新日本警察エリミナーレ

四季

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プロローグ

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『正午のニュースです。まずは六宮市の立て籠もり事件です。現在も犯人は自宅に人質の天月沙羅さんを連れて立て籠もっており……』

 二○四〇年、十二月。

 テレビから男性アナウンサーの淡々とした声が聞こえてくる。
 どうしてそんなに落ち着いた調子で話すのだろう。他人事だからだろうか。もし捕まっている人質が家族や大切な人だったなら、このアナウンサーはこんな冷静に話せはしないだろう。きっと取り乱すはず。

 そんなことを考えながらニュースを聞いている私は——その人質だ。

「ぷぷっ、ニュースなんかしちゃって。あ、そうだ。おい! 天月!」

 私は「はい」と小さく答えた。
 立て籠もりの犯人は、浅黒い肌をした巨体の男。彼は家の周囲を包囲されているというのに余裕たっぷりで寛いでいる。人質がいるため警察も乱暴な手段は選べないだろうと踏んでいるのだと思う。

「ちょっとジュース取りに行ってくるから、ここで大人しく待ってろ」

 男は近くに落ちていたハンカチで私に目隠しをし、クローゼットの中へ突き飛ばす。両手は紐でくくられていて動かせない。そのうちにクローゼットの扉を閉められる。鍵をかけるカチャンという音が響いた。

「いいか、誰かがここへ来ても絶対に開けるなよ。この扉を開ける権利があるのは俺だけだ。お前は大事な資金源だからな。死にたくなければ俺に従うことだ」

 巨体の男は扉越しに、実に悪人らしい言葉を吐き、不気味に笑った。
 男がその場から離れた後、私は大きな溜め息をついてしまった。どうしてこんなことになってしまったのだろう、と。

 あれはもう三日ほど前の夕方のことである。
 高校からの帰り、友達と別れた後だった。一人で道を歩いていると男に声をかけられた。いかにも悪そうな容姿の男だったので逃げようかとも考えた。だが、「近くのコンビニまで案内してほしい」と懇願され、断れず案内してしまった。

 それが間違いだったのだと、今更後悔している。

 最初はこのまま耐えていれば警察が助けてくれるだろうと考えていた。比較的すぐにニュースになっていたからだ。しかし、あれからもう三日が過ぎたというのに、誰も一向に助けに来ない。テレビで報道している以外はまったく進展がない。どうなっているのやら。
 今のところ閉じ込められているだけで危害を加えられてはいない。しかし、ずっとこのままの状況だと私はどうなるのだろうという不安はある。

 暗闇の中で一人悶々としていると、クローゼットの扉をノックする音が聞こえてきた。予想外の早さに驚く。犯人は何かを取りに行くとなかなか帰ってこないことが多い。数十分この場を離れることもざらだ。

「……はい」

 男のだみ声が聞こえてこないことに疑問を抱きながらも小さく返事をする。返事をしないと怒鳴られるからだ。

「中にいるのか」

 返ってきたのは明らかに立て籠もり犯の男ではない声。私は戸惑いながら「はい」と応える。

「開けても構わないか」
「大丈夫ですが……鍵がかかっていて、開きません」

 もしかしたら助けに来てくれた人かもしれない。暗闇の中にほんの少しの光が見えた気がした。脈が速くなる。期待してはならない、と自身の心を落ち着かせようとするが、期待は逆に膨らむばかりである。

「あぁ、それは問題ない。こちらで開けよう。扉から離れていてくれ」

 声がそう言ったので、私はクローゼットの奥へと寄り身を縮める。

 ——次の瞬間。

 大きな音が鳴り響き、メリメリと何かが割れるような音が続く。思わず身震いしてしまうような凄まじい音だった。
 あまりの衝撃に震えていると、目隠しのハンカチを何者かが外す。もはや巨体の立て籠もり犯でないことは明らかだ。

 目隠しが外れ、視界が明るくなった。眩しくて思わず目を細める。

「見えるか?」

 淡々とした声に確認され、私は頑張って目を開けようとする。たった数分暗闇にいただけなのに、クローゼットの外は眩しすぎた。
 それでも諦めず何とか目を開けると、視界に入ったのはスーツ姿の男性だった。膝を落とし私の顔を覗きこんでいるが、背の高そうな人である。

「天月沙羅で間違いないな」

 鋭い目つきが冷たい雰囲気を醸し出しているが、よく見ると整った顔をしている。優しさなどは決して感じられない。なのになぜか引き込まれる。そんな不思議な男性だ。
 恥ずかしくて視線を逸らしながらも頷いて「はい」と答える。すると彼は後ろでくくられている両手を自由にしてくれた。

「よし、では行こう」

 緊張して差し出された手を掴むことを少し躊躇う。すると彼は半ば強制的に私の手を掴んだ。
 不謹慎かもしれないが、私は一瞬人質になって良かったと思った。男性と手を繋ぐ日など一生来ないと思っていたから。


「……あ」


 その時私は、一番見たくないものを見てしまった。

 犯人の男が部屋へ帰ってきたのだ。熊のような巨体はかなりの迫力がある。男は私がクローゼットの外へ出ていることに気づくと、手に持っているジュースの瓶を机に置き、睨みつけてくる。その目は怒りに燃えている。

「おい、どうなってんだぁ。天月。誰か来ても出るなって言ったよな?」

 殺される、と思った。言いつけに背いたのだ、痛い目に遭わされるに決まっている。あんな巨体に襲われて逃れられるわけがない……。
 全身が激しく震えだし、頭の中が真っ白になる。すべてが恐怖に塗り潰されていく。

「気にするな。このまま外へ行く」

 スーツの男性が手を引っ張るが、私はあまりの怖さに身動きがとれなくなる。

「おやおや、そっちの兄ちゃんは警官さんか? 単身で乗り込んでくるとは余裕だな。……避けんなよ」

 巨体がスーツの男性へ突撃してくる。私は思わず目を閉じた。
 どうなることかと思ったが、次に耳に入ったのは巨体の情けない悲鳴だった。巨体は床に伸びている。私はただ驚くしかなかった。この一瞬で何をしたのか。

「こんなところはさっさと出るとしよう」
「あ、あの、一体何を?」

 歩き出す寸前、男性は振り返り首を傾げる。

「どうした。何か問題があるのか」
「えっと、今の一瞬で何をなさったのかなと」
「そんなことは後で構わないだろう。とにかく今は……っ!」

 男性のもともと細めの目が大きく見開かれる。普通の高校生である私にも、何かが起こったのだと分かった。

「兄ちゃん、さっきのお返しだぜ」

 巨体が起き上がり、男性の背中を包丁で突き刺していた。どこの家にでもあるようないたって普通の包丁だ。ジュースを取りに行ったついでに持ってきていたのかもしれない。だとしたら、包丁で私に何をするつもりだったのだろう。あまり考えたくはないことである。

「この包丁、さっき研いだばかりでな。よく刺さるはずだぜ」

 男は浅黒い顔に不気味な笑みを浮かべて、包丁を握る手に力を加える。
 スーツの男性は「逃げろ」と言う。けれども私には彼を見捨ててこの場を去ることはできなかった。仕事だからだろうけど、彼は助けてくれた。そんな彼をここへ残して自分だけが逃げるなんて後悔すると思った。

 机へ走り、ジュースの瓶を掴む。

 こんなことをしたら私も罪人扱いになるかもしれない……でもそれでもいい。

 私はジュースの瓶で立て籠もり犯の頭を殴った。

 割れた瓶の破片が散乱し、辺りはジュースまみれになる。男は今度こそ本当に気絶した。私の力では手の力を緩めるのが関の山かと思っていたのだが、予想外の力が出せたらしい。奇跡だ。


「……凄いな」

 スーツの男性は見事なまでにジュースに濡れ、驚いた顔で固まっている。まさかこんなことになるとは思っていなかったのだろう。私も半分無意識だったため、こんな結果になるとは予想していなかった。

「信じられない、まさか助けられてしまうとは。恐るべき少女だ」

 男性はジュースで濡れた黒い髪を整えながら、呆れたように笑っていた。なんだか雰囲気が変わったように感じる。

「いえ、助けていただいたのは私です。それより刺されたところは大丈夫ですか?」

 どうやら彼はそのことを忘れていたらしい。結構深く突き刺さっていたであろう包丁を何食わぬ顔で引き抜く。

「あぁ、問題なさそうだ」

 負傷しているにも関わらずケロっとしている。私は彼がよく分からなくなってきた。普通の人間ではないのでは、と思ってしまう。
 何事もなかったかのように立ち上がり歩き出そうとする彼に、私は思い切って尋ねた。

「あ、あの……すみません!」
「どうした。まだ何かあるのか」
「貴方のお名前を……聞かせてはいただけないでしょうか!」

 今日の私はどうかしている。クラスメイトの男の子とすらまともに話したことがないのに。

「名前?」
「そうです。そもそも貴方が何者なのかもまだ分かっていないので……警官さん……なのですか?」

 今までの言動を見ていると、普通の警官だとは到底思えないが。

「名乗らないというのも変か。では一応」

 ついさっきまで人質になっていたというのに、私はなぜか胸のときめきが止まらない。立て籠もり事件に巻き込まれていたことなんて忘れそうだ。

「新日本警察エリミナーレ所属、武田という」

「特別な警官さんですか!?」
「いや。違う」
「そ、そうですか……」


 思えばこの日が、私の人生を大きく変えた日だった。
 当然無事解放されたというのはあるけれど、それだけではなく、この出会いが私の将来を変える大きな転換点となったのだ。
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