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76話 「憂鬱な時こそ作業をしよう」
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武田は一人で行ってしまった。
ナギと二人きりのリビングは静寂に包まれている。モルテリアはまだ起きてこない。これといったすべきこともないので、ただ時が過ぎるのを待つのみだ。
パソコンの傍に置かれたカニのピンバッジを見つめていると、なぜか少し切なくなっている自分がいることに気がつく。残していかれたそれが、どこか悲しそうな雰囲気を漂わせていたからかもしれない。
こんな風に——いつか私も置いていかれるのだろうか。
この時、私は、今まで考えてもみなかったことを考えた。思考がなぜそこへ至ったのかはよく分からない。
けれど、確かに考えてしまったのだ。いつの日か武田が傍にいなくなったら私はどうして生きていけばいいのだろう、と。
何のために、何を求めて、生きていけばいいのか。そもそも、彼がいない世界で私は普通に生きられるのか。
「……どうしよう」
私は半ば無意識に溜め息を漏らしていた。溜め息は幸せを逃がすと言うから、なるべく避けたいところなのだが。
余計なことを考えるあまり憂鬱になっていると、つい先ほどまでファッション雑誌を読んでいたナギが声をかけてくる。
「沙羅ちゃん、なんでそんな暗い顔してるんすか?」
特に何も言わずとも私の気持ちを察してくれていたようだ。私は分かりやすい人間なのかもしれない。
「あ、いえ……」
「元気ないっすね。武田さんが行ったからっすか?」
「ごめんなさい、少し考え事をしていただけです」
ナギは「そうっすか」とだけ返し、何か考えているような顔をする。それからしばらくして、彼は唐突に顔を上げた。
「そうだ! ちょっと手伝ってもらいたいことあるんすけど、頼んでいいっすか?」
「私にできることですか」
「大丈夫大丈夫! ただ単に本棚の整理だけなんすけど、一人じゃどうも続かなくて」
頭を掻きながら苦笑いするナギはまるで小学生のようだ。二十歳を過ぎているとはどうしても考えられない。
「分かりました。手伝いますね」
私は微笑んで答えた。
自然な笑みになっていればいいのだが……。
それから私は、ナギと二人で、リビングにある本棚の整理を始めた。
「それにしても、さっきのは何だったんすかねー」
「さっきの、とは?」
「なんか術? みたいなやつっすよ。せっかく会えた瑞穂ちゃんは偽者だし、俺らに酷いことするし、そのわりにあっさり消えて。意味不明っすよ、本当に」
「確かに、よく分かりませんでした」
文庫本や雑誌、そして丁寧にファイリングされた書類。本棚にはそれらが無造作に詰め込まれてごちゃごちゃしている。せめて種類ごとに入れるくらいはしておいてほしかった。というのも、雑誌の中に書類が挟まっていたり、文庫本が奥に押し込まれていたりするのだ。滅茶苦茶である。
取り敢えず本棚から全部取り出すことにした。今のまま整理するのでは収拾がつかないし、時間がかかりすぎるからだ。
ナギが取り出し、私が種類ごとに分ける。慣れてくるにつれ、餅つきのようにテンポよく作業ができるようになった。これは二人だからこそできること。なかなか効率的だと思う。
「ん? これ何すか」
最後の数冊を取り出そうとした時、ナギが急に呟いた。
「どうかしましたか」
「奥から見たことのないファイルが出てきたんすけど……超古そうっす」
彼は言いながら、ピンクのファイルを私に渡してくれる。
そのファイルは端が波のように歪み、何ヵ所か僅かに折れていた。他のファイルがとても綺麗だっただけに、確かに違和感を感じる。
「昔の書類とかですかね」
「もしかして、お宝!? ちょっと中身見てみたいっす!」
ナギは期待に目を輝かせ、私にファイルの中身を取り出すよう促す。私は仕方なく、ファイルに挟まれている紙を取り出した。黄ばんだ紙だ。
「……これは?」
履歴書のような紙があった。恐らくコピーだと思われるその紙には、畠山 宰次、という名前が書かれている。すぐ横に顔写真が添付されていて、他には生年月日や出身校などが書いてあった。
「なんか謎っすね」
ナギは書類を舐めるように見ながら呟く。そして、何か気がついたらしく続ける。
「あ。この人、新日本銀行に勤めてたみたいっすよ。沙羅ちゃんのお父さん、もしかしたら知ってるんじゃないっすか?」
「畠山さんなんて聞いたことないですけど……」
「今度ちょこっと聞いてみたらどうっすか? 何か分かるかもしれないっすよ」
ナギはとにかく気になっているようだ。なぜこの畠山という人間をそこまで気にするのか、私にはよく分からない。
だが、敢えて尋ねる必要はないと思った。それほど大きなことではない。
「確かに。今度父に聞いてみます。何か分かったら伝えますね」
そう約束した。
それから私たちは、再び本棚の整理に戻る。
種類ごとに分けた物を丁寧に棚へ戻す作業は二人で行った。背が低めの私は下の方の段を担当する。
同じ大きさの物が揃うように、またなるべく斜めになったり倒れたりしないように、一つ一つ棚へ入れていく。正直少し面倒臭い作業だが、一人でないのでなんとかできた。
途中からは、たまたま起きてきたモルテリアも手伝ってくれ、本棚はちゃんと整理整頓された。これで外観もだいぶ綺麗になったはずだ。
久々に汗をかいてしまった。
しかし、たくさん動いたおかげで憂鬱な気分を払拭することができたのは、良かったと思う。
ナギと二人きりのリビングは静寂に包まれている。モルテリアはまだ起きてこない。これといったすべきこともないので、ただ時が過ぎるのを待つのみだ。
パソコンの傍に置かれたカニのピンバッジを見つめていると、なぜか少し切なくなっている自分がいることに気がつく。残していかれたそれが、どこか悲しそうな雰囲気を漂わせていたからかもしれない。
こんな風に——いつか私も置いていかれるのだろうか。
この時、私は、今まで考えてもみなかったことを考えた。思考がなぜそこへ至ったのかはよく分からない。
けれど、確かに考えてしまったのだ。いつの日か武田が傍にいなくなったら私はどうして生きていけばいいのだろう、と。
何のために、何を求めて、生きていけばいいのか。そもそも、彼がいない世界で私は普通に生きられるのか。
「……どうしよう」
私は半ば無意識に溜め息を漏らしていた。溜め息は幸せを逃がすと言うから、なるべく避けたいところなのだが。
余計なことを考えるあまり憂鬱になっていると、つい先ほどまでファッション雑誌を読んでいたナギが声をかけてくる。
「沙羅ちゃん、なんでそんな暗い顔してるんすか?」
特に何も言わずとも私の気持ちを察してくれていたようだ。私は分かりやすい人間なのかもしれない。
「あ、いえ……」
「元気ないっすね。武田さんが行ったからっすか?」
「ごめんなさい、少し考え事をしていただけです」
ナギは「そうっすか」とだけ返し、何か考えているような顔をする。それからしばらくして、彼は唐突に顔を上げた。
「そうだ! ちょっと手伝ってもらいたいことあるんすけど、頼んでいいっすか?」
「私にできることですか」
「大丈夫大丈夫! ただ単に本棚の整理だけなんすけど、一人じゃどうも続かなくて」
頭を掻きながら苦笑いするナギはまるで小学生のようだ。二十歳を過ぎているとはどうしても考えられない。
「分かりました。手伝いますね」
私は微笑んで答えた。
自然な笑みになっていればいいのだが……。
それから私は、ナギと二人で、リビングにある本棚の整理を始めた。
「それにしても、さっきのは何だったんすかねー」
「さっきの、とは?」
「なんか術? みたいなやつっすよ。せっかく会えた瑞穂ちゃんは偽者だし、俺らに酷いことするし、そのわりにあっさり消えて。意味不明っすよ、本当に」
「確かに、よく分かりませんでした」
文庫本や雑誌、そして丁寧にファイリングされた書類。本棚にはそれらが無造作に詰め込まれてごちゃごちゃしている。せめて種類ごとに入れるくらいはしておいてほしかった。というのも、雑誌の中に書類が挟まっていたり、文庫本が奥に押し込まれていたりするのだ。滅茶苦茶である。
取り敢えず本棚から全部取り出すことにした。今のまま整理するのでは収拾がつかないし、時間がかかりすぎるからだ。
ナギが取り出し、私が種類ごとに分ける。慣れてくるにつれ、餅つきのようにテンポよく作業ができるようになった。これは二人だからこそできること。なかなか効率的だと思う。
「ん? これ何すか」
最後の数冊を取り出そうとした時、ナギが急に呟いた。
「どうかしましたか」
「奥から見たことのないファイルが出てきたんすけど……超古そうっす」
彼は言いながら、ピンクのファイルを私に渡してくれる。
そのファイルは端が波のように歪み、何ヵ所か僅かに折れていた。他のファイルがとても綺麗だっただけに、確かに違和感を感じる。
「昔の書類とかですかね」
「もしかして、お宝!? ちょっと中身見てみたいっす!」
ナギは期待に目を輝かせ、私にファイルの中身を取り出すよう促す。私は仕方なく、ファイルに挟まれている紙を取り出した。黄ばんだ紙だ。
「……これは?」
履歴書のような紙があった。恐らくコピーだと思われるその紙には、畠山 宰次、という名前が書かれている。すぐ横に顔写真が添付されていて、他には生年月日や出身校などが書いてあった。
「なんか謎っすね」
ナギは書類を舐めるように見ながら呟く。そして、何か気がついたらしく続ける。
「あ。この人、新日本銀行に勤めてたみたいっすよ。沙羅ちゃんのお父さん、もしかしたら知ってるんじゃないっすか?」
「畠山さんなんて聞いたことないですけど……」
「今度ちょこっと聞いてみたらどうっすか? 何か分かるかもしれないっすよ」
ナギはとにかく気になっているようだ。なぜこの畠山という人間をそこまで気にするのか、私にはよく分からない。
だが、敢えて尋ねる必要はないと思った。それほど大きなことではない。
「確かに。今度父に聞いてみます。何か分かったら伝えますね」
そう約束した。
それから私たちは、再び本棚の整理に戻る。
種類ごとに分けた物を丁寧に棚へ戻す作業は二人で行った。背が低めの私は下の方の段を担当する。
同じ大きさの物が揃うように、またなるべく斜めになったり倒れたりしないように、一つ一つ棚へ入れていく。正直少し面倒臭い作業だが、一人でないのでなんとかできた。
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