもすぐには出ないこと」というものがあった。
それを忘れているミリアムではない。
玄関の明かりを落とし、足音が響かないよう注意しながら、まだ閉まっている扉に接近。それから、扉の半分より上の辺りに空いた小さな穴へと顔を近づける。扉の向こう側を確認するために。
「っ……!」
覗き穴から外を確認して、ミリアムは思わず息をこぼしてしまう。
サラダとロゼットが並んで立っているのが見えたからだ。
ロゼットは一度ミリアムの家へ来ている。それゆえ、彼がその場所を知っているのは何もおかしな話ではない。
だが、ミリアムにとっては、それは驚くようなことだった。
ロゼットがサラダまで連れてこの家へやって来るなんて、想像していなかったことだ。
ミリアムは暗い玄関で葛藤する。戸を開けるべきか否かを。
これまでミリアムはこの家のことを黙っていた。誰も招き入れなかったし、来たそうにされても極力断ってきた。
親に忠告されていたからというのもあるが、ミリアム自身もそれに納得していたのだ。一人になれる場所は少しでも多い方が良いから。
と、昔話はそこまでにするとして。
ただ、ミリアムは今、開けるか否かの大きな岐路に立たされている。
これまで守ってきたものをまたしてもなかったこととする。それが正しいことなのか、すぐには判断できなくて。扉の前でミリアムは悩む。
その時、もう一度チャイムが鳴った。
出なければこのまま鳴り続けるだろうか? 二人は私が出ていくまでそこにいるだろうか? それか、放っておいたらそのうち帰るのか?
ミリアムの脳内を巡るのはそんなものばかり。
「……仕方、ないわね」
ミリアムは誰にも聞こえぬように呟いて、初めて声を発する。
「はい! どなたかしら!」
戸一枚越しだ、声は届いたであろう。
「あ、あのぅ。サラダ、なんですけど」
「ミリアムさんはいらっしゃいますか」
先にサラダが、それからロゼットが、それぞれ言葉を放ってきた。
もはや逃げられない。留守のふりもできない。
「えっ、そうなの? ちょっと待って。今から開けるわ」
ミリアムは、訪問者の正体を知らなかったかのように振る舞いつつ、解錠。それからもう一度外の様子を確認し、ゆっくりと扉を開けていく。扉の向こう側に立っているサラダたちに当たらないよう注意しながら。
「こんばんは! ミリアムさんっ」
黒髪の少女サラダは満面の笑みで挨拶してきた。
「サラダ……どうしてここに……」
「ロゼットさんに教えてもらいました!」
やはり一人でも招き入れるべきではなかったか、と、ミリアムは僅かに後悔する。
サラダが悪人でないことは知っているので、厳密には、彼女にこの家を知られるのは問題ない。が、同じように少しずつ広がって多くの人たちにここを知られるとなると、ミリアムとしては嬉しくない。多くの非能力者にこの家を知られること、それはなるべく避けたいことだ。
「実はですね、先日、ロゼットさんがミリアムさんと一緒に帰っているところを見たんです! それで、駄目元で尋ねてみたら、教えていただけました!」
ロゼットを家に招いたことをパンに知られていたのはそのせいか、と、ミリアムは静かに思う。
「教えたのね、ロゼット……」
「すみません。ただ、偶然僕も訪ねようと思っていたところでして」
「それはどういうことかしら」
「ミリアムさんが落ち込んでられるようでしたので……気になって」
最初はロゼットに「ちょっと、何てことしてくれるの?」などと思ってしまっている部分もあった。しかし、彼が自身を心配してくれていたことが判明すると、その思いは少々変化して。ロゼットを責める気にはならなくなった。
「そ、そうだったのね……。まぁ、取り敢えず入って?」
「ありがとうございます」
このまま追い返すのも忍びないので、ミリアムは二人を家の中に入れることにした。
「わたしは……」
「サラダも入って構わないわよ」
「は、はい!」
何も、やましいことがあるわけではない。
入れること自体に大きな問題はないだろう。
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