147 / 161
146話 「彼女の背負うもの」
しおりを挟む
目が覚めると、見知らぬ部屋にいた。視界は一面白、汚れのない清潔な天井である。蛍光灯がついているため室内は明るい。しかし静かだ。
意識は戻ったもののまだ体が重たい。だから私は、目を開けたり閉じたりしながら、しばらくぼんやりしていた。
動かした手足の感覚で、床が畳の和室だということだけは分かる。しかし、それ以外はよく分からなかった。
そうして数分くらい経った頃、誰かが声をかけてくる。
「沙羅。目が覚めたようね」
「……エリナさん?」
「そうよ。特に異常はなさそうね」
首を少し動かすと、エリナの姿が見えた。桜色の長い髪がよく目立つ。
「今は何時ですか?」
「午前五時。まだ早朝よ」
「皆さんは……?」
武田やレイはどうしているだろう。意識が戻ってくるにつれ、心配になった。重傷ではないだろうが、無傷でもない。
「レイは足首を捻っていたから、軽く手当てを済ませて、今は眠っているわ。隣の部屋でね。ナギとモルが見張っているわよ」
「そうなんですね。良かった……」
私が半ば無意識に安堵の溜め息を漏らすと、エリナはクスッと笑う。
「随分心配症ね」
「は、はい」
「どうせなら、他人のことより自分のことを心配しなさいよ」
「すみません……」
謝るほかなかった。
確かに、自分の心配をした方が良いのかもしれない。
だが、どうしても、武田やレイのことの方が心配になってしまうのだ。大切な人だから、である。
「貴女、武田を助けようと男に挑んだそうじゃない」
少し沈黙があってから、エリナが唐突に口を開いた。
赤い口紅を塗った、まさに大人の女性といった雰囲気の唇が、非常に魅力的だ。良い意味で情熱的である。
「腕の傷、それで負ったのでしょう?」
「は、はい……」
正直少し恥ずかしい。
体術や射撃ができるわけでもなく、特別賢いわけでもない無力な私だ。武田を助ける、なんて完全に笑い話である。
もちろん、あの瞬間は本気だった。しかし今冷静な状態で考えると、馬鹿げているとしか思えない。
「随分な度胸ね、武田を助ける側になろうなんて」
恥ずかしいので、あまり言わないでほしい……。
「ちょっとやそっとでやられるほど脆い武田じゃないって、貴女なら分かっているでしょう。それなのに彼を助けようとしたのは、恋人だから?」
うっ。そこに繋げてくるか。
これはエリナと一番話したくない話題だ。
「恋人だからなの?」
「……それも、ありますけど」
多分、それだけではない。
「武田さんには何度も助けてもらいました。だからたまには私が武田さんを助けないと、と思って」
恩返しに近い感覚かもしれない。
立て籠もり事件の時、初めて助けてもらった。それからエリミナーレに入って、更に何度も助けてもらった。だから、せめて一度くらい彼を助けたいと思ったのだ。
……結局たいして上手くいかなかったわけだが。
「武田さん、大丈夫だといいですけど」
そう言うと、エリナに笑われた。
「沙羅、貴女、本当に人の心配ばかりね。自分も怪我しているというのに」
「あっ……、すみません」
「謝らないでちょうだい。そんな意味で言ったわけじゃないわよ」
そうだったんだ。
私はエリナの穏やかな顔を見て安堵の溜め息を漏らす。今の発言は、どうやら、嫌みではなかったようだ。
すると、エリナは一度深呼吸をする。そして言葉を放つ。
「……それにしても。このタイミングで襲撃、なんてね」
意外にも、彼女の表情は憂いを帯びていた。予想していなかった流れに内心驚く。
「きっと神様はエリミナーレ解散を促そうとしているんだわ」
神様、なんて言葉はエリナには似合わない。彼女は「我こそが神」といった感じの人間だから。
こんなことで解散の意を固められてしまっては困る。何とか解散しない方向へ持っていかなくてはならないのだ。
だから私は言った。
「そんなことないですよ! 昨夜の事件は多分、エリミナーレの結束を固めるための試練に違いないです!」
これは苦しい。かなり苦しい言い分だ。しかし、エリナを気を逸らすためになんとか頑張らねば。
「だから、神様は解散を促そうとなんてしてませんよ!」
「……随分必死ね」
冷ややかな目で見られた。
何とも形容し難い気分である。
「変えようとしても無駄よ。エリミナーレは解散する」
「そんな。どうして……」
「決まっているでしょう。もう目的は果たされた、これ以上皆を危険な目に遭わせる理由はない」
エリナは淡々とした調子で話すが、その表情はどこか切なげだ。本当は彼女もみんなとの別れを寂しく思っているのかもしれない——私はそんな風に感じた。
「……でも、犯罪がなくなるわけではありませんよね。これからは純粋に治安維持のための組織にすれば……良いのでは?」
私は一応提案してみる。
無能な私が偉そうに言うのも何だが、エリナの心を変えられる可能性がまったくないことはないと思うからだ。
しかし、エリナは頑なな態度を取り続ける。
「今まで危険なことを引き受けてきたのは、目的があったからよ。もうこんなこと、ごめんだわ」
「でも、みんな……」
「もう止めてちょうだい!」
ついにエリナは叫んだ。
強く鋭く、しかし悲しさを含んだ、そんな声である。彼女の心を映す鏡のような声だ。
私は解散を止めさせようと何度もしつこく言ってしまったことを、心から後悔した。彼女が背負っている重い荷物のことなど微塵も考慮せずに発言してしまうとは、なんて未熟者なのだろう。
「……とにかく、この話は止めましょう。おかしな空気にして悪かったわね」
エリナは桜色の長い髪を掻き上げ、はぁ、と溜め息を漏らす。そして、扉の方へと歩き出してしまう。
スライド式の和風な扉を開け、エリナは部屋から出ていってしまった。
室内に一人ぼっちになってしまった。
私一人が過ごすには広い部屋だ。しんとしていて何だか寂しい。寂しさを紛らすには眠ってしまえば良いのだが、都合よく眠れそうにもなく、どうしようもない状況だ。
取り敢えず上半身を起こしてみることにした。
「……っ!」
起き上がろうと床についた腕に痛みが走った。その瞬間になって、怪我していることを思い出す。
すっかり失念してしまっていた。
しかし動けないほどの痛みではないので、上半身を起こすことは簡単にできる。
「和室……」
周囲を見回し確認する。
畳が敷かれた平凡な和室で、窓はない。扉は先ほどエリナが出ていったスライド式のものが一つ。私が寝ている布団以外、ほとんど何もない。
殺風景な部屋だ。もしかしたら客室ではないのかもしれない。
「沙羅。起きているか?」
私が室内を見回していると、突然、扉の向こう側から武田の声が聞こえてきた。身構えていなかったため、心臓がバクンと鳴る。しかし私は平静を装い、「はい」と返事をした。
意識は戻ったもののまだ体が重たい。だから私は、目を開けたり閉じたりしながら、しばらくぼんやりしていた。
動かした手足の感覚で、床が畳の和室だということだけは分かる。しかし、それ以外はよく分からなかった。
そうして数分くらい経った頃、誰かが声をかけてくる。
「沙羅。目が覚めたようね」
「……エリナさん?」
「そうよ。特に異常はなさそうね」
首を少し動かすと、エリナの姿が見えた。桜色の長い髪がよく目立つ。
「今は何時ですか?」
「午前五時。まだ早朝よ」
「皆さんは……?」
武田やレイはどうしているだろう。意識が戻ってくるにつれ、心配になった。重傷ではないだろうが、無傷でもない。
「レイは足首を捻っていたから、軽く手当てを済ませて、今は眠っているわ。隣の部屋でね。ナギとモルが見張っているわよ」
「そうなんですね。良かった……」
私が半ば無意識に安堵の溜め息を漏らすと、エリナはクスッと笑う。
「随分心配症ね」
「は、はい」
「どうせなら、他人のことより自分のことを心配しなさいよ」
「すみません……」
謝るほかなかった。
確かに、自分の心配をした方が良いのかもしれない。
だが、どうしても、武田やレイのことの方が心配になってしまうのだ。大切な人だから、である。
「貴女、武田を助けようと男に挑んだそうじゃない」
少し沈黙があってから、エリナが唐突に口を開いた。
赤い口紅を塗った、まさに大人の女性といった雰囲気の唇が、非常に魅力的だ。良い意味で情熱的である。
「腕の傷、それで負ったのでしょう?」
「は、はい……」
正直少し恥ずかしい。
体術や射撃ができるわけでもなく、特別賢いわけでもない無力な私だ。武田を助ける、なんて完全に笑い話である。
もちろん、あの瞬間は本気だった。しかし今冷静な状態で考えると、馬鹿げているとしか思えない。
「随分な度胸ね、武田を助ける側になろうなんて」
恥ずかしいので、あまり言わないでほしい……。
「ちょっとやそっとでやられるほど脆い武田じゃないって、貴女なら分かっているでしょう。それなのに彼を助けようとしたのは、恋人だから?」
うっ。そこに繋げてくるか。
これはエリナと一番話したくない話題だ。
「恋人だからなの?」
「……それも、ありますけど」
多分、それだけではない。
「武田さんには何度も助けてもらいました。だからたまには私が武田さんを助けないと、と思って」
恩返しに近い感覚かもしれない。
立て籠もり事件の時、初めて助けてもらった。それからエリミナーレに入って、更に何度も助けてもらった。だから、せめて一度くらい彼を助けたいと思ったのだ。
……結局たいして上手くいかなかったわけだが。
「武田さん、大丈夫だといいですけど」
そう言うと、エリナに笑われた。
「沙羅、貴女、本当に人の心配ばかりね。自分も怪我しているというのに」
「あっ……、すみません」
「謝らないでちょうだい。そんな意味で言ったわけじゃないわよ」
そうだったんだ。
私はエリナの穏やかな顔を見て安堵の溜め息を漏らす。今の発言は、どうやら、嫌みではなかったようだ。
すると、エリナは一度深呼吸をする。そして言葉を放つ。
「……それにしても。このタイミングで襲撃、なんてね」
意外にも、彼女の表情は憂いを帯びていた。予想していなかった流れに内心驚く。
「きっと神様はエリミナーレ解散を促そうとしているんだわ」
神様、なんて言葉はエリナには似合わない。彼女は「我こそが神」といった感じの人間だから。
こんなことで解散の意を固められてしまっては困る。何とか解散しない方向へ持っていかなくてはならないのだ。
だから私は言った。
「そんなことないですよ! 昨夜の事件は多分、エリミナーレの結束を固めるための試練に違いないです!」
これは苦しい。かなり苦しい言い分だ。しかし、エリナを気を逸らすためになんとか頑張らねば。
「だから、神様は解散を促そうとなんてしてませんよ!」
「……随分必死ね」
冷ややかな目で見られた。
何とも形容し難い気分である。
「変えようとしても無駄よ。エリミナーレは解散する」
「そんな。どうして……」
「決まっているでしょう。もう目的は果たされた、これ以上皆を危険な目に遭わせる理由はない」
エリナは淡々とした調子で話すが、その表情はどこか切なげだ。本当は彼女もみんなとの別れを寂しく思っているのかもしれない——私はそんな風に感じた。
「……でも、犯罪がなくなるわけではありませんよね。これからは純粋に治安維持のための組織にすれば……良いのでは?」
私は一応提案してみる。
無能な私が偉そうに言うのも何だが、エリナの心を変えられる可能性がまったくないことはないと思うからだ。
しかし、エリナは頑なな態度を取り続ける。
「今まで危険なことを引き受けてきたのは、目的があったからよ。もうこんなこと、ごめんだわ」
「でも、みんな……」
「もう止めてちょうだい!」
ついにエリナは叫んだ。
強く鋭く、しかし悲しさを含んだ、そんな声である。彼女の心を映す鏡のような声だ。
私は解散を止めさせようと何度もしつこく言ってしまったことを、心から後悔した。彼女が背負っている重い荷物のことなど微塵も考慮せずに発言してしまうとは、なんて未熟者なのだろう。
「……とにかく、この話は止めましょう。おかしな空気にして悪かったわね」
エリナは桜色の長い髪を掻き上げ、はぁ、と溜め息を漏らす。そして、扉の方へと歩き出してしまう。
スライド式の和風な扉を開け、エリナは部屋から出ていってしまった。
室内に一人ぼっちになってしまった。
私一人が過ごすには広い部屋だ。しんとしていて何だか寂しい。寂しさを紛らすには眠ってしまえば良いのだが、都合よく眠れそうにもなく、どうしようもない状況だ。
取り敢えず上半身を起こしてみることにした。
「……っ!」
起き上がろうと床についた腕に痛みが走った。その瞬間になって、怪我していることを思い出す。
すっかり失念してしまっていた。
しかし動けないほどの痛みではないので、上半身を起こすことは簡単にできる。
「和室……」
周囲を見回し確認する。
畳が敷かれた平凡な和室で、窓はない。扉は先ほどエリナが出ていったスライド式のものが一つ。私が寝ている布団以外、ほとんど何もない。
殺風景な部屋だ。もしかしたら客室ではないのかもしれない。
「沙羅。起きているか?」
私が室内を見回していると、突然、扉の向こう側から武田の声が聞こえてきた。身構えていなかったため、心臓がバクンと鳴る。しかし私は平静を装い、「はい」と返事をした。
0
お気に入りに追加
6
あなたにおすすめの小説
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/essay.png?id=5ada788558fa89228aea)
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/chara_novel.png?id=8b2153dfd89d29eccb9a)
30歳、魔法使いになりました。
本見りん
キャラ文芸
30歳の誕生日に魔法に目覚めた鞍馬花凛。
『30歳で魔法使い』という都市伝説を思い出し、酔った勢いで試すと使えてしまったのだ。
そして世間では『30歳直前の独身』が何者かに襲われる通り魔事件が多発していた。巻き込まれた花凛を助けたのは1人の青年。……彼も『魔法』を使っていた。
そんな時会社での揉め事があり実家に帰った花凛は、鞍馬家本家当主から思わぬ事実を知らされる……。
ゆっくり更新です。
1月6日からは1日1更新となります。
苦労人お嬢様、神様のお使いになる。
いんげん
キャラ文芸
日本屈指の資産家の孫、櫻。
家がお金持ちなのには、理由があった。
代々、神様のお使いをしていたのだ。
幼馴染の家に住み着いた、貧乏神を祓ったり。
死の呪いにかかった青年を助けたり……。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/chara_novel.png?id=8b2153dfd89d29eccb9a)
【完結】あやかしの隠れ家はおいしい裏庭つき
入魚ひえん
キャラ文芸
これは訳あってあやかしになってしまった狐と、あやかしの感情を心に受け取ってしまう女の子が、古民家で共に生活をしながら出会いと別れを通して成長していくお話。
*
閲覧ありがとうございます、完結しました!
掴みどころのない性格をしている狐のあやかしとなった冬霧と、冬霧に大切にされている高校生になったばかりの女の子うみをはじめ、まじめなのかふざけているのかわからない登場人物たちの日常にお付き合いいただけたら嬉しいです。
全30話。
第4回ほっこり・じんわり大賞の参加作品です。応援ありがとうございました。
お犬様のお世話係りになったはずなんだけど………
ブラックベリィ
キャラ文芸
俺、神咲 和輝(かんざき かずき)は不幸のどん底に突き落とされました。
父親を失い、バイトもクビになって、早晩双子の妹、真奈と優奈を抱えてあわや路頭に………。そんな暗い未来陥る寸前に出会った少女の名は桜………。
そして、俺の新しいバイト先は決まったんだが………。
男装官吏と花散る後宮〜禹国謎解き物語〜
春日あざみ
キャラ文芸
宮廷で史書編纂事業が立ち上がると聞き、居ても立ってもいられなくなった歴史オタクの柳羅刹(りゅうらせつ)。男と偽り官吏登用試験、科挙を受験し、見事第一等の成績で官吏となった彼女だったが。珍妙な仮面の貴人、雲嵐に女であることがバレてしまう。皇帝の食客であるという彼は、羅刹の秘密を守る代わり、後宮の悪霊によるとされる妃嬪の連続不審死事件の調査を命じる。
しかたなく羅刹は、悪霊について調べ始めるが——?
「歴女×仮面の貴人(奇人?)」が紡ぐ、中華風世界を舞台にしたミステリ開幕!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる