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119話 「一滴の涙が拓く」
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「いいな、沙羅! お前は要るんだ! だから護身に集中しろ!」
息は乱れ、体は震え、それでも武田は声を出すことを止めなかった。
それを見て宰次は不快感を露わにする。
「うるさい男ですな。京極エリナの下僕のくせに」
いつものような笑みは浮かんでいない。今の宰次には不快の色しかなかった。口角は下がり、眉間にしわができている。
「黙れ。私はもう、下僕などではない。一人の人間だ」
「武田くんが人間? ふふ。またもやおかしなことを言い出しましたな」
宰次は手下の男に命じ、武田を無理矢理立たせる。
立たせると言っても、腕を掴んで立っているような体勢にさせるというだけのことだが。
「武田くんが人間だなんて、笑い話ですな。新日本警察じゃ、みんな言ってますよ。『京極と武田が消えて良かったな』ってね」
「……そうか」
「ま、エリミナーレがいて助かってるんですがね。普通の警官にはさせられないような危険な任務も、君たちになら押し付けられる」
話している間も、宰次は何度か、武田の体に棒を当てていた。
武田は既に、自力では立つことすらままならないほど弱っている。表情からも疲れていることが分かるくらいだ。
彼が電撃を浴びせられるのを見るたび、「私のせいだ」と自分を責めそうになる。けれども、今の私は、それではいけないのだと思えるようになっていた。自分を責めることは、何の解決にも繋がらない。完全に無意味なことである。
「ただ、武田くん。君は多くを知りすぎていますからな……消えてもらわねば」
突如黒い棒で鳩尾を突かれた武田は、青ざめ、身を震わせる。
あの棒さえなければ——そう思った瞬間、偶然か必然か、手が腰の拳銃に触れた。私はナギから借りていた拳銃のようなものの存在を思い出す。
殺傷能力はない、とナギから聞いた、この拳銃。本物ではないため致命傷を与えることはできないだろうが、少し意識を逸らすくらいなら可能だろう。
操作の手順はナギから聞いたので問題ない。あと必要なのは、ひと欠片の勇気だけだ。
「武田くん、死ぬ前に一つだけ聞かせてもらいたいのです。あの夜、瑞穂から何を聞いたのですかな?」
「……あの夜、だと」
「一度だけ、瑞穂が夜中に君へ電話をかけたことがあったでしょう?」
私は腰元の拳銃に手を伸ばすが、思いきれず、抜くことができない。どうしても躊躇ってしまう。
このままでは武田が危ない。それは分かっているのに。
「それを言って何になる」
「吐かねば、沙羅さんもろとも殺しますからな」
「……言おう。だが、たいしたことではない」
「沙羅さんの身を案ずるなら、さっさと言いなさい。でなければ、再び悲劇が繰り返されることとなりますからな」
宰次は得意の脅しを使う。
武田は応じないものと踏んでいたが、意外にもさらっと話した。
「組織との取り引きの書類を見てしまった、と」
敢えて隠す必要もないと判断したのだろう。でなければ、武田が苦痛くらいで口を割るはずがない。
「……あの女。やはり見ていたか」
宰次は独り言のように呟いた後、拳銃を取り出して、武田の喉元へ銃口をやる。少し身がへこむくらい押し当てている。
この時になって、私はようやく覚悟を決めることができた。
「では武田くん、ご苦労様。後はあの世へ逝く過程を楽しむことですな。さて、まずは銃弾フルコー……」
「止めて下さい!」
私は両手で拳銃を構える。銃口が睨むのは宰次。
ナギが「おもちゃにしては危険」と言っていた理由がやっと分かった。この拳銃は軽い。おもちゃの拳銃とほぼ変わらない雰囲気すらある。
「拳銃を下ろして! そうでなければ、私が貴方を撃ちます!」
できるわけがない、と鼻で笑われてもおかしくないような発言だ。
しかし宰次は笑わない。口角を僅かに持ち上げることすらせず、冷ややかな目でこちらを見ていた。
冷淡な表情は、私の中の恐怖を大きく膨らませてくる。だがそんなものには負けない。気を強く持ち、引き金に添えた指に力を加えかけた——瞬間。
「……え?」
硝煙の匂いが通る。
左腕に、痛みが走った。
「あ……あぁっ……」
痛みに自然と声が出る。声が出るだけまだましかもしれないが、かなりの痛みだ。
宰次の拳銃の銃口が、細い煙を吐きながら、こちらを向いていた。それを目にして初めて撃たれたのだと気がつく。
「沙羅っ!!」
絶叫に近い、武田の叫びが聞こえた。
涙で歪む視界の中、必死に身をよじる彼の姿を見た。力を振り絞り抵抗する彼の瞳には、確かに、涙の粒が浮かんでいる。
あの武田が涙するなど、信じられない。
撃たれた痛みはかなりのものだ。生まれて初めてのことだから、なおさら。しかし、武田が涙を浮かべていることは、撃たれた痛みを越えるほどの衝撃だった。
彼の涙を見た時、私は「絶対に負けられない」と思った。なぜかはよく分からない。けれども私は、彼の一粒だけの涙に、今までで一番励まされた。
次が来る。
それなりに出血はしているが、動ける程度の掠り傷だ。宰次がそれで満足するわけがない。次は本気で殺しに来るだろう。
もう一撃食らえば、恐らく私は動けなくなる。そうすれば、私も武田も終わりだ。どうにかしてそれだけは避けなくては。
「おや。まだ動けるようですな……素人にしては素晴らしい」
宰次は余裕ありげに笑みをこぼした。勝ち誇った笑みだ。
今なら倒せるのでは? と思うような様子だが、彼にはこれ以上仕掛けない。武田と合流するのが先だ。
だから私は、武田を捕らえている手下の男へ、銃口を向けた。右手しか使えないので、急所を狙うなんてかっこいいことはできそうにない。
この際、勢いと運任せでいく。心を決め、男の顔の辺りを狙って撃った。
息は乱れ、体は震え、それでも武田は声を出すことを止めなかった。
それを見て宰次は不快感を露わにする。
「うるさい男ですな。京極エリナの下僕のくせに」
いつものような笑みは浮かんでいない。今の宰次には不快の色しかなかった。口角は下がり、眉間にしわができている。
「黙れ。私はもう、下僕などではない。一人の人間だ」
「武田くんが人間? ふふ。またもやおかしなことを言い出しましたな」
宰次は手下の男に命じ、武田を無理矢理立たせる。
立たせると言っても、腕を掴んで立っているような体勢にさせるというだけのことだが。
「武田くんが人間だなんて、笑い話ですな。新日本警察じゃ、みんな言ってますよ。『京極と武田が消えて良かったな』ってね」
「……そうか」
「ま、エリミナーレがいて助かってるんですがね。普通の警官にはさせられないような危険な任務も、君たちになら押し付けられる」
話している間も、宰次は何度か、武田の体に棒を当てていた。
武田は既に、自力では立つことすらままならないほど弱っている。表情からも疲れていることが分かるくらいだ。
彼が電撃を浴びせられるのを見るたび、「私のせいだ」と自分を責めそうになる。けれども、今の私は、それではいけないのだと思えるようになっていた。自分を責めることは、何の解決にも繋がらない。完全に無意味なことである。
「ただ、武田くん。君は多くを知りすぎていますからな……消えてもらわねば」
突如黒い棒で鳩尾を突かれた武田は、青ざめ、身を震わせる。
あの棒さえなければ——そう思った瞬間、偶然か必然か、手が腰の拳銃に触れた。私はナギから借りていた拳銃のようなものの存在を思い出す。
殺傷能力はない、とナギから聞いた、この拳銃。本物ではないため致命傷を与えることはできないだろうが、少し意識を逸らすくらいなら可能だろう。
操作の手順はナギから聞いたので問題ない。あと必要なのは、ひと欠片の勇気だけだ。
「武田くん、死ぬ前に一つだけ聞かせてもらいたいのです。あの夜、瑞穂から何を聞いたのですかな?」
「……あの夜、だと」
「一度だけ、瑞穂が夜中に君へ電話をかけたことがあったでしょう?」
私は腰元の拳銃に手を伸ばすが、思いきれず、抜くことができない。どうしても躊躇ってしまう。
このままでは武田が危ない。それは分かっているのに。
「それを言って何になる」
「吐かねば、沙羅さんもろとも殺しますからな」
「……言おう。だが、たいしたことではない」
「沙羅さんの身を案ずるなら、さっさと言いなさい。でなければ、再び悲劇が繰り返されることとなりますからな」
宰次は得意の脅しを使う。
武田は応じないものと踏んでいたが、意外にもさらっと話した。
「組織との取り引きの書類を見てしまった、と」
敢えて隠す必要もないと判断したのだろう。でなければ、武田が苦痛くらいで口を割るはずがない。
「……あの女。やはり見ていたか」
宰次は独り言のように呟いた後、拳銃を取り出して、武田の喉元へ銃口をやる。少し身がへこむくらい押し当てている。
この時になって、私はようやく覚悟を決めることができた。
「では武田くん、ご苦労様。後はあの世へ逝く過程を楽しむことですな。さて、まずは銃弾フルコー……」
「止めて下さい!」
私は両手で拳銃を構える。銃口が睨むのは宰次。
ナギが「おもちゃにしては危険」と言っていた理由がやっと分かった。この拳銃は軽い。おもちゃの拳銃とほぼ変わらない雰囲気すらある。
「拳銃を下ろして! そうでなければ、私が貴方を撃ちます!」
できるわけがない、と鼻で笑われてもおかしくないような発言だ。
しかし宰次は笑わない。口角を僅かに持ち上げることすらせず、冷ややかな目でこちらを見ていた。
冷淡な表情は、私の中の恐怖を大きく膨らませてくる。だがそんなものには負けない。気を強く持ち、引き金に添えた指に力を加えかけた——瞬間。
「……え?」
硝煙の匂いが通る。
左腕に、痛みが走った。
「あ……あぁっ……」
痛みに自然と声が出る。声が出るだけまだましかもしれないが、かなりの痛みだ。
宰次の拳銃の銃口が、細い煙を吐きながら、こちらを向いていた。それを目にして初めて撃たれたのだと気がつく。
「沙羅っ!!」
絶叫に近い、武田の叫びが聞こえた。
涙で歪む視界の中、必死に身をよじる彼の姿を見た。力を振り絞り抵抗する彼の瞳には、確かに、涙の粒が浮かんでいる。
あの武田が涙するなど、信じられない。
撃たれた痛みはかなりのものだ。生まれて初めてのことだから、なおさら。しかし、武田が涙を浮かべていることは、撃たれた痛みを越えるほどの衝撃だった。
彼の涙を見た時、私は「絶対に負けられない」と思った。なぜかはよく分からない。けれども私は、彼の一粒だけの涙に、今までで一番励まされた。
次が来る。
それなりに出血はしているが、動ける程度の掠り傷だ。宰次がそれで満足するわけがない。次は本気で殺しに来るだろう。
もう一撃食らえば、恐らく私は動けなくなる。そうすれば、私も武田も終わりだ。どうにかしてそれだけは避けなくては。
「おや。まだ動けるようですな……素人にしては素晴らしい」
宰次は余裕ありげに笑みをこぼした。勝ち誇った笑みだ。
今なら倒せるのでは? と思うような様子だが、彼にはこれ以上仕掛けない。武田と合流するのが先だ。
だから私は、武田を捕らえている手下の男へ、銃口を向けた。右手しか使えないので、急所を狙うなんてかっこいいことはできそうにない。
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