新日本警察エリミナーレ

四季

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70話 「危険な来訪者」

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 事務所に突然現れたお婆さん——吹蓮は、私の姿を目にした途端、口元に怪しい笑みを浮かべた。

 見るだけでも悪寒に襲われるような不気味さのある笑みに、体が強張っていくのを感じる。視線で石にされたのではないか。そう疑ってしまうほど、みるみるうちに体が硬直していく。
 水族館でのことを思い出すと恐怖が押し寄せてきた。またあのような恐ろしいものを見せられたら……と、考えたくないことを考えてしまう。

「久しぶりだねぇ、天月さん」

 吹蓮はいつの間にやら普通の笑顔に戻っていた。先ほどの怪しい笑みは一体何だったのだろう。

「知り合いなのか?」

 武田は戸惑ったような顔つきで尋ねてくる。私は速やかに彼へ接近し、「水族館の」と耳打ちした。

 これだけで伝わるかどうか、正直微妙なところである。だが、武田の顔つきが変わったので、正しく伝わったのだと判断して良いだろう。
 ……それにしても、まさか本当に一言で伝わるとは。不運の多い私だが、時にはラッキーなこともあるものだ。低い可能性にかけてみて良かった。

「沙羅、ナギを呼んできてくれ。時間は稼ぐ」

 鋭い顔つきになっている武田は、ひそひそ声で頼んでくる。
 どんな技を持っているか把握しきれていない吹蓮の前に、武田を残していくのは不安だ。彼が何をされるか分からない。

「でも……」
「頼む。急いでくれ」

 最初私は彼の頼みを拒否するつもりでいた。武田を一人にしたくなかったから。
 しかし、彼の真剣な声を聞いているうちに、拒もうと思っていた心は次第に消えていった。だから私は彼に従うことにした。彼の判断が間違っていることはないだろう、敢えて拒否する必要もない。

 私は微かに頷き、ナギを呼びにリビングへ戻ろうと歩き出す。

「おや、逃げるつもりかい? そういうわけにはいかないよ」
「勝手に入るな」

 入ってこようとした吹蓮を止める武田は、戦闘時のような鋭い視線を放っていた。
 私はリビングへと向かう足を速める。

 幸い、事務所の玄関は狭い。武田のような大きめの男性が立っていれば、通過することは難しいくらいの狭さだ。それに、いくら人間離れした吹蓮でも武田を一瞬で倒すことはできないだろう。それを考えると、私に与えられた時間は短くはない。

「ナギさん!」

 リビングに入るなり、私は彼の名を呼んだ。ソファの上でだらけていたナギは、異変を感じたらしく素早く起き上がる。

「なんかあったんすか?」
「一緒に来ていただきたいです!」
「俺っすか?」
「武田さんから呼ぶように頼まれました」
「あ、そうなの? オッケー。行くっすよ」

 ナギが速やかに状況を察してくれる人で良かった。極めて緊迫した状況ではないにしろ、あまりのっそりしている暇はない。
 私はナギと共に玄関へと急いだ。


 すぐに玄関へ着く。廊下を移動するだけなので五分もかかっていない。
 武田は吹蓮をその場にねじ伏せていた。彼は既に吹蓮を敵と見なしているらしく、固く険しい表情だ。

「年寄りに乱暴なことをするなんて酷いねぇ」
「ただでは帰さない」
「まったく。今時の若いのは敬老精神がないねぇ」

 驚いたことに、吹蓮は、体を地面に押し付けられても動揺していなかった。声はゆったりとして余裕に満ちており、口元には怪しい笑みが浮かんでいる。
 今自分がどのような状況にあるのか分かっていないのか、と言いたくなるほど場違いな表情だ。

「た、武田さんっ! 何してんすかっ!? 暴力は駄目っすよ!」

 どうしてこうなったのか分からないからだろう、ナギは混乱したように騒ぐ。

 吹蓮のことを知らない彼が今の光景に驚くのは当然だ。事情を説明できればいいのだが、吹蓮が目の前にいる以上、ゆっくり説明している時間はない。
 呑気にそんなことをしていては何をされるか分からない。

「ナギ、こいつは敵だ」

 武田の真剣な発言に、ナギは目を見開き派手に驚く。

「え。ちょ、どういうことすか。なに? なに?」

 ナギはまだ話についてこれていないようだ。目をパチパチさせながらキョロキョロ辺りを見回している。

「この老婆はエリミナーレの敵だ。詳しい話を聞き出す必要がある」

 静かに言いながら、武田は、吹蓮の首に回している腕に力を込めた。
 その直後のことだ。

「何すんだい! 痛いじゃないか!」

 吹蓮は鋭く叫び、足を後ろへ曲げて武田のわき腹を蹴った。ゴッ、と低くも大きな音が鳴る。年老いた容姿に似合わない、予想外に素早い蹴りである。
 警戒していないところからの突然の蹴りには、さすがの武田も反応しきれなかったようだ。吹蓮の蹴りをまともに食らい、ほんの少しだが顔をしかめる。

「敬老精神のないやつは」

 吹蓮は皮と骨しかないような痩せ細った手で、武田の片方の腕を掴む。

 そういえば彼女の腕の力はかなり強かった。私には抵抗のしようがないほどの腕力だった記憶がある。その力は、片腕で私を引きずり込んだほどだ。武田でも油断してはならない。

「こうだよ!!」

 次の瞬間、吹蓮は、武田を放り投げた。片腕の力だけで、である。

「武田さん!」

 私は半ば悲鳴のような声をあげてしまった。

 投げられた武田は咄嗟に受け身をとっていた。おかげで大きなダメージを受けることはなかったようだ。しかし、驚きは隠せていない。いつもより顔筋が強張っている。

 そんな武田の首筋にそっと触れる吹蓮。

「これだから可愛くないのは。嫌いだねぇ、むさ苦しい」
「何を……」

 いきなり首に触れられた武田は、困惑の色を浮かべている。

 引っ掻くでもなく、絞めるでもなく、ただ舐めるように首筋を撫でる。
 その意図が理解できない、というのは分からないではない。声かけもなく唐突に触れられると、たとえそれが腕や背中であったとしても、暫し戸惑うのは必至だろう。

「怯えているのかい? 案外可愛いところもあるみたいだねぇ」

 吹蓮は深いしわの刻まれた顔を、武田の目前へずいと近づける。

「けど、あたしゃやっぱり可愛い娘の方が好きだわ」

 彼女が吐き捨てるように漏らした直後、武田は地面に崩れ落ちた。しっかり見ていたが、殴られたりしたわけではない。にもかかわらず気を失ったということは、恐らく彼女の術にかかったのだろう。今度は彼が悪夢を見せられるようだ。

 それから吹蓮はゆっくりと立ち上がった。そして、怪しさ全開の笑みを口元に湛えながら、私とナギへ視線を向ける。

「お二人さんも楽しんでねぇ」

 警戒したナギは拳銃を抜こうとしたが間に合わず——私は再び闇へ落ちた。

 ナギがどうなったのかは知らない。しかし、彼も私と同じように、吹蓮の術にかかっていることだろう。
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