新日本警察エリミナーレ

四季

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42話 「心なき紫刃」

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 空気がピンと張り詰める。
 言葉を発するどころか、ただ呼吸をするだけでも緊張するほどの、引き締まった空気。

 しかし茜の表情は柔らかいままだ。動揺の色は欠片も見当たらない。
 彼女がどのような人生を生きてきたのかは知らないが、恐らくこのような空気には慣れているのだろう。そうでなければ、平静を保てるわけがない。

「えへへっ、返り討ちにしてあげるよ」

 余裕たっぷりにそんなことを言っている。目を凝らすと、彼女の手に金属製の小さな筒が握られているのが僅かに見えた。茜の手のひらにほとんどが収まる大きさなのでかなり小さい筒だ。
 爆薬だろうか……いや、他の危険な薬品か何かの可能性もある。知識のない私には見ただけで中身を判断することはできない。だが、いずれにせよ、注意が必要だということは同じである。

「返り討ちですって? 笑わせてくれるじゃない」

 唇をしっとりと動かし、挑発的な言葉を吐くエリナ。
 その隣にいるナギは、怪我していながら敵を挑発する彼女を、心配そうに見つめている。

 既に一度、手を貸そうとして断られているので、ナギはエリナに触れられない状態だ。しかし、それでナギの心の中にある不安が消えるはずもない。心配しながらも行動に移すことを許されないというのは、きっととてもモヤモヤすることだろう。


 ——直後。

 エリナは茜の顔面へ膝蹴りを放つ。確実に命中したと思う速度だったが、茜はギリギリのところで飛び退いてかわした。
 軽い身のこなしを目にして改めて思う。やはり茜も普通の少女ではない、と。

「あら、避けられちゃうとはね」
「ふふーん。おばさんなんかには負けないよぉ」

 茜の冗談めかした言葉に、エリナの顔つきが一気に険しくなる。

「うるさいわね」

 おばさん、はエリナを一番怒らせる単語だ。
 相手が悪意のない幼児でも怒ったのだから、敵の少女に言われれば激怒するに違いない。彼女がおばさんと言われて笑っていたとしたら、天変地異の前兆かと周囲が慄くくらいだ。

 エリナは大きく一歩を踏み出し、茜に急接近した。そして何発も膝蹴りを繰り出す。女性とは思えぬ勢いと迫力だ。対する茜は軽く受け流しながら後ろへ下がっていく。

 二人は徐々にリビングへと進んでいった。ナギは金の三つ編みを軽く揺らして二人の後を追う。


 一部始終を見ていた紫苑は、茜の身を案じてリビングへ向かおうとする。
 だが武田がその前に立ち塞がった。近くにはいつでも動ける状態のレイもいる。私は数に入れないが、それでも完璧な一対二。紫苑が不利なことは誰の目にも一目瞭然だ。

 そんな明らかに不利な状況にあっても、紫苑は表情を崩さず冷静さを失わない。紫の瞳は、波ひとつたたない湖のような、静かな色をしている。表情が読めない。雰囲気が始めて出会った時の彼女に戻っている。

 そんな紫苑に、レイが銀の細い棒を向ける。そして冷ややかな声色で言い放つ。

「向こうには行かせないからね」

 レイの表情は固かった。その表情は、私を慰めてくれる時とも、ナギを叱っている時とも異なる。凛々しくどこか男性的な顔立ちに似合った、「かかってくるなら容赦はしない」と言っているかのような表情だ。

「……それでも退くわけにはいかないんだ」

 紫苑は独り言のように呟く。小さな声だが弱々しくはない、強い意思のこもった声だった。
 直後、紫の静かな瞳は確かに私を捉えていた。「これはまずいやつだ」とすぐに想像がつく。こういう雰囲気の時は一刻も早く逃げなくてはならないのだろうが、視線を逸らすのも怖い。

「どんな手段を使ってでも目的は達成させてもらうよ」

 紫苑は一瞬にして目の前まで接近してきていた。

 私の目には彼女の素早い動きを捉えることはできない。真正面から飛びかかられ、私は抵抗する間もなく地面に押し倒される。

 床はフローリングなので倒されてもそこまで酷い痛みはない。もちろん打ちどころが悪ければ重傷になる可能性もあったわけだが、今の場合は「軽く打ったな」くらいのもので済んだ。

 だが、それよりも大きな問題が起こった。
 喉元にナイフの刃を突きつけられていたのだ。これではまたしても、迷惑をかけるコースではないか。形勢逆転される危機である。

「沙羅ちゃん!? 今助けて——」
「レイ、落ち着け」

 慌ててこちらへ駆け寄ろうとしたレイを、武田が速やかに制止する。
 その間も私の喉元には刃が食い込んだままだ。金属光沢のある刃のひんやりとした感触はあまりに非日常的で、怖いはずなのに怖いのかどうか分からない。頭がなかなか追い付いてこないのだ。

 これ以上迷惑をかけるわけにはいかない——でもどうするのが正しいか判断することもできない。

「この女の身が大切なら動かないことだね。君たちが少しでも動いたら、犠牲者が出てしまうよ?」

 紫苑はほんの僅かに口角を持ち上げた。
 レイは歯を食いしばり、紫苑を睨みつけながら言う。

「卑怯者……!」
「何とでも言えばいいさ」

 言い返す紫苑の顔はあまりに無表情で、私は背筋が凍るのを感じた。

 作り物のような丸みのある顔には、感情などというものは微塵も存在しない。ロボットのような、陶器人形のような——到底生きた人間とは思えない顔つきをしている。

 だが、今はそんなことよりも、紫苑から逃れる方法を考えなくてはならない。これ以上レイらに迷惑をかけないためにも、自力で何とかしなくては。しかし逃れられる気がしない。

 一体、どうすれば……。
 私はひたすら思考を巡らせるのだった。
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