99 / 161
98話 「陰鬱な味」
しおりを挟む
その日の昼前、私はレイに誘われて街の見回りに出掛けることとなった。
こんな時だ、本当はあまり事務所から出たくない。しかし、彼女が何か話したそうだったので、一緒に行くことを決めた。
レイがいれば一人よりかは安全だろう。きっと大丈夫。そう自分に言い聞かせ、時折込み上げてくる不安を振り払う。
レイと二人で六宮の街を歩くのは久々だな、と私は少しだけ楽しみにしていた。だが、武田が「自分も同行する」と言い出したため、結局三人になってしまった。なのでレイと二人ではない。
左にはレイ、右には武田。私は二人に挟まれた状態で歩いている。少々息苦しい感じはするが、襲われた時のための位置なので仕方ない。
「武田さん、本当に大丈夫なんですか? 昨日の今日で見回りに参加するなんて」
私は右を歩く武田に話しかけてみた。
「あぁ、問題ない。歩くくらいならどうもないんだ」
彼は私やレイと同じように、一定のペースで淡々と歩いている。全治二週間とはいえ、それなりの傷を負っているとは到底思えない。事情を知らない人が今の彼を目にしたとすれば、まさか怪我人だとは夢にも思わないはずだ。
「銃創は大丈夫なの?」
困っている人がいないか周囲を見渡しながら、レイは尋ねた。武田は速やかに返答する。
「弾丸は貫通していたのでな、ややこしくならずに済んだんだ。運が良かった」
他人事のように話す武田を眺めていると、段々不思議な気持ちになってきた。
足を撃たれ、肘を痛めつけられ、背中なども蹴られたりして。にもかかわらず翌日の見回りに参加するというのは、かなり普通でない気がする。一般人に容易くできることではない。
「無理は禁物ですよ、武田さん。痛くなったらすぐに言って下さいね」
「そうしよう。沙羅は優しいな、本当に」
「優しくなんてありませんよ。当然のことを言っただけです」
「いや、当然のことではない。エリナさんは一度もそんな風には言わなかった」
「エリナさんは厳しいですもんね」
穏やかな日が降り注ぐ中、私たち三人は、たわいない会話をしながら歩く。車道の端を、陸橋を、そして商店街を。困っている人がいないか目を配りつつ、極力ゆっくりと歩いた。
見回りをある程度終えた時には、既に正午を回っていた。ちょうどお昼時である。私たちは休憩も兼ねて昼食をとろうと、六宮駅へ向かった。なぜ六宮駅かというと、その付近には飲食店が集中しているからである。
「沙羅ちゃん何食べたい?」
歩いているとレイが急に尋ねてきた。
私は少し考える。
中華、和食、イタリアン、お好み焼き——選択肢が豊富すぎて、どれを選ぶか迷ってしまう。本心を言うなら、レイが決めてくれる方がありがたい。私はこういうことを決めるのが苦手なのだ。
「えっと……」
なかなか決められずいると、唐突に武田が口を開く。
「お好み焼きが良いかと思うが」
彼が意見を言うなんて意外だ。そう思い驚いていると、彼は続ける。
「沙羅は焼きそばが好きだっただろう。お好み焼き屋なら焼きそばもあるはずだ」
「確かに! 沙羅ちゃん、どうする?」
「はい。ではそれで」
レイは爽やかな笑みをこぼしながら、明るい声で「決まりだね!」と言った。一見元気そうに見える。しかし、どうも無理している感が否めない。
昔から彼女を知っているわけでもないのに、変わらないな、なんて思う。
エリミナーレへ入った最初の日、歓迎会の準備の買い物をしていた時のことをふと思い出した。あの日の彼女の、ほんの些細なことで崩れ消えてしまいそうな儚さ。今でも鮮明に思い出せる。
「……沙羅ちゃん?」
「あっ。すみません、つい考え事を」
ほんやりしてしまっていたようだ。レイと武田が、心配したような顔をして、それぞれ言ってくれる。
「どうしたの? 大丈夫?」
「もしや、体調が悪いのか?」
ただの考え事で二人を心配させてしまってはあまりに申し訳ない。だから私は、意識的に笑顔を作り、「大丈夫です」と返した。
それでなくとも精神的に大変な時だ。二人にはなるべく余計な負担をかけたくない。
私たち三人は、お好み焼き屋に入った。こんな真っ昼間からお好み焼き屋へ入るのは初めてかもしれない。
店員に案内されたのは、向かい合うようなソファ席だ。恐らく四人用の席である。そこを三人で使うのだから、スペースは結構裕福に使える。隣に武田が、前にレイが、それぞれ座った。
「席が空いていて良かったですね」
「あぁ。そうだな」
武田は短い返答を返した後、ふぅ、と軽めの溜め息をつく。だいぶ歩き続けたので、少々疲れたのかもしれない。そんな顔つきをしている。
「武田さん、体は大丈夫ですか?」
念のため尋ねてみると、彼はゆっくりと一度頷く。
「問題ない。だが、少し疲れた気はするな。やはり昨日の今日では普段通りとはいかないか……」
その時ちょうど店員が水を運んできてくれた。冷たい水だ。彼は早速、水をほんの少し口に含む。
「どこか痛いんですか?」
「いや。平気だ、案ずるな」
「本当に大丈夫ですか?」
「……少しだけ痛む」
武田は、非常に言いにくそうな顔をしながらも、小さな声でそう言った。それから少しして「足が」と付け加えた。
「だが、私はこの程度で弱ったりしない。撃たれたのも初めてではないしな。だから沙羅、そんな不安げな顔をするな」
そう話す彼は微笑んでいる。けれど、その微笑みは、あからさまに歪なものだった。隠し事をしているような顔だ。多分、実際は少しの痛みではないのだろう。
「でも心配です」
心配でないわけがない。それでなくとも結構な怪我をしているというのに、一週間後にはまた戦いが待っている。
「一週間後、宰次さんたちとまた戦うんですよね。……私は、武田さんにはもう戦ってほしくないです」
すると武田は、戸惑ったように首を傾げた。
「沙羅、なぜそんなことを言う?」
レイは黙って見守ってくれている。私の思いを汲んでくれているのだろう。
「完治していない体で戦ったら、また悪化するかもしれない。そんなのは嫌です」
しかし、武田には私の気持ちは届いていないようだった。
「すまんが沙羅、その願いは叶えてやれない。宰次との戦いは避けられるものではない」
初めから分かっていた。彼がそう言うことは。彼が戦いを選ぶことも。
だが、私が言えば戦いから降りてくれるかも、と甘い幻想を抱いていたことは事実だ。ほんの少しの可能性を期待せずにはいられなかったのである。
「沙羅、心配しすぎるのは良くない。過度のストレスは体に悪影響を及ぼしてしまうものだ。あまり考えすぎるな」
武田は優しく微笑んでくれる。けれども、私が彼が傷つくことを恐れているということは、理解できていないみたいだ。
その後はたわいない会話に戻った。
私が注文したのはソース焼きそば。焼きそばの王道だ。そして、私の好物である。
ソース焼きそばは予想通りの美味しさだ。温かくて、濃厚で、麺の歯触りも柔らかくて——だが、どこか悲しい味をしていた。
こんな時だ、本当はあまり事務所から出たくない。しかし、彼女が何か話したそうだったので、一緒に行くことを決めた。
レイがいれば一人よりかは安全だろう。きっと大丈夫。そう自分に言い聞かせ、時折込み上げてくる不安を振り払う。
レイと二人で六宮の街を歩くのは久々だな、と私は少しだけ楽しみにしていた。だが、武田が「自分も同行する」と言い出したため、結局三人になってしまった。なのでレイと二人ではない。
左にはレイ、右には武田。私は二人に挟まれた状態で歩いている。少々息苦しい感じはするが、襲われた時のための位置なので仕方ない。
「武田さん、本当に大丈夫なんですか? 昨日の今日で見回りに参加するなんて」
私は右を歩く武田に話しかけてみた。
「あぁ、問題ない。歩くくらいならどうもないんだ」
彼は私やレイと同じように、一定のペースで淡々と歩いている。全治二週間とはいえ、それなりの傷を負っているとは到底思えない。事情を知らない人が今の彼を目にしたとすれば、まさか怪我人だとは夢にも思わないはずだ。
「銃創は大丈夫なの?」
困っている人がいないか周囲を見渡しながら、レイは尋ねた。武田は速やかに返答する。
「弾丸は貫通していたのでな、ややこしくならずに済んだんだ。運が良かった」
他人事のように話す武田を眺めていると、段々不思議な気持ちになってきた。
足を撃たれ、肘を痛めつけられ、背中なども蹴られたりして。にもかかわらず翌日の見回りに参加するというのは、かなり普通でない気がする。一般人に容易くできることではない。
「無理は禁物ですよ、武田さん。痛くなったらすぐに言って下さいね」
「そうしよう。沙羅は優しいな、本当に」
「優しくなんてありませんよ。当然のことを言っただけです」
「いや、当然のことではない。エリナさんは一度もそんな風には言わなかった」
「エリナさんは厳しいですもんね」
穏やかな日が降り注ぐ中、私たち三人は、たわいない会話をしながら歩く。車道の端を、陸橋を、そして商店街を。困っている人がいないか目を配りつつ、極力ゆっくりと歩いた。
見回りをある程度終えた時には、既に正午を回っていた。ちょうどお昼時である。私たちは休憩も兼ねて昼食をとろうと、六宮駅へ向かった。なぜ六宮駅かというと、その付近には飲食店が集中しているからである。
「沙羅ちゃん何食べたい?」
歩いているとレイが急に尋ねてきた。
私は少し考える。
中華、和食、イタリアン、お好み焼き——選択肢が豊富すぎて、どれを選ぶか迷ってしまう。本心を言うなら、レイが決めてくれる方がありがたい。私はこういうことを決めるのが苦手なのだ。
「えっと……」
なかなか決められずいると、唐突に武田が口を開く。
「お好み焼きが良いかと思うが」
彼が意見を言うなんて意外だ。そう思い驚いていると、彼は続ける。
「沙羅は焼きそばが好きだっただろう。お好み焼き屋なら焼きそばもあるはずだ」
「確かに! 沙羅ちゃん、どうする?」
「はい。ではそれで」
レイは爽やかな笑みをこぼしながら、明るい声で「決まりだね!」と言った。一見元気そうに見える。しかし、どうも無理している感が否めない。
昔から彼女を知っているわけでもないのに、変わらないな、なんて思う。
エリミナーレへ入った最初の日、歓迎会の準備の買い物をしていた時のことをふと思い出した。あの日の彼女の、ほんの些細なことで崩れ消えてしまいそうな儚さ。今でも鮮明に思い出せる。
「……沙羅ちゃん?」
「あっ。すみません、つい考え事を」
ほんやりしてしまっていたようだ。レイと武田が、心配したような顔をして、それぞれ言ってくれる。
「どうしたの? 大丈夫?」
「もしや、体調が悪いのか?」
ただの考え事で二人を心配させてしまってはあまりに申し訳ない。だから私は、意識的に笑顔を作り、「大丈夫です」と返した。
それでなくとも精神的に大変な時だ。二人にはなるべく余計な負担をかけたくない。
私たち三人は、お好み焼き屋に入った。こんな真っ昼間からお好み焼き屋へ入るのは初めてかもしれない。
店員に案内されたのは、向かい合うようなソファ席だ。恐らく四人用の席である。そこを三人で使うのだから、スペースは結構裕福に使える。隣に武田が、前にレイが、それぞれ座った。
「席が空いていて良かったですね」
「あぁ。そうだな」
武田は短い返答を返した後、ふぅ、と軽めの溜め息をつく。だいぶ歩き続けたので、少々疲れたのかもしれない。そんな顔つきをしている。
「武田さん、体は大丈夫ですか?」
念のため尋ねてみると、彼はゆっくりと一度頷く。
「問題ない。だが、少し疲れた気はするな。やはり昨日の今日では普段通りとはいかないか……」
その時ちょうど店員が水を運んできてくれた。冷たい水だ。彼は早速、水をほんの少し口に含む。
「どこか痛いんですか?」
「いや。平気だ、案ずるな」
「本当に大丈夫ですか?」
「……少しだけ痛む」
武田は、非常に言いにくそうな顔をしながらも、小さな声でそう言った。それから少しして「足が」と付け加えた。
「だが、私はこの程度で弱ったりしない。撃たれたのも初めてではないしな。だから沙羅、そんな不安げな顔をするな」
そう話す彼は微笑んでいる。けれど、その微笑みは、あからさまに歪なものだった。隠し事をしているような顔だ。多分、実際は少しの痛みではないのだろう。
「でも心配です」
心配でないわけがない。それでなくとも結構な怪我をしているというのに、一週間後にはまた戦いが待っている。
「一週間後、宰次さんたちとまた戦うんですよね。……私は、武田さんにはもう戦ってほしくないです」
すると武田は、戸惑ったように首を傾げた。
「沙羅、なぜそんなことを言う?」
レイは黙って見守ってくれている。私の思いを汲んでくれているのだろう。
「完治していない体で戦ったら、また悪化するかもしれない。そんなのは嫌です」
しかし、武田には私の気持ちは届いていないようだった。
「すまんが沙羅、その願いは叶えてやれない。宰次との戦いは避けられるものではない」
初めから分かっていた。彼がそう言うことは。彼が戦いを選ぶことも。
だが、私が言えば戦いから降りてくれるかも、と甘い幻想を抱いていたことは事実だ。ほんの少しの可能性を期待せずにはいられなかったのである。
「沙羅、心配しすぎるのは良くない。過度のストレスは体に悪影響を及ぼしてしまうものだ。あまり考えすぎるな」
武田は優しく微笑んでくれる。けれども、私が彼が傷つくことを恐れているということは、理解できていないみたいだ。
その後はたわいない会話に戻った。
私が注文したのはソース焼きそば。焼きそばの王道だ。そして、私の好物である。
ソース焼きそばは予想通りの美味しさだ。温かくて、濃厚で、麺の歯触りも柔らかくて——だが、どこか悲しい味をしていた。
0
お気に入りに追加
6
あなたにおすすめの小説
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
【R-18】クリしつけ
蛙鳴蝉噪
恋愛
男尊女卑な社会で女の子がクリトリスを使って淫らに教育されていく日常の一コマ。クリ責め。クリリード。なんでもありでアブノーマルな内容なので、精神ともに18歳以上でなんでも許せる方のみどうぞ。
壁穴奴隷No.19 麻袋の男
猫丸
BL
壁穴奴隷シリーズ・第二弾、壁穴奴隷No.19の男の話。
麻袋で顔を隠して働いていた壁穴奴隷19番、レオが誘拐されてしまった。彼の正体は、実は新王国の第二王子。変態的な性癖を持つ王子を連れ去った犯人の目的は?
シンプルにドS(攻)✕ドM(受※ちょっとビッチ気味)の組合せ。
前編・後編+後日談の全3話
SM系で鞭多めです。ハッピーエンド。
※壁穴奴隷シリーズのNo.18で使えなかった特殊性癖を含む内容です。地雷のある方はキーワードを確認してからお読みください。
※No.18の話と世界観(設定)は一緒で、一部にNo.18の登場人物がでてきますが、No.19からお読みいただいても問題ありません。
隣の席の女の子がエッチだったのでおっぱい揉んでみたら発情されました
ねんごろ
恋愛
隣の女の子がエッチすぎて、思わず授業中に胸を揉んでしまったら……
という、とんでもないお話を書きました。
ぜひ読んでください。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる