新日本警察エリミナーレ

四季

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72話 「私は何も恐れない」

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 顔色や言動を見ている感じだと、武田はまだ何もされていなさそうだ。精神的なダメージを受けた跡は見当たらない。
 何もされていないうちに合流できて本当に良かった。

「武田さんはこの場所を知っていますか?」

 念のため確認してみる。恐らく武田の記憶だろうが、もしかしたら違うという可能性もあるからだ。
 すると武田は「知っている」と言うように真剣な顔つきで頷いた。やはり私の予想は当たっていたようである。

 武田の表情は固く厳しいものだ。だが私へ向けられる視線はどこか優しい。私が自分に都合のいいように解釈してしまっているだけかもしれないが、そんな気がした。

「じゃあ、この場所は武田さんの思い出の場所なんすか?」

 ナギが珍しくまともな質問をする。
 からかうでもなく、嫌みでもない。ナギが武田に対して、そんなまともな問いを投げかけることがあるとは、正直驚いた。

「そうだな。思い出という言葉が相応しいかは分からないが」

 武田は躊躇いの色を見せ、言葉を少し詰まらせた。数秒の沈黙を挟み、彼は再び口を開く。

「忘れられるはずもない。ここは、瑞穂さんが殺された繁華街だ」

 ——なるほど。
 なんとなく分かってきた気がする。

 吹蓮の術は、恐らく、対象者の人生における大きな分岐点となった出来事を利用するのだろう。これといった確実な根拠があるわけではない。だが、私があの立て籠もり事件の光景を見せられたこともあり、吹蓮が使う術について漠然と推測することはできた。

「マジっすか。なんかヤバい感じっすね」

 ナギは困ったような顔をする。彼の顔が明るくないと、辺りが暗い雰囲気になってしまう。

「沙羅、経験者のお前に聞きたい。どうすればここから抜け出せる?」

 武田の真っ直ぐな視線が、私の瞳に注がれる。
 心まで射止められてしまいそうな視線に、頬が熱くなる。このような状況下でなければ、胸の高鳴りが止まらなかったことだろう。

「抜け出す方法、ですか?」
「そうだ。いつまでもこんなよく分からない場所にいるわけにはいかない。小さなことでもいい、教えてくれ」

 私は「そうですね……」と暫し考える。
 あの時はレイが現れて、悪夢を終わらせてくれた。しかしあれがどのような仕組みだったのかは分からない。そもそも術をかけられただけの私に分かるはずがないではないか。

 とはいえ、せっかく武田が聞いてくれているのだ。彼に頼られる機会など滅多にない。その極めて貴重な機会に、「分かるわけがない」とキッパリ答えるのも惜しい気がする。

「私にも仕組みはよく分かりません。ただ、あの時は、急にレイさんが現れて終わらせてくれました」

 結局この程度。彼のためになるようなたいしたことは言えなかった。しかし武田は嫌な顔はせず、淡々とした声で「情報提供感謝する」とだけ述べた。

 それにしても、このタイミングで「情報提供」などという言葉を使うとは、ある意味新鮮だ。武田の言葉選びのセンスは実に興味深い。

「これからどうするんすか? 武田さん。このままじっとしてても何も進まないっすよ」
「その通りだな」
「いやいや! その通りだな、じゃないっしょ! 早く、どうするか決めて下さいよ!」

 ナギは動きたくてうずうずしているようだ。じっとしているのは退屈なのだろう。

「では、瑞穂さんが殺された場所へ向かうか?」
「いいっすね! 瑞穂ちゃんに酷いことをしたやつは許さないっす。この機会にとっちめてやりましょう!」

 武田の提案を受け、急激に張り切りだすナギ。

「女の子を傷つける奴はフルボッコの刑っす!」
「……何だ、それは」
「とにかく行きましょう! 瑞穂ちゃんの敵を倒しに!」
「……瑞穂さんは私より年上だが、ちゃんづけなのか」
「うるさいっす! そんなことは今どうでもいいっしょ!」

 ナギと武田のやり取りを見ていると、テンションに差がありすぎて愉快だった。

 しかし、あまりのんびりしてもいられない。なんせここは吹蓮の術による幻の世界。半ば夢のような世界だ。つまり、何が起こってもおかしくはないのである。極端に言えば、道行く人たちが突然暴徒化しても、巨大なクラゲが大量に降ってきても、文句は言えない。私たちが今いるのはそんな世界だ。

「沙羅、どうした?」

 武田の言葉で正気に戻る。
 考えることに夢中になり、つい自分の世界に入り込んでしまっていた。

「あっ、いえ。すみません」

 慌てて謝る。それでなくとも無力な私がぼんやりしていては、武田やナギの足を引っ張ってしまうことは必至だ。無力なりに、もっとしっかりしなくては。

「……怖いのか?」

 武田は心配そうに尋ねてきた。

「い、いえ」
「違うのか。ならなぜじっとしている? 何か不安があるのなら言ってくれ」
「大丈夫です。足を引っ張らないよう頑張りますね」

 怖い、なんて言えるわけがなかった。

 何が起きるか分からない場所にいるのだ、怖くないと言えば嘘になる。無力な人間がこんなところへ放り込まれて恐怖感を抱かないはずがない。

 けれど、今一番怖いのは武田のはずだ。大切な先輩を失った場所へ向かうのだから。
 彼は決して弱みを見せない。だから今も平気な顔している。だが、まったく平気ということは考え難い。本当は少し怖かったりするはずだ。

「あの……武田さん」
「何だ」
「怖くないんですか。瑞穂さんを失った場所へ行くなんて」

 私だったら行けないと思う。
 大切な人を失った記憶を思い出して、また悲しい気持ちになるに違いないから。せっかく止めた涙を、またこぼしてしまいそうだから。

 しかし、私の問いに対し、武田は迷いのない表情で答える。

「怖くなどない」

 感情のこもっていない、淡々とした声である。

「私は何も恐れない」

 二度目は、彼自身に言い聞かせているような口ぶりだった。

 弱い部分を掻き消すように。襲いかかる不安を払うように。彼は敢えて二度言った。

 彼は「怖くない」といった趣旨の言葉を何度か繰り返し口にする。それは多分、「怖い」という気持ちを少なからず抱いているからであろう。
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