50 / 161
49話 「今からずっと前のこと」
しおりを挟む
まさかこんなことになるとは。
武田の仕事を手伝えたらいいなくらい思っていたのに、いつの間にか二人で外出することになっている。しかもそれを提案したのはエリナ。もはやよく分からなくなってきた。脳内がぐるぐるなってくる。
そんな微妙な心境のまま、私は武田と、追い出されるように事務所を出た。速やかに出掛けた方が良さそうな雰囲気だったからだ。
とはいえ、行く当てはない。それに、武田と二人で長い時間を過ごすなど、緊張で胃に穴が空きそうである。
「……さて。どうしたものか」
車の運転席に座り、シートベルトを締めてから、武田が淡々とした調子で言った。さっきのこともあって非常に気まずい。
「どこへ行きたい」
「え。私ですか?」
「そうだ」
「えっと……」
どこへ行きたいかと聞かれても、すぐには何も思い浮かばなかった。考える間、つい黙ってしまう。喋りで繋ぎつつ考え事をするのは苦手だ。
一分ぐらいが経過しただろうか。武田が口を開く。
「特に希望がないなら、取り敢えず適当に回るでも構わないが」
「あ、良いですね。それでお願いします」
武田から提案してくれたことに安堵する。
「そうか。では適当に回ることにしよう」
「はい!」
どうするかが決まり心が緩んだせいか、私にしては大きな声が出てしまった。いつになく元気な返事をしてしまい少々恥ずかしい。
武田は視線を前へ移し、アクセルを踏み込んだ。
二人しかいない車内は、なんだか妙に広く感じる。言葉はなく、しんとしている。冷たい空気でないのが唯一の救いだ。
これまではいつも、後部座席にレイやナギがいた。だからそれなりに会話ができたし、静寂に包まれることはなかった。みんなの存在の大きさを、今さら痛感する。
「武田さん。一つ質問させていただいても構いませんか?」
私は少しでも楽しい雰囲気にしようと、話を振ってみることにした。
「もちろん」
彼はさっとこちらへ視線を向け、淡々とした声で返す。落ち着いた、それでいて温かみのある声だ。
「もし誰かに好きだと言われたら、武田さんはどうしますか?」
いずれ通る道、今のうちに調査しておいた方がいいだろう。誰かが私だと気づかれないよう細心の注意を払いつつ尋ねてみた。幸い武田は、このような分野のことには疎い。だから勘付かれることはないはずだ。
武田は何か考えているかのように黙り、数十秒ほど経過した後、やっと口を開く。
「私は恋愛感情を抱かない。だから、応えてやることはできないだろうな」
「どうして恋愛感情を抱かないんですか?」
人間なら誰しも、他者を愛しく思う気持ちは持っているはずだ。大小や対象の差はあるにしろ、愛しく思う心を一切持たない人間はいないだろう。
もし仮に恋愛感情を持たない人間がいるとしたら、その人は恋愛感情というものの存在を知らないはず。その人なら、「恋愛感情を抱かない」とは言わないと思う。そもそも恋愛感情自体を知らないのだから。
「どうして……か」
小さな溜め息を漏らし、数秒間を空けてから続ける。
「恋愛感情は人を弱くする。そう思うからだ」
「なぜそう思うんですか?」
私は武田に出会い、彼を好きになったから、決めた道を諦めず歩み続けることができた。だから私は、誰かを想うことで手に入れられる強さもあると思うのだが。
「……非常に個人的な話になってしまうが」
彼は少々言いにくそうに話し出す。
「まだ新日本警察に所属していた頃、私は先輩である瑞穂さんにお世話になっていた。彼女は私に、仕事やら戦闘やら、あらゆることを教えてくれた」
武田にも習っていた時代があったというのがなんだか意外だ。特に、彼が戦闘を習っているところなど、まったく想像できない。
生まれた時から強かった。
私の中では、武田といえばそんなイメージだ。
「瑞穂さんとエリナさんは中学校時代からの友人だったらしい。二人はいつも一緒にいたので、私もそこへ交ぜてもらっていることが多かった」
「なるほど。仲良しだったんですね」
武田は静かな表情で頷く。
「ある日突然、瑞穂さんは、一人の男と付き合うことになったと言い出した。相手は金やらなんやら怪しい噂の絶えない男だった。だからエリナさんは、付き合わない方がいいと反対していたのだが」
「当然ですよね。友達なら心配するでしょうし」
一番の友達が変な男と付き合うと聞けば、誰だって止めようとするだろう。止めないのなら、それは友達とは言い難い。
表面上だけの付き合いならあり得るかもしれないが、エリナはそんな人間ではないだろう。
「結局瑞穂さんは付き合った。だが、その男とは案外上手くいっているようだった。いつも笑顔で、とても楽しそうにしていたな」
「なんだか怪しいですね……」
「あぁ。今思えば、まったくその通りだな」
ある日、夜中に突然、瑞穂さんから電話がかかってきたことがあったと言う。彼女は「恋人の男が闇組織と金をやり取りしている」と話したらしい。なんでも書類を発見してしまったとかで、随分狼狽えていたと武田は話す。
「だが翌朝会った時、瑞穂さんは『覚えていない』と言っていた。私は自分が寝惚けていただけだなと思った。夢でもみたのだろう、と。だからエリナさんにも話さなかった」
それからも瑞穂の様子に変化はなかったらしい。普段通り楽しそうにしていたし、時には三人で遊びに行くこともあった、と武田は話す。
「あれは年末だっただろうか。三人で食事会をしていると、瑞穂さんに突然電話がかかってきた」
「彼氏さんからですか?」
「そうだな。事件で呼び出されたらしく、瑞穂さんだけが先に抜けて帰った」
信号で車が一時停止する。
それとほぼ同時に、武田は寂しげな表情を浮かべた。
いつだっただろう、こんな寂しげな表情を見たことがある。……そうか、前にすき焼きの話をした時のエリナか。瑞穂の話題になると、どうしても寂しげな表情になってしまうようだ。
「それで?」
武田は躊躇うように俯き、黙り込んでしまった。車内が静まり返る。暫し沈黙が続いた。
だが、やがて彼は決意したように顔を上げ、その口を開く。
「その日瑞穂さんは——この世から去った」
武田の仕事を手伝えたらいいなくらい思っていたのに、いつの間にか二人で外出することになっている。しかもそれを提案したのはエリナ。もはやよく分からなくなってきた。脳内がぐるぐるなってくる。
そんな微妙な心境のまま、私は武田と、追い出されるように事務所を出た。速やかに出掛けた方が良さそうな雰囲気だったからだ。
とはいえ、行く当てはない。それに、武田と二人で長い時間を過ごすなど、緊張で胃に穴が空きそうである。
「……さて。どうしたものか」
車の運転席に座り、シートベルトを締めてから、武田が淡々とした調子で言った。さっきのこともあって非常に気まずい。
「どこへ行きたい」
「え。私ですか?」
「そうだ」
「えっと……」
どこへ行きたいかと聞かれても、すぐには何も思い浮かばなかった。考える間、つい黙ってしまう。喋りで繋ぎつつ考え事をするのは苦手だ。
一分ぐらいが経過しただろうか。武田が口を開く。
「特に希望がないなら、取り敢えず適当に回るでも構わないが」
「あ、良いですね。それでお願いします」
武田から提案してくれたことに安堵する。
「そうか。では適当に回ることにしよう」
「はい!」
どうするかが決まり心が緩んだせいか、私にしては大きな声が出てしまった。いつになく元気な返事をしてしまい少々恥ずかしい。
武田は視線を前へ移し、アクセルを踏み込んだ。
二人しかいない車内は、なんだか妙に広く感じる。言葉はなく、しんとしている。冷たい空気でないのが唯一の救いだ。
これまではいつも、後部座席にレイやナギがいた。だからそれなりに会話ができたし、静寂に包まれることはなかった。みんなの存在の大きさを、今さら痛感する。
「武田さん。一つ質問させていただいても構いませんか?」
私は少しでも楽しい雰囲気にしようと、話を振ってみることにした。
「もちろん」
彼はさっとこちらへ視線を向け、淡々とした声で返す。落ち着いた、それでいて温かみのある声だ。
「もし誰かに好きだと言われたら、武田さんはどうしますか?」
いずれ通る道、今のうちに調査しておいた方がいいだろう。誰かが私だと気づかれないよう細心の注意を払いつつ尋ねてみた。幸い武田は、このような分野のことには疎い。だから勘付かれることはないはずだ。
武田は何か考えているかのように黙り、数十秒ほど経過した後、やっと口を開く。
「私は恋愛感情を抱かない。だから、応えてやることはできないだろうな」
「どうして恋愛感情を抱かないんですか?」
人間なら誰しも、他者を愛しく思う気持ちは持っているはずだ。大小や対象の差はあるにしろ、愛しく思う心を一切持たない人間はいないだろう。
もし仮に恋愛感情を持たない人間がいるとしたら、その人は恋愛感情というものの存在を知らないはず。その人なら、「恋愛感情を抱かない」とは言わないと思う。そもそも恋愛感情自体を知らないのだから。
「どうして……か」
小さな溜め息を漏らし、数秒間を空けてから続ける。
「恋愛感情は人を弱くする。そう思うからだ」
「なぜそう思うんですか?」
私は武田に出会い、彼を好きになったから、決めた道を諦めず歩み続けることができた。だから私は、誰かを想うことで手に入れられる強さもあると思うのだが。
「……非常に個人的な話になってしまうが」
彼は少々言いにくそうに話し出す。
「まだ新日本警察に所属していた頃、私は先輩である瑞穂さんにお世話になっていた。彼女は私に、仕事やら戦闘やら、あらゆることを教えてくれた」
武田にも習っていた時代があったというのがなんだか意外だ。特に、彼が戦闘を習っているところなど、まったく想像できない。
生まれた時から強かった。
私の中では、武田といえばそんなイメージだ。
「瑞穂さんとエリナさんは中学校時代からの友人だったらしい。二人はいつも一緒にいたので、私もそこへ交ぜてもらっていることが多かった」
「なるほど。仲良しだったんですね」
武田は静かな表情で頷く。
「ある日突然、瑞穂さんは、一人の男と付き合うことになったと言い出した。相手は金やらなんやら怪しい噂の絶えない男だった。だからエリナさんは、付き合わない方がいいと反対していたのだが」
「当然ですよね。友達なら心配するでしょうし」
一番の友達が変な男と付き合うと聞けば、誰だって止めようとするだろう。止めないのなら、それは友達とは言い難い。
表面上だけの付き合いならあり得るかもしれないが、エリナはそんな人間ではないだろう。
「結局瑞穂さんは付き合った。だが、その男とは案外上手くいっているようだった。いつも笑顔で、とても楽しそうにしていたな」
「なんだか怪しいですね……」
「あぁ。今思えば、まったくその通りだな」
ある日、夜中に突然、瑞穂さんから電話がかかってきたことがあったと言う。彼女は「恋人の男が闇組織と金をやり取りしている」と話したらしい。なんでも書類を発見してしまったとかで、随分狼狽えていたと武田は話す。
「だが翌朝会った時、瑞穂さんは『覚えていない』と言っていた。私は自分が寝惚けていただけだなと思った。夢でもみたのだろう、と。だからエリナさんにも話さなかった」
それからも瑞穂の様子に変化はなかったらしい。普段通り楽しそうにしていたし、時には三人で遊びに行くこともあった、と武田は話す。
「あれは年末だっただろうか。三人で食事会をしていると、瑞穂さんに突然電話がかかってきた」
「彼氏さんからですか?」
「そうだな。事件で呼び出されたらしく、瑞穂さんだけが先に抜けて帰った」
信号で車が一時停止する。
それとほぼ同時に、武田は寂しげな表情を浮かべた。
いつだっただろう、こんな寂しげな表情を見たことがある。……そうか、前にすき焼きの話をした時のエリナか。瑞穂の話題になると、どうしても寂しげな表情になってしまうようだ。
「それで?」
武田は躊躇うように俯き、黙り込んでしまった。車内が静まり返る。暫し沈黙が続いた。
だが、やがて彼は決意したように顔を上げ、その口を開く。
「その日瑞穂さんは——この世から去った」
0
お気に入りに追加
6
あなたにおすすめの小説
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/essay.png?id=5ada788558fa89228aea)
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
【完結】大量焼死体遺棄事件まとめサイト/裏サイド
まみ夜
ホラー
ここは、2008年2月09日朝に報道された、全国十ケ所総数六十体以上の「大量焼死体遺棄事件」のまとめサイトです。
事件の上澄みでしかない、ニュース報道とネット情報が序章であり終章。
一年以上も前に、偶然「写本」のネット検索から、オカルトな事件に巻き込まれた女性のブログ。
その家族が、彼女を探すことで、日常を踏み越える恐怖を、誰かに相談したかったブログまでが第一章。
そして、事件の、悪意の裏側が第二章です。
ホラーもミステリーと同じで、ラストがないと評価しづらいため、短編集でない長編はweb掲載には向かないジャンルです。
そのため、第一章にて、表向きのラストを用意しました。
第二章では、その裏側が明らかになり、予想を裏切れれば、とも思いますので、お付き合いください。
表紙イラストは、lllust ACより、乾大和様の「お嬢さん」を使用させていただいております。
お犬様のお世話係りになったはずなんだけど………
ブラックベリィ
キャラ文芸
俺、神咲 和輝(かんざき かずき)は不幸のどん底に突き落とされました。
父親を失い、バイトもクビになって、早晩双子の妹、真奈と優奈を抱えてあわや路頭に………。そんな暗い未来陥る寸前に出会った少女の名は桜………。
そして、俺の新しいバイト先は決まったんだが………。
霊聴探偵一ノ瀬さんの怪傑推理綺譚(かいけつすいりきたん)
小花衣いろは
キャラ文芸
「やぁやぁ、理くん。ご機嫌いかがかな?」
「ふむ、どうやら彼は殺されたらしいね」
「この世に未練を残したままあの世には逝けないだろう?」
「お嬢さん、そんなところで何をしているんだい?」
マイペースで面倒くさがり。人当たりがよく紳士的で無意識に人を誑かす天才。
警察関係者からは影で“変人”と噂されている美形の名探偵。一ノ瀬玲衣夜。
そんな探偵の周囲に集うは、個性的な面々ばかり。
「玲衣さん、たまにはちゃんとベッドで寝なよ。身体痛めちゃうよ」
「千晴は母親のようなことを言うねぇ」
「悠叶は案外寂しがり屋なんだねぇ。可愛いところもあるじゃないか」
「……何の話してんだ。頭湧いてんのか」
「ふふ、照れなくてもいいさ」
「……おい、いつまでもふざけたこと言ってると、その口塞ぐぞ」
「ふふん、できるものならやってごらんよ」
「えぇ、教えてくれたっていいじゃないか。私と君たちの仲だろう?」
「お前と名前を付けられるような関係になった覚えはない」
「あはは、理くんは今日もツンデレ絶好調だねぇ」
「っ、誰がツンデレだ!」
どんな難事件(?)だって個性派ぞろいの仲間と“○○”の助言でゆるっと解決しちゃいます。
「Shed light on the incident.――さぁ、楽しい謎解きの時間だよ」
(※別サイトにも掲載している作品になります)
女王様は猫ですから!
ねこ沢ふたよ
キャラ文芸
すっごい可愛い仔猫を友達からもらったの。
たくさん産まれたからって、飼い方の基本をレクチャーして渡してくれたのは、三毛猫。
ふんわり綿毛のようなぽわぽわした毛並み。仔猫特有のクリクリの大きな瞳。
天使のようだと家族全員で虜になったの。
それで「アンジュ」と名付けたのだけれど……。
それは、ほんの半年前のこと。
天使の美少女は、今や我が家に君臨する女王となった。
お母さん! またアンジュが私の通学リュックに!
私は、この絶対君主たるアンジュ女王に負けない決意を固めた(勝てる気はしない)。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/chara_novel.png?id=8b2153dfd89d29eccb9a)
30歳、魔法使いになりました。
本見りん
キャラ文芸
30歳の誕生日に魔法に目覚めた鞍馬花凛。
『30歳で魔法使い』という都市伝説を思い出し、酔った勢いで試すと使えてしまったのだ。
そして世間では『30歳直前の独身』が何者かに襲われる通り魔事件が多発していた。巻き込まれた花凛を助けたのは1人の青年。……彼も『魔法』を使っていた。
そんな時会社での揉め事があり実家に帰った花凛は、鞍馬家本家当主から思わぬ事実を知らされる……。
ゆっくり更新です。
1月6日からは1日1更新となります。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる