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38話 「すき焼き祭」
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すき焼き屋へ入ると、私たちは、比較的広いテーブル席へ案内された。いちいち靴を脱いで移動するというのも面倒なので、テーブル席になって良かったと思う。
向かい側の席にはレイとモルテリア。こちら側は武田とエリナが座っている。私はそこにちょこんと座らせてもらう形だ。入れてもらっている感が半端ない。
着席して待つこと数分。材料が運ばれてきた。
重ねられた真っ赤な薄い肉、あまり凝らずに盛りつけられた野菜。人数分の卵はもちろん、割り下と昆布が浮かんだ出し汁もある。
ここからどんな風に作り上げていくのか私にはさっぱり分からない。
「では、早速」
そう言ったのは武田。
彼はいつの間にかマスクと使い捨て手袋を装着している。食品を扱う工場で働く人のようだ。どう考えても今からすき焼きを食べる人のビジュアルではない。
「待ちなさい、武田。その格好は何なの?」
なぜ誰も突っ込まないのだろう……と思っていたら、エリナが鋭く突っ込んだ。すると武田は、眉を寄せ、何を言われているのか分からないといった顔つきになる。
「何かおかしいでしょうか?」
武田はエリナにそう尋ねつつ、速やかに作業を進めていく。
最初は鍋の底面に脂を塗り、ネギや肉を入れた。それから、割り下と出し汁を注ぎ込む。
「あらゆるところがおかしいわよ」
「そうですか?」
「えぇ。せっかくみんなで食べるのに、マスクやら手袋やらしていたら興醒めよ」
「分かりました、外します」
そう言った武田は、エリナの発言の意味をまだ理解しきれていないような表情だ。しかしマスクと手袋はすんなり外す。特にたいしたこだわりはないようである。
「卵の準備、次の注文。進めていって構わない」
武田は作業を続けつつ素早い指示を出す。彼が指揮を執るのは珍しい。新鮮な光景だ。
卵を割るのが怖くモタモタしていると、レイが私の分も割ってくれた。丁寧に溶くところまでしてくれる。「はい!」と爽やかな笑顔で差し出された時には、白身と黄身の区別がつかない状態になっていた。若干大雑把さは否めないものの、文句を言うほどではない。
そもそも卵をまともに割ることすらできなかった私だ。レイの混ぜ方に文句を言う権利はない。
「……レイ上手くなった」
「えっ、ホントに!?」
「……うん。だいぶ均等に混ざってる」
「やった!」
レイを褒めるモルテリアの手元に視線をやる。すると、既に綺麗に溶かれた卵が入っている茶碗が、視界に入った。
「モルは卵溶くの上手なんだよ。苦手だったから習ったんだ。沙羅ちゃんも習えば上手くなれるよ」
「モルさんが上手だなんて少し意外です」
「なんといっても、モルはエリミナーレの料理長だからね! 上手なのは当然かも?」
そういえばそうだ。
私はモルテリアが作った焼きそばの美味しさを知っている。あれは感動ものだった。
あの感動は、今でも鮮明に残っている。
一度も埋まることのなかった空白に、パズルのピースがピッタリとはまったような感覚。これこそが私の望んでいた味、と言っても過言ではない仕上がりだった。
「沙羅、できた肉を入れる。茶碗を」
レイとモルテリアに気を取られていると、武田が声をかけてくる。各々が好き勝手に話すので、聞き逃さないようにするのが難しい。
「いきなり私が貰うだなんて申し訳ないです。年上の方から先に……」
「いや、今日は関係ない」
武田はキッパリそう言うと、溶いた卵が入った私の茶碗へ、一枚目の肉を入れてくれた。卵の黄色に割り下の茶色が滲み、見るからに美味しそうだ。
しかし、まだ食べられない。全員の茶碗に食べ物が揃っていないのに、私だけ食べるというのは悪い気がするからである。私はもうしばらく待つことにした。
するとこちらへ目をやった武田は、私がまだ食べていないことに気がついたらしく、口を開く。
「なぜ食べない?」
肉や野菜を鍋から個人の茶碗へ移しながら、不思議そうに私を見てくる。もしかしたら、私が肉を食べずに置いているのを不思議に思ったのかもしれない。
「肉が苦手なのか?」
「い、いえ。みんな揃ってからの方が良いかなと思って……」
「気を遣いすぎるのは良くない。熱いうちに食べることを勧める」
「あ、はい。ありがとうございます」
それでもまだみんなの様子を窺っていると、気づいたレイが笑顔で「食べてもいいんだよ」と言ってくれた。途端に緊張が解ける。レイの凛々しい顔に浮かぶ爽やかな笑みは、私の心をいつも軽くしてくれる。既にもう何度も、彼女に救われた。感謝しなくては。
「よし。これで一周か」
ほんのり甘いような良い香りが漂う。ちょうど全員の茶碗に肉と野菜が揃ったようだった。
「それじゃ、いただくとしましょうか」
「ですね! いただきますっ」
ご機嫌なエリナに続けて、レイも手を合わせる。それからモルテリアも嬉しそうに微笑んで手を合わせた。私は出遅れつつも「いただきます」と言う。
武田は鍋を見張りながらも、注文用のパネルに触れてみている。どんな食材があるのか確認しているのだと思う。
「エリナさん、何か追加しますか」
桜色の長い髪を後ろへ流しながら茶碗の肉をどんどん食べ進んでいるエリナに、武田は真顔で尋ねた。
「そうね……やっぱりお肉がいいわ。三人前くらい追加してしまえば?」
軽い調子で答えるエリナ。
「分かりました。エリナさん用に三人前注文します」
「ちょっと! 私が一人で三人前も食べるみたいに言わないでちょうだい!」
「違いましたか」
すれ違いすぎているやり取りを見てレイはクスクス笑っている。私もつられて笑いそうになった。エリナが絡むと不穏な空気になることが多いだけに、今のこの穏やかで楽しい雰囲気は快適だ。
向かい側の席にはレイとモルテリア。こちら側は武田とエリナが座っている。私はそこにちょこんと座らせてもらう形だ。入れてもらっている感が半端ない。
着席して待つこと数分。材料が運ばれてきた。
重ねられた真っ赤な薄い肉、あまり凝らずに盛りつけられた野菜。人数分の卵はもちろん、割り下と昆布が浮かんだ出し汁もある。
ここからどんな風に作り上げていくのか私にはさっぱり分からない。
「では、早速」
そう言ったのは武田。
彼はいつの間にかマスクと使い捨て手袋を装着している。食品を扱う工場で働く人のようだ。どう考えても今からすき焼きを食べる人のビジュアルではない。
「待ちなさい、武田。その格好は何なの?」
なぜ誰も突っ込まないのだろう……と思っていたら、エリナが鋭く突っ込んだ。すると武田は、眉を寄せ、何を言われているのか分からないといった顔つきになる。
「何かおかしいでしょうか?」
武田はエリナにそう尋ねつつ、速やかに作業を進めていく。
最初は鍋の底面に脂を塗り、ネギや肉を入れた。それから、割り下と出し汁を注ぎ込む。
「あらゆるところがおかしいわよ」
「そうですか?」
「えぇ。せっかくみんなで食べるのに、マスクやら手袋やらしていたら興醒めよ」
「分かりました、外します」
そう言った武田は、エリナの発言の意味をまだ理解しきれていないような表情だ。しかしマスクと手袋はすんなり外す。特にたいしたこだわりはないようである。
「卵の準備、次の注文。進めていって構わない」
武田は作業を続けつつ素早い指示を出す。彼が指揮を執るのは珍しい。新鮮な光景だ。
卵を割るのが怖くモタモタしていると、レイが私の分も割ってくれた。丁寧に溶くところまでしてくれる。「はい!」と爽やかな笑顔で差し出された時には、白身と黄身の区別がつかない状態になっていた。若干大雑把さは否めないものの、文句を言うほどではない。
そもそも卵をまともに割ることすらできなかった私だ。レイの混ぜ方に文句を言う権利はない。
「……レイ上手くなった」
「えっ、ホントに!?」
「……うん。だいぶ均等に混ざってる」
「やった!」
レイを褒めるモルテリアの手元に視線をやる。すると、既に綺麗に溶かれた卵が入っている茶碗が、視界に入った。
「モルは卵溶くの上手なんだよ。苦手だったから習ったんだ。沙羅ちゃんも習えば上手くなれるよ」
「モルさんが上手だなんて少し意外です」
「なんといっても、モルはエリミナーレの料理長だからね! 上手なのは当然かも?」
そういえばそうだ。
私はモルテリアが作った焼きそばの美味しさを知っている。あれは感動ものだった。
あの感動は、今でも鮮明に残っている。
一度も埋まることのなかった空白に、パズルのピースがピッタリとはまったような感覚。これこそが私の望んでいた味、と言っても過言ではない仕上がりだった。
「沙羅、できた肉を入れる。茶碗を」
レイとモルテリアに気を取られていると、武田が声をかけてくる。各々が好き勝手に話すので、聞き逃さないようにするのが難しい。
「いきなり私が貰うだなんて申し訳ないです。年上の方から先に……」
「いや、今日は関係ない」
武田はキッパリそう言うと、溶いた卵が入った私の茶碗へ、一枚目の肉を入れてくれた。卵の黄色に割り下の茶色が滲み、見るからに美味しそうだ。
しかし、まだ食べられない。全員の茶碗に食べ物が揃っていないのに、私だけ食べるというのは悪い気がするからである。私はもうしばらく待つことにした。
するとこちらへ目をやった武田は、私がまだ食べていないことに気がついたらしく、口を開く。
「なぜ食べない?」
肉や野菜を鍋から個人の茶碗へ移しながら、不思議そうに私を見てくる。もしかしたら、私が肉を食べずに置いているのを不思議に思ったのかもしれない。
「肉が苦手なのか?」
「い、いえ。みんな揃ってからの方が良いかなと思って……」
「気を遣いすぎるのは良くない。熱いうちに食べることを勧める」
「あ、はい。ありがとうございます」
それでもまだみんなの様子を窺っていると、気づいたレイが笑顔で「食べてもいいんだよ」と言ってくれた。途端に緊張が解ける。レイの凛々しい顔に浮かぶ爽やかな笑みは、私の心をいつも軽くしてくれる。既にもう何度も、彼女に救われた。感謝しなくては。
「よし。これで一周か」
ほんのり甘いような良い香りが漂う。ちょうど全員の茶碗に肉と野菜が揃ったようだった。
「それじゃ、いただくとしましょうか」
「ですね! いただきますっ」
ご機嫌なエリナに続けて、レイも手を合わせる。それからモルテリアも嬉しそうに微笑んで手を合わせた。私は出遅れつつも「いただきます」と言う。
武田は鍋を見張りながらも、注文用のパネルに触れてみている。どんな食材があるのか確認しているのだと思う。
「エリナさん、何か追加しますか」
桜色の長い髪を後ろへ流しながら茶碗の肉をどんどん食べ進んでいるエリナに、武田は真顔で尋ねた。
「そうね……やっぱりお肉がいいわ。三人前くらい追加してしまえば?」
軽い調子で答えるエリナ。
「分かりました。エリナさん用に三人前注文します」
「ちょっと! 私が一人で三人前も食べるみたいに言わないでちょうだい!」
「違いましたか」
すれ違いすぎているやり取りを見てレイはクスクス笑っている。私もつられて笑いそうになった。エリナが絡むと不穏な空気になることが多いだけに、今のこの穏やかで楽しい雰囲気は快適だ。
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