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37話 「車内での細やかな会話」
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翌日、事務所の片付けをしていると、あっという間にすき焼き屋へ行く時間がやって来た。車なので店へは三十分もかからないらしい。
ちなみに、ナギ一人だけは事務所に居残りだ。昨日の件の罰という意味も込めて、紫苑の見張りである。リーダーのエリナが決めたことなので誰も反対はできなかった。
「それじゃあナギ。留守番よろしくお願いするわね」
みんなで事務所を出ていく時、エリナはわざとらしい満面の笑みでナギにそんなことを言った。いつになく柔らかな声色に、私は内心ゾッとする。
「俺も行きたかったっす……」
ナギは相変わらず落ち込んだ様子だった。
振る舞いが明らかにいつもと違う。調子に乗りすぎて怒られた子どもみたいだ。
しかしエリナは容赦ない。
「ミスした方が悪いのよ。反省しなさい」
傷を抉るような、追い討ちをかけるような、厳しい言葉を静かに浴びせる。
「分かってるっすよ……」
「分かればいいわ。それじゃ、行ってくるわね!」
エリナはナギが落ち込んでいるのを見ても何も思わないようだ。彼女が歩き出したので、私たちも速やかに車へ向かった。
レイの計らいのおかげで、私は今日も助手席に座ることができた。本来ならエリナが座るはずだったのだろうが、レイは上手く私を助手席に座らせた。
彼女が突然「沙羅ちゃんは後部座席だと吐き気が止まらなくなる」などと話し出した時は驚きを隠せなかったが、それによって武田の横に座れたのだからレイに感謝しなくては。
「沙羅がそこなのか」
シートベルトを締めながら、こちらへ戸惑いの視線を向ける武田。
「私だと困りますか?」
一応確認してみると、彼は「いや」と言いつつ首を左右に動かす。
私が助手席に座ることによって武田が困ることはないらしい。密かに安堵する。隣にいられるのは嬉しいが、それによって彼に迷惑をかけてしまうのは嫌だ。
せっかくの機会なので勇気を出して話を振ってみる。
「そういえば、見張りはナギさんだけで大丈夫なのでしょうか……」
ナギも一般人と比べれば弱くはない。しかし彼は近距離戦を得意としないので、紫苑と一対一となると不利だろう。事務所内でナギから仕掛けることはさすがにないだろうが、いざナギと二人きりになった時に紫苑がどう出るかは、誰にも予測できない。
「それは問題ない。あいつは軽い男のように振る舞っているが、馬鹿ではない。それに」
「それに?」
「上手く話を引き出すこともナギの特技だ。あの紫苑という女も、二人になればなんらかの情報を吐くに違いない」
車を走らせながらそう話す武田の表情からは、ナギへの確固たる信頼が窺える。
ナギは武田にやたらと嫌みを言っていた。武田の方も、さほど言い返しはしないが、呆れたような顔をしていた。
だから私は二人があまり仲良くないものだと思っていたのだが、案外そうでもないのかもしれない。少なくとも武田はナギを信頼しているようだ。
「確かナギの提出書類の特技欄……『人とtalk』って書いてませんでしたっけ」
後部座席のレイが、気を遣ってかエリナに話しかける。するとエリナはふふっと笑みをこぼす。
「そうね。日本語と英語を混ぜるとは、いかにも子どもだわ」
「普通に『人と話す』で良かったんじゃ、と思いました」
「そうね。面白かったからなんとなく採用しちゃったわ」
「完全になんとなくですね……」
レイとエリナは楽しそうに話している。
女性同士で気が合うのだろう、気難しいエリナもご機嫌だ。私が助手席に座ったことで不機嫌になったらどうしよう、と若干不安を抱いていたのだが、この感じだと大丈夫そうである。気まずくなりそうな時ほどレイの存在が心強い。
そんな中、二人の横に座っているモルテリアは、窓の外を眺めながらクッキーを食べていた。ポリポリという乾いた音が、小動物のようで愛らしい。
「モル、車内に欠片を落とすなよ」
武田が注意すると、モルテリアはクッキーをくわえたまま「大丈夫……」と返す。
到底大丈夫とは思えない言い方だ——と思った瞬間、彼女の手元からクッキーの破片がポロポロと落ちた。予想通りだ。
「武田ごめん……落ちた……」
モルテリアは罪悪感のなさそうな表情で言った。大丈夫と言ったそばから落とすとは、ある意味凄い。
「そうだろうな。仕方ない、また後で拾っておく」
「ありがとう……!」
得体の知れないやり取りだった。
そうこうしているうちに、車はすき焼き屋へ到着した。一番に降りるのはやはりエリナ。彼女は何でも行動が早い。
「すき焼き楽しみだね、沙羅ちゃん」
「はい。実は私、すき焼きあまり食べたことないんです」
「えっ!? そんな人いるの?」
「はい。小さい頃に家族で何度か行っただけです」
「初ではないんだね、良かった。まさかの初めてかと焦ったよ」
レイは苦笑いする。
彼女にかかれば苦笑いさえ爽やかだ。
その隣にいるモルテリアは、店の看板に書かれた『食べ放題』という文字を、しばらく凝視していた。いつもはぼんやりしていて無表情な彼女だが、今はうっすら笑みを浮かべて嬉しそうだ。餅のような丸い頬が僅かに紅潮している。
食べ物好きな彼女らしい反応だ。
「モル、行くよ!」
立ち止まり看板を見つめ続けるモルテリアをレイが呼ぶ。
こうして、エリミナーレのメンバーで行う初めてのすき焼きが始まる。
ちなみに、ナギ一人だけは事務所に居残りだ。昨日の件の罰という意味も込めて、紫苑の見張りである。リーダーのエリナが決めたことなので誰も反対はできなかった。
「それじゃあナギ。留守番よろしくお願いするわね」
みんなで事務所を出ていく時、エリナはわざとらしい満面の笑みでナギにそんなことを言った。いつになく柔らかな声色に、私は内心ゾッとする。
「俺も行きたかったっす……」
ナギは相変わらず落ち込んだ様子だった。
振る舞いが明らかにいつもと違う。調子に乗りすぎて怒られた子どもみたいだ。
しかしエリナは容赦ない。
「ミスした方が悪いのよ。反省しなさい」
傷を抉るような、追い討ちをかけるような、厳しい言葉を静かに浴びせる。
「分かってるっすよ……」
「分かればいいわ。それじゃ、行ってくるわね!」
エリナはナギが落ち込んでいるのを見ても何も思わないようだ。彼女が歩き出したので、私たちも速やかに車へ向かった。
レイの計らいのおかげで、私は今日も助手席に座ることができた。本来ならエリナが座るはずだったのだろうが、レイは上手く私を助手席に座らせた。
彼女が突然「沙羅ちゃんは後部座席だと吐き気が止まらなくなる」などと話し出した時は驚きを隠せなかったが、それによって武田の横に座れたのだからレイに感謝しなくては。
「沙羅がそこなのか」
シートベルトを締めながら、こちらへ戸惑いの視線を向ける武田。
「私だと困りますか?」
一応確認してみると、彼は「いや」と言いつつ首を左右に動かす。
私が助手席に座ることによって武田が困ることはないらしい。密かに安堵する。隣にいられるのは嬉しいが、それによって彼に迷惑をかけてしまうのは嫌だ。
せっかくの機会なので勇気を出して話を振ってみる。
「そういえば、見張りはナギさんだけで大丈夫なのでしょうか……」
ナギも一般人と比べれば弱くはない。しかし彼は近距離戦を得意としないので、紫苑と一対一となると不利だろう。事務所内でナギから仕掛けることはさすがにないだろうが、いざナギと二人きりになった時に紫苑がどう出るかは、誰にも予測できない。
「それは問題ない。あいつは軽い男のように振る舞っているが、馬鹿ではない。それに」
「それに?」
「上手く話を引き出すこともナギの特技だ。あの紫苑という女も、二人になればなんらかの情報を吐くに違いない」
車を走らせながらそう話す武田の表情からは、ナギへの確固たる信頼が窺える。
ナギは武田にやたらと嫌みを言っていた。武田の方も、さほど言い返しはしないが、呆れたような顔をしていた。
だから私は二人があまり仲良くないものだと思っていたのだが、案外そうでもないのかもしれない。少なくとも武田はナギを信頼しているようだ。
「確かナギの提出書類の特技欄……『人とtalk』って書いてませんでしたっけ」
後部座席のレイが、気を遣ってかエリナに話しかける。するとエリナはふふっと笑みをこぼす。
「そうね。日本語と英語を混ぜるとは、いかにも子どもだわ」
「普通に『人と話す』で良かったんじゃ、と思いました」
「そうね。面白かったからなんとなく採用しちゃったわ」
「完全になんとなくですね……」
レイとエリナは楽しそうに話している。
女性同士で気が合うのだろう、気難しいエリナもご機嫌だ。私が助手席に座ったことで不機嫌になったらどうしよう、と若干不安を抱いていたのだが、この感じだと大丈夫そうである。気まずくなりそうな時ほどレイの存在が心強い。
そんな中、二人の横に座っているモルテリアは、窓の外を眺めながらクッキーを食べていた。ポリポリという乾いた音が、小動物のようで愛らしい。
「モル、車内に欠片を落とすなよ」
武田が注意すると、モルテリアはクッキーをくわえたまま「大丈夫……」と返す。
到底大丈夫とは思えない言い方だ——と思った瞬間、彼女の手元からクッキーの破片がポロポロと落ちた。予想通りだ。
「武田ごめん……落ちた……」
モルテリアは罪悪感のなさそうな表情で言った。大丈夫と言ったそばから落とすとは、ある意味凄い。
「そうだろうな。仕方ない、また後で拾っておく」
「ありがとう……!」
得体の知れないやり取りだった。
そうこうしているうちに、車はすき焼き屋へ到着した。一番に降りるのはやはりエリナ。彼女は何でも行動が早い。
「すき焼き楽しみだね、沙羅ちゃん」
「はい。実は私、すき焼きあまり食べたことないんです」
「えっ!? そんな人いるの?」
「はい。小さい頃に家族で何度か行っただけです」
「初ではないんだね、良かった。まさかの初めてかと焦ったよ」
レイは苦笑いする。
彼女にかかれば苦笑いさえ爽やかだ。
その隣にいるモルテリアは、店の看板に書かれた『食べ放題』という文字を、しばらく凝視していた。いつもはぼんやりしていて無表情な彼女だが、今はうっすら笑みを浮かべて嬉しそうだ。餅のような丸い頬が僅かに紅潮している。
食べ物好きな彼女らしい反応だ。
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