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7話 「流れてゆく季節」
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やがて秋になる。湖の周りの木々も紅葉して色鮮やかになった。この季節になると少し湖畔の静かさがましな気がする。赤や黄といった派手な色合いに変わった葉が夜でもどこか明るさを感じさせるからだろうか。
あれから症状を発症することが減った私は医者から再び外出許可をもらえたので、昼間に堂々と湖へ行けるようになり、毎日をソラと楽しく過ごした。ある日は風景を眺めて語り合い、ある日は一緒に本を読んだ。退屈しのぎに、木々から落ちてくる実を拾ってアクセサリーを作ってみたりもした。ソラが拾ったどんぐりの中から虫が出てきてたまげた、なんて愉快なエピソードもあるぐらいだ。
冬になると、紅葉していた葉はすっかり地に落ち、木々のほとんどが枝だけとなる。見ているだけで寒そうだ。寒い朝には湖の水面にうっすら氷が張っていることもあった。
私は誕生日プレゼントに伯母がくれた毛糸を使い、ソラにあげるマフラーを編んだ。手作業には慣れていないので苦労したが少しずつ進め、ついに完成させることが出来た。初めての作品というのもあって大雑把な部分が目立つのだが、それでも喜んでもらえたのだから上出来だと思う。
長い冬を越えて新芽の芽吹く春が来る。寒々しかった木々も徐々に活気を取り戻していく。その一方で私は憂鬱だった。少しずつ近付いてくる変えようのない終わりをまだ受け入れられずにいた。
私は意地でも毎日湖へ行きソラと同じ時間を過ごした。私は体調が優れない日でも彼を心配させたくない一心で湖へ向かった。もちろんそれだけではなく彼といる時は辛さを忘れられるという理由もあるわけだが。彼も愚か者ではない。きっと気付いているだろう。けれど敢えて何も触れないのは優しさの一部なのかもしれない。
そんな春のある日のこと。
私が湖畔でソラといつも通り穏やかに話していると後ろに人の気配を感じる。振り返ってみると、伯母が立っていた。
「アイネちゃん、その方はどなたなの?」
伯母は面白くなさそうな顔で尋ねてくる。大方、私が幸せそうにしているのが気に食わないといったところだろう。
「……伯母さん。いらっしゃるなんて珍しいですね。どうしてここに?」
「質問しているのはこっちよ」
機嫌が悪そうだ。仕方がないので紹介することにする。
「そうですね、紹介します。彼はソラ。私の友人です」
「あらまぁ、お友達ですって?その男性が?」
伯母は半ば呆れたような表情で嘲笑ってくる。この笑い、本当に苦手だ。
「もう数ヶ月も生きられないのにお友達が必要かしら?」
「だからこそ、です」
不愉快に思って言い返すと、伯母は眉を動かし早足で接近してきた。そして私の頬に平手打ちを繰り出す。
「前に男には会うなと言ったはずよ!」
乾いた音が鳴る。いきなりのびんたに動揺してしばらく何も言えなかった。
「……誰?」
すぐ横に来たソラが小さな声で私に聞いてくる。動揺して言葉を失っていた私は彼の声で現実に戻り、しばらくしてから「伯母よ」と答えた。
「無理して倒れられたら困るのよ!それでなくても体力があまりないんだから。貴女が倒れたら、私がちゃんとしていないからって責められるじゃない!分かっているの!?」
人前ではいつも上品な女性を装っている伯母が声を荒らげるなんて。こんなに珍しいことはない。いくらこの湖の周辺は人通りが少ないとしても、立ち入り禁止なわけではないので誰かが来ないとは限らない。
「帰るわよ、アイネ!」
腕を掴まれ無理矢理引っ張られそうになる。私は強い拒否の意味を込めて伯母の手を振りほどいた。
「……嫌です」
今まではそれなりに従ってきたつもりだ。不満を感じることがあってもなるべく抗わないようにしてきた。
ただ、私はもう伯母の理不尽な命令に従うことはしない。この時、初めてそう決心した。
「私の人生です。自分の心に従います」
今ははっきりと断言出来る。これ以上、ソラと過ごす日々を奪われるわけにはいかない。
「なっ……。アイネ!」
初めて反抗されたことに驚いたらしく、伯母はいつになく顔を引きつらせる。
「残りの人生くらいは、私の好きなようにします」
「一体何を言い出すの……?どういうつもり!?」
かなり動揺している様子が伺える。
「来なさい、アイネ!」
再びびんたされそうになったその時——。
「乱暴は止めてよ」
ソラが言い放った。その声は特に激しくないが、いつも他愛のない話をしている時とは違う気がする。彼の人間離れした鋭い視線にさすがの伯母も一歩退く。
「な、何を言っているの?乱暴ですって?くだらないことを!私を困らせているのはその子なのよ?」
「アイネは悪い子じゃない」
ソラは眉一つ動かさず淡々と言い返す。
「貴方は何も分かっていないのよ!突然現れて気味の悪い!」
きついことを言う伯母だが内心はソラを恐れていると思われる。少なくとも私にはそう見える。
「私は伯母だったというだけの理由で、そんな不気味な病の子を世話しなくてはならなくなったのよ!」
「なら止めたらいい。これからは僕がアイネの世話をする」
そうなればどれほど良いか。この先ずっと伯母と共に暮らすことを考えると憂鬱になる。
「何ですって……?」
伯母は目を見開き、吐き捨てるようにこう言う。
「いいわ、そうしましょう。私だってそんな気味の悪い子を世話するのは嫌だったのよ!」
刹那、ソラの目付きが変わった。身体から金色の霧のようなものが発生する。
「駄目!」
私が叫ぶとほぼ同時に彼は巨大な龍へと変貌した。
「罰当たりな人間。よくもアイネを悪く言ったね。さぁ、覚悟しなよ」
突然起こった非現実的な事象に伯母は立ちすくんでいる。説明もなくこんなことが起これば信じられるわけがない。いや、説明されたところで理解出来る人間は少数だろう。
大きな龍の姿となったソラは尾で地面を叩きつけた。轟音と共に地面が揺れる。まるで地震のように。
目の前にいる巨大な生物の迫力は、それがソラであると分かっている私ですらも圧倒するほどのものであった。
あれから症状を発症することが減った私は医者から再び外出許可をもらえたので、昼間に堂々と湖へ行けるようになり、毎日をソラと楽しく過ごした。ある日は風景を眺めて語り合い、ある日は一緒に本を読んだ。退屈しのぎに、木々から落ちてくる実を拾ってアクセサリーを作ってみたりもした。ソラが拾ったどんぐりの中から虫が出てきてたまげた、なんて愉快なエピソードもあるぐらいだ。
冬になると、紅葉していた葉はすっかり地に落ち、木々のほとんどが枝だけとなる。見ているだけで寒そうだ。寒い朝には湖の水面にうっすら氷が張っていることもあった。
私は誕生日プレゼントに伯母がくれた毛糸を使い、ソラにあげるマフラーを編んだ。手作業には慣れていないので苦労したが少しずつ進め、ついに完成させることが出来た。初めての作品というのもあって大雑把な部分が目立つのだが、それでも喜んでもらえたのだから上出来だと思う。
長い冬を越えて新芽の芽吹く春が来る。寒々しかった木々も徐々に活気を取り戻していく。その一方で私は憂鬱だった。少しずつ近付いてくる変えようのない終わりをまだ受け入れられずにいた。
私は意地でも毎日湖へ行きソラと同じ時間を過ごした。私は体調が優れない日でも彼を心配させたくない一心で湖へ向かった。もちろんそれだけではなく彼といる時は辛さを忘れられるという理由もあるわけだが。彼も愚か者ではない。きっと気付いているだろう。けれど敢えて何も触れないのは優しさの一部なのかもしれない。
そんな春のある日のこと。
私が湖畔でソラといつも通り穏やかに話していると後ろに人の気配を感じる。振り返ってみると、伯母が立っていた。
「アイネちゃん、その方はどなたなの?」
伯母は面白くなさそうな顔で尋ねてくる。大方、私が幸せそうにしているのが気に食わないといったところだろう。
「……伯母さん。いらっしゃるなんて珍しいですね。どうしてここに?」
「質問しているのはこっちよ」
機嫌が悪そうだ。仕方がないので紹介することにする。
「そうですね、紹介します。彼はソラ。私の友人です」
「あらまぁ、お友達ですって?その男性が?」
伯母は半ば呆れたような表情で嘲笑ってくる。この笑い、本当に苦手だ。
「もう数ヶ月も生きられないのにお友達が必要かしら?」
「だからこそ、です」
不愉快に思って言い返すと、伯母は眉を動かし早足で接近してきた。そして私の頬に平手打ちを繰り出す。
「前に男には会うなと言ったはずよ!」
乾いた音が鳴る。いきなりのびんたに動揺してしばらく何も言えなかった。
「……誰?」
すぐ横に来たソラが小さな声で私に聞いてくる。動揺して言葉を失っていた私は彼の声で現実に戻り、しばらくしてから「伯母よ」と答えた。
「無理して倒れられたら困るのよ!それでなくても体力があまりないんだから。貴女が倒れたら、私がちゃんとしていないからって責められるじゃない!分かっているの!?」
人前ではいつも上品な女性を装っている伯母が声を荒らげるなんて。こんなに珍しいことはない。いくらこの湖の周辺は人通りが少ないとしても、立ち入り禁止なわけではないので誰かが来ないとは限らない。
「帰るわよ、アイネ!」
腕を掴まれ無理矢理引っ張られそうになる。私は強い拒否の意味を込めて伯母の手を振りほどいた。
「……嫌です」
今まではそれなりに従ってきたつもりだ。不満を感じることがあってもなるべく抗わないようにしてきた。
ただ、私はもう伯母の理不尽な命令に従うことはしない。この時、初めてそう決心した。
「私の人生です。自分の心に従います」
今ははっきりと断言出来る。これ以上、ソラと過ごす日々を奪われるわけにはいかない。
「なっ……。アイネ!」
初めて反抗されたことに驚いたらしく、伯母はいつになく顔を引きつらせる。
「残りの人生くらいは、私の好きなようにします」
「一体何を言い出すの……?どういうつもり!?」
かなり動揺している様子が伺える。
「来なさい、アイネ!」
再びびんたされそうになったその時——。
「乱暴は止めてよ」
ソラが言い放った。その声は特に激しくないが、いつも他愛のない話をしている時とは違う気がする。彼の人間離れした鋭い視線にさすがの伯母も一歩退く。
「な、何を言っているの?乱暴ですって?くだらないことを!私を困らせているのはその子なのよ?」
「アイネは悪い子じゃない」
ソラは眉一つ動かさず淡々と言い返す。
「貴方は何も分かっていないのよ!突然現れて気味の悪い!」
きついことを言う伯母だが内心はソラを恐れていると思われる。少なくとも私にはそう見える。
「私は伯母だったというだけの理由で、そんな不気味な病の子を世話しなくてはならなくなったのよ!」
「なら止めたらいい。これからは僕がアイネの世話をする」
そうなればどれほど良いか。この先ずっと伯母と共に暮らすことを考えると憂鬱になる。
「何ですって……?」
伯母は目を見開き、吐き捨てるようにこう言う。
「いいわ、そうしましょう。私だってそんな気味の悪い子を世話するのは嫌だったのよ!」
刹那、ソラの目付きが変わった。身体から金色の霧のようなものが発生する。
「駄目!」
私が叫ぶとほぼ同時に彼は巨大な龍へと変貌した。
「罰当たりな人間。よくもアイネを悪く言ったね。さぁ、覚悟しなよ」
突然起こった非現実的な事象に伯母は立ちすくんでいる。説明もなくこんなことが起これば信じられるわけがない。いや、説明されたところで理解出来る人間は少数だろう。
大きな龍の姿となったソラは尾で地面を叩きつけた。轟音と共に地面が揺れる。まるで地震のように。
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