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1話 「春の日」
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あれから数年が経った。時の流れというのは、速いような遅いような、微妙なものだと思う。
二○四六年。私は今年、ようやくエリミナーレへ就職できることになった。ここまでの道のりはとても長かったが、本当に叶えられるとは夢のようだ。
立て籠もり事件に巻き込まれたのが高校二年の終わり。それ以降、つまり高校三年の一年間と大学四年間、私はひたすら勉強を続けた。おかげで友達と呼べる存在はまったくいない。付き合いの悪い子、勉強ばかりしている、と悪口を言われ笑われることも少なくはなかった。
けれどそんなことは気にならなかった。私には決して揺らぐことのない夢があったからだ。
人質になっていた私を助けだしてくれた武田という男性——彼にもう一度会いたい。もう一度会って、ちゃんと話したかったのだ。
その強い思いがあったからエリミナーレへ入るところまで頑張れたと言っても過言ではない。他人に話せば邪な理由だと非難されるかもしれないが、私にとってこれは真剣な夢だった。
そしてついにこの日を迎えた。今日は、六宮市にあるエリミナーレの事務所へ初めて行く日である。新たな一歩を踏み出すおめでたい日だ。
耳の下くらいまでの長さの茶髪は櫛でしっかりとといて乱れがないよう整える。この前買ったばかりの紺のスーツをきっちりと着て、化粧は濃くなりすぎないように気をつけて行う。初日から悪い印象を与えないようにしなければ。
一通り準備を終えると、深く深呼吸して、鞄を持って家を出た。
六宮駅すぐ近くにあるカフェで係の者と会い、そこから事務所まで案内してもらうという予定になっている。家から六宮駅までは三十分もかからないので、あっという間に着くだろう。
私はここ数年で一番幸せな気持ちになりながら歩いた。
爽やかな風が心地よい、春の朝である。
「この辺……かな?」
待ち合わせ場所となっているカフェの前へ着いたが、周辺にそれらしき人影は見当たらない。腕時計の時間が進んでいるのかと思い、携帯電話でも確認してみる。やはり予定の時刻になっている。ということは恐らく係の人が遅れているのだろう。
そんなこともあるのだな、と思いながら近くの椅子に腰かけて待つことにした。待たせるより待たされる方がずっと気楽で良い。
待ち始めて十分くらいが経過した時、通路の向こうから颯爽と歩いてくる女性の姿が目に入った。
後頭部の高い位置で一つに束ねている長めの青い髪が、歩くたびにサラリと揺れる。脚は長くスタイル抜群で、黒でありながら固い雰囲気でないパンツスーツをかっこよく着こなしている。顔立ちは整っていて、どこか男性的なかっこよさが感じられる独特な感じだ。どこからどう見ても民間人とは思えない容姿である。
その美しい歩き姿に見惚れていると、彼女は私の前で立ち止まった。
「ごめんね。結構待たせてしまった?」
いきなり喋りかけられ混乱する。数年勉強ばかりで人とまともに話していなかったせいで、話しかけられても適切な返しが思い浮かばない。場が静まり返ってしまったことで焦り、ますます言葉を返せなくなる。
私が混乱して「あ、えっと……」などと言っていると、彼女はその凛々しい顔に笑みを浮かべる。微笑むと少し女性らしさが増した。
「天月沙羅さんだよね」
「は、はい」
彼女はカフェを指差し言う。
「とにかく入ろっか」
私は彼女が持つ民間人離れした雰囲気に圧倒されながらも、カフェへ入った。窓際の二人席に座る。ちょうど壁の横でもあるので、少しホッとすることができた。ここでなら少しは落ち着いて話せそうな気がする。
そんな風に思い安堵の溜め息を漏らしていると、彼女がメニューを渡してきた。やはりまだ心は休まらない。
「天月さんどれにする? どれでもいいよ。今日はあたしが持つから」
「そ、そんな! お金は払います!」
つい勢いで大声を出してしまい、後から凄まじい後悔の念に襲われる。初対面の、それもエリミナーレの関係者の人に、こんな口の利き方をしてしまうなんて。失礼な奴と思われたに違いない。
「あ……すみません」
私はどうしてこうも不器用なのだろう。
いくら勉強ができたって、人と話すだけでこんなに緊張するようでは意味がない。既に挫けそうになってきた。
「謝らなくていいよ。でも今日はあたしが持つからね。っていうのも、ここのカフェはエリミナーレの協力店舗なの。だからエリミナーレのメンバーは安く食べられるってわけ。天月さんも今日から割引してもらえるよ」
目の前の彼女は怒るどころかニコニコしていた。私の発言などまったく気にしていないような顔つきで話している。
もしかして、私は考えすぎなのかな?
そんな風に思えるくらい女性はにこやかだった。こんな私に愛想よくしてくれるなんて、なんて心優しい人なのだろう。
「では……これをお願いします」
私は勇気を出してメニューを指差す。
指差したのは『桜パフェ』という期間限定メニューである。実は初めから気になっていた、ほとんど桜色の春らしいパフェだ。一番上に桜餅が乗っているところが魅力的だった。
向かいに座っている青い髪の彼女は、「いいね!」と笑ってくれた。彼女の様子を見ていると、緊張が徐々に解けていくのを感じる。口を開けば余計なことを言って怒らせてしまうのではないかと恐れていた。だが、もっと積極的に話してもいいのかもしれないなと思えるようになってくる。
彼女も桜パフェを選び、結局桜パフェを二つ注文するという結果になった。
注文を終えると、彼女はこちらを向く。
「自己紹介遅れてごめんね。あたしは一色レイ。今のエリミナーレでは比較的新しい方かな。とにかく、よろしく」
彼女——一色レイは、その大人びたクールな容姿とは裏腹に、気さくな喋り方をする女性だった。少々似合わない気もするが、飾り気のない雰囲気はとても馴染みやすい。
「あたしのことはレイって呼んでくれたらいいからね」
「呼び捨ては慣れないので、レイさんでも構いませんか?」
「あ、うん。それでもいいよ」
段々ペースを取り戻してきた私は、普通に話せるようになってきた。それは、レイの言動が、無理して良く見せなくていいと教えてくれたからだと思う。
「じゃあ天月さんのことは沙羅ちゃんって呼んでいいかな?」
「もちろんです」
「やった! 名前呼び決まり!」
容姿に似合わず楽しそうにガッツポーズするレイ。初めて出会った時にはこんなことは想像しなかった。
だが、楽しい気分になってくる。
この感じなら私でもなんとかやっていけそうだな、と思うのだった。
二○四六年。私は今年、ようやくエリミナーレへ就職できることになった。ここまでの道のりはとても長かったが、本当に叶えられるとは夢のようだ。
立て籠もり事件に巻き込まれたのが高校二年の終わり。それ以降、つまり高校三年の一年間と大学四年間、私はひたすら勉強を続けた。おかげで友達と呼べる存在はまったくいない。付き合いの悪い子、勉強ばかりしている、と悪口を言われ笑われることも少なくはなかった。
けれどそんなことは気にならなかった。私には決して揺らぐことのない夢があったからだ。
人質になっていた私を助けだしてくれた武田という男性——彼にもう一度会いたい。もう一度会って、ちゃんと話したかったのだ。
その強い思いがあったからエリミナーレへ入るところまで頑張れたと言っても過言ではない。他人に話せば邪な理由だと非難されるかもしれないが、私にとってこれは真剣な夢だった。
そしてついにこの日を迎えた。今日は、六宮市にあるエリミナーレの事務所へ初めて行く日である。新たな一歩を踏み出すおめでたい日だ。
耳の下くらいまでの長さの茶髪は櫛でしっかりとといて乱れがないよう整える。この前買ったばかりの紺のスーツをきっちりと着て、化粧は濃くなりすぎないように気をつけて行う。初日から悪い印象を与えないようにしなければ。
一通り準備を終えると、深く深呼吸して、鞄を持って家を出た。
六宮駅すぐ近くにあるカフェで係の者と会い、そこから事務所まで案内してもらうという予定になっている。家から六宮駅までは三十分もかからないので、あっという間に着くだろう。
私はここ数年で一番幸せな気持ちになりながら歩いた。
爽やかな風が心地よい、春の朝である。
「この辺……かな?」
待ち合わせ場所となっているカフェの前へ着いたが、周辺にそれらしき人影は見当たらない。腕時計の時間が進んでいるのかと思い、携帯電話でも確認してみる。やはり予定の時刻になっている。ということは恐らく係の人が遅れているのだろう。
そんなこともあるのだな、と思いながら近くの椅子に腰かけて待つことにした。待たせるより待たされる方がずっと気楽で良い。
待ち始めて十分くらいが経過した時、通路の向こうから颯爽と歩いてくる女性の姿が目に入った。
後頭部の高い位置で一つに束ねている長めの青い髪が、歩くたびにサラリと揺れる。脚は長くスタイル抜群で、黒でありながら固い雰囲気でないパンツスーツをかっこよく着こなしている。顔立ちは整っていて、どこか男性的なかっこよさが感じられる独特な感じだ。どこからどう見ても民間人とは思えない容姿である。
その美しい歩き姿に見惚れていると、彼女は私の前で立ち止まった。
「ごめんね。結構待たせてしまった?」
いきなり喋りかけられ混乱する。数年勉強ばかりで人とまともに話していなかったせいで、話しかけられても適切な返しが思い浮かばない。場が静まり返ってしまったことで焦り、ますます言葉を返せなくなる。
私が混乱して「あ、えっと……」などと言っていると、彼女はその凛々しい顔に笑みを浮かべる。微笑むと少し女性らしさが増した。
「天月沙羅さんだよね」
「は、はい」
彼女はカフェを指差し言う。
「とにかく入ろっか」
私は彼女が持つ民間人離れした雰囲気に圧倒されながらも、カフェへ入った。窓際の二人席に座る。ちょうど壁の横でもあるので、少しホッとすることができた。ここでなら少しは落ち着いて話せそうな気がする。
そんな風に思い安堵の溜め息を漏らしていると、彼女がメニューを渡してきた。やはりまだ心は休まらない。
「天月さんどれにする? どれでもいいよ。今日はあたしが持つから」
「そ、そんな! お金は払います!」
つい勢いで大声を出してしまい、後から凄まじい後悔の念に襲われる。初対面の、それもエリミナーレの関係者の人に、こんな口の利き方をしてしまうなんて。失礼な奴と思われたに違いない。
「あ……すみません」
私はどうしてこうも不器用なのだろう。
いくら勉強ができたって、人と話すだけでこんなに緊張するようでは意味がない。既に挫けそうになってきた。
「謝らなくていいよ。でも今日はあたしが持つからね。っていうのも、ここのカフェはエリミナーレの協力店舗なの。だからエリミナーレのメンバーは安く食べられるってわけ。天月さんも今日から割引してもらえるよ」
目の前の彼女は怒るどころかニコニコしていた。私の発言などまったく気にしていないような顔つきで話している。
もしかして、私は考えすぎなのかな?
そんな風に思えるくらい女性はにこやかだった。こんな私に愛想よくしてくれるなんて、なんて心優しい人なのだろう。
「では……これをお願いします」
私は勇気を出してメニューを指差す。
指差したのは『桜パフェ』という期間限定メニューである。実は初めから気になっていた、ほとんど桜色の春らしいパフェだ。一番上に桜餅が乗っているところが魅力的だった。
向かいに座っている青い髪の彼女は、「いいね!」と笑ってくれた。彼女の様子を見ていると、緊張が徐々に解けていくのを感じる。口を開けば余計なことを言って怒らせてしまうのではないかと恐れていた。だが、もっと積極的に話してもいいのかもしれないなと思えるようになってくる。
彼女も桜パフェを選び、結局桜パフェを二つ注文するという結果になった。
注文を終えると、彼女はこちらを向く。
「自己紹介遅れてごめんね。あたしは一色レイ。今のエリミナーレでは比較的新しい方かな。とにかく、よろしく」
彼女——一色レイは、その大人びたクールな容姿とは裏腹に、気さくな喋り方をする女性だった。少々似合わない気もするが、飾り気のない雰囲気はとても馴染みやすい。
「あたしのことはレイって呼んでくれたらいいからね」
「呼び捨ては慣れないので、レイさんでも構いませんか?」
「あ、うん。それでもいいよ」
段々ペースを取り戻してきた私は、普通に話せるようになってきた。それは、レイの言動が、無理して良く見せなくていいと教えてくれたからだと思う。
「じゃあ天月さんのことは沙羅ちゃんって呼んでいいかな?」
「もちろんです」
「やった! 名前呼び決まり!」
容姿に似合わず楽しそうにガッツポーズするレイ。初めて出会った時にはこんなことは想像しなかった。
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